*蝕む過去は残影を呼びて
セツナとルーカスが連れ立って出ていった後は、嵐が過ぎ去った後のように辺りは静まり返った。
周囲にはぽつぽつと数人が椅子に腰掛けて、余韻に浸っている。先程までの熱狂騒ぎが嘘のような静かな空気だ。
浅く息を吐く。
人混みはやはり苦手だ。
慣れなくてはいけないということは重々承知しているのだが、生温い人肌の熱気と、老若男女の会話。そういったものの中にいると、途端気分が悪くなる。
いい歳でなにを、と思うが、不得手なものをそう簡単に克服出来る訳もない。
広々とした講堂に靴底が叩きつけられる音が響いた。それを気にも止めず、白銀の髪を携えた男はゆったりとした緩慢な動作で、宙を舞っている紫の蝶に近付いた。
「すまない。待たせてしまったか?」
口から漏れ出たのは、常時より少しばかり親しみが込められた声色。
『んーん。平気だよ?シャルが話してる間はボクの方でも少し忙しくしてたからさぁ。もー、本当に煩くてやんなっちゃうよ』
案じるように問うた男に答えたのは蝶だ。否、蝶を通してこちらを視ていた誰かだ。
子供特有の高い声と、元気に満ち溢れた声に、しかし紫紺の瞳は案じるように顰められた。見て取れる感情の色は心配の色だ。
「……また、進行したのか」
『シャルにはお見通しなんだね。そ、でもまあ、お陰でこっちは大忙しでね?皆騒いじゃって、おっかしい。わかってた事だし、今更喚くようなことじゃあないのにさ』
くすくすと無邪気に笑みを漏らした音に合わせるように、魔法媒介である蝶のカタチをした道具も揺れ動いた。
僅かに振動した空気が、直接感じられるようで、対峙する男は深く眉間に皺を刻む。
『ボクは平気さ。だってお前がいるんだからね。それに、次は暫く先の話だし、それまでにシャルの方で何とかしてくれるんでしょ?これでも期待してるんだよ』
「嗚呼、必ずや期待に応えてみせる。…紛い物市は明日だ」
『そう…見つかるといいねえ。ボクだっていつまでもここのままの現状に甘えているつもりは無いし、期限だって迫ってきてる。…シャルの期待度はどの程度?』
余裕がある様にみせるために声色を操作しているのだと、それなりの付き合いがあるシャルルには理解出来ていた。
これは気遣いだ。
責任感が人一倍高い男を追い詰めないための、急かさないための気遣い。
昔から不器用なのはお互い様で、そんな共通点があったからこそ今の関係が築けている。お互いに足りないものを補い、各々に期待を込める。そんな関係からはじまり、今はお互いに命運を預けることが出来るほどになっていた。
たかだか数年前の出来事であるはずなのに、思い出は色褪せ、鮮明に思い出すことは叶わなかった。思い出はいつまでも留めておくことは出来ないものだ。
「まだわからない。…何にせよ、漸く訪れた機会を無駄にする気はないがな」
『流石シャルー。頼りになる!…ね、まだ時間はあるの?』
「嗚呼。今日はもうこれといってするべき事は無いな」
セツナはルーカスと今頃お茶会だ。
恐らく根掘り葉掘り裏国のことを聞かれていることだろう。いつ終わるのやらしれない。シャルルに至ってはそもそもここに入るのははじめてだし、狙いは明日の紛い物市だ。
今日はこれ以上やることは皆無だ。
下手に屋敷内を歩き回って怪しまれては元も子もない。
『そっか!じゃあ今までの事、詳しく教えてよ。シャルの話を聞くのがボクの数少ない楽しみの一つなんだから』
「それは別に構わないが、そちらは手を休めてしまって問題ないのか」
あまり時間が取れないのはそちらではないのだろうか。
特にこの時期はそれなりに忙しいはずだ。
呑気に話をしている暇はないだろうに、返ってくる声は飄々としていて、そんなことを歯牙にもかけていないようだ。
そういうところがとてもらしくはあるのだが、しかし周囲は振り回されてしまうことだろう。
『ふふん。まあ聞いてよシャル。ボクが優秀なのは知ってるでしょ?急ぎのものだけ終わらせて、後はそのへんのに任せたよ』
「……そのへん、と言うのは」
『そんなのばったり会った名前も知らない奴に決まってるでしょ。ボクと目が合ったが百年目〜ってね。僕の前を歩いてたそいつが悪いのさ』
「………」
本当に向こうは苦労しているようだ。
なんのことはないように笑う声はとても楽しそうだ。
自由奔放な彼に周囲はいつも困らされてきた。勿論、シャルルも含めてだ。
しかしどこか憎めないのだ、それが魅力でもあり、危うさでもある。
それは恐らく当人も理解している事だ。
変化が訪れたのは、"あの日"からだ。思い出したくもない苦々しい黒い記憶は、消すことができない。今も尚、関係者全員の心の中にわだかまりを生んでいる。
少しずつ時計の歯車が噛み合わなくなっていくようなそんな歯痒さが胸を蝕む。
あの日の記憶は色褪せてはいない。
今も尚鮮明に皆の胸の中に鋭く深く刻みつけられている。
『ね、シャル、聞かせてよ。さっき話してた女が裏からの新しい住人ってやつだろ?今回のはどうなの?大人か子供か。それとも__』
「…適応者だ。間違いなく、な」
蝶からはひゅうと、口笛の音が響き、「へえ」と興味深げな声がそれを追いかけた。
裏国から来た適応者。
それだけでその者の価値は大きく釣り上がる。本人が望もうが望むまいがそれは変わらない。
それはシャルルの中でも、蝶を介してこちらを視ている彼にとってもだ。
『珍しい。ここ数年はそんな奴は出なかったのに。みーんな大人になっちゃって、つまんなかったよ。…ふうん、今回のは違うんだね』
「…だがここまでならば上手くいった者は数多くいる。問題となるのはこの先だろうさ。……どこまで私達と共に在れるのか、重要なのはそこだろう」
『違いないねえ。ま、ボクは楽しければそれでいいよ。でも、そうか。ふうん…適応者がねえ…。それじゃあ、"洗礼"はもうすぐだね』
_"洗礼"。
そう告げた声はやはりひどく楽しげで、一層その声は弾んでいた。
この国に移り住む者は誰しもが経験するものであり、部外者は介入できない未知のもの。
洗礼は避けては通れない余所からの流れ者達のために行われる。
いつから始まったのか、何故はじまったのか、それを知る者は最早この国にはいない。ただ洗礼という言葉は万人に知れ渡っており、誰しもがそれを当たり前のように受け止めている。
「そうだな。だがきっと無事通過してみせるだろう」
『…シャルが目をかけるなんて珍しいね。短期間の間に情でも移った?』
そう零された言葉は少し不満そうな響きを帯びている。
_情が移る。
きっとそんな単純な感情ではない。
もっと醜悪で複雑なものだ。
胸の中で渦巻く感情を上手く言葉にすることが出来ず、黙する男に何を思ったのか、蝶はそのまま大きく飛翔した。
そのままひらひらと二、三羽を羽ばたかせたと思えば、蜃気楼の様に薄れゆくと、空気に溶け込むように消えてしまった。
取り残されたのは銀色の男ただ1人。
気がつくと室内は無人となっており、この部屋にいるのはシャルルのみとなっていた。
どうやら話に夢中になってしまっていたようだ。
「シャルル様。お話は終わりましたでしょうか」
無機質な声が背後から聞こえ、振り向けばいつからいたのか、背筋をピンと伸ばしたメイドが感情の籠らぬ瞳でこちらを見ていた。タイミング的にこちらの話が終わるのを待っていたのだろうことを察し、応答する。
「嗚呼。私に何か用向きが?」
「はい。ルーカス様からシャルル様をお部屋へご案内するようにと仰せつかっておりますので、ご案内致します」
メイドは機械的な一礼をし、じっとこちらを見つめる。
そういえば、セツナと隣室を用意したとは言われたが、肝心の部屋が何処にあるのかを聞いていなかった。
確認するようにもう一度蝶がいた場所に目を向けたが、そこに何もいないことを認めると、メイドに頷きのみを返した。
それを見て、メイドは素っ気なく踵を返した。
「かしこまりました。では、こちらへ」
非主人公に憧れている(仮) 残火 @mikagezankou
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