第25話

 今回は危なかった――羽村司はかつてのクラスメイトの死体を眺めながらそんなことを思った。


 顔を隠した囮を上手く使い、雪雄にパーカーマスクを司と誤認させたのが勝因だったと言える。慧のマンションから出てきた雪雄を撃ったのは当然パーカーマスクではなく、その背後にいた司だった。


 もし、雪雄がそれに気づいていたら、顔面を滅茶苦茶に破壊されて殺されたのは、名前も知らない男ではなく自分だったかもしれない――そう考えると肝が冷える思いだ。


 銃撃能力――かつてのクラスメイト二人を殺した能力は、『発火能力』の応用である。銃弾と同程度の大きさの火の玉に強い圧力かけて発射することで、千度の高温を保ったまま音速に近い速度で撃ち出すことができる。どうにも使い勝手のよくなかった『発火能力』を実用的なものにできないか、そして、催眠能力で他人を使うばかりでなく、自分自身にも誰かを殺傷できるような能力が必要だと考えて、半年ほど前に編み出した。


 人を殺傷できる程度まで出力を出せるようになったのはつい一ヶ月ほど前のことだ。


 雪雄がわかっていたかどうかは不明だが、『超能力開発アプリ』で得られる能力は使えば使うほど成長していく。この銃撃能力も半年もかからずに実用的なものになった。


 あと二年もすればこの銃撃能力はスナイパーライフル並みの威力と命中精度と射程を実現できるだろう。そうなれば今回のように危ない橋を渡る必要もなくなる。超能力だから、当然弾は無制限だし、硝煙反応や弾痕も残さない。この能力がそれほど力を発揮するようになれば、超能力を持って正義を執行している司の大きな武器になることは必定だ。


 勿論、この能力にもデメリットはある。


 まず、生み出した火の玉に強い圧力をかけるのに十秒ほどの時間がかかるので、拳銃のように連射ができないこと。


 もう一つは、現時点では、圧力をかけた火の玉が充分な殺傷能力維持し、さらに命中精度が安定してくれるのが十五メートル以内に限られること。これは実物の拳銃も同じなので大きなデメリットというわけではないが。


 だが、その二つもこのまま能力が成長していけば解決する問題である。


 さて、そろそろ隠蔽工作に移るべきだろう。ぐずぐずしていると警備会社の人間が現れてしまう。


 司はポケットから手袋を取り出して装着してから、雪雄の死体からスマートフォンを取り出し、自分のズボンのポケットに入っている自分のアイフォンを操作して、能力の切り替えを行なう。耳に嵌めたイヤフォンからヒーリング系の音楽が流れ、三十秒ほどで能力の切り替えは終了した。


『電子操作』の能力を使って、画面に触れないまま雪雄のスマートフォンを操作し、ブックマークされている『超能力開発アプリ』のリンクとその通信履歴、そして司が仕込んだ『監視プログラム』を完全に消去する。


 司が雪雄の状況を逐一把握していたのは、『電子操作』の能力で作成した『監視プログラム』のおかげである。


 このソフトは、電話やメールやインターネットへの通信は勿論のこと、位置情報、さらには内蔵されているカメラやスピーカーを通じて外部の音声や映像までも傍受することが可能だ。


 そして、このソフトは『電子操作』能力で作成したものだから、現状のいかなるセキュリティソフトや解析ソフトを使ってもこれを検知できない。


 だが、スマートフォンの電源を落とされてしまえば『監視プログラム』は機能しなくなるし、当然のことながら物理的に破壊されても同じだ。


 スマートフォンなどの通信機器は電源を落とした状態でも電気を放出している。『電子解析』でそのパターンを解析し、司の自宅のパソコンにある傍受プログラムに記憶させておけば位置情報だけは特定できる。


 が、破壊されてしまったらそれもできなくなるので、それをされてどこかに逃げられたら、一時的とはいえ雪雄の姿を完全に見失っていたところである。まあ、それでも軌道上を回っているいくつもの監視衛星をハッキングすれば簡単に見つけることはできるが――この『監視プログラム』を使った方が楽なのは間違いない。彼が自分のスマートフォンを疑わなかったのは司にとっては僥倖だった。


 雪雄は、いつどこで誰が自分を襲ってくるかわからないという極限状態に陥っていたのだからそれも無理はない。


『超能力開発アプリ』のサイトのリンクと通信履歴、そして『監視プログラム』を完全消去したところで死体のズボンのポケットにスマートフォンを戻した。


 検知されることがない『監視プログラム』を消去する必要はないかもしれないが――なにが起こるのがわからないのが現実というやつだ。


『発火能力』を使って物理的に破壊してもいいのだが、殺された人間の持っているスマートフォンが壊されていたら、警察はそれを疑うだろう。証拠はできる限り残さない方がいい。慎重すぎるくらいでちょうどいいのだ。


 ここで行うべき隠蔽工作はこれで終わりだ。さっさとここを離れよう。司はできるだけ音を立てないように素早く歩いて廊下を進み、階段を下りた。


 今は『電子偽装』の能力を使っているので、カメラにも映らないし、赤外線センサー等にも引っかからないが、二階で死んでいるパーカーマスクや入口で待機させているサングラスはそうではない。


 入口の前に立っているサングラスに指示を出して、サングラスはなにも言わずにビルの外に出て、そのままどこか消えていった。司がかけた催眠が完全に解けるのにはあと数時間は必要だ。催眠が解けたあとは、催眠がかかっていた間の記憶は残らない。彼の脳は催眠がかかっていた間の記憶を適当に捏造してくれるだろう。それに、なんらかのショックでこのことを思い出してもたいした痛手にはならない。同じ人間に対して催眠をかけることはないのだから。


 ビルの通りの前に誰もいないのを確認してから司は外に出て、雪雄が住んでいたアパートに足を傾ける。


 あの家には、雪雄が超能力を使って銀行から盗んだ金がある。それを回収しておかなくてはならない。明日――早ければ数時間後には彼の死体が発見されるはずだ。そうなれば、雪雄が住んでいた家に家宅捜索が入るだろう。そうなれば、屋根裏に隠してあるだけの大金は間違いなく見つかる。それが銀行から盗まれたものだというのはすぐに知れることだろう。そこから超能力に関する情報が漏れてしまう可能性がある。それを防ぐためにも、あの一億円強の大金は回収しておかなくてならない。


 しかし、一億を超える現物をどうやって処理したものか。なかなか悩ましい問題である。一億円は確かに大金だと思うが、生憎司は金に困っていない。バイトをしているのだって実際のところはただの気分転換である。そもそも金など『電子操作』を使って銀行にハッキングすれば、自分の口座の金額をいくらでも増やすことができるからだ。


 なので一億の現物など邪魔な紙束でしかない。盗んだ金だから、当然銀行機関に預けるわけにもいかないし、消費するのも面倒である。カジノがない日本において、大きな金を動かすものは土地関係以外他にない。一億もの金がいっきに動けばすぐに税務署はそれを察知する。税務署が調べれば、動いた一億が銀行から盗まれた一億と関係があるのはすぐに知れるはずだ。


 あの一億の処理はあとで考えればいいだろう。金を隠しておくのに一番いい方法は、使わずにいることである。使わなければ見つからない、という寸法だ。いまやるべきなのは、あれを回収しておくことだろう。


 雪雄は、今まで司が相手をした中では、最も悩まされた相手であったが、彼は二つほど勘違いをしていた。


 まずは『電子偽装』の能力についてである。『電子偽装』のカメラなどの電子機器に映らなくなるというのは、能力の側面でしかない。


 確かにカメラに映らなくなったり、赤外線センサー等に反応しなくなるのは非常に強力なものであるし、司もこの力を重宝しているが、『電子偽装』は本来、『電子操作』と『電子解析』と組み合わせて使う能力である。


『電子偽装』はその名の通り電子情報を偽装――言い換えれば電子情報を暗号化する能力であり、『電子解析』に唯一対抗できる能力なのだ。


 市のデータベースなどを始めとした、ネットワーク上に繋がっている司に関する情報はすべて『電子偽装』で暗号化してある。物理的な漏洩などでなければ、仮に情報流出が起こっても、『電子偽装』で暗号化されている司の情報だけは、司以上の能力を持った『電子解析』の使い手でなければその暗号を解くことは不可能である。そして今のところ、司を上回る使い手は現れていない。


 そしてもう一つ。雪雄は使える能力が三つまでというのを誤解していたことである。


 一度に使える能力が三つまでというのは確かにその通りだが、それは四つ以上の能力を使うことができないのとイコールではない。


 四つ目の能力をインストールすると、古いものから上書きされる。古いものから上書きされるだけで、上書きされた能力が二度と使えなくなるわけではないのだ。何度でも入れ直せるのだ。


 司が四つ以上の能力を使うことができたのは、状況に応じて、能力を入れ直して切り替えていたからだ。司はよく使用する能力のアプリをリスト化し、簡単な操作でその切り替えができるようにしている。三つの能力を一気に入れ直しても、その時間は三十秒もかからない。


 そのうち時間が経てばそのカラクリに雪雄も気づいていただろう。彼は勉強はできなかったが、決して馬鹿ではない。それは四度にわたって司が放った襲撃者から逃れていたことからわかる。確かに運がよかったという面もあるだろうが、運がいいだけでは四度は続かない。それに気づかれていたら、あそこで死んでいたのは司の方だったかもしれない。日が沈みかけた夕方の街を歩きながら司はそんなことを考えた。


 殺しておいてこんなことを言うのもおかしな話だが、雪雄には催眠をかけたくなかった。彼自身に催眠をかければ、殺すのも、超能力の存在を消すのも簡単である。だが、司はそれをしなかった。


 その理由は主に二つある。


 催眠をかけて記憶の隠蔽を図っても完璧にはなり得ないこと。そして、自殺では裁きにはならないということだ。裁きというものは他者によって行われなければ成立しないと司は考えている。他者によって行われて初めて裁きは裁きを得るのだ。死刑が、死刑執行官によって行われるのと同じように。


 それにしても、と思う。


 一体、どこの誰が『超能力開発アプリ』を作ったのだろうか。どう考えても人間が作れるものではない。本当に超能力が使えるようになるアプリなど、今の科学がいかに優れたものであってもそんなものを作るのはどう考えても人間には不可能である。その人類を超えた何者かはなにを目的としてあれを作ったのだろうか。


 未だそれは司にもわからない。


 あのサイトは数か月おきではあるが、定期的に新しい能力が今でも追加されている。その更新がどこから行われているのか突き止めようと思って、『電子操作』と『電子解析』を駆使してみたが一切わからずじまいだった。あのサイトは『電子解析』でも解析が不可能な未知の暗号が使われていることがわかっただけだ。


 以前に、超能力の存在を隠すために、あのサイトを自分以外の端末から接続できないようにしようとしたのだが、それも不可能だった。あのサイトには超能力を受け付けないなにかが備わっているらしい。


 次善策として、検索エンジンの方を操作し、あのサイトが引っかからないようにしたのだが、そうしたらそれを嘲笑うかのように、不特定多数のサイトに、『超能力開発アプリ』へのリンクが貼られるようになったのだ。そのリンクが現れる場所は特定することができないうえ、数が多く、さらには一定時間経過すると跡形もなく消える性質を持っているので、ブロックができないまま放置されている。だから、超能力の存在を隠すために、サイトの方をどうにかするのは半年以上前に諦めた。


 だが、そんな司の心配もよそに、あのサイトを本気にしている者はほとんどいなかった。現に、司があのサイトを見つけてからもう二年ほどが経つが、あのサイトを本気にして超能力を使えるようになった者は、雪雄を含めても二十人にも満たない。そしてそれは、今まで司が超能力の存在を隠すために抹殺した人間と同じ数だ。


 あのサイトは解析が不可能なある特定の波長を放っていることが最近になってわかった。それが一体どんなものなのかは不明だが、その波長と合うものは、あのサイトが本物だと思うようになる性質を持っているらしい。それ以外の人間は絶対に接触しない――原理は不明だがそういうことらしかった。


 司も、初めてあのサイトを目撃した時、何故だかあれが本物のような気がしたことを今でも覚えている。恐らく、不特定多数のサイトに貼られるリンクにも同じ性質を持っているのだろう。雪雄があのリンクから『超能力開発アプリ』に接続したことからもそれは明らかである。


 あのサイトを作った何者かは超能力を使わせる人間を選定している。司が小細工する必要がないとわかって安心したのは事実だったが、やはりその意図は不明でとてつもなく不気味だ。


 その選定された人間の多く――いや、司の知る限りその全員が、超能力を自らの欲望を満たすため――言い換えれば犯罪行為にしか使わなかった。


 司はそれを容認することなどできなかった。超能力という素晴らしい力を手に入れる権利を得ながら、それを卑劣な犯罪行為にしか使わない人間の醜さをどうしても許すことができなかったのだ。そして警察は、超能力を手にした人間を裁くような組織ではない。


 それは自分がやらなければならない――そう思ったのは、『超能力開発アプリ』のサイトを見つけてから半年ほど経った時のことだった。


 それからしばらくして、超能力を使って犯罪に及んだものを殺した。


 罪悪感は一切なかった。その時、司の中にあったのは、罪悪感ではなく、正義を執行したという思いだけ。


 それから、超能力を手にして、犯罪に及ぶ者を殺す日々が始まった。ある時は人を使い、ある時は自分で行った。一年半で色々なところに赴いた――北は北海道、南は九州まで。そいつらを殺すたびに司は思っていた。自分と志を同じくする者が現れないのかと。


 そんな時、司の中学の頃のクラスメイトが超能力を手に入れた。確かあれは、同窓会があった日から数日経った日のことだ。


 今度こそは、と思った。できることなら知り合いは殺したくなかった。だから、彼が超能力を使って、元職場の上司に復讐をしたのは容認した。だが、彼も今まで殺してきた有象無象と同じだった。


 それでも殺したいとは思わなかった。だから、警告の電話を入れた。だが、彼はそれを受け入れなかった。知り合いだからといって、超能力を使って犯罪を繰り返すことは容認できなかったから、警告の通り命を狙った。そうしなければ超能力を手に入れた者の犯罪はエスカレートする。そこから秘匿されるべきものである超能力の存在が知られてしまうかもしれないのだ。


 だから司は、雪雄を電車のホームで突き落とし、彼の家のベランダに火炎瓶を投げ込み、自宅に襲撃させ、道端で複数の人間に襲わせた。


 だが、そのどれも失敗に終わった。それが失敗に終わるたびに、人を殺すことに痛痒を感じないようなサイコパスを演じて彼を煽るような電話をしていたのは、彼の恐怖を煽り、警告するためだったのだ。結果としてそれはどうやら逆効果だったみたいだが。今まであんな真似をしたことは一度もない。失敗してからしばらく日を空けたのも、その間に心変わりし、超能力のことを忘れて欲しいと願っていたからだ。


 けれど、司が願った通りにはならなかった。雪雄は超能力を手放すことを拒んだ。どうして雪雄があそこまで超能力に固執していたのかは詳しいことはわからない。彼が超能力を使ってさらなる犯罪を行なう前に殺すしかなくなってしまったのだ。


 雪雄が警告の通りにしていたら、司は彼を殺さなかっただろう。


 そして、超能力を使って犯罪を犯した者を裁くためとはいえ、なんの罪もない中学のクラスメイトを殺すことになってしまった。仕方なかったとはいえ、その命を理不尽に奪ったことだけは絶対に忘れてはならない。それが、司が背負うべき罪である。


 きっと自分は地獄に落ちる。それは一番司自身が知っていることだ。だから司は最後、雪雄に対しあんなことを言ったのだ。


 そんなことを考えているうちに、司は雪雄が住んでいたアパートまで辿り着いていた。


 きっとこの先――今回のように自分の知っている人間を殺すことは間違いなくあるだろう。


 それでも、もうすでに何人も殺している以上、止まるわけにはいかない。


 止まってしまったら、今まで自分が殺してきた人間に対して申し訳が立たないからだ。それは雪雄以外の人間に対しても同じ気持ちである。


 いつか、自分と志を同じくする者が現れるまで、自らのその罪の重さを抱えながら、正義を執行しなければならないのだ


 司は、クラスメイトが住んでいたアパートの前でそう新たな決意をした。

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超能力が使えるようになった結果 あかさや @aksyaksy8870

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