守るもの、託すもの

 アジーンが入団して二年が経った冬。アクロアイトは頭領の計らいにより、ウェネーヌム家の影として活動することになった。


 ウェネーヌム家は貴族街中心部近郊に邸宅を構える中流貴族で、公国軍の武器開発や研究に出資している。財力を持った成り上がり貴族だが、軍事力を左右するその影響力は上流貴族たちからも無視できないものとなり、ウェネーヌム家の地位は、過去より確かなものになっているという。

 以前に影を務めた貴族は没落からアクロアイトへの出資を渋るようになったため、頭領はその家を見切り、十分な報酬金を用意できるウェネーヌム家へ仕える道を選んだ。

 頭領の判断に迷いはなかった。忠誠や情よりも、影でありながら契約上対等な立場を選ぶやり方は、頭領の昔からの方針だった。

 頭領の方針を知って雇いながら突然呼びつけ、わざわざ忠誠を誓いに来させたのは、ウェネーヌム家当主その人こそが、以前の主人凋落の原因だったためだろう。

 どことなく使用人達に見張られながら廊下を進み、頭領、ニベ、アジーンの三人はウェネーヌム家屋敷の執務室へ入る。

「失礼致します、ウェネーヌム卿」

 物々しい雰囲気であったが、頭領はいつもの柔和な表情を崩すことなくウェネーヌム卿に挨拶した。

 ウェネーヌム卿は貴族らしい身なりをした、柔らかな銀髪の中年男性だった。豪華な刺繍の施された上着と、芸の細かい金の指輪に見え隠れする財力。身に纏った品に比べると、記憶に残りづらそうな特徴のない顔をしている。卿と対面したのは今回が初めてだが、狡猾なやり方で他の家を潰す手を打った男にしては、少々無害すぎる見た目だ。……とはいえ、素知らぬ顔で主人に見切りをつける頭領も頭領で、優男の風貌ではあるが。

「変わらない顔だな。我が家の影に相応しい度胸、賞賛に値するぞ。……早速だが、本当に良いのだな?前の主人を潰したようなものだぞ?」

 ウェネーヌム卿は静かに問う。語勢は強くないがしっかりと響く声だった。

 頭領は、ふっと笑って返した。

「私達は飽くまで影ですから。そこにそれ以上の感情はありません。影として使う意思があるまでは、御身に忠実に仕えますよ」

「恐ろしい組織だな」

「ですからこのように存在してこられたのです」


 卿と頭領が話す横から、鋭い切っ先のような眼光を感じ取った。何か書き記しながら様子を見張るように上目でこちらを見る、真っ白な貴公子。年齢は二十くらいだろうか。雪のように白い肌と髪、表情を作らなくても造形の次元で分かる整った顔立ち。あまり父親には似ていないようにも見える。

 足を組んで座っているさまは優雅でありつつも、どこか人を寄せ付けない結界を張ったようだった。

 ニベからすれば全く別世界の人間に見えた。生まれながらにして高貴で、美しくて、強者で。困った経験などないと言いたげな才気を纏い、常に他人を下に見る。蔑まれる態度には慣れているゆえ、ヴィローサの態度にだから何だと感想を持ったわけでもない。そういうものなのだ、という一種の諦めで、見なかったことにする。


「噂には聞いていたが、実際に金を積んだ途端あっさりと来たのでね……君たちはどのように忠誠を表明するのだ?」

「単純です。働きによってお返しすることですよ」

「先約が欲しい」

「ではこうしましょう。私の子であるアジーンに御身の護衛の任務を与えます」

「お前には娘しかいないのか?」

「ええ、娘がふたり。長女のアジーンは入団以来立派に務めを果たしています。後継の名に恥じない娘です」

「反対隣の男は?」

「彼は私の右腕のニベです。今は扱う人材に乏しくなった呪術を使って、依頼をこなす古参の者ですよ。彼も娘と同じ御身の護衛任務を与えます。年若い娘だけでは些か心配もありましょう。頭領である私の大切な者と信頼する者、両方を預けるのですから。これ以上の忠誠の誓い方がありますでしょうか」

 ウェネーヌム卿は頷いた。

「良い選択だ。なあ、ヴィローサ」

「悪くない」

 トン、と紙面に終止符を打つ音。ヴィローサはにこりともしなかった第一印象と打って変わり、片方の口角を上げ、目尻を緩めた。

 好青年とは程遠い含み笑いだったが、ようやく見せた人間らしい動きだった。

 以降、ヴィローサはペンを置き、ウェネーヌム卿と頭領の会話に耳を傾けていた。その間身動き一つしないように見えたが、彼の鋭い目線はアジーンに向けられていたように思う。アジーンも気付いたようにも見えたが、ウェネーヌム卿が喋り出すと視線を戻した。


 ––––––アジトに戻ってから、ニベは頭領に呼び出され、今日の対談で得た印象を尋ねられた。毒舌だろうと正直に言う。取り繕っても頭領にはお見通しだからだ。

「当主はどうとしましても、警戒すべきは息子の方じゃないですか?ただの勘ですけどね、あれは父親より苛烈なものを持っている顔です」

「……それは私も思った。遅かれ早かれ、いずれあの方が当主になる。その頃には私も歳をとって、引退してるのだろうけども」

「その時まで今の主人が主人とは限りませんけどねェ」

「ははは、それもそうだ。けれど、こういう世界は何があるか分からない。そうだな、先に言っておこう。私がもし使い物にならなくなったら、アクロアイトの頭領の座をアジーンに譲る」


「ニベ、君には覚悟がある?主人である私の命に従える覚悟」

「力の及ぶ範囲で何なりと……とは、いつも言っているでしょう?」

「そうか、では何なりと」


「アジーンが頭領を務められる器になってから、私がいなくなるとも限らない。ここからは最悪の事態について、私の考えを伝えておくよ。ニベ、よく聞いて、今はまだアジーンには伝えないで欲しい」

 頭領の目は真剣だった。反射的に身構えたニベの姿勢に気付いてはいるが、構わないという様子だ。

「アジーンが十分に頭領として振る舞い切れる人間になる前に、私に何かあった時は……ニベ、お前に娘達を頼む。ヴィローサ卿に娘達を渡す事態があってはいけない」

「勿論、心得てますよ」

「まだ終わってない」

 頭領の声はいつもより低かった。

「その時が来てまだアジーンが独り身だったら、ニベはアジーンと夫婦を名乗り、お前がアクロアイトを継いでくれ」

「はァ……?」

「ニベしかできないことだよ。他の団員にこんなことが頼めるものか。ニベが私の右腕だから、託そうと思える」

「ちょっと……私がこの歳でも独り身なの、からかってるんですかァ……?」

「そうではない。独り身で生きれる男になったからこそ、ニベにしか頼めないんだ」

「頼むったって、頼まれたらその後どうしろと?」

「後のことは、アジーンと話し合って決めてくれ。そうなった時、私はもういない。過去の人間の言った中身に、いつまでも従ってちゃいけない。私のいない未来は、その未来を生きている人間のものだ。私のものではない。何が良くて何が悪いかは、今を生きる者達が決めて、進んでいくんだ」

「とは言ってもですよ……アジーン様は、死んだあなたの命令に従わなければいけないのでは……?」

「従うかどうかもアジーン自身が決めれば良い。アジーンが必要ない提案だと言うなら、ニベは何もせず取り下げてくれ。どうせ死人の戯言なのだからね」

 難しい空気が流れた。あまりにも大胆で、無茶苦茶に聞こえる頼みだった。それも、約束の重要人物であるアジーンを抜きに話を進めるなんて。

「娘を……アジーンを信じているんだ。特に自分がいなくなった後など、守ってやりようもない。私は信じてアジーンに託すしかないんだよ。だがね、アジーンが自分の身を守れない状況でただ破滅を待つような未来では、死んでも死に切れない。親心というものだ。あの子に遺してやれる確かなものは何かと考えたとき……ニベ、君だと思ったんだ」

「……アジーン様が同じとは限りませんよ」

「うん、最後に決めるのはアジーンだ。ただ、私は私のできることをしたいと思ったまで。ニベもニベのできることをしてくれよ」

「はァ……そうですか」

「何なりと、ね」

「何なりと、ですねぇ……」

 ニベにも思うところはあっても、頭領が一切冗談めかさない様子を見る限り、全て何なりとの内なのだ。

 無茶のすぎるお方だと息を吐く。頭領はいつもの微笑みで部屋を出ていった。

 アジーンの取り仕切るアクロアイトに居る未来は、いずれやってくる未来だ。今はまだ遠いことを願うばかりだが。


 頭領の部屋を後にし、エントランスへ向かうと、アジーンがいた。剣の手入れをしていたようだが、彼女はニベに気付くと顔を上げ、口を開いた。

「父と取り込んでいたのか」

「まァね……大事なことの一つくらい話しますから」

「仲が良いのだな」

「何、混ざりたかったんですかァ?」

「いや、昔からのことだ。今更そんなものはない」

「大人になりましたね」

「そうか?」

「頭領と話すより、私に遊んで欲しくて仕方なかった頃を知ってますンでね」

 昔のことを言われ、アジーンは目をぱちりと開き、少し意地悪っぽく笑った。

「私と遊びたかったのか?」

「まさか。何して遊ぶと言うんですか……」

 彼女はまだ何も知らない。知らないままでいる方が幸せだ。

 一回り半も年上の、親戚でもなんでもない男に保護されるためだけに夫婦を名乗るくらいなら、ひとりだとしてもアジーン自身の力で歩めるに越したことはない。彼女はもう、大人なのだから。

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ストレリチア 村野トリ(とりろ) @trr_maoujou

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