絢爛で陰鬱な裏競売(下)
目映いはずの舞台が酷く霞んで見えたのは目の錯覚か否か。
周囲の喧騒が遥か遠くから響いてくるようだ。
舞台上では私が今まで持っていた常識から逸脱した行為が、いとも容易く、嬉々として行われている。それをとても美しいと感じた。
「__貴様、笑っているのか」
「…え。笑って、ましたか?私」
シャルルさんの声に我に返り、口元に手を当てれば、確かに己の口角は吊り上がっていた。
呆然としている私を置いて、舞台では次々と子供たちが売られていく。
全員で七人いた子供たちにはもう全て買主が見つかったようで、会場に溢れていた熱気も少しずつ冷まされていく。
壇上ではルーカスさんが締めの挨拶を行っているようだが、声を聞き取ることは叶わない。
水の中にいるような、そんな覚束無い感覚。
聞こえるのはシャルルさんの涼やかな声だけだ。彼はこんな中でも存在感があり、異様な雰囲気を漂わせている。
「嗚呼。やはり貴様にはこの国で生活していくに足る素質があるのだろう」
「素質、って何のことですか」
「この世界は法も、秩序も存在しない。誰しもが好き勝手に生き、知り得ぬ場所で命を落とす。だが此処で生活していくならば、有していなければならぬものが一つだけある」
そう呟いたシャルルさんの横顔は物憂げだ。黙って続きを促そうと彼を見る。
「この国は大人にも子供にもなれぬ半端者達の国だ。故に"大人"には生きづらい。ここでは子供であっても、大人であってもならぬのだ」
しかし続いた彼の言葉は漠然としすぎていて、良く分からない。
そもそも大人と子供の定義とはなんだろうか。どうあれば大人であり、どうなれなかったものが子供であるのだろう。
大人と子供を区別する境界は何処にあるのか。
まさか単純に年齢や身長といったもので判断しているわけではないだろう。
少なくともこの国では。
_わからない、圧倒的に情報が足りていない。
この国の根幹に関わる極めて重要なことであるはずだ。
だがシャルルさんの口はそれ以上動く様子がなく、噛み砕いて説明しようという気も更々ないようだ。
「シャルルさんも、生きづらく思っているんですか?」
「…私も半端者の1人だ。故にこの国はとても居心地がいい」
そう答えたシャルルさんの横顔は穏やかなもので、語られたことが嘘ではないことを教えてくれる。半端者、大人、子供。
今はまだ散り散りのピースだが、遠くない未来でその答えが得られる_そんな予感がした。
それにこの答えはきっと私自身で見つけなければならない事だ。
…聞いてばかりというのもなんだか癪だし。
「それでは、一部の皆様は心待ちにされていた方も多いのではないでしょうか?今回も、日を改めましてワケアリの品々が集まる、紛い物市を明日10時にここで行います」
「…紛い物市?」
考え込んでいた私の耳に鮮明に届いたのは高々に声を上げたルーカスさんだ。
競売はこれで終わりでは無かったのか。
綺麗とは言い難い自分の文字でいっぱいになったメモ帳をぼんやりと眺めながらそんな事を思っていれば、意気揚々と舞台上からの声が響く。
「つきましては毎度のことではありますが、我が屋敷内の空き部屋を開放しますので、どうぞご自由にお使い下さい!ここでお帰りの皆様はお疲れ様でした!またのお越しをお待ちしております」
そうして綺麗な直角のお辞儀をしたルーカスさんは、もう一度言い含めるように「明日は10時にここで」と繰り返す。
その言葉を聞き終わると、会場内は解放的な空気が満ち、席を立つ人々が目立ち始めた。
薄暗かった室内も明かりが灯る。
「シャルルさん。これで終わりですか?」
「今日の競売はな。
「もしかしてシャルルさんも、ですか?」
問えば薄らと細められた瞳。どうやらシャルルさんも、今日行われる競売ではなく、明日の本番とやらを目的に訪れたようだ。
ワケアリとか言っていたけど、一体明日はどのようなものが売りに出されているのか、少しだけ興味が湧いた。
どちらにしろシャルルさんが残るのであれば必然的に私も残らなければいけないのだし。
無関心よりは多少興味を持っていた方が、楽しめるだろう。
「でもシャルルさん。今日は何処に泊まるんです?また、あの宿まで戻るんですか?」
幾ら宿屋までひとっ飛びとはいえど、面倒なものは面倒だ。そんな感情を言外に滲ませた。
第一運動はあまり得意ではないのだ。
アウトドア派とは間違っても言えなかったし、気分転換に少し歩いただけでも筋肉痛になる程だった。…明日辺り恐らく筋肉痛に苛まれるのではないかと実はちょっぴり心配している。
「ああ、それは_」
「そんな心配は無用だよ!何せ、君達は…ああ、シャルル君はどうでもいいが、少なくともセツナ!君は僕の屋敷に泊まることが決まっているんだからね」
「…はい?」
シャルルさんが言い掛けた言葉を切り伏せ、割り込んできたのは先程舞台上を取り仕切っていた朗々とした声だ。
振り向けば予想どうりそこに立っていたのはルーカスさんだった。
ルーカスさんは軽やかなステップを踏みながら、客席の間を縫うようにしてこちらに近づいてきた。その顔には眩いばかりの笑みを浮かべている。初対面であるにも拘らず、ちゃっかり呼び捨てなのはこれ如何に。フレンドリーな人だ。
「その辺の宿に泊まるなどとんでもない!君は是非とも僕の屋敷に泊まるべきだ!あ、シャルル君は宿を取ると言うなら止めないから好きにするといいよ?」
「これはルーカス殿、お久し振りですね。…確か前回お会いしたのは何時でしたか」
「覚えていないな!そんなことよりもセツナ、これから僕の部屋でお茶会は如何かな?新しい人が来たと聞いたのでね。良い茶葉を取り寄せさせたんだ」
「え?ええっと…」
ぐいぐいと距離を詰めてきたルーカスさんは、更に私の両手を包み込みながら、顔を近づけてきた。そんな彼から香ったのは甘いチョコレート。嗅ぎなれたその匂いを酷く懐かしんでいる自分に安心する。
まだ心残りがあるのだと、その事実がこの上なく嬉しい。
「ルーカス殿、セツナが困っていますので、その辺りで…」
「少し黙っていてくれたまえシャルル君!ねえ、どうだろうか?僕と茶会は嫌かい?」
またもや何か言いかけたシャルルさんの言葉尻を抑えたルーカスさん。
この二人、仲があまりよろしくないのだろうか?…というかシャルルさんはどうして敬語?
そして、この人私の名前知ってたのかと驚く。
いや、自己紹介はしたし、知ってはいたのだろうけど、「貴様」としか呼ばれた事がなかったし…。
「え、えーっと…」
ちらりとシャルルさんに助けを求めようとしたが、シャルルさんは別の場所に視線を向けている。視線の先を追えば、紫色の蝶が羽ばたいていた。
非常に目立っている紫色のそれは私達から少し離れた場所で様子を伺うように羽を広げている。
きっと何処からか入り込んでしまったんだろう。ルーカスさんは釣られるようにその蝶に目を移したが、直ぐに興味を失ってしまったようにこちらに向き直った。
ルーカスさんの両腕に更に力が籠ったのを感じ、慌ててシャルルさんに声を掛ける。
「あの、シャルルさん?」
「…嗚呼、すまない。貴様はルーカス殿と茶席を楽しんでくるといい。…ルーカス殿」
「言われずともわかっているとも。…シャルル君とセツナには部屋を貸し出そう。鍵は何もせずとも勝手に掛かるようになっている。セツナには取っておきの紅茶を振る舞いながらでも話そう。その代わりといってはあれだが、裏国の話を聞かせて欲しいな」
柔和な笑顔を浮かべたルーカスさんに強い力で腕を引かれる。そんなことしなくても逃げやしませんよと言おうとしたが、宝石の様に輝く黒曜石を見ると野暮な気がして、言いかけた言葉をしまいこむ。
そのまま半ば引きずられるようにして部屋を後にした。
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