#_13 ブラム・ホークアイの件


 ドーラの壁には秘密があるらしい。それは旅の道中で、今は亡きセリアに聞いた話だ。

 曰く、その壁には不壊の術式が施されており、その強度は災害級LV.disasterの魔法にも耐え得るらしい。

 外周部から中心街までは目測で凡そ二キロ弱。直径四キロと推定するなら街の面積は十二平方キロメートルを超す巨大な要塞である。

 高さ五十メートル程の外壁を越えて侵入しようとする魔物や魔族も居ない事はないのだろうが、飛行能力を持たない生物に外壁を越えられるとは思えないし、その防衛網を見る限り空からの侵入は愚策に感じる。

 例えば結界一つ挙げてもドーラの防衛は強力だ。邪神の加護を弾く神聖結界は魔族の転移を無力化する。それが施された外壁内部に踏み入る為には相応の工夫と代償が必要になる事だろう。

 加えて、ドーラの防備は何も神聖結界だけではない。

 外壁頂上部に一定距離で設置された魔導砲、昼夜を問わず外壁を巡回する警邏兵、そして……東西南北に一人ずつ配置された撃術師ストライカーの存在が招かれざる客の来訪を阻んでいる。


 撃術師ストライカー

 魔導師には細かく区分けすれば多種多様な術師が居る。治癒術師ヒーラー錬金術師アルケミスト攻性魔導師ウィザード結界師プリズナー聖処女ホーリー・メイデン……。その性能や役割から、細分化された得意分野に応じて様々な名称で呼ばれる事がある魔導師だが、中でも撃術師ストライカーは特異な存在である。

 そもそも、厳密に言えば撃術師ストライカーは魔導師ですらない。魔導師とはその名の通り魔導を操る者を指す名詞だが、撃術師ストライカーには稀に魔導を扱えない者も居る。彼等は皆一様に筒状のワンドを持ち、その筒を信仰の証としている変わった連中だ。武器の類いを一切持たず、その筒による攻撃だけを信じる事で威力を増大していると言うのだが。ーー合理的じゃない。俺には理解しかねる考えだ。


 魔法に適性の無い者でも成れる撃術師ストライカーだが、必須条件が一つだけある。それは、魔力が多い事。彼等は魔導師ではない一般人でも使う事の出来る魔力波インパクトという魔力放出技能を使って攻撃するのだが、元々魔力波インパクトに大した威力は無い。せいぜい人を蹌踉めかせる程度の使えない技である。

 しかし、命を預けた筒状のワンドに信仰を誓い、人並以上の魔力を極限まで圧縮して放つ撃術師ストライカーの一撃は、石壁も鉄板も、鋼鉄の鎧すらいとも簡単に貫通する。

 魔力弾ストライク。その桁外れの威力を持った魔力波インパクトは、同じ技でありながら全くの別物としてそう呼ばれている。


 魔力弾ストライクは膨大な魔力を消費する性質上、日に何度も放てる物では無いし、魔力を圧縮して放つのだから敵を一列に並ばせでもしない限り一撃多殺にも向いていない。

 そんな使い勝手が悪く効率も悪い術を使う撃術師ストライカーだが、その射程距離の長さと必殺に値する威力から、警備や狙撃役としての拠点防衛などには案外重宝されているらしい。


 中でも、身の丈程の狙撃手用長筒スナイパーズ・ワンドを持った撃術師ストライカーには要注意だ。奴等は超長距離狙撃を得意とし、それ故に、一際魔力の多い者にしか務まらない。つまり、スナイパーズ・ワンドは撃術師ストライカーとして一流の証なのである。


 ーー故に、俺は警戒していた。

 ブラム・ホークアイ。身の丈を超すスナイパーズ・ワンドを担いだ、鷹の目の男を。









 夜半を過ぎても煌々と輝く街明かりと、通りを行き交う人の群れを眺めていると、この街が魔族に包囲されている現実さえ忘れてしまいそうになる。

 千鳥足で家路を行く酔っ払い、娼館前で客引きをする厚化粧の娼女。巡回する衛兵すら頬を赤くして通りを歩く平和な光景には正直呆れたが、騎士の盃ナイト・ゴブレットが軒を構える酒場街の裏通りには人影は見当たらず、薄ら寒い空気が漂っている。

 申し訳程度の看板と、ひっそりとした佇まいの店舗。住宅の玄関とそう大差ない小さな木製の扉を開けば、そこには常闇の世界が広がっていた。

 酒精と香の香りが混じった独特な匂い。薄暗い店内には魔灯と呼ばれるランプ型魔道具の灯りしか無く、薄紙の覆いが被されたその灯りは、ぼんやりと頼りなく室内を照らしている。

 

 店内に一歩足を踏み込むと、客の視線が一斉に集中した。カウンターのバーテンダーがこちらを一瞥してから無愛想に視線を逸らす。まるで一見客を拒絶する様なその態度に些か腹が立つ。


「……本当に良い店なんですか、ここ」


 背後から店内を窺っていたアイリスが肩越しに小さく呟く。その質問に思わず首を横に振りかけたが、来店理由は酒と肴と甘美な時間を楽しみたいからとかではない。俺は黙ってアイリスの問い掛けを聞き流し、店内を凝らす様に見回した。


 カウンターに八席、二人掛けのテーブル席が三つ、奥に四人掛けが二つ程。大衆酒場の喧騒からは程遠い高級感の漂うこういう装いの店の雰囲気は本来苦手なのだが、奥のテーブルに座る見覚えのある背中を見つけたからには同席せざるを得なかった。


 コツコツと小気味良い音を反射するウッドタイル。歩くたび、薄暗い店内に淡い人影が揺れる。

 店内を突っ切って一番奥のテーブルへ、品の良い幾何学模様の細工が施された間仕切りで半個室の様になったそのテーブルの前に立つ。


「よう。遅かったな」


 隣に狙撃手用長筒スナイパーズ・ワンドを立て掛け、大股を開いてゴブレットの酒を呷るブラムの顔は、もう大分出来上がっているのだろうか、薄明かりでも分かるほど赤く火照っていた。


「時間を指定した覚えは無いな」


 顔を見る。ーー外壁で見た時は暗くて気付かなかったが、こいつ……隻眼か。

 警邏中には義眼でも使っていたのだろうか、今は左目に眼帯をつけている。訝しげにそれを見つめる俺の視線を感じたのか、ブラムが眼帯を指差して言う。


「これか? 気にするな。不自由はしてねえ。これでも視力は人並以上だ」


 ーーだろうな。目が悪い撃術師なんて、隻腕のヴァイオリニストみたいなもんだ。それでやっていけるほど甘い世界じゃない。


「どうでもいい。俺はお前の視力検査に来た訳じゃない」


 適当に皮肉を返しながら、対面の席に腰を下ろす。状況が理解出来ていない様子のアイリスに視線で座るように指示を出す。躊躇いながらもおどおどと彼女が席に着くと、ブラムがそれを待って口を開いた。


「早速だが、正直に答えろ。セリアは本当に壁から落ちたのか?」


 ブラムがゴブレットを乱暴にテーブルに置き、オリーブの実に似た果実を齧る。その爛々とした双眸が、こちらを絶えず威圧していた。


「ああ。間違いなく落ちたが、見に行ったんじゃないのか?」


 意図して淡々と答える。大袈裟に悲痛な表情をしていても嘘臭い。ありのまま、率直に喋った方が良いだろう。セリアの生死が気になっているのは本音だ、無理に演技をする必要は無い。


「行った。行ったが……居ねえ。範囲を広げて探したが、血の一滴も見当たらねえし、目撃者も居ねえ。本当に落ちたんだとしたら、ありえねえ状況だ」


 居ない……? どういう事だ。あの高さから落ちて助かったとは思えないが、誰かが遺体を持ち去ったか? 何の為に。しかも、血の一滴も残さず。……あり得ないな。その線は考え難い。


 ローストされた骨つき肉を頬張り、それをエールと呼ばれる発泡酒で流し込んだブラムが胡乱げな視線でこちらを睨む。その鋭い眼光を睨み返し、静かな口調で反論する。


「……何が言いたい。まずはその殺気をしまえ、ブラム。俺の魔法は、お前がワンドに手を伸ばすよりずっと速い」


 短絡的で直情的、扱い易いが恨まれると厄介な奴。簡易的な判断ではあるが、短い会話でブラムの性格を暫定的にそう位置づけた。ーーこういう相手に腹芸は不用だ。下手な御託は余計火に油を注ぐ。対話より圧力。何処かで聞いた事のあるフレーズだが、狂犬じみた輩にそれが一番効果的なのは同感だ。


「……てめえ」


 挑発的な台詞を受けてブラムの殺気が更に増した。ゴブレットを掴んだ手の甲には血管が浮きあがり、木板を銅板で巻いた簡素な造りのゴブレットがミシミシと悲鳴をあげる。

 ブラムは残ったエールを一息に飲み干し、ゴブレットをテーブルに叩きつけた。

 周囲から視線を感じる。注目が集まっている。あまり気持ちの良い状況じゃない。


「お前、まさかとは思うがセリアを殺したんじゃねえだろうな? 旅の道中で殺って、それを事故だと誤魔化した。だから死体が見つからねえ。そう考えると、全部辻褄が合う」


 心外だ。道端で殺すなんてそんな愚かな策は思いついてもやらないし、ちゃんとドーラまで我慢した。そう言えたなら楽なんだが……この疑いを晴らすのは骨だ。殺ってない事を立証する。悪魔の証明ってやつだ。


「単に、運良く生き延びたって仮定しても辻褄が合うんだが。どうしても俺を犯人に仕立て上げたいのか? それともお前の頭蓋骨には脳味噌の代わりにナッツでも詰まってんのか?」


 丁度運ばれて来たショットのウォッカを呷り、突き出しのピーナッツを口に放り込みながら言い返す。もう対話すら面倒に感じていた。ーーこんな水掛論は合理的じゃない。さっさと殺り合おうぜ長距離専門屋。俺達は今手を伸ばせば届く距離に居て、俺の隣には白兵戦のスペシャリストが座っている。アイリスが今も机の下で柄に手を掛けてる事くらい、お前も分かってるだろ。


「ちっ……生きてるなら俺らの宿に顔見せねえのは不自然だろうが」


 挑発に反応して一瞬拳を握りしめたブラムが、アイリスの僅かな動きに反応して拳を解く。舌打ちを吐きながら言い返すブラムの勢いは、先程より随分落ち着いていた。


「知らねえよ。それはお前らの問題だろ。愛想尽かされたんじゃないのか? 短気はうんざりだってな」


 嘲笑めいた笑みを浮かべて更に挑発を繰り返す。ーー来いよ、狙撃屋。ここなら目撃者も大勢居る。正当防衛なら願ったりだ。


「ちょっと、言い過ぎですよ。こちらの……ブラムさんもセリアが心配で焦ってるわけですし」


 黙って成り行きを静観していたアイリスがようやく状況を把握したのかおずおずと口を挟んだ。彼女は運ばれて来たショットを舐める様に呑みながら、眉尻を下げて困り顔で諌めてくる。


「先に仕掛けて来たのはブラムだ。いきなり人殺し扱いされれば腹も立つ」


 ーーしかも大当たりだ、馬鹿野郎。寧ろ俺が一番遺体の行方を気にしてるわ。マジでどこに消えたんだよクソが。死んだ後まで俺の足を引っ張る気かセリア。


「人殺し扱いはしてねえ。ただ、そういう可能性もあると言っただけだ」


「だったらはっきり言おう。俺とセリアは間違いなく外壁まで一緒に来た。それは此処にいるアイリスも見ている。セリアは、外壁から落ちたんだ。俺は殺ってない」


 まあ殺ったけどな。重要なのはそこじゃない。論点は旅の道中、セリアが生きていたかどうかだ。そこに嘘は無いし、その気になればすれ違った旅商や旅人も探せるだろう。道ですれ違っただけの女を覚えているかどうかは別問題だが。


「ええ、セリアは大切な友人です。ドーラまで一緒に旅をした仲間です。殺すなんてそんな……あり得ません」


 俺の言い分をアイリスが援護する。清廉潔白とした真摯な物言い。それを聞いたブラムは暫く彼女を見つめた後、大きく溜め息を吐いて項垂れた。


「……分かった、もういい。この件はこれで終わりだ」


 同情めいたアイリスの視線と、俺の挑発的な視線を交互に見つめ、吐き捨てる様にブラムが言う。


「いい、とは? 変に恨まれて後から狙われでもしたら堪らないんだが。納得いかないならそう言え。今ここで相手になってやる」


 予想に反して引き下がったブラムに最後の挑発を仕掛ける。ーークソが。威勢のわりにビビりかよ。撃術師ストライカー相手に距離を取るのは愚策だ。出来ればここで始末しておきたい。


「いや、取り敢えず信じておこうって意味だ。だが、もし後でセリアの骸が違う場所で見つかってみろ。俺はてめえを逃がさねえ」


 ヤケにセリアにご執心だな。ただのパーティメンバーだろうに。……色恋か? 下らないな、勝手にやってろ。


「……好きにしろ」


 勇者、修道女、撃術師。魔導師は一人片付けたが、戦力は未だ向こうが上か。セリアの遺体さえ見つかれば計画通りだった筈が……予定外だ。余計な遺恨を生んだかも知れない。

 思惑通りに進まない現状に舌打ちが出る。それを鋭い目つきで見つめていたブラムが、静かに息を吐いて言った。


「ならもう用はねえ。だが、事の次第によっちゃ、次は戦場で会う事になるぞ。覚えとけ」


「そうか。物陰から狙撃せずに会いに来てくれるならこっちも助かる。その時は是非そうしてくれ」


 俺の皮肉も全く意に介さぬ様子でブラムが席を立つ。長筒を担ぎ、テーブルに銀貨を転がして静かに背を向ける。物言わぬその背中にはどこか哀愁が漂っていた。

 俺はその背を黙って見送った後、聖銀ミスリルのピアスに魔力を通す。


 燻んだ銀髪、切れ長の隻眼、頬に大きな古傷。貴重な情報だ、直ぐに報連相をしなければ。

 中間管理職は酒の席でも気を使わされる。厄介な立場だ。





 ベネディクトにブラムの容姿を報告した後、隣でショットをちびちび舐めていたアイリスに声をかける。

 既に夜は随分深くなったが、開いている酒場の宿なら部屋を取れるだろう。今日は色々あり過ぎた。さっさと休んで明日に備えたい。


「アイリス、宿にいくぞ。さっさと休んで明日はドーラの悪魔の情報収集だ」


「……ふぇっ? りょーりゃのあくみゃ? なんれしゅか、しょれ?」


 ーーは? ショット一杯で?



 部下が下戸だと、更に二倍厄介である。

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