そして、悔恨
程よい広さの机の中心に居座る三叉型のキャンドルスタンドを端に退かし、男は丸まった町の地図を広げ右上をペーパーナイフで突き刺し、手で地図のしわを伸ばし左下もペーパーナイフを突き刺した。それから男はアルフィーユさんに敬礼をしてテントから退席すると、アルフィーユさんは地図の前に立ち両脇を私とロイドが立って地図を凝視する。
まず目に留まったのは町の中心を縦断するハイル川。海に近い地図の上部にロベリア橋、下部にハイル橋が架かり左右に分断された町の往来を可能にする。地図の上部が川の下流で、下部が上流なので少し混乱する。上が下で、下が上。まるでなぞなぞみたいだ。
町の左側はユーリア達が住むイリアナポート教会や闘技場や冒険者組合がある。町の右側には市長邸や高級住宅地、リトン教会や図書館、そして長老の住処がある。町の右側に重要な施設が集中している印象を受けた。そう言えば、川を挟んで右側と左側では住んでいる人間が違うとロイドが言っていた事を思い出した。
「子供達がよく遊ぶ場所は三箇所ある。まずは倉庫街の近くにある噴水公園」
地図の左上に記載されている噴水公園の文字を、アルフィーユさんが指で軽く叩く。
コンコン。
その音を合図に初日の記憶が蘇る。冒険者組合へ行く前に見たあの噴水。虹が綺麗だった。
「次にハイル川の土手だ」
アルフィーユさんの指が噴水公園から少し右に滑り、ハイル川に架かるロベリア橋で止まった。地図上では、噴水公園のすぐ近くにロベリア橋が架かり、その先に市長邸と道が続く。
「海に近いロベリア橋はハイル川から高い位置に設置され、川や土手には下りられない。それは高潮対策の為だ。しかし――」
アルフィーユさんは説明を中断し、指をハイル川に沿って蛇行させながら下流へと下り、その先に架かるハイル橋で止まった。
「ハイル橋付近の土手は傾斜が穏やかで川へ下りられる。特に夏場は川遊びをする子供多いと聞く」
説明を聞きながら猫ちゃんを思い出した。あの猫ちゃんはそろそろお休みの時間かな?
「そして最後は――」
指がハイル橋から右に滑り、お墓を横切り長老の住処で止まり円を描いた。
「長老の住処だ。以上の三箇所が子供達の遊び場だ。その他に考えられるのは、住宅地に点在する空き地や小さな公園や学校だが、それまで視野に入れると相当な数になるぞ」
こうして町の地図を眺めながら説明を受けると、この三箇所だけでも距離が離れているので、疲れた身体を引きずって全てを周るのは無理かもしれない。持つか? 持つのか? 私の身体。
「実は裏付けとまでは呼べないが、君達の推測が正しいと思われる事実がある」
太ももを触り疲労の度合いを調べていると、アルフィーユさんが机に寄りかかって言った。
「それは目撃情報の少なさだ」
「少なさ?」
鸚鵡返しをする私に、アルフィーユさんは理由を教えてくれた。
「外出禁止令が出され町人の目が無いとは言え、巨体のモンスターを目撃した情報がたった四件しか上がっていない。約半日で四件はあまりにも少なすぎる」
手の甲を私達に向け親指だけ内に折りたたみ、四本の指を見せて数字を強調した。
「差支えが無ければ、その目撃情報を教えて下さい」
ロイドはリュックサックからノートと鉛筆を取り出して書く準備をすると、アルフィーユさんは机から降りた。そして柱にナイフで貼り付けてある紙を引き剥がし、目撃情報に補足事項を加えて時系列で読み上げた。
まずは十二時過ぎに地震発生。
公演を終えて檻に戻ろうとしたモンスターがびっくりして逃げ出した。その時の様子は闘技場の周りにいた観客や団員達が目撃している。モンスターは人目を避けるように、その場から逃げだした。これが一件目。
二件目は一件目からほんの数分後にハイル川付近で、川を飛び越え長老の住処の方へ向かう姿が目撃されている。外出禁止令が発動して間が無く、多くの町民が帰路に着く途中だったので多数の人がモンスターを目撃している。
三件目は午後二時半頃に長老の住処でモンスターが発見される。何人かの冒険者が捕獲しようとしたが捕まらず、そのまま消息不明となった。
そして最後の四件目は、午後五時半頃に自警団本部の付近で目撃された。建物の屋上を伝い、イリアナポート教会の方へ逃げた。
自警団本部を見た覚えが無いので、地図で探すと左下にあった。どうやら町の外へ出る、外門の近くにあるようだ。町へ出入りする際にそれらしき建物が無かったので、地図で見ると近いだけで外門と自警団本部の距離は離れているようだ。
「目撃情報の信憑性はどうですか?」
メモを取る手を止めロイドが尋ねると、アルフィーユさんは紙切れを叩きながら言った。
「一件目と二件目の情報は間違いないだろうが、三件目と四件目の情報は信憑性に欠ける。この二つは冒険者からのみの提供だ。他者を混乱させ、出し抜こうと嘘を流した可能性がある」
なるほど。最初の二つは懸賞金に目もくれない町民の証言。残りの二つは懸賞金目当ての冒険者の証言。利害関係を考慮すれば、どちらの情報が信用できるかは誰でもわかる。
「しかし、君達の推測で気になる事がある。『ある程度の明りを確保している場所』と言ったが今夜は満月だ。その気になれば野外のどこでも、この町全体が『あの程度の明かりを確保している場所』になるぞ」
「それについてですが、ぜひ教えて欲しい事があります」
「なんだ」
私の残念な頭では二人の会話に割り込んでもお邪魔なので、後はロイドに任せて私はユーリアになったつもりで何処に隠れているか想像して時間を潰す。
「夕方以降にロベリア橋を渡った少女の目撃情報を収集したいのですが、ロベリア橋付近の警備を担当している者に話を伺えるでしょうか」
アルフィーユさんは少し俯いて考え込み、口を開いた。
「良いだろう。少し待っていてくれ」
そう言い残してアルフィーユさんはテントを出て行ったので、なりきりユーリアごっこは少し休憩し「説明を求む」と力強い態度で権利を主張します。
「ここで話した内容をオズに話せ。あいつならすぐに理解して、お前にも分かりやすく説明してくれるはずだ」
まただ。また置いて行かれた。ユーリアにもロイドにも置き去りにされる私はどうすればよいのか。誰か救済を頼む。
「はぁ? 勝手に突っ走らないでちゃんと説明しろ」
「だからオズに聞け。ところで――」
話を無理やり切られ、唐突な質問をされた。
「お前、ガキの時は悪戯ばかりして村人を震え上がらせていた、自称、悪戯名人なんだろ」
「自称とか言うな。名人に失礼だろ」
「それで悪戯して逃げたら、何処に隠れていたんだ」
「まずは森に作った隠れ家。でも隠れ家は、友達伝いですぐにばれるから狭い所だね」
「狭い所って何だよ。具体的に教えろ」
「そうだね……」
楽しかったあの日の記憶を呼び起こし、ロイドが欲しそうな情報を引っ張り出す。
「例えば、階段の裏の隙間とかだね。体が縮められる場所はすごく安心する」
「それだ!」
手を叩いて人差し指で指された。正解のようだけど、階段って何処の階段を調べるんだよ。町に階段なんてあったかな? それとも、さっき私が昇りかけた天国へ続く階段かな?
「俺はハイル橋の下を調べてくる」
ああ、なるほど。橋の下にユーリアが隠れているかもしれないと予想したのか。確かに橋の下は良い隠れ家になる。さすが私。目の付け所が違います。
「お前はユーリアの目撃情報を集めて来い。聞くのは二つだ」
ロイドは人差し指と中指を立てて、二の数字を強調する。
「まずは『ユーリアが向こう岸から、こちらに渡ってきたか』ご婦人の家に立ち寄った事象を考えれば目撃されているはずだが、しっかりと裏を取っておきたい。そしてもう一つは、『一件目の目撃の後に、こちらから向こう岸に渡ったか』特にこれが重要だ。この情報でユーリアの隠れている場所が、川の右側か、それとも左側か。大よそ判別できる」
「お前、頭いいな」
ぽろっと口が滑って褒めてしまった。
「頭がいいんじゃない。頭を使っているんだ」
ロイドはこめかみを人差し指で軽く叩いた。なんだよ! その解答は! 腹が立つな。
「待たせたな」
アルフィーユさんが戻って来た。その後ろに青い髪の人。よく見ると、この前に助けて頂いた、女神の部下であるウィザードさん。
「私の部下のイヴァン・マニフィカだ。彼が同行すれば、自警団も協力してくれるはずだ」
「ご紹介に預かりました、イヴァンです。ロニンのウィザードを務めております」
彼はロイドに向かって手を差し出し「冒険者をやっております、ロイド・ブラッドリーです」と握手を交わした。
「同じく冒険者のパティ・グリーンウッドです」とロイドに続いて、笑顔で手を差し出すと「初めまして」と何事もなかったかのように握手に応じる。私を覚えてないのですね。ぐすん。
「イヴァン。パティさんとは一度会ったはずだろ?」
「そうでしたか? 全く覚えてないですね」
そんなばっさり切られると傷付くを通り越して、清清しさを覚えます。
アルフィーユさんはイヴァンさんに事情を説明し、ロベリア橋付近を警備する自警団から事情聴取をしたいので手伝うようにと言われた。
「分かりました。見張りだけでは、退屈だったので少し歩いてきます」
表情は崩さないけど、なんか気だるそうな声。疲れているのは分かるけど、もっと声を出して元気出していこうぜ! イヴァンさん!
私達はテントを出てアルフィーユさんに「ご協力を感謝致します」とお礼を告げると「こちらこそ、有意義な情報の提供を感謝するよ」と軽く会釈をしてくれた。私のような子汚い田舎娘にも礼儀正しい。美しさに加え人格も素晴らしい。同じ人間とは思えないな。
「私はハイル橋に向かい、調査を行おうと考えています。申し訳ございませんが、彼女を連れて聞き取り調査の協力をお願いします」
ロイドは頭を深く下げてお願いすると「分かりました。お気を付けて」とイヴァンさんも頭を下げた。その光景を見て、新しく引っ越して来たご近所さんみたい! と思ったけど、そんな冗談が言える雰囲気ではなかったので口には出さなかった。
「箱入り。火だ」
手に持っていたキャンドルランタンを開けて、ロイドは私に差し出した。
「あらよっと」
掛け声と同時に火を灯すと「あなたもロニンですか?」とイヴァンさんに聞かれたので「はい。駆け出しですけど」と笑顔で答えた。
「そうですか……」
私を見つめたまま、それ以上は何も言わず会話が途切れた。もう少し感心を示して欲しい。
「待ち合わせ場所は図書館前だ。」
後ろから肩を叩かれて振り返ると、キャンドルランタンを顔の近くまで持ち上げたロイドだった。キャンドルランタンの明りで明暗がついた表情は、何か良からぬ事を考えているようにも見える。そう見えたのは、ロイドだからかもしれない。
「わかったわ」
返事をするとロイドは歩き出した。
さてと、私達も行きましょうか! 気合を入れて振り返ると、イヴァンさんはキャンドルランタンを持ってすでに歩き出していた。すいません、頼んでいる立場なので口が裂けても言えませんけど、私を置いて先に行かないでもらえませんかね。
私はイヴァンさんの三歩後ろを歩く。初めて歩く大通りは高い建物が建ち並び、空が狭く感じる。道の両脇には等間隔で立ち並ぶ自警団の視線が気になるけど、それよりも気になるのはイヴァンさんの口数の少なさだ。ここはギルドの話を持ち出して、打ち解けましょう。
「イヴァンさんは、ギルドに所属していらっしゃいますか?」
「はい」
「ギ、……ギルドはよく利用されますか?」
「いいえ」
会話が続かねぇ……どうしよう……。ロニンバズ様。同朋と会話が続きません。私はどうすれば良いのでしょうか? 答えを頂けるのなら、毎日お祈りを捧げます。
無言のまま大通りを歩き、道なりに沿って緩やかに左へ曲がると巨大な建物が見えた。この大通りは初めて歩くので、気になった建物についてイヴァンさんに訊ねる。もしかしたら会話のきっかけになるかもしれないからね。
「あの建物は何ですか?」
「あれは役所です」
まるで教科書に載っている例文のような会話。会話が一切弾みません。ロニンバズ様、お祈りだけでなくお供え物も付けます。助言で構いませんので、よろしくお願いします。
それよりも、アルフィーユさんにイヴァンさんとの接し方を聞けばよかった。まさか、こんなに無口な方だとは思わなかったよ。今度会う時に聞こう。
そしてしばらく歩くとレンガ造りの建物が見えて来た。建物のアクセントに白い模様が使われ、周りを厳重に警備している重装備の自警団が立っているので、市長邸だとすぐに分かる。
「すいません。ロベリア橋付近で仲間が待っているので、聞き込みの前に合流してからでもいいですか?」
「いいですよ。私はここで待っているので、これをどうぞ」
持っているキャンドルランタンを差し出されたので、会釈をして受け取った。それから市長邸の前に立つ篝火をぼけーと眺めるイヴァンさん。ご……ご一緒しないと二度手間だよね?
そんな疑問を抱きながら、すぐ近くに架かるロベリア橋のたもとに行くと、オズワルドはすでに待っていた。遠目から自警団がこちらの様子を覗っているけど、気にせず話し掛ける。
「教会の周りにはいた?」
眉をひそめるオズワルド。薄暗い月明かりでも表情は、はっきりと読み取れた。
「残念ながら見つからなかったよ。ところで、ロイドはどうしたの?」
「長くなるよ」と前置きして、エイダさんの家にユーリアが出没した話から、アルフィーユさんから聞いた目撃情報の話を元に、ユーリアがロベリア橋を渡った目撃情報を聞き取りに来たと話した。そしてロイドはハイル橋へ向かったと伝えると、オズワルドは少し俯いて考えて小さく頷いた。
「状況は理解したよ。ところで、パティは一人で来たの?」
「ううん。アルフィーユさんの部下で、ウィザードのイヴァンさんと一緒に来た。市長邸の前で待っている」
「そうか。じゃあ、挨拶して聞き取り調査をしようか」
オズワルドと並んで歩き市長邸の前に着くと、イヴァンさんは無言のまま篝火を見つめていた。もしかして火と会話でもしているのかな? 力は信仰心に比例するらしいから、火に感謝の気持ちを捧げているかもしれない。
邪魔にならない様に、そっと近づき声を掛けると、「あっ、はい」と気のない返事をされた。
私が仲介して二人を紹介し握手を交わす。
「それじゃあ、早速聞き取り調査を始めましょう」
すごく前向きな発言ですけど、お疲れのようで声に元気がありません。
キャンドルランタンをイヴァンさんに返しロベリア橋に移動すると、橋の近くを警備する自警団に近づきイヴァンさんが声を掛けた。さっき、私達を遠目から観察していた自警団だ。
やぁ! 元気? 往復する意味が分からないけど、また来たよ。心の中で彼に言った。
「こんばんは。今日も冷えますね」
まるでご近所さんに挨拶をするような軽い感じから、実家のお隣さんの顔を思い出した。
「はい! お疲れ様です!」
対して自警団はきちんと敬礼で答えた。軍人は礼儀に厳しいと思っていたけど、実はそうでもないのかな? それともイヴァンさんは軍人ではないのかな?
「お仕事中に申し訳ございませんが、彼らの質問に答えてあげて下さい」
「はい! 私に答えられる範囲なら」
今度は私達に向かって敬礼をした。なんか緊張するな。質問内容を心の中で復唱してから自警団に尋ねた。
「夕方頃に、橋の反対側からこちらへ渡る少女を見ませんでしたか? 頭に洗面器を被った少女なんですけど……」
発言の後に思ったけど、頭に洗面器を被った少女ってなんだ。ふざけているの? そう思われてもしょうがない。
「い、いいえ……」
あれ? 聞き間違い? 私達が口を噤み考えていると、自警団から説明を受けた。
「外出禁止令が発動された直後は子供が往来しておりました。しかし、その後は子供の往来はありませんでした」
予期せぬ答えに思考が停止した。どうやら、ユーリアは私達が思った以上に手ごわいようだ。
「貴方は外出禁止令が発動され橋のたもとの警備を担当し、夕方以降に橋を渡る子供を見ていない。それで間違いありませんか?」
オズワルドが発言の真偽を確認すると、視線を上に向け記憶を思い返し、確信を得たような表情を見せてから自警団は首を縦に振った。
「はい。間違いありません。お昼頃にアルフィーユ様から子供の保護要請がありましたので、特に子供は注視して警備しておりました。もし私が見逃しても市長邸を警備する者や、町を巡回する者がおりますので、彼らに目撃されているかもしれません。念の為に確認して下さい」
そうか! そうだった!! リトン教会でアルフィーユさんに会った時に、自警団へ協力を要請すると言っていた。すっかり忘れていたぜ!! しかも、二人には伝えてないぜ!
「分かりました。お仕事中、貴重な時間を割いて頂き有難うございます。」
オズワルドがお礼を言うと少し困惑した表情で「いいえ! お役に立てず、申し訳ございません」と自警団は敬礼で答えた。
思いがけない答えに、私は大混乱している。
ユーリアは教会からロベリア橋を渡り、エイダさんの家へ直行したと考えていたけど、どうやらそれは間違いのようだ。すると残る可能性は一つ。教会からハイル橋を渡り、エイダさんの家へ行った。そう考えるのが自然だけど、すると一つの疑問が浮かび上がる。
なぜ、最短距離であるロベリア橋を通らず、わざわざ大回りをしてハイル橋を通り、エイダさんの家へ行ったのか?
真っ先に思い付いたのが警備の目を避ける為だ。ロベリア橋を渡ってすぐに市長邸があり、普段から自警団が警備をしている。それを知っているユーリアはオリーヴィアを匿っているので、負い目を感じて人目は避けた。
――いや、違うな。ユーリアはオリーヴィアに夢中になっているので、人目とかは気にしていない。そうでなければ教会へ荷物を取りに行ったり、エイダさんの家へ雑草を取りに行ったりする説明が出来ない。
おや? これではハイル橋を経由し、遠回りした理由が思い付かないぞ。
――いや、待てよ。待てよ! 待てよ!! 待てよ!!!!
もしかしてハイル橋を渡っていると思い込んでいるだけで、実はロベリア橋を渡ったのではないか? 自警団に見つからない方法があるのではないか。
例えば向こうとこちらが繋がっている水道管のような物があって、小さな子供が密かに往来しているとか……。
――はにゃ? 考えられる可能性を考慮するとロベリア橋を渡ったのか。それともハイル橋を渡ったのか。見当もつかなくなったぞ。
「パティ! パティ!」
目の前で手を振られ、ハッと我に返ると心配そうに見つめるオズワルド。
「大丈夫? 今にも頭から煙を出しそうな感じで、顔を真っ赤にしているけど」
「あらゆる可能性を視野に入れ右往左往していると、無事に出発地点に戻りました」
「お帰りなさい」と頭を下げて迎え入れるイヴァンさん。意外と冗談はいける口のようです。
「考えるのは市長邸の前を警備している、自警団の話を聞いてからにしよう」
オズワルドに肩を叩かれて励まされた。そうだね。考えるのは後にしよう。
早速、市長邸に移動し自警団から話を聞くと、やっぱりユーリアが橋を渡った情報は確認できず、証言内容は先ほどの自警団と同じだった。
自警団にお礼を告げて、市長邸から少し離れ作戦会議に突入する。
「自警団の証言を聞いて、パティの考えを聞かせて欲しいな」
オズワルドさんが意見を聞きたそうな顔で、こちらを見つめています。私は両手を広げ肩をすくめ、首を横に振り所見を提示しました。
「とても分かりやすい答えだよ」
オズワルドさんは残念そうに苦笑いをしました。
「僕はハイル橋にいる可能性が高くなったと思ったよ。ロベリア橋を渡っていないとなると、ハイル橋しか残っていないからね」
「その事で思ったんだけど、ロベリア橋とハイル橋以外に、反対側からこちらへ渡る方法はないのかな? 『第三の可能性』って言えばいいの? 例えば、小さな子供だけが通れる水道管が在って、それを利用して川を渡った可能性は考えられない?」
「その可能性は否定できないけど、少々考えにくいな。そんな都合の良い物があるとは思えないな」
「なるほど。それでイヴァンさんはどう思いますか?」
イヴァンさんに話を振ると、人差し指で頬をかいた
「ふと思ったのですが、やはりイリアナポート教会からハイル橋を渡り、大回りして住宅地に直行するのは不自然です。ですが教会からモンスターの潜伏先へ立ち寄り、その後に近くにあるハイル橋を渡り住宅地に向かった。それなら大回りをした理由も納得できます」
イヴァンさんの見解に不可解な点はない。むしろその考えが自然だ。しかしそれを認めると、エイダさんの証言とつじつまが合わなくなる。
「しかしエイダさんは教会を出発した格好のユーリアを目撃しています。頭に洗面器を被りナップサックを背負った姿です。もしもモンスターの潜伏先に立ち寄ったのなら、荷物を置いてからエイダさんの家に向かうはずです」
「ちょっと待って。パティ」
オズワルドが会話に割り込んできた。私の発言におかしな点があったのかな?
「確認だけど、ユーリアは『洗面器』と『ナップサック』と『毛布』を教会から持ち出している。エイダさんはこの三つの荷物を目視したと証言したの? 特に『毛布』は抱えるくらい大きな荷物だから、頭に『洗面器』を被る奇妙な格好に目を奪われたとしても、『毛布』の存在を見落とすとは考えにくいんだよ」
エイダさんの証言を思い返す。言われてみれば『洗面器』と『ナップサック』の単語は聞いたけど、『毛布』の単語は聞いていない。
「毛布は言ってなかった。もしかしたら、毛布は持ってなかったかも」
「そこはもう一度、エイダさんに確認しよう」
「ところでさっき言っていた『第三の可能性』ですが、向こう岸と繋がっているのは橋しかないはずです。しかし私は専門家ではないので、アルフィーユ様へ依頼し専門家に確認した方が良いでしょう」
自分の意見を言う、イヴァンさんの声に張りがある。
「それでしたら、私に当てが在ります」
肩掛け鞄からスペンサーさんから頂いた名刺を取り出して二人に見せると、声を上げてものすごく感心された。これが……、これがコネの力ですか? ロイドさん。
「さてと、私は噴水公園と倉庫街を探しに行きます。お手数ですが、アルフィーユ様に私が噴水公園と倉庫街の捜索へ行ったとお伝え下さい」
「ご協力に感謝します。私達は証言の再確認をします」
オズワルドが頭を下げると彼は首を横に振った。
「アルフィーユ様から、あなた方の捜査に協力するように命じられているので」
そう言いながら、イヴァンさんは右手に持っているキャンドルランタンを顔の高さまで持ち上げて、私に差し出した。どうやら持って行けと言っているようだ。
「いいんですか?」
「はい。私は自警団に顔が利くので、松明代わりに魔法を使っても厳重注意で済みますから」
「ありがとうございます」
キャンドルランタンを再び受け取る。
「今夜は満月で明るいですが、ランタンを持っていないと実地調査で大切な物的証拠を見落とすかもしれません。それに……」
イヴァンさんは一つ息を吐いた。
「人は火を見ると落着くそうです。もしも進むべき道を見失った時には、そのランタンの火に問いかけて下さい。きっと進むべき道が見えるはずです」
そして彼は右手を胸に当て小さく俯いた。
「どうか、ロニンバズ様のご加護がありますように……」
イヴァンさんの祈りに応えるように、キャンドルランタンの火が小さく揺れた。その瞬間、彼の強さを垣間見たような気がした。
エイダさんの家へ向かいながら、凄く気になっていたのでオズワルドに質問をした。
「どうしてそんなに鋭い指摘が出来るの?」
「偶然だよ」
「いいや! それは嘘だ! きっと何か秘密があるに決まっている!」
ヘンリさんの証言を聞けば、誰だってユーリアは教会から出かけたと思うはずだ。それを実は出かけていると思い込んでいるだけで、教会のどこかに隠れているかもしれない。私達が気にも留めなかった箇所を指摘した。
それからエイダさんの証言だってそうだ。頭に洗面器を被って参上したと聞けば、教会から直行したと思うはずだ。しかし彼は、それを鵜呑みにせず荷物について訊ねてきた。私が気付かないのは分かるけど、ロイドも見逃したポイントを指摘した着眼点は素晴らしい。
彼と私では何が違うのか? どうしてそんなに冷静なのか? 同じ人間なのに、なぜこうも違うのか? アルフィーユさんといい、オズワルドといい、同じ人間とは到底思えない。きっと私の知らない、重要な秘密が隠されているはずだ。
「実はね……」
オズワルドは顔を少し俯きながら、照れくさそうに説明してくれた。
理由は単純明快。二つとも実体験に基づいた発想らしい。
教会の捜索はかくれんぼからヒントを得たそうだ。上手に隠れる子は盲点になるような身近な場所に隠れており、もしかしたら今回も同じような場所に隠れているかもしれない。
そしてエイダさんの証言では、頭に洗面器を被るユーリアの姿が幼少時の自分と重なった。童話に出てきた戦士に憧れ、自分も洗面器を鉄の帽子に見立て被っていたので、もしかしたらユーリアも幼少時の自分と同じように、洗面器は鉄の帽子と見立てて装備しているつもりかもしれない。洗面器は鉄の帽子、ナップサックは鉄の鎧に見立てられるけど、毛布は戦士の装備品として思い付かない。では毛布の存在意義とは? そうやって推理をしていくと、毛布の存在が頭から離れず、エイダさんの証言に疑問を持ったそうだ。
「すごいね!!」
ロイドは褒めませんけど、オズワルドは褒め称えます。絶賛です! 大絶賛です! 例え些細な事柄でも、世界を救った偉人のように称えます。
「今回は偶然だよ。毎回期待されると困るな」
この場面でロイドなら「お前とは違うぜ!」と鼻を高くするでしょうが、彼は謙遜し威張らない態度がまた素晴らしい。なんと立派な若者でしょうか。筋肉痛でなければ、オズワルドさんを称える歌と踊りを披露したでしょう。
そんな感じで賞賛の言葉をオズワルドへ送っていると、エイダさんの家に着いた。夜も更けてきたので、ドアをノックするのは気が引ける。しかしユーリアを見つける為には仕方がないと自分に言い聞かせ、外門を開けて敷地に入りドアをノックすると、すぐにエイダさんが応対に出た。
「度々お邪魔してすいません。確認したい事があって」
「いいえ。大丈夫よ」
エイダさんの笑顔を見るとなんだかホッとした。
「ユーリアが草を取りに、こちらへ伺った時、毛布は持っていましたか?」
「毛布? いいえ。帰ろうとするユーリアちゃんを追いかけて、玄関に出て何度も呼び止めたけど『大丈夫ですー』と叫びながら走り去ったわ。その時も毛布は持っていなかったわよ」
『大丈夫ですー』の部分でユーリアの真似をするあたりに、エイダさんの可愛い性格が伺える。後ろを振り返りオズワルドに「ユーリアについて、他に何かある?」と聞くと「もういいよ。後は橋以外に川を渡れる手段について聞いてみて」と小声で言われた。
「エイダさん。スペンサーさんにお尋ねしたい事があるので、呼んで頂けませんか?」
「それなら上がっていったら?」
「いいえ。すぐに終わりますし、時間がないので」
「分かったわ。ちょっと待っていてね」
エイダさんは玄関の奥に消えて、すぐにスペンサーさんを連れて戻ってきた。
「あの、橋以外に川を渡る設備はあるんですか? 例えば、水道管のような物が西と東で繋がっていて、小さな子供が川を往来できるような設備は存在しますか?」
「私の専門部署ではないが、西側と東側が繋がっている物は橋しかない。それは間違いないよ」
「わかりました」
スペンサーさんの答えを聞いて安心した。これ以上、状況が複雑になったら私の頭では処理しきれない。これでユーリアはハイル橋を渡ったと断定できる。後ろを振り返るとオズワルドが首を縦に振ったので、確認したい事柄はないようだ。
「ありがとうございます! もしかしたら、また来るかもしれませんけど、その時はよろしくお願いします」
見落としがあるかもしれないので予防線を張っておく。こうしておけば、四度目の訪問でも気を使う必要はない。私だって学習するんだよ……、ってこのセリフ何度目だ?
「それじゃあ、失礼します」
早々に立ち去ろうと二人に頭を下げてお礼を言い、踵を返そうとすると「ちょっと待って! お水は大丈夫?」とエイダさんに止められた。
おおっ! そうだ! 私は大丈夫だけど、オズワルドの水筒は空かもしれない。振り返ってオズワルドに「水筒の水は大丈夫?」と聞くと「頂けるなら貰おうかな」とリュックサックから水筒を取り出しエイダさんの前に出たので、私が仲介してオズワルドとベケット夫妻を紹介した。
それからエイダさんが水を補給する為にその場を後にしている間に、ユーリア失踪事件の進捗を話しているとエイダさんが戻って来た。
「はい。大変だろうけど頑張ってね」
「ありがとうございます。また、改めてお礼に伺います」
オズワルドは頭を下げながら水筒を受け取り、私も再度お礼を言って外に出た。陽が落ちて時間が立つので気温が下がり、さらに立ち話で体を動かさなかったので体温も下がっている。
肌寒い。ユーリアは毛布一枚で寒くないのか。心配だ。
「寒いね」
オズワルドが呟いた。身体が冷えるとしんみりするよね。うんうん。分かる、分かる。
ところで、ヘンリさんの顔を見て思い出したけど。
「それより、パン食べる? お腹空いたでしょう?」
肩掛け鞄からパンを取り出してオズワルドに渡した。もう一個はユーリアの分として残しておこう。
「……ありがとう。それじゃあ、行こうか」
エイダさんの家を出てご夫婦の話をしながら、魔法研究所や図書館へ繋がる交差点に着いた。
左に行けば魔法研究所、右に行けば図書館。魔法研究所へ行くのは面倒だけど、協力してくれたイヴァンさんとの約束を破るわけには行かない。信頼は小さな事の積み重ね。おばあちゃんが口を酸っぱくして言っていたのを思い出した。
交差点を左に曲がり、アルフィーユさんがいる魔法研究所へ向かう。疲れているので、すぐにご飯を食べて寝たい! できれば、暖かいスープを飲んで、ふかふかのベッドで眠たい。しかしお金が無いので、叶わぬ夢なんですけどね。がっかりです。
疲労は蓄積しているけど、私達の足は自然と速くなる。筋肉痛で足が棒になっていても、早くハイル橋に向かいたい。もしハイル橋に手掛かりがなければ、後はイヴァンさんが行った噴水公園か倉庫街しか考えられない。さらに噴水公園と倉庫街にも手掛かりが無ければ、捜査は振り出しに戻る。
それだけは避けたい。出来ればハイル橋で事件解決に繋がるような手掛かり――希望を見つけないと精神的に堪える。
あらゆる状況が頭を駆け巡っていると、アルフィーユさんがいるテントに着いた。篝火の薪に染み込んだ水分の弾ける音が、はっきりと聞き取れるくらい静かだ。どうやら、何も起きていないようだ。今度は注意されないように、遠目から警備をする雇い兵に大声で呼びかける。
「すいません!! アルフィーユさんに会いたいんですけど!!」
「もう少し近づいた方がいいんじゃない?」
オズワルドに言われても気にしません。あんな怖い思いは二度とごめんですから。
雇い兵が「はい!」と返事をしたと同時に、アルフィーユさんがテントから姿を現した。どうやら声が大きすぎたようだ。
「パティさんは元気だね。それでどうだった?」
そう言いながらアルフィーユさんは私達の方へ歩み寄る。
やべぇ! テントまで聞こえていたとか、恥ずかしすぎるだろ!
「それがですね――」
ここは苦笑いで誤魔化し何事もなかったように振舞いましょう。うん! そうしましょう!
苦笑いで切り抜けた私は自警団の証言と、それを元に組み立てた推理をアルフィーユさんに話した。
「そうか……」
少し横を向き、顎に手を当て俯きながら考えるその姿。素敵です。
それからイヴァンさんが噴水公園と倉庫街に向かった事と、これからハイル橋の調査に行った仲間と合流すると伝えた。
「何か分かりましたら、またご協力をお願いするかもしれません。その際はよろしくお願いします」
「ああ。お互いに協力して事件の早期解決を実現しよう」
手を差し出て微笑むその姿がなんとも爽やか。私も笑顔で答え握手を交わし、立ち去る前にアルフィーユさんにオズワルドを簡潔に紹介した。ロイドを紹介して、リーダーを紹介しない訳にはいかないもんね。
月明かりに照らされた図書館。入り口には小さな暖色の明りが一つ。
私達が図書館に着くと、ロイドはキャンドルランタンと仲良く地べたであぐらをかいていた。ロイドは私達に気づくと、キャンドルランタンを持って立ち上がりこちらへ歩み寄る。
「どうだった?」
ロイドの問いに無言で首を横に振り、即座にオズワルドが聞き返す。
「そっちは?」
「誰もいなかった。ただし、現場にそれらしき物を発見した。おい、これを持っていろ」
持っていたキャンドルランタンを私に押し付けた。それからリュックサックから小さな麻袋を取り出し、人差し指と親指を突っ込んで何かを慎重に摘み、麻袋をズボンのポケットにしまい手の平にゆっくりと乗せた。
キャンドルランタンと顔を近づけると、こげ茶色と白い毛が一本ずつ。二つの毛には見覚えがある。こげ茶色はオリーヴィアの体毛で、白い毛は首元に生えている前掛けのような体毛だ。
「箱入り。この毛は鹿の体毛で間違いないか?」
「うん。白い毛は首元に生えている毛で、茶色は体毛だよ。それにしてもよく見つけたね」
昼間でも陽の光が当たらない橋の下から、オリーヴィアの体毛を捜すのは大変だったはずだ。
「地面に這いつくばって調べたらからな。他にも糞尿が残っていた。そこから考えると……」
「うげー」
「引くな! 至って真面目な話をしているんだぞ」
「うげー」
「お前な……」
こう言うのは、二度やるのがお約束ですよね。
「それでどうしたの?」
オズワルドが話を促しロイドは続けた。
「糞尿が残っていたと考えると、長時間ハイル橋の下に隠れていた可能性がある」
「すると教会から橋の下へ行き、二人で別の場所へ移動した後に、エイダさんの家に向かった可能性が高いね」
「ああ。問題は何処へ移動したかだ」
ちょっと! ちょっと! お二人さん。お話が盛り上がっていますけど……。
「それで体毛を見つけたけど、結局何処へ行ったか分からないの?」
「残念だけどその通りだよ。後はイヴァンさんが見つけられなかった場合、住宅地にある小さな公園や空き地をしらみつぶしに探さないといけない」
冗談じゃない! この疲れた体で多すぎて数も数えられないような、公園や空き地を探し回るのは無理だ。途中で行き倒れる自信がある。とにかく、イヴァンさんに望みを託すしかない。
ん? 待てよ。
「ちょっと、待ってよ」
手を前に突き出して、オズワルドに反論する。
「長老の住処は、まだ調べてないよね」
「住処は調べなくていい。ハイル橋を往復する時に、ランタンの明りがチラチラと見えた。他の冒険者が探しているから、わざわざ俺達が探す必要もないだろ」
「じゃあ、空き地や公園をしらみつぶしに探し回る気?」
「それしかないだろ」
「そうだね」
なんてこったい……。絶望の二文字が肩にのしかかり、急に身体が鉛のように重くなった。
ユーリアめっ! 見つけたら説教してやる!
「ねえ、本当にしらみつぶしに探すつもり? なんかもっと効率の良い方法は無いの? この現状を一転するような!」
「どうやらお前は何も分かっていないようだから、これを機会に進言してやる。よく聞けよ」
またロイドさんの説教ですか。もう沢山なんですけど。
「いいか。俺達は不利な状況を一転できるような超人でも、斬新な発想から全く新しい方法を生み出すような天才でもない、ただの凡人だ。凡人にできる事はなんだ? 凡人にでも出来るような小さな事を積み重ねていく。それしかないだろ。違うか?」
「はい。仰るとおりです」
「その凡人の集団から抜きん出る為に、また効率の良い方法を見つけ楽をする為に頭を使え、と再々お前に言っているだろ」
「はい。よく分かりました」
「嘘を吐くな」
やっぱり、一時しのぎの返事ではダメなようです。
「とにかく、アルフィーユさんの所に戻って協力を仰いでみよう。僕達だけで空き地や公園を回るのは非効率だからね」
オズワルドが私とロイドを交互に見た。
「待って。少し考えさせて」
キャンドルランタンを持ち上げ、中の火を見つめる。火を見ると人は落着くらしいので、見つめていれば何か良い案が浮ぶかもしれない。
「お前、なんで考えるのに火を見つめるんだよ。考えている振りをしているだろ」
「とんでもございません。この状態で考えると、優れた方法が思い付くのです」
ロイドさんのご指摘通りですけど、認めなければ分かりません。考える振りをしても仕方ないので、ここは私を守護する神様に祈りましょう。
ああ……ロニンバズ様、どうか私達が進むべき道を指し示し――――。
キャンドルランタンの火が小さく揺らぐ。
火。
灯り。
光り。
灯台。
「ねえ、ちょっとオズオズさん。聞いていい?」
「なんだい?」
「どうしてオズは、灯台の光が炎って知っているの? 実際に見たの?」
「いや、実際には見ていないよ。灯台の下から見上げても、死角になって見えないからね」
死角。
視界。
蜀台。
二人の視線がキャンドルランタンの火に集まり「それだぁ!」と叫んだ。ロイドは急いでリュックサックから地図を取り出して広げた。
「高い建物で思い付いたのは、市長邸や役所、魔法研究所だな!」
違う。
「そうだね! 一度アルフィーユさんの所へ戻って相談してみよう!」
二人が足を踏み出そうとする。
違う。
もう一人の私が囁いた。
思い込み。
キャンドルランタンの火が小さく揺れる。
私はキャンドルランタンから視線を上げた。
目の前に在るのは、あのフレジェに良く似た巨大な建物。一度探したけど、あれからずいぶんと時間が経っている。
もう一度、キャンドルランタンの火に問いかける。
火は小さく揺らいだ。
「ねえ、この図書館の屋上も調べてみようよ。昼間は誰も居なかったけど、だいぶ時間も経っているから、猫くらいは居るんじゃない」
二人は立ち止まり互いの顔を見合わせた。変な事でも言ったのか?
「お前、どうした? 体調が悪いのか? それとも何かが降りて、別人になっているのか」
ロイドに両肩を捕まれて前後に揺らされ、私の身体に降りた何かを追い払おうとしています。酷い言われようです。後ほど厳重に抗議します。
「言われてみれば、ここから図書館の屋上は見えないね。よし! 屋上を確認してみよう」
私が案内して図書館の裏手に周り、はしごの場所を教えた。
「僕が登って様子を見てくるよ」
キャンドルランタンを口に加え、はしごを登って行くオズワルド。その姿を見ながら祈るように見守る私とロイド。待ったのは数秒のはずだけど、それ以上に長く感じた。しばらくしてオズワルドが顔とキャンドルランタンを覗かせ「いたよ」と小声で言った。
「やったぁ!」
私が声を上げて手を叩くと「静かに」と口に人差し指を当て、オズワルドから注意を受けた。
ん? なんでだ?
「ランタンをよこせ」とロイドに奪われ、口に加えて我先にと登って行く。その後に続いて登り屋上に立つと、遮る物の無い広い屋上の中央に何か黒く大きな物体が陣取っていた。
この位置からでは、キャンドルランタンと月明かりでも良く見えない。音を立てない様にそっと近づくと、顔を地面に付けて伏せるオリーヴィアと、左側の肋骨に持たれ毛布をかけて寝息を立てるユーリア。二人ともよほど熟睡しているようで、明りを持った私達が近づいても全く起きる気配がない。
呑気で可愛いユーリアの寝顔の傍らには、そよ風で揺れる観察日誌。しゃがみ込んで観察日誌を拾い上げると、グルグル巻きの太陽の下で、笑顔のユーリアとオリーヴィアが並んで立っている。今にも飛び出しそうな元気な絵。
見つけたら叱りつけてやろうと思った。みんながどれだけ心配したか、説教しながらお尻ペンペンをしてやるんだ! と息巻いていた。でもこの絵を見ていると、燃え上がった怒りの炎は次第に鎮火していき、なんかどうでも良くなった。
「ねえ、見てよ。これ」
二人は近寄り観察日誌を覗き込んでそれぞれ感想を述べた。
「楽しい一日だったようだね」と笑顔のオズワルド。
「この右上に書いてある『うぇーい!』って何だよ。鹿の鳴き声か?」と観察日誌を指して突っ込むロイド。本当だ! この『うぇーい!』って何だよっ! 怒りが収まったと思ったら、今度は可笑しくなってきた。
「ユーリア、ユーリア」
体を揺するとユーリアが起きた。そんな所で寝ていたら風邪をひくぞ。
「あっ……パティさん……おはようです」
寝ぼけまなこでユーリアは挨拶をした。挨拶は良くできる子だけど、残念ながら周りが見えない子。みんなが凄く心配しているのを、彼女は分かっているのだろうか。その様子だと、聞くだけ無駄なのは私でも分かる。
「おはようじゃないでしょう。ユーリアが居ない、ってみんなが心配しているのよ」
「?」
はいはい。分かっていましたよ。一から説明しますから、小首を傾げるのはやめましょうね。
私がユーリアに状況を説明しようとする「僕はアルフィーユさんを呼んでくるよ」とオズワルドが言った。
「ああ。俺達はここで見張っているから、早く呼んで来てくれ」
ロイドはその場で腰を下ろし、キャンドルランタンを地面に置いた。そうだ。私も座ってユーリアの話を聞きながらアルフィーユさんを待とう。そしてアルフィーユさんに協力してもらって、オリーヴィアを闘技場まで連れて行けば、私達の仕事はお終いだ。
「それじゃあ、ちょっと行ってくるよ」
オズワルドは急ぎ足ではしごを下りて行った。
さてと、ユーリアちゃん。今日あった出来事を洗いざらい話してもらうよ。
ユーリアの前に座ると、微かな音を聞き取りオリーヴィアが耳をぴくっと反応させ、顔を上げて私をじっと見つめる。傍らに洗面器が置いてあり、中には水と雑草が入っている。どうやら洗面器はオリーヴィアの食器代わりのようだ。謎が一つ解けた。
話を聞く前に「ユーリア、お腹空いたでしょう? エイダさんからパンと水を貰ったから食べなさい」と肩掛け鞄からパンと水筒を取り出しユーリアに手渡した。
「お腹空いていました。ありがとうです」
受け取ったパンを二口で口に押し込み、水筒の蓋に水を注いで、ほとんど噛まずにパンを水で胃に流し込んだ。どうやら飲食も忘れて、オリーヴィアと遊んでいたようだ。
それにしても、おいしそうに食べるね、君は。
私達の様子を観察していたオリーヴィアは、ユーリアの様子から敵では無いと判断したようで、再び顔を地面に付けて寝そべった。
「さてと、ユーリアちゃん。今日あった出来事を教えてくれるかな?」
「はい。朝は早く起きました」
はい。それはとても良いことです。
しかし朝からお話をされると夜が明けてしまいます。もちろん、存じておりますとも。私が至らないばっかりに、ユーリアさんの誤解を招いたと、十分反省しております。
「地震が起きた時はどこにいたの? その後はどこでオリーヴィアと会ったの?」
「地震が起きた時は、長老さんの所で葉っぱを取っていました。それで葉っぱを集めているとオリーヴィアに会いました。そして一緒に遊んだです」
ユーリアは身振り手振りでオリーヴィアについて事細かに語り、話がなかなか前に進まないので要約すると、オリーヴィアを見つけたユーリアはエサをあげたり、追いかけっこをしたり『うぇーい』とじゃれて遊んでいたそうだ。だから『うぇーい』ってなんだ? じゃれている場面から想像とユーリアの掛け声なのかな?
気になったのでロイドを見ると、俺に振るなと言いたそうに手を二回横に振った。そうですね。分かりませんよね。とりあえず、ここは気にしないで話を進めます。
そしてそのまま遊んでいると、手招きでこちらへ呼べたり、指で指した方向に移動したり、『伏せて』と指示すればその場に伏せるくらい仲良くなったそうだ。
ここだけ聞けば短く感じるけど、話の途中で横道に逸れ、回り道をしているので非常に長く感じる。手持ち無沙汰に耐え切れず、ロイドは水筒の水を少しずつ飲みながら気を紛らわす。
しかし私の水は全部ユーリアに飲まれてしまい、相槌を打つしか許されない。
そうやって遊んでいると怖い顔の冒険者に見つかり追い回されたので、オリーヴィアの背中にしがみ付いて、お墓を通り抜けハイル橋の下へ一緒に逃げ込んだ。お墓の大垣は成人男性とほぼ同じ高さなので彼女なら余裕だ。そしてしばらく橋の下で一緒に隠れた。
それからオリーヴィアと橋の下でじゃれている話を始めようとするので、私は話の腰を折って質問した。長くなりますからね。
「ところで、教会に戻った理由とエイダさんのお家に行った理由を教えて」
「えっ? 聞かないんですか? これからすごく面白い話しがあるんですよ!」
何ですか。その表情は。絶対に儲かるよ、乗らないと損だよ、みたいな残念な顔は……。
「その話は明日にでも聞くよ。ほら、もう夜だしみんなも心配しているよ。それにオリーヴィアもお家に帰さないと」
「そうです! オリーをお家に帰すです!」
『オリー』の言葉に反応して、オリーヴィアは顔を上げユーリアを見つめる。誘われるようにユーリアが近づくと、オリーヴィアはユーリアの顔を舐めまわす。
「くすぐったいですよっ!」
笑いながらオリーヴィアの頭を撫でるユーリア。相思相愛じゃないか。
心温まる光景。二人とも無事でよかった。一時は嫌な想像も浮んだけど、怪我がなくて本当に良かった。それにユーリアはオリーヴィアを帰す意思があるようで安心した。タダをこねるかもしない。頭の片隅にあったけど、それもまた不要な心配だったようだ。
ところでユーリアさん。オリーさんと楽しそうにじゃれていますけど、私の質問を覚えていますか? それとも私の質問など、あの美しくも怪しく輝く満月の向こうへ飛んで行ってしまったのですか? 認めたくはありませんが、私の質問、いいえ私の存在など、すでにユーリアさんの頭から消えているようです。仕方ないので、再度同じ質問を投げかけます。
「それでどうして教会に戻ったり、エイダさんの家に行ったりしたの?」
私の声に反応して振り返ったユーリアさんは照れ笑いでした。この場面では、忘れていたのを誤魔化す為に、苦笑いのはずです。しかし、彼女は照れ笑いです。……気にしないでおこう。
「ユーリアのお腹が空いたので、オリーもお腹が空いていると思ったです。それに橋の下は夜になると暗くなるし、ずっと座りっぱなしだと、オリーも疲れると思ったです」
そしてユーリアは教会から持ち出した、道具の使い道の説明をしてくれた。
洗面器は餌や水を入れる食器代わりに、毛布はオリーが冷えないように、ナップサックには観察日誌と鉛筆、それに水筒も入っていたようだ。しかし水筒の水は、全部オリーヴィアの飲み水として使った。彼女は自分よりもオリーヴィアが優先らしい。まるで子供を気遣う母親だ。
「それじゃあ、教会から荷物を取って、すぐにエイダさんのお家に行ったの?」
「違います。まずはオリーの所へ戻りました。暗くなってきたので、オリーに乗って町を囲む壁の上を歩いて図書館の近くまで行き、ピュアーって飛んで図書館の屋上に着地しました。それから、エイダおばさんのお家に行って雑草を貰いました」
冒険者の目を眩ます為に日没まで待ち、暗闇に紛れ、防壁の上を伝い、地上から死角になる図書館の屋上へ移動したとユーリアは説明してくれた。
その説明を聞いた時、ユーリアの評価が一変した。私はユーリアを子供だと思って侮っていた。モンスターが防壁の上を伝って移動するとは誰も思いつかない。ユーリアはそこに目をつけ、しかも人目につかないように夜間に移動する事を選んだ。他者を圧倒する勢いに目を奪われがちだけど、周りを把握し考える能力を持ち合わせているようだ。意外とこの子は侮れないな。
それにしてもオリーヴィアってピュアーって飛んだっけ? サーカスでオリーヴィアの跳躍を見た時、そんなが音したかな? それよりも最後の疑問を解決しよう。
「ところでエイダさんのお家に行った時に、頭に洗面器を被っていたよね」
「あれは変装です。ユーリアは顔を見られたので、変装しないと怖い人に追いかけられます」
やっぱりオズワルドの言う通り、洗面器は装備品だったようだ。しかし洗面器を被ったら逆に目立って変装にならないでしょう。それに顔も隠れないし……。
これで一通り話が終わり謎は全て解けた。いや正確に言うと、細かい謎は未解決。ほら、『うぇーい』とか『ピュアー』とかね。
まったり気分に浸っていると、はしごの下から複数の声が聞こえ、だんだんと近づいてくる。
オズワルドだ。きっとオズワルドがアルフィーユさんを呼んで来たに違いない。
ところが上がってきたのはいかつい男達。遠目からなので風貌までは見えないけど、人数は六人。灯りは二つ。全員でこちらへ近づいて来る。
まず目に付いたのが、鉄の鎧を着たファイターらしき男が三人。灯りを持つウィザードっぽいローブを来た男が二人。残り一人は町人のような感じの軽装。ロイドは「やれやれ」と呟いて立ち上がり、集団に前に立ち代表者と思われる軽装の男と話を始めた。
声が聞こえないので身振りでしか判断できないけど、軽装の男が両手を上げ、下に振り下ろす様子から、ロイドの対応に納得がいかないようだ。
なにやら不穏な空気が漂い始めると、脇に立っていた鉄鎧の男が突然ロイドのお腹を蹴り上げた。ロイドはお腹を押さえながら、膝から崩れ落ち倒れこんだ。軽装の男はロイドに何か呟き後頭部をめがけて銭袋のような物を落とした。袋はロイドの後頭部に当たって跳ね返り、そのまま地面に落ちた。
すると私にも聞こえない僅かな金属音に反応して、オリーヴィアが素早く顔を上げ、周りを警戒しながら立ち上がった。のどかな雰囲気から一変してオリーヴィアは、体を反転させ膝を落とし、奴らを敵と見なし臨戦態勢に入った。
まずい!
奴らをこのままオリーヴィアに近づけると、彼女は激怒して暴れ出すかもしれない。そうなれば私達にも危険が及ぶ。
それに賞金に目が眩み暴力を振るうような奴らに、オリーヴィアを渡したくない。引き渡せばぞんざいに扱うはずだ。どちらにせよ、オリーヴィアは私が守らないと。
私がオリーヴィアの前に立ち、奴らの行く手を塞ぐと、危険を察知したユーリアも私の横に並んだ。
「危ないから下がりなさい!」
「嫌です! オリーに乱暴する人は許さないです!」
両手を横に広げ、オリーヴィアを守りたい気持ちが小さな体から溢れ出している。その気持ちは嬉しいけど、貴方には戦う手段が無いでしょうが。
「下がりなさい!!」
余裕が無いので怒鳴りつけても、ユーリアは泣くどころか「いやですぅぅぅ!!!!」と大声を出して反抗した。その気持ちは分かるけどさあ……。
私達のやり取りを見ていた奴らは笑いながら前に立ちはだかる。
女と子供。
まずは身長の差で負けている。私から見ても男達は壁のように見えるのだから、ユーリアから見れば高山が連なっているように見えるだろう。
男達の後ろから軽装の男が私達の前に顔を出した。軽装と言っても一目でお金がかかっていると分かる。全身を白と黒の縞模様で統一し、金銭で他者との違いを見せ付けるような派手な衣装に嫌悪感を覚えた。
「近づかないで!!」
腰を落として両手から炎を出し威嚇する。しかし男は臆せずに前髪をかけ上げた。
「私は彼と話し合い、そのモンスターを譲ってもらったんだよ。道を譲ってくれるかな?」
「言っておくけど、自警団がすぐに来るわ。そしたら貴方達の暴力行為を訴えてやる」
誇張表現だけど自警団と言えば抑止になるはず。
「そうか。それなら私達は退散するとしよう」
その言葉を信じて炎を消した。
油断。
後から思えば、それは致命的だった。
「しかしお嬢さん。魔法を人に向けるとは感心しないね。神様は見ている。きっと空から天罰が降ってくるはずだよ」
その言葉はただの揶揄だと思っていた。新たな火種を生むのは得策ではないと、喉から出そうになった言葉を飲み込んだ。それに男の含み笑いが、妙に気になり睨んでいた。
しかし、それも失敗だった。
「パティさん!」
ユーリアの言葉で我に返った。
地面には黒い影。見上げると頭上に岩石が浮いている。奴らの中に土を操るフォーンオルダのウィザードがいたらしく、軽装の男が私の注意を引き付けている隙に魔法を唱えていた。
猶予無し。
支えを失った岩石は私達を目掛けて落ちてくる。ユーリアの頭を地面に抑えて覆いかぶさり盾になって衝撃に備える。全身に力を込めて目をつぶると、家族の顔が浮んだ。
みんなの言う通り、私に冒険は無理だった。認識が甘かったよ。ごめんね。
でもおばあちゃんだけは、私を信じて背中を押してくれた。いつもぼやいて難しい顔をしているくせに、あの時だけは笑顔で『何も心配はいらん。見聞を広めて来い』って言ってくれた。
嬉しかった。本当に嬉しかった。ありがとう、おばあちゃん。そして、さよなら。みんな。
家族に別れを告げた時、背中に風圧を感じ呼吸が一瞬停止した。そして次の瞬間、雷鳴のような爆音が轟き、細かい雫のような物が私の背中に降り注ぎ、前方付近に重い物が落下して割れる音がした。さらに空気の振動が内臓や骨の髄を共振させる。
気持ち悪い感覚。
すると木々で休んでいた鳥達が一斉に飛び立つ音が聞こえる。
何が起こったのか!? 早く情報を集めないと!!
戦々恐々と顔を上げると、前方に立つ奴らの表情が全てを物語っていた。
驚愕。
恐怖。
焦燥。
そして、悔恨。
触れてはならない怒り。
神の怒り。
私は夢中でユーリアを抱え上げ、彼女と奴らが視野に収まる位置に移動した。全てのキャンドルランタンが割れ、灯が消えている。
そして豹変した彼女を見て、恐怖のあまりに腰が抜けた。
低い体勢でうなり声を上げ、殺気は体中から発せられる雷となって表れている。ここにいるのはサーカスで芸を披露したオリーヴィアはでなく、人々から森の神と崇拝され、またある時はモンスターとして恐れられているエクレアムースだ。
彼女に睨まれた奴らも震えている。装着している鉄の防具同士が擦れる音が微かに聞こえる。
「おい! 何とかしろ! 何とかしろよ! お前ら!」
軽装の男は恐怖をかき消すように、泣きそうな声を張り上げて命令を下す。
だが、それが合図となった。
オリーヴィアが消えた瞬間、遅れて火花のような音が聞こえた。そして奴らの中心に現れた彼女はその場で体を半回転させて、鉄鎧の男にお尻を向けると、後ろ足で蹴り飛ばした。
鉄鎧の男は私達の頭上を越え、放物線を描きながら長老の住処へ飛んで行く。
夜の闇に男の悲鳴が吸い込まれてゆく。
ここに居る全ての人間が現実を見失っていた。
何が起こっているのか? 理解の範疇を超えている。ただ、奴らが四人しかいない。鎧の男は蹴り飛ばされたのを全員が目撃している。
では、あの軽装の男は?
奴らは小刻みに震えながら、答えを探している。しかし私には男の行方が分かった。
オリーヴィアは人間の目では認識不可能な速度で、軽装の男に体当たりをした。おそらくあの火花のような音は体当たりをした際に発生した衝撃音。そして軽装の男は吹き飛ばされた。
人の目では認識できない移動速度。
重量のある男を軽々と蹴り飛ばす脚力。
人間とエクレアムースとの身体能力の差は一目瞭然で、奴らの戦意を削ぐには十分だった。
残った四人はオリーヴィアを中心に据えて、円状に距離を取り様子を伺う。しかし誰も仕掛けようとしない。ファイターは剣を抜かず、ウィザードは魔法を唱える素振りを見せない。動けば、次の標的――死刑台に上がるのと同義であり選択権はオリーヴィアにある。誰をどの順番で仕留めるか。気分で選べばいい。奴らは死刑宣告を待ち、私は戦況を見守るしか出来ない。
そしてオリーヴィアの体が一瞬青白く発光する。
来る!!
「耳を押さえて!」
ロイドに向けて叫びながら、私とユーリアは人差し指を耳に突っこんだ直後に雷鳴が轟く。
指で音は多少軽減されたけど、雷によって生じた突風で飛ばされそうになる。立っていたら転倒していたはずだ。事実、奴らも飛ばされないように方膝を突いたり、体を低くしたりしている。耳栓代わりにしていた人差し指を引き抜き、私達の斜め前に立っていた鉄鎧の男がうつ伏せに倒れこんだ。
なぜ、男が倒れているのか?
瞬時には理解できなかったけど、蚊の鳴くような声で「あぁ……熱い……」と、うめき声を聞いてようやく全てを理解した。
二度の爆音はオリーヴィアの雷によるものだ。
一発目は私達を助ける為に雷で岩石を割った。二つに割れた岩石がその証拠だ。二発目と比較して分かったけど、一発目は私達を巻き込まない様に手加減をしたかもしれない。
そして二発目は鉄鎧の男に向けられた憎悪の雷。空気を切り裂くような轟音。音だけ比較しても一発目とは段違いで凄まじい威力だった。
倒れた男はもう立ち上がれないはずだ。早く治療しないと命に関わる。しかし私には男を救えない。オリーヴィアを止める術が無い。
もし男を助けたら彼女から敵と見なされ、攻撃を受けるかもしれない。そうしたら私はどうすればいい? 魔法を唱えるよりも速く雷が飛んでくる。
祈るのか?
ロニンバズの神に祈り、救いを求めるのか? そしたら奇跡が起きるのか。
無理だ。絶対に無理だ。祈る間を与えられずに、私も男と同様に倒れこんでいるはずだ。それに自らの命を犠牲にしてまで男を庇う義理は無いし、恐怖で体が言う事を聞かない。
無力だ。
実に無力だ。
人間とモンスター。力の差は歴然。脱力感が私を襲った。
オリーヴィアはゆっくりとした足取りで倒れた男に近づき前足を高々と上げた。月明かりに照らされた彼女の影が男を飲み込んだ。
「やめっ――」
声をあげてもオリーヴィアの耳には届かない。前足を男の背中に目掛けて振り下ろす。思わず顔を背けた。
鉄が変形する音。
うめき声。
その音は何度も繰り返され、次第に音が聞こえなくなったので顔を上げた。
しかしオリーヴィアの攻撃は続いていた。動かなくなった男の背中を打ちつけ、その衝撃で手足が小さく反り返る。すると枝が折れるような音がした。男の骨が折れたに違いない。オリーヴィアは男の背中に前足を乗せたまま微動にしない。私には骨が折れた感触を味わい、その余韻に浸っているように見えた。そして何かが焦げたような匂いが鼻をかすめ、男の言葉を思い出し、口を手で塞いで胃から込み上げる物を抑えた。
私の体は小刻みに震え恐怖を感じていた。
男が惨めな死に方をしたからじゃない。見てはいけない物を見てしまったからだ。私の知っているオリーヴィアは極度の人見知りで大人しく、ユーリアと頭と頭で押し合いをしていた。
とても優しくて温和だった。
けれど、目の前にいる彼女は別人だ。
友達に暴力を振るおうとしたら誰でも怒るだろう。いや、もしかしてオリーヴィアはユーリアを娘と思っているかもしれない。どちらにせよ、彼女の怒りは納得できる。しかしこれ以上、暴力的な彼女を見るのは耐えられない。でも私に彼女を止める力は無い。もう祈るしかない。
オリーヴィアは男の背中から下りて、体を反転させ残る三人を視野に入れた。彼女は品定めをするようにゆっくりと三人に近づく。ファイターは絶望のあまり膝から崩れ落ち、ウィザードの二人は後ずさりをする。すでに戦意どころか、逃亡する意欲さえ失っている。
もはや彼らに残された希望は、神頼みだけだ。
オリーヴィアが立ち止まり膝を曲げた。
もう何も見たくないので、耳を塞いで目を閉じ、全てをやり過ごそう。
そう思った瞬間。
「わんっ!」
愛らしい声が張り詰めた空気を裂き、彼女の動きが止まった。
「わんっ!」
さらにもう一回。ユーリアだ。
「わんっ! わん、わんわん、わんわんわんわん!!」
隣にいたユーリアが、犬の鳴き真似をしながら四足でオリーヴィアに向かって駆けて行く。
一同静止。
それでもユーリアの時間だけが進んでいた。ユーリアはオリーヴィアの周りを吠えながら周回し、その様子をオリーヴィアはじっと見つめている。
わんわんだ!
合言葉は『わんわん』
救いの言葉は『わんわん』
オリーヴィアは『わんわん』と言われると我に返るんだ!
ユーリアがオリーヴィアと仲良くなった時も『わんわん』と吠えていた。きっと 『わんわん』はエクレアムースにとって、特別な言葉に違いない。
そうだ! きっと、そうに違いない!!
「ワン! ワンワン!」
オリーヴィアに正気を取り戻してもらおうと、私もユーリアに負けじと力いっぱい声を出した。するとユーリアはオリーヴィアの前で四足のまま、ピョンピョンと飛び跳ねる。それでもオリーヴィアは膝を落としたまま臨戦態勢を崩さない。
まだ正気に戻っていないのか?
「ワンワン! ワ――」
「落着け」
口から心臓が飛び出そうになった。ロイドがしかめっ面で、お腹を抑え隣に立っていた。
「立てるか」
ロイドが手を差し出したので、手を取ると引っ張り上げてくれた。
「おい! お前ら! 死にたくなければ、ゆっくりと頭に両手をつけて、うつ伏せになれ! 降伏の意思を示さないと死ぬぞ!」
奴らはロイドの指示に従い両手を頭に付け地面に伏せると、オリーヴィアも奴らの意図を汲み取り、静かにその場に座り込んだ。
ユーリアは構って欲しそうにオリーヴィアの胸元を頭で小突いていると、オリーヴィアも反応してユーリアの頭を小突き返した。
大丈夫なのか?
ひとまず災難は過ぎ去ったと考えてよいのか?
「とりあえず、これで一安心だ。後はオズが来るのを待てばいい」
ロイドはそう言いながら、倒れた男の元へ歩み寄りじっと見つめ立ち尽くす。満月を隠していた雲が風に流され、ロイドの足元に影が現れると孤影の二文字が頭に浮んだ。
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