#_14 童貞諸君に伝えておきたい件
初めての相手とのセックスは行為の最中より事後が大切である。まだそこまで気の知れた仲ではない場合、事後の対応如何によってはその後の関係が気まずくなる事も良くある話だ。
適度なピロートークと翌朝の爽やかな対応。これさえしっかり押さえておけば、より良いセックスライフを謳歌出来る事だろう。
しかし、酒の勢いで行き摩りの女なんかを抱いてしまった場合、がらりと話は変わってくる。その行為が本意でなかったのなら、当たり障りのない会話をしつつ迅速にバックレる事をお勧めしたい。何故なら相手も気の迷いだった時、揉めて立場が悪くなるのは大抵男性側だからだ。
触らぬ神に祟りなし。間違えて触ってしまったのなら、迅速に撤退する事で祟りを最小限に留めたい。いつの時代もどんな世界でも、性的被害を受けやすいのは女性の側で、性的事案で割りを食うのは男性側だ。
そして、最も厄介なのはヤってないのにヤったと勘違いされたケース。これは非常に厄介である。
そもそもそんな事態が発生する可能性は限りなく低いのだが、酒は人の記憶力と判断力を奪い、妄想と憶測を助長させる。下手に過剰な否定をすれば余計に相手の疑いは強くなるし、手を出していない証拠なんてどこにも無い。
このレアケースの適切な対処法は二つだけである。
もう諦めて抱いた事にするか、若しくは……もう一つの方法だ。
・
「ちょっと、ちゃんと説明して下さい! どういう事なんですかっ」
昼前の表通りにアイリスの声が響く。近くを歩く歩行者がその声に驚き、ギョッとした目でこちらを見ていた。
昨晩はベッドに入るのが遅かった。宿を出たのはつい先程だが、それでも出来る限り早起きした方だと言えるだろう。
寝不足の頭にヒステリックな女の声は凶器である。俺は耳を押さえながら隣を歩くアイリスを見下ろし、静かに告げた。
「説明も何もない。仕方なく同じベッドで寝た。それだけだ」
感情的な女は苦手だ。理由を話す隙すら与えず、話した所で聞く耳を持たない。結論ありきで感情論だけを展開してくる。そういう女の言葉をいちいち真に受けてはいけない。奴等は確かに言葉を喋るが、理屈が通じない。字面通りに受け取っていては損をするだけだ。場合によっては時間が勝手に解決してくれる事もある。聞き流すか、受け流しておくのが最適解だが、どうやら今回はそう簡単にもいかないらしい。
「だからっ、その理由ですよ! なんで勝手に一緒に寝るんですか! お酒の力を使って……最低です!」
周囲の視線が集中している。わざわざ言葉にはしないまでも、酒で女を籠絡した下衆な男だと、侮蔑の視線が突き刺さる。
「勘違いするな。言葉通り寝ただけだ。お前が思っているような事は何もしてない」
「お、思ってないです! て言うか、分からないじゃないですか、そんなの! ……覚えてないんですし」
人集りは出来ていないが、言葉が聞き取れる範囲で不自然に足を止めた連中が所在無さげに出店の商品を物色している。
盗み聞きしているのが丸わかりだ。そんなに他人の情事が気になるか? いや、情事も何もヤってないが。平和な奴等だな。壁の外には今も二千の悪魔が街を狙っていると言うのに。
「……二十五回。これが何の数字か分かるか、アイリス」
俺は敢えて足を止め、はっきりとした口調でアイリスに問う。別に周囲の他人に勘違いされたままでも問題は無いが……癪だ。面倒な話はきっちりここで片付けておこう。俺の名誉の為にも、この先のアイリスとの円滑な人間関係の為にも。
「に、二十五回……そ、そんなにっ!? 壊す気ですかっ? 性欲の権化ですかっ?」
悪魔を見る様な目で俺を見つめ、わなわなと震えるアイリス。周りの連中もどこか青褪めた表情でこちらを窺っている。
ーー違う違う。そっちの回数じゃないし、一晩でそんなに頑張ったら千切れるわ。
「そうじゃない。お前の頭にはそれしかないのか? お前は歩く性欲か?」
「あなたに言われたくありませんっ! 人の体を弄んでっ、良くそんな事が言えますね!」
慰安婦おばさんか、こいつは。言ったもん勝ちか、この世の中は。
アイリスの言葉に反応して思わず彼女の全身に目線が泳いだ。ホットパンツから見える引き締まった太腿、形の良い尻、くびれた腰回り、程よく膨らんだ胸、華奢な鎖骨、小さな唇、潤んだ瞳。……確かに男好きのする体ではある。
ーーだが。
「いいか、俺は弄んでない。良く考えろ。二十五回……大事な数字だ」
努めて冷静に、静かに、穏やかに、真剣な表情でアイリスを見つめ、問い直す。ーー大事な作業だ。犬でも猿でも、興奮した獣に大声は禁物だ。どうどう、落ち着けアイリス。話を聞け。
「……弄んで、ない? つまり将来を真剣に考えてるって事ですよね。もしかして、愛を囁いた回数とか?」
「いや全く違う」
馬鹿か、こいつは。いや知ってるが。改めて馬鹿だなこいつは。
「じゃあ知りませんよそんなの。今それ関係ありますか?」
眉間にシワを寄せ、こちらを見上げる様に睨んでくるアイリス。ーー聞く耳を持たない相手を説得したいなら、まずは相手に疑問を持たせる事が重要だ。含みを持たせたり、結論を先に言ったり、喋りに工夫を凝らして相手に疑問を抱かせる。相手を聞く態勢にさせる事が一歩目である。
「二十五回。……昨晩、俺が使った治癒魔法の合計だ」
そして少しずつ情報を開示する。相手に興味を持たせながら、受けに回らせる事で徐々にその勢いを削ぐ。
「治癒? なんで治癒なんか……」
アイリスが訝しげに呟く。その表情は相変わらず不満気ではあるが、最初のヒステリーは随分緩和している。
「アイリス。お前は戦略級の剣士で、俺はただの魔導師だ。そうだろ?」
「はい。……それが何か?」
そして、大事なのは切り札のタイミングだ。論より証拠。先に事実を突き付けて、それから理屈を捕捉する。聞く耳を持たない女には、まず視覚から攻める事が肝要である。
俺は右手の袖を捲り、前腕部に残った大きな痣を見せつけた。
「部屋に運んでやった俺を羽交い締めにしてきたのはお前だ、アイリス。お前の腕力は、俺にどうこう出来るレベルじゃない。……俺はついさっきまで死の恐怖と闘っていた」
腕の痣は自作自演だ。羽交い締めにされたのは本当だが、痣もダメージも治癒魔法で既に回復している。これは、アイリスに詰め寄られてから自分で腕を絞り上げて創作した、でっち上げの証拠である。
「え……」
突然の宣告に固まるアイリス。当然だ。断罪するつもりがいきなり雲行きが怪しくなったのだから。
周囲の連中も固唾を飲んで行く末を気にしている。ーー見るなクソが。全員まとめて壁の外に転移させてやろうか平和ボケ共。
殺気を込めて周囲を睨む。辺りの連中が一斉に俯いたのを確認してから、引きつった表情を浮かべるアイリスに一気呵成と畳み掛ける。
「勝手に一緒に寝た? ふざけた事を言うな。好きで寝たんじゃない、組み伏せられたんだ俺は。被害者はどっちだ? 俺に何か言うべき言葉はないか?」
最後に、重要なのはどちらに非があるのか明確にする事だ。穏便に済ませよう、言い逃れようという考えは甘過ぎる。ヒステリックな女が興奮した時点で、既にそれは穏便じゃない。故に、言い訳よりも言い負かす事が重要である。
徹底的に、完膚なきまでに、ぐうの音もでないほど正論で叩き潰す。
相手から謝罪の言葉を引き出せば、後々掘り返される心配はないだろう。
別に謝って欲しくもないが、謝ったという事実を残しておく事が大切なのである。
「……す、す……すみませんでした」
何とも形容し難い複雑な表情でアイリスが謝罪した。少し納得のいかない様な、しかし反論の言葉が出て来ない不服そうな面持ち。ーー完全に非を認めた訳では無さそうだが、まあいい。後は時間が水に流す事だろう。
まあ、実際はどさくさに紛れて多少乳を揉んだりしたが、あれは……損害賠償みたいなもんだ。当然の手当てである。特に報告する必要もないだろう。
「気にするな、誰にでも間違いはある。今日の聞き込みを頑張ってくれるなら問題ない。期待してるぞアイリス、お前が頼りだ」
話が片付けばさっさと話題を変える事も大切だ。出来れば相手を持ち上げて機嫌を取っておくと尚良い。相手に考える隙を与えず、別の問題を考えさせる。そうして時間が経てば、全ては有耶無耶のまま終わる。……例え本当はヤっていたとしても、大体これでなんとかなる。
今回はヤってないが、経験上そんなものである。
周囲の視線が散って行くのを確認してから、気まずそうに視線を彷徨わせるアイリスに指示を出す。
「ドーラの悪魔の情報だが、お前は警邏兵や旅商を中心に聞き込みを頼む。俺は別に聞き込みたい場所があるからな、頼んだぞ」
和やかに、まるで何もなかったかの様にそう告げて立ち去る。背中でアイリスの返事を聞きながら、背後に手を振って俺は足早に娼館へ向かった。
アイリスは馬鹿だが、顔は良いしスタイルも良い。遊びで抱くと色々面倒そうな性格をしているから手は出したくないが、一晩中抱きつかれていれば流石にキツい。俺も男だ。性欲の発散は必要だし、考えてみればこっちの世界では未だ童貞である。社会見学の一環として、時には息を抜く事も必要なのだ。
だから抜けるときに抜いておこう。息とか、息以外の何かとか。
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