#_15 前途は依然、憂いしかなく
魔導大学を首席で卒業、十五の若さで宮廷魔導師に抜擢され、『神の領域』と呼ばれる転生術の確立に生涯を費やした儚き天才。死霊魔法をこよなく愛し、生命の秘奥に迫ろうとした若き探究者。
その才覚と執念は凄まじく、不治の病に侵され命を落とす今際の際まで研究に没頭した彼女は、後世の研究に貢献するべく、息絶える寸前、命の消え逝く自身の身体に不壊の魔法を施した。
享年十八歳。それは余りにも早過ぎる死だった。死後、朽ちる事なく生前の姿を留めた彼女の亡骸は、王国を通じてイクセリオ教会本部に移送され、ひっそりとそこに安置されていた。
彼女の身体に新しい魂が宿ったのは最近の事だ。死霊魔法、つまり闇属性に高い親和性を持つ損傷の全く無い亡骸。それは闇の聖霊を肉体に降ろす為の、これ以上ない憑代だった。
イクセリオ教会最高指導部、枢機卿シモン。彼と闇の聖霊の間にどんな取り引きがあったのかは誰も知らない。
しかし、シモンは教会に安置されたセリア・ヒッチコックの亡骸に闇の聖霊を降ろし、それに命じた。
『勇者ダンに付き従い、彼に仇なす全ての危険から彼を守れ』
セリアは一年前に命を落とした天才魔導師だ。それは今も変わらない。端的に言えば、今の彼女はセリアであってセリアでない。これは転生術では無く、降霊術の類い。
現在、セリアの中には名も無き闇の精霊が宿っている。人の身体を持ちながら、聖霊に祈る事なく魔法を行使出来る稀有な存在。……無詠唱の使い手として、勇者パーティに派遣されていた。
・
「あー、びっくりしたなぁ、もう」
どれくらいの時間眠っていたのだろう。目を覚ました彼女は、独り言を呟きながら辺りを見回した。
彼女の本質は精霊だ。故に、肉体が朽ちようとも死ぬ事は無い。この身体は単なる憑代。別に壊れてしまっても問題は無いが、シモン枢機卿にはくれぐれも大切に扱う様にと言われている。
ドーラの外壁から転落した彼女はすんでの所で転移魔法を行使した。無論、無詠唱だ。当たり前だが、精霊である彼女は聖霊に祈る必要が無い。
人の身体を憑代にしている以上、肉体の魔力が尽きれば魔法は使えなくなるし、セリアの身体はそこまで魔力の多い身体では無かったが、幸い闇魔法との親和性は高かった。きっとそういう肉体をシモン枢機卿が選んでくれたのだろう。
彼女自身、転移先の座標すら指定出来ないまま行使した転移魔法に生身の肉体が耐え切れるとは思っていなかったが、見る限り損傷はしていなかった。
長時間意識を失っていたのも、単に魔力切れの反動だろう。
周りを見回せば、そこは緑豊かな山岳地帯だった。人影も人工的な建物も何もない大自然のど真ん中。
吹き抜ける風が頬を撫でる。爽やかな緑の匂いに目を細めた彼女は、ゆっくりと西に向かって歩き出した。
ただ何となく、日が沈む方角は心が落ち着くから。それだけの理由で彼女は西を選んだ。精霊とは元々そういう存在だ。意思や感情が希薄で、思うまま流れて行く雲の様な存在。
踏み出したその一歩目がドーラの街に向いていたのは、単なる偶然である。
・
「……ここで
ドーラの街、風俗街の一角。俺は娼館から出て来た所で運悪く聞き込み中のアイリスと鉢合わせた。
「……聞き込みだ」
さぞや真面目に情報収集していたのだろう。額に汗を滲ませながら通りを歩いていたアイリスは、娼館から出て来た俺を見つけるなり、その額に青筋を立てて詰め寄って来た。
「へえ? こんな所で聞き込みですか。流石ですね、勇者様は」
手の甲で汗を拭う仕草をしながらチラリと背後の建物に視線を向けるアイリス。
「ああ、何処の世界でも娼婦は多くの情報を握っているからな。聞き込みをするならまずここだ」
勿論そんな常識は知らない。なんかありそうな話だと思って咄嗟に言ってみただけなのだが、アイリスはその一言で表情を一変させ、考え込む様子で視線を彷徨わせた。ーーいや、騙されやす過ぎるだろ。大丈夫か、こいつ。
「それで、有益な情報は集まりましたか?」
「当然だ。狡猾な悪魔と呼ばれる高位魔族は傾国の美貌を持つ絶世の美女らしい。なんでも、視線を合わせた者の動きを縛りつける摩訶不思議な術を使うと聞いた。そっちはどうだ?」
訝しげに尋ねてくるアイリスに娼婦から聞いたなけなしの情報を晒す。娼婦が常連の男から聞いた噂話らしいのだが、これは情報というより眉唾の噂だ。
「え、ええ。それに加えて、闇の魔法を操るみたいです……。一度ドーラに襲撃して来たらしいのですが、勇者ダンの活躍によって退けられたとか……」
俺の報告に目を見開いたアイリスは、吃りながらその情報を捕捉した。
闇魔法。人族基準なら更に細分化された闇系統の転移魔法なり攻性魔法なりまで調査を深めるべきなのだが、魔族はその性質上、闇系統の全てを得意としている。高位魔族なのだから当然魔法くらい使えるだろうとは予測していたが、改めて厄介な相手だ。
そして、それを退けた勇者ダン。……討伐には至っていない様だが、少なくとも高位魔族に匹敵する力を持っていると見た方が良いだろう。
「どうした、何か言いたげだな」
困惑した表情で見つめてくるアイリスに問い掛ける。彼女はその問いに消える様な小さな声で答えた。
「……本当に情報収集してたんですね、驚きました」
いや、してないが。ピロートークの合間に聞いた単なる噂話だが。寧ろこっちは真面目に聞き込みしておきながらその程度の情報しか得られていないお前に驚きだ。
ーー騙しやすくて助かるが、役立たずでもある。馬鹿も利口も良し悪しだ。
「当然だ。後はその高位魔族がどこに潜んでいるか、そこを重点的に探って行く。居所が分かれば奇襲も出来るし罠も張れる。狡猾な悪魔に遭遇した者達から現場の聞き取りをして、出没地点の傾向を調べよう」
「あ、なるほど! 盲点でした、早速聞いてきます!」
目から鱗といった様子で踵を返して通りを走り去るアイリス。
ーーえ、もしかして目撃者に場所を聞いてなかったのか。……凄いな。剣を振る以外のスキルが軒並みゴミだ。これが脳筋というやつか。
アイリスの無能ぶりに軽い頭痛を覚えた俺は、事後の気だるい感覚を味わいながらゆっくりと宿に向かった。
途中、武器屋で向こうの勇者達の情報を聞いてみたり、ベネディクトと通信して新たな情報を集めたりしている内にいつしか日は傾き、宿に着いた頃には空はすっかり茜色に染まっていた。
俺が宿に戻ると足早に駆け寄ってきた宿屋の主人が一枚のメモを手渡して来た。その狼狽した様子に疑問を感じながら手元の紙切れに視線を落とすと、そこには端的な一文が綴られていた。
『女剣士は預かった。南の外壁で待つ』
思わず天を仰ぐ。同時に眉間を指で摘んで刺激を与える。ツンとした痛みが沸騰しかけた脳を冷やす。
ーー馬鹿がまた足を引っ張りやがった。
古紙の切れ端に書き殴られたメモ書きを読み上げると思わず壁を殴りつけたい衝動に駆られたが、主人の手前握り締めた拳をグッと堪えて引っ込めた。
「……旦那、相手はガタイの良い黒人の大男でしたぜ」
宿屋の主人が手揉みしながら覗き込むようにこちらを窺って来る。
「そうか」
黒人の大男。……恨みを買った覚えは全くない。魔族か、勇者の手の者か、可能性が高いのはその二つだ。
「行くんですかい?」
「そうだな」
行かざるを得ないだろう。相手が誰であろうとも、俺を狙っている輩がいるならその正体は掴んでおきたい。
「それでこそ旦那だ。てめえの女を守ってこそ男ってもんだ」
「……そうだな」
肉壁だけどな。本来俺が守ってほしい側だけどな。つくづく、馬鹿の世話は手が焼ける。
何かを勘違いした様子の宿屋の主人に見送られ、宿場を後にする。
逢魔が時の街並みは燃えるような西日と全てを飲み込む闇色の夜が混じり合い、美しくも恐ろしいコントラストに彩られていた。
クズが始める悪魔的魔王討伐 戸村綴 @shink5133
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