流れ星のように

風谷閣下

第1話(完結)

 人生で初めて流星を見た日。


 人が"流れる"と表現した軌跡を、私は、


(――落ちるんだ)


 と、理解した。



  *****



「先生」


「んー?」


 筆を動かす手を止めて呼びかけた私に、先生が答えた。

 デザイン雑誌を閉じ、手に持ちながら歩み寄ってきてくれる。


「どした? 何かつまずいた?」


 答えずに、窓のほうに目をやる。


 外はもうかなり暗くなっている。出品が近いので、と先生の監督の下、残らせてもらっているのだ。


「流れ星」


「んん? ああ、流星ねー」


 西の空はまだかすかに赤みがあるが、紫が覆う空は、星が降れば気付けるぐらいに暗い。


「そういや○○座流星群、今日だっけねー。なんかちらほらあるから、レアなのかどうなのかよくわかんなくなってきたけど」


「……私は人生2回目ぐらいです」


「そう? まあ、あんまり小さいと知らなかったり、見られなかったりするかもね。そんなもんなのかも」


 それから少しの間、何がともなく空を眺める。星は降らなかった。


「先生は、流れ星好きですか」


「んん、そうねえ。好きよ、綺麗だし。願いを託す、なんてのはもう長いことしてないけど」


「私は嫌いです」


 先生が私のほうを見る。肯定も否定もしない、何か話したいことでもあるのかな、と伺うような顔。

 先生のそういうところは、少し苦手だった。


「だって、落ちるじゃないですか」



  *****



「あっ、すげえ! 流れ星!」


「うん」


 初めていっしょに見たのは、7つも上だけど幼馴染のお兄さんとで。

 私は上気した頬をごまかしきれなくて。


「綺麗だな……」



「うん……」


 久しぶりに会えたことも、話ができたことも、いっしょに歩けたことも。

 全部が全部、最高に幸せで。


「――俺さ、」


 夜空を見上げたままのお兄さんの顔は、私の背丈ではほとんど見えなくて。


「結婚するんだ」


 その瞬間の輝きが最高潮で、後は落ちていくだけであることを知った。



  *****



「んんー……そうね、流れる、落ちる、降る、こぼれる。いろんな表現があるわよね」


「そうじゃなくて、そうだけど、でも、落ちるじゃないですか」


 輝き始めたところを最高点として。


「先生は、」


「うん?」


「絵描きに、なりたかったんですよね」


 先生は目をしばたかせた。


「そうね。若い頃はいっぱい描いてた。個展とかもやって、それなりに賑わったりもしたのよ。前も言ったっけ」


「そこから、落ちていくばっかりですよね」


 先生が眉をひそめる。


「流れ星と同じで、きらっと光っても、そこからはもう落ちて流れて行くだけで、どこにもたどり着けない――」


 強く握り締めた筆が少し軋んで、わずかに力を緩めた。


「なんにも、なれやしない……」


 私のこの言葉だって、どこにも行かない。

 何の目的もなく、ただ、きっと先生を傷つけるだけ。私を救うことすらない八つ当たり。


 目頭が痛むように熱くて、顔がうつむく。

 どうして、こんなことを言ってしまったんだろう。どうして、こうなってしまったんだろう。


「ば~~~~っか」


 びくっとして筆を落としてしまう。わずかに顔を上げると、先生は、不遜な笑顔で、柔らかく私を見ていた。


「誰が落ちっぱなしですって?」


 先生が、転がった筆を拾いながら話す。

 私に改めて筆を握らせて。


「知ってる? 流星の元になるのは、1ミリメートルもない塵とか、大きくても数センチメートルの小石ぐらいのものだそうよ」


 知らなかった。


「それがね、ええと、確か何十だか何百だかキロメートル? ぐらいの距離を燃えながら落ちていくわけ。それを考えたら、自分の大きさの何十万倍もの距離を移動してるわけよね」


 多分私は、間抜けな顔をしていたと思う。


「何が言いたいかって言うとね。落ちる距離ってのはそれだけ長いわけ。つまり、私は――まだ、落ちっぱなしってわけよ!」


 先生はばっと両腕を広げた。

 それはまるで、この空ごと抱え込んでしまおうと言うかのような勢いで。


「ぷっ」


 私は、堪え切れなかった。


「くっ、あはは、あっはははは……」


「何がおかしいのよ」


「だ、だって、落ちっぱなしって、ふふ、あはっ、あはははっ」


 先生は、笑い続ける私をあきれたように見つめていた。その口元も緩んでいた。



  *****



「んじゃ、気をつけて帰りなさいよー」


「はーい」


 帰る頃には、すっかり空は暗くなっていた。


 通学路を行く私は、何となく自転車に乗らず、押しながら空を見て歩いている。

 輝き始めて、消えるまでの間がどれぐらいのものかはわからないけれど。

 落ちている間も、あんなふうに楽しく過ごせるなら、きっと悪くない。


(……うん)


 ひとつだけ、流れ星が見えたら自転車に乗ろう。

 十数分の帰り道をさーっと走って帰ろう。


 そう心に思い描いて、見上げた空を、


 星が。

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流れ星のように 風谷閣下 @miriora

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