リモートハッピーニューイヤー

 ごぉぉぉん……除夜の鐘の、間延びした重低音が、赤石千明のマンションにも響いてくる。


 その音は、転じて千明の心境の象徴でもあっただろう。

 比喩でもなく炬燵に齧りつき、百八度打ち鳴らしても祓い切れないであろう煩悩と心労とが、ずもももも……と暗雲となって全身から浮き出しているかのようだった。


「年越し準備完了ってか。お疲れお疲れ」

 重ねた労苦に絶対に見合わない軽薄な労いの言葉が、テーブルのぬいぐるみから響いてくる。

 言うまでもなく、マスコット兼パートナーのネルトラン・オックスその人である。

 その容姿はどう見ても猫耳フードをかぶった小型モンスターにしか見えないが、それは彼自身ではない。本体は遠く異国の空の下であろう。


「疲れた……なんてモンじゃないよっ! 二回だよ二回! この年末あたりで引っ越したの!」


 叔父永秀の逮捕と、それに前後する醜聞としか言いようのないお家騒動は、通称『赤石ショック』と名付けられて世間を騒がせた。

 それにより千明自身も謂れのない……いや実際は割りかしあるのだが……パッシングに幾度となく晒されて、学校や家にまでマスコミが常駐するという事態に陥った。プライバシーの権利、有名無実化も甚だしい。

 そのため学校はともかくとしても居住地を一度ならず二度までも変更するハメになった。

 もっとも、民衆の興味が薄れて収まってきたのがちょうど二度目の引っ越しの直後だったのだが。


 一応は自分にもまた責任の一端があり、半ば覚悟していたことだったから、受容してきたものの、元来のものぐささも相まって、晦日の今なお、未開封の段ボールに囲まれた生活を送っていた。

 唯一勝手が利くのは今蕎麦を茹でた鍋などの調理機器とMacのノートPC、あるいは今齧り付いている炬燵とアニメの特番を垂れ流しているテレビぐらいか。

 あとは適宜、用が出来たら引っ張り出してくる感じで生活をしている。


 そんな人手的にも精神的にも、誰かが傍に居てほしかった、激動の下半期だった。


「……にもかかわらず、そういう時に限って君はいない」

「しょうがねぇだろ。こっちにゃこっちの都合があんの」

 にべもなくネロは言った。

「そりゃあ、お前さんが考え付くようなことは俺だって考慮したさ。けど、千明の身の安全に関わることなんでな。まことに勝手ながら、こっちを優先させてもらったってことだ」


 えぇえぇそりゃあ分かってますとも。それでもって君のことだからきっとそっちが結果的に正しい判断になるんでしょうとも。

 控えめな胸を机の縁で押しつぶしながら、その内で毒づく。


「というか、今だってこうして愚痴ぐらい聞いてやってるじゃねぇか。こないだなんか、三時間ぐらい泣き言に付き合ってやったろ」

「そんなに話してないやい」

 机の上で腕組み脚組みふんぞり返りのポーズを取る端末ネコを、千明は睨んだ。


「それでも、直接会って、話して、で一緒に大晦日に除夜の鐘一緒に聞いてソバ食べたりしたいよ。やっぱ」

「……今は、無理だ」


 絞り出すような感じで、ネロは言った。本人に似せたターコイズブルーの瞳が、ぎゅっと半月形に歪む。

 苦みと暗さ冷たさが、氷柱のように魔法少女の心を突きえぐる。きっとどんな治癒能力を会得したところで、きっとこの痛みを和らげることも慣れることも出来ないだろう。せっかく手に入れた空間跳躍能力だって、相手がどこにいるのかさえ分からないのだから、近くへ跳びようもない。


 しかしそれでも、その痛みがふしぎとこそばゆい。

 そのはにかみが、碧眼カメラ越しに察せられたようだ。ネロが直截に「どうした?」と尋ねて来た。


「いやね、なんかフツーに、遠距離恋愛のカップルっぽいな、って。これはこれで、カレシカノジョらしい……みたいなー」

 歯切れ悪く口をもごつかせながらも、緩む頬は如何ともしがたい。


 そう、何を隠そうロマンチックとは程遠いながらも想いが通じ合って、キスまで交わした仲なのだ。

 そこに行き着くまでは、決して順風満帆とまではいかなかった。馴れ初めや互いの素性からして、街を手を繋いで行き交う恋人たちとはまるでかけ離れていた。


 それでも――たとえばこういう言葉にしていても上手く互いの感情が伝わり切らずに行き違うさまなどは、ありふれた恋人らしいやりとりではないのか、と千明は思っていた。


「……は? カレシ? 誰が?」

 ――信じられぬことを、耳にした。


 ネコが己が失言を悟ったのは、口にして、そして千明の表情を目の当たりとしてからだ。


「……あぁ、うん。そーだな! カレカノー」

「おいネコ。今なに思った? 言うてみい」

「なんでいきなり関西弁?」

「考えたことの一部分でも良いから、言え」

「…………カノジョ」

「あぁそうだよッ! 『たかだかキスした程度で彼女ヅラ』してたさっ! 悪いかっ」

「悪いたぁ別に思わねーって。そもそも言ってもねぇ」

「そういう目をしたッ」


 うわーん、と泣きむせびながら突っ伏す。

 上手く想いが伝わらないどころかそもそも関係性の解釈が根本から違うという絶望感に打ちひしがれる。


「まーためんどくさいムーブかましやがって。ほら、蕎麦食えよ。あと数分で年変わっちまうぞ」

 デリカシーも欠片もない差し出口。しかしお腹は空いたし麺も伸びるので、ずびずびと箸で手繰りながら残りの年越し蕎麦を平らげていく。


「お前が望む者に、俺はなれる。恋人だろうと仇だろうと、それこそ世界の敵にもな。何しろ俺は」

職人マエストロ、だからでしょ」

「そら、やっぱしかめっ面する。そういうの・・・・・が嫌なんだろ。だったら、もうちょっと時間くれ。俺だって気持ちの整理ってもんがある」


 当事者そのものであるはずなのに、他人事のように一方的かつ傲慢に、かつサラリとネコの少年は言ってのける。

 まるで納期についてあれやこれやと注文をつけられた業者のように。


「……トーヘンボクのロクデナシ」

「仮にも命の恩人に吐きかける罵声じゃねぇな」


 ネロは呆れたように瞳を半月状にしたが、事実であり本心だ。

 控えめに言ったとして人間的にはクズの部類に入る精神性の持ち主だ。イグニシア氏はじめ彼の世界の住人たちも、さぞこのドライに過ぎる性格に辟易したことだろう。


 それでも、ほぼすべての繋がりが絶えた千明にとっては母親以外に初めて緊密な関係を持った、唯一無二の相手である。愛憎を超えた先に、彼はいる。

 理屈じゃなく恋しい。また、直接逢って触れ合いたいと乞い願うのだ。


 悪態を最後に通話は絶えていた。必要以上に語らないのはいつものネロだが、後味の悪い切れ方をしたので、不安と焦燥に駆られる。

 気が付けば、除夜の鐘も聞こえなくなっていて、テレビの声優のコメントでようやく年を越したことを千明は悟った。

 寂寥感が、何かを言う気もさせる気も削いでいて、深く炬燵に頭も手足も沈めた。




「ただいまー、あけおめー」




 と、そこにネロが入ってきた。

 金髪碧眼の美少年の生身で。ごく当たり前のように作った合鍵で、ごくふつうの挨拶とともに。白々しいほどの冬の装いで。

 新年に合わせるでもない、ものすごい半端な時間に。食いかけのカップ蕎麦と割り箸を片手に。

「……ん? なんだよ、そのツラ」

 反射的に顔を上げたまま、どう反応すればいいかも知れず固まる少女に、ネロは首をかしげて見せた。


「な、なんで、なんで……」

「なんでってそりゃ、正月休みだよ。祖国を捨てた俺の帰省先なんて、お前のとこぐらいしかないだろ」

「でも! さっき無理だって……」

「だから、『今』さっきは無理だっつったろ。帰って来る途中に連絡よこすんだもんな、お前」


 むしろこっちの常識を疑うような、胡乱気な目つきでネロは言ってくる。


「つっても、ゆっくりはできねーし、またすぐ発つからな。ついでだからいっそこのまま初詣行くか。着付けぐらい手伝ってやるよ。どうせ一人で出来ねーだろ」


 ぬけぬけとそう宣う朴念仁を前に、千明はゆらりと立ち上がった。

 そこまではまるで巌のように重かった自分の肉体が、今は幽霊になったかのように軽い。

 そして引きつった不気味な剣呑な笑みを浮かべながら、ネロの背に狙いを定める。

 ――仕掛ける頃合いは、彼がカップ麺の器を流し台に置いた直後。


「……だから毎度毎度言葉が足らなすぎるんじゃあっ! 僕の心をどんだけ滅茶苦茶にすれば気が済むんだぁ!」


 初日の出のごとくきらめくその後頭部に、千明は両足の裏を揃えた、華麗なるドロップキックをかましたのだった。


 さながらそれは、魔法少女に渦巻いていた諸々の煩悩を周回遅れで消し飛ばす、除夜の鐘のようでもあったそうな。ネロ談。

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魔法少女オーバーキル 瀬戸内弁慶 @BK_Seto

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