(後)

「……こんなことってあるぅ?」

 冬の寒さが本格的になり始めた頃であった。

 いつものように最寄りのコンビニに立ち寄り、ついでにトイレを借りていた赤石千明は、その個室で停滞せざるを得なくなっていた。


 部屋の外、コンビニの入り口付近から男の野太い怒号が響いている。

 興奮と焦燥がにじむその声の主をそっと覗き見れば、案の定覆面強盗さんのご登場で、改造したモデルガンのようなものを若い店員に突きつけている。

 そしてその店番はと言えば、責任問題と生命の危機、それをぎりぎりのところで秤に掛けていると言ったところか。

 裏にもうひとり店員がいたとは思うが、そちらは外国人非正規雇用者と言ったところで、その気配を悟られるのがいやらしく傍観を決め込んでいるようだった。


「いやいや、いくら最近物騒になったとは言えですよ? 人生で二度コンビニ強盗と出くわすことがある? 銀行のも含めれば三回目なわけですよ。エンカウント率高過ぎですよ」


 そっと戸口を占める。

 さすがにパンツは履いたが、スカートは腰に引っかかっているという締まらない恰好のまま、小声でボソボソと語り掛けている。

 いや、独りごとではない。ないと、思いたい。実際話しかけている相手はいる。


 他でもないネロ……のぬいぐるみ。その置き土産である。

 便器の裏に設置された荷物置き場に立たせていた。


「やっぱり、変身だよね。……って言っても、トイレから登場するヒロインなんてめちゃカッコ悪いと思うんだよね。空間跳べるし、一度外出てから乗り込むか……って、それだったらフツーに警察呼ぶのが正しい在り方のような気がするんだけども、どうしたら良いのかなぁ」


 本当に彼が目の前にいるよりも饒舌に、少女はぬいぐるみにまくし立てて、あれやこれやと考えを整理していく。

 だが、当然のことながら、彼の魂が介在しない以上それは、物言わぬ無機物でしかない。かつて、彼の依代だったモノでしか。残滓さえもそこにはない。去来するのは虚しさばかりである。


「……なんか、言ってよ」

 ボソリと底まで沈んだ泣き言を、ただ一度だけ呟く。だが弱さを露呈させてから、自分の迂闊さ、行動の不毛さを悟る。


 土台に飾った形代相手に届きもしない思いの丈をぶつけるさまは、まるでカルト宗教の儀式のようだったであろう。


「……なんてね」

 とやや落とし気味の肩をすくめて見せて、本心はともかくとして表面上は取り繕って意地を張る。

 そうしてこの先もずっと離れているであろう、また会えるかどうかもしれない相手を待ち続けることなんて、どう考えても無意味なことだと、苦い自覚を噛みしめて。

 そう、ずっと、ずっと……



「どうしたら良いって、まずスカート履けよ」



 ふいに、背を向けた荷物起きから声が聞こえた。

 弾かれたように振り返る。寂しさからの幻聴かもしれない。顧みればそこには何もないかもしれない。だが衝動のままに、千明はその人形を見返した。


 そして果たしてその人形は、短い手足を組むようにして、フードの奥底で呆れたように眼光を眇めさせていた。

 往時の『彼』と、同じように。


 しかしながらそこはトイレなわけで、指摘の通りに自分の下半身は半脱げの状態で、なんとも間の抜けた『再会』で。

 感激よりも当惑が勝り、そして強烈な疑念と羞恥な襲う。


「な、な、な……なんで喋ってんの!?」

「なんでって、そりゃ通信端末なんだから話しかけられたら出るに決まってんだろ。お前こっち朝の四時だぞ」

「聞いてないんですけど!?」

「こいつが元々そういうモンだって、お前知ってんだろ。一応フードの裏辺りに取扱説明書、シールにしてつけてたんだが……あ、そのまんまになってるじゃねーか。モノグサなやっちゃな」


 自身の感触を確かめるように頭部をまさぐりながらその人形……もとい遠く海の先にいるネロは、碧眼にますます呆れの色を濃くさせた。

 錦鯉のごとく、顔を真っ赤にさせて口をパクつかせてる千明に、ため息交じりに告げる。


「というかお前、なんてカッコと場所でリモートワークしてんだ」

「……」

「まぁ大体の状況は外の声で察したが、呼び出すほどのことか? というか、そんな頓狂な声出してっから多分気づかれたぞ」

「…………」

「そっちに来るまであと十数歩ってところか。そんな今日び小学生でも身に着けないようなイモっぽいパンツ姿でご対面なんて、間の抜けた話もないもんだ。ほら、さっさとスカートを履すか変身なりともしろ。外に跳んでる余裕なんてもうねぇだろ」

「………………」

「あぁ、でもお前、日常的にスカートとか履くようになったのか。色気づきやがって。まぁ、お前にしてみれば相当な進歩と見ていいんじゃ」


 そして次の瞬間、果たしてネロの読み通り、強盗は施錠し忘れていたトイレの戸口を思いっきり開け放った。

 だが千明も、オーバーキルもまたその時には変身を遂げていて、ぬいぐるみを引っ掴んで大きく振りかぶっていた。

 言われた通り、当然それが通信端末である以上、そうしたところでダメージなんぞあるわけない。だがせねばならぬ。そうせねば、自身の中で今この時爆発した、多種多様な感情の遣り場がなくなったしまう。


「だから肝心なことは口で言えバカタレがーッ!!」


 魔法少女オーバーキルは、事情も知らない強盗の顔面に、思い切りマスコットを叩きつけたのだった。



【魔法少女オーバーキル……完】

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