第24話

 殺してやる――雪雄は強く思った。理不尽に殺された友人の仇を取る――朱色に染まった殺人現場の中でそう決意した。


 それにはまず冷静にならなければ――怒りで我を忘れていてはできるものもできなくなる。


 二度深呼吸をして心を落ち着かせる。怒りを爆発させるのは奴が現れてからでいい。今は冷静になって状況を整理したほうがいい。


 どうする――すぐに奴はやってくるだろう。残されている時間は短い。ここを離れるべきだろうか――


 いや、少しでもいいから奴に関する情報を仕入れるべきではないか――ここで奴は慧を殺した。ここにはなんらかの情報が残っているはずだ。ほんの少しでもいい。奴に関する手がかりを――


 雪雄は慧の死体に近づいた。あまりにも無惨な状況に涙が出そうになった。それを堪えて死体を検分する。今の雪雄は指紋が残らないのでそれを気にする必要はない。


 死体の状況――慧はうつ伏せに倒れている。あたりに争ったような痕跡は見られない。ということは取っ組み合いになる前に背後からやられたと考えるべきだ。


 頭部が吹き飛ばされていることを考えると、拳銃のようなものが凶器だろう。だが、近くに弾痕らしきものはない。銃弾がめり込んだ痕はないし、ガラスも割れていない。


 ということは――

 拳銃に匹敵する威力を持った超能力で殺されたのではないか。


 それがどんなものかはわからないが、そんな能力を持っているのなら、奴の自信も納得できる。慧の死体の状況から見ればわかる通り、人を殺すに足る能力であるのは明白だ。


 雪雄は慧の死体に触れる。まだ温かかった。殺されてからそれほど時間は経過していない。慧が殺されたのは、雪雄との通話を終えてから、雪雄がここに訪れるまでの約一時間の間だ。それを思うととてつもなく悔しい。あの時、すぐ慧の元に向かっていれば、時間が欲しいなど言っていなければ、慧が殺されることはなかったはずなのだ。自分の弱さが、慧が殺される要因の一つになったと思うとやりきれない気持ちで一杯になる。


 そこで雪雄はあることに気づく。


 慧が殺されたこの状況――慧は殺された際、一切抵抗をしてないのではないか。侵入してきた暴漢に背後から撃たれて即死したとは考えにくい。相手がいくら拳銃に匹敵するなにを持っているといっても、なんらかの抵抗をして然るべきなのではないか。知らない人間が自分の家に侵入してきたのなら気づくはずだ。いくら慧が争いごとを好まない人種であったとしても、侵入してきた見知らぬ暴漢に無抵抗に殺されるなど――


 ならば、奴は――慧を殺した相手は、慧の知っている人間ではないのだろうか。奴が慧の顔見知りだったならば、殺人者を家に上げたのだって納得できるし、無抵抗に殺されたのも納得できる。


 そしてもう一つ。


 いくら奴が『電子操作』や『電子解析』の能力を使いこなせるのだとしても、あの電話からたった一時間の間に慧の自宅を割り出すのは無理なのではないだろうか。超能力なのだからやってできないことはないかもしれないが、なにも知らない人間がたった一時間でやったとするならあまりにこれは早すぎる。奴は、初めから雪雄と慧の関係を知っていて、前もって慧の住所などを知っていたのではないのか。雪雄が慧に、今までの話――超能力についての話をするかもしれないというのを見越して。


 となると、奴は雪雄と慧、共通の知り合いだという確率が高い。

 そこに今までの数少ない情報を加味すると――

 奴は雪雄の中学時代の同級生であると見るべきだ。


 そして慧が自分から家に招き入れたということを考えると、卒業してからずっと会っていない相手ではないはずだ。ここ最近でなんらかの形で顔を会わせているのではないだろうか。そして、慧は中学の同級生で雪雄以外に、その頃からずっと付き合いを続けている人間はいない。それは雪雄がよく知っていることだ。


 ならば考えられる理由はただ一つ。


 同窓会だ。あの時顔を会わせた相手だったならば、いきなり自宅を訪問されても、警戒することなく家に上げてもおかしくないのではないか。


 同窓会にいた三十人ほどの人間の中に奴がいる。

 一体それは誰だ。

 そこまで考えたところで、雪雄ははっと思い直す。


 そろそろここを離れた方がいいのではないか。そう思ったところで、リビングの向こう側から扉が開く音が聞こえてきた。


 遅かった――時間を取りすぎた。


 しかし、考えている余裕はない。やってきたのなら殺してやる――雪雄は飛び出し式の警棒を取り出して、隣の部屋に身を潜めた。


 するとすぐにフルフェイスのヘルメットを被った若い男が入ってくる。あれが奴か――雪雄の心臓は緊張で跳ね上がる。ヘルメットは死体にはなんの感情も見せず、部屋の中を見回している。


 どうする――どのタイミングで飛び出す? あのヘルメットが奴だったとするなら、慧を殺した拳銃のような能力を持っているはずだ。それを使われたら勝ち目がない。あのヘルメットを打ち倒すには不意を打たなければ――


 ヘルメットはリビングを一通り調べたあと、雪雄が潜んでいる部屋の扉に視線を向け、ゆっくりとこちらに向かって歩いてくる。


 一歩、二歩。時間の流れが遅くなったように感じる。三歩。この部屋に隠れる場所はない。だから隠れて気を窺うというのは無理だ。こちらから飛び出し一撃で倒すしかない。四歩。ヘルメットの手がドアノブに触れようとしたその時――


 雪雄は扉を思い切り蹴り開け、部屋の外に飛び出す。そしてそのままヘルメットの顔面に向かって警棒を叩き込む。顔面に警棒をフルスイングされたヘルメットは、アイシールドの破片と鼻血を撒き散らしながら吹っ飛び、血の絨毯の上に倒れ込んだ。


 とどめを刺してやる――雪雄はそう思って倒れたヘルメットの元に近づき、奴の顔を見てハッとなる。


 ――違う。


 ヘルメットは雪雄のまったく知らない男だった。警棒を叩き込まれ、無惨に鼻がひしゃげていたが、顔の判別くらいはできる。このヘルメットは奴じゃない。慧が殺された状況を考えて、奴は雪雄と慧、両方の知り合いであるはずだ。こんな男は見たことがない。ならば――


 こいつは奴によって催眠をかけられてここに放たれた斥候だ。こいつが雪雄を殺せればよし、殺せなくとも別に構わない。その程度の存在だろう。


 やはり奴は慎重で狡猾だ。雪雄には奴の顔がわからない以上、先ほどのヘルメットのように顔を隠されてしまったら奴なのかそうじゃないのかの判別はつかない。奴は催眠をかけた兵隊を織り交ぜながら雪雄の命を狙ってくるに違いない。


 早く逃げなければ――あのヘルメットがやられたことはなんらかの形で奴に伝わっているはずだ。それにあのヘルメットがいつ目を覚ますかもわからないのだ。別の人間が現れ、そしてヘルメットが目を覚まし、この場所で二対一になったら勝ち目はない。


 お前の仇は絶対に取る――慧の死体に向かってそう決意して、警棒をしまってから部屋を出た。あたりを警戒しながらマンション内を進み、階段を駆け下りて外に出る。


 どこに逃げる――右か左か。どちらから奴、あるいは奴の刺客が現れるのかはわからない。どこから現れたってなにも不思議ではない――どうする。住宅街の方を進んでいくか――それとも駅の方に向かってバスかなにかを使って逃げるか――どちらにすべきか迷い、駅の方に身体を向けた時――


 背後からなにかが音もなく雪雄のすぐ通り抜けたのを認識する。背後を振り向くと、そこにはパーカーのフードを深く被り、マスクをつけた男が立っていた。当然ここからでは顔の判別はできない。


 だが――


 あのパーカーマスクが奴の可能性は高い。先ほど奴は銃撃に類似した攻撃を行なってきた。そしてそのパーカーマスクの手にはなにもない。慧を殺害した銃撃に類似した攻撃は間違いなく超能力によるものだ。


 その能力が拳銃に匹敵する能力を持っていると考えると、真正面から近づくのは危険過ぎる。よく覚えていないが、拳銃の有効射程は十五メートルとか二十メートルとかそれくらいのはずだ。


 雪雄とパーカーマスクとの距離は目測だが、四十メートル弱。拳銃の有効射程からは充分に離れている。


 奴の能力が拳銃と同程度なら、これくらい離れていれば命中精度は大きく下がるから、まず致命傷を負わない。そして、拳銃が近距離で使う武器である以上、警棒一本で近づくのはあまりにも無謀だ。


 逃げるしかない。雪雄はパーカーマスクのいる方角とは逆――駅の方面へと走っていく。雪雄が走ったのを見てパーカーマスクも走ってくる。


 どうする?


 相手は拳銃に近いなにかを持っている。それに拳銃とは違ってまったく音がしないから、人のいないところならば使い放題だ。パーカーマスクにあれを使わせないようにするには人がいるところに行った方がいい。


 慧が住んでいるマンションの前の通りを駅に向かって進んでいき、人通りの多い大通りとの交差点のところで――


 人混みの中にいたサングラスの男と視線があった。その瞬間、雪雄にまずい、という直感が走る。その直感通り、サングラスは人混みをかき分けてこちらに向かって走ってきた。サングラスとの距離は五十メートルほど。背後からパーカーマスクが迫っている。このままだと挟まれてしまう。


 くそ。どっちだ。どっちが奴なんだ。銃撃のような能力を使ってきたパーカーマスクの方が奴である確率が高い。だからといってサングラスの方を強行突破するというわけにもいかない。サングラスと一悶着している間にパーカーマスクによって背後から撃たれてしまえばそれで終わりだ。ここには逃げられる横道はない。どうする――背中が壁にぶつかる。振り返るとそれは壁ではなくビルの入口だった。


 ここに逃げるしかないのか――躊躇しているうちにパーカーマスクとサングラスはどんどん迫ってくる。


「くそ!」


 雪雄はそう吐き捨てて扉に手をかける。開かない。どうやら鍵がかかっているらしかった。その間にパーカーマスクとサングラスはさらに近づいてくる。もう駄目だ。ここに入るしかない。雪雄は『錠前突破』の能力を使って扉を開けてビルの中に逃げ込んだ。


 ビルの中は無人だった。見たところどこかの事務所のようなものみたいだが、今日は定休日なのか人の気配はない。


 やられた――雪雄は無人のビルの中を走りながらそう思った。自分から逃げ場のない場所に入り込んでしまったのだ。こうなってしまったら、奴らを打ち倒すしか他に逃げ道はない。


 しかし、無人のビルなんて場所、どう考えても奴らの方が有利だ。片方はまったく音がしない拳銃を持っているのと同じだ。誰もいない場所では使い放題である。


 階段を上がって二階へ。


 すると、階下の方から扉が開く音が微かに聞こえてきた。奴らもここに侵入してきた。ここの扉はオートロックだったから、それを突破した以上、奴らのうちどちらかは間違いなく超能力を持っている。


 このままビルの中を逃げ回って時間を稼いで、警備会社の人間が現れるのを待つか――いや、駄目だ。機械警備が作動して警備会社の人間がここに来るまで十五分くらいはかかる。この大して広くもなく、隠れる場所もほとんどないこのビルの中で、拳銃のようなものを持った相手から十五分も逃げるのは無理に等しい。


 少し時間を稼いだあと、このビルから脱出するのはどうか――それも無理だ。奴らのうちの片方が恐らく入口を固めているはずだ。このビルは無人だから音が響く。入口の方で騒ぎが起こればすぐにもう片方に察知されるだろう。


 恐らく追ってきているのは拳銃能力を持っているパーカーマスクだ。入口を固めていると思われるサングラスなら突破できる可能性はある。


 が、今までのことを考えると、サングラスの方が武器をなにも持っていないとは思えない。斉藤のように、サングラスがスタンガンのような相手を一瞬で無力化できる武器を持っていたら終わりだ。


 それに、入口を背後に固めているサングラスに奇襲をかけるのは難しい。仮にスタンガンなどを持っていなくとも、真正面からの殴り合いになったら、サングラスが特別に格闘能力に秀でていなくとも、パーカーマスクが入口に向かうまでの時間――五分、いや三分もいらないだろう――その時間を稼ぐのはそう難しくないと思われる。


 詰まされた――のか。くそ。今、自分が直面している現実に愕然とする。何者かが階段を上ってくる音が聞こえてきた。奴はやけに大きな音を立てて階段を上っている。そんなことをしてこちらを嘲笑っているつもりなのか――雪雄は恐怖と怒りと屈辱と悲しみが入り混じった混沌とした感情が渦を巻いていた。


 どうする、どうする。


 わざとらしく立てている足音はどんどんと近づいてくる。慧の家でヘルメットを倒した時のように不意討ちをかけるしかない。


 が、パーカーマスクが奴だったとするなら、それを一番警戒しているはずだ。なんのために慧の家に刺客を差し向けたのか。不意討ちを警戒しての行動なのは明らかである。


 だが、この状況を打破するには他に方法などあるはずもない。

 さらに足音が近づいてくる。


 もう駄目だ。雪雄はすぐ近くにあった掃除用具箱に入って身を隠した。その数秒後にパーカーマスクが階段から姿を現す。雪雄は掃除用具箱にあるわずかな隙間から外の様子を窺う。


 どうする。このままここに隠れてパーカーマスクが離れるまでやりすごすか、それとも奴を――


 そんな逃げ腰でいいのか。雪雄の中にいる誰かがそう告げた。


 あのパーカーマスクは慧を殺した張本人かもしれないんだぞ。それを放っておくのか。拳銃能力を持っているからといって、慧の仇を取らないわけにはいかないだろう。お前は慧の亡骸の元でなにを誓ったのか忘れたのか。逃げるのかこの敗北主義者め。


 そんなことをしているうちにパーカーマスクが廊下を進んでくる。相変わらずわざとらしく大きな足音を立てていた。パーカーマスクは着実に雪雄が隠れている掃除用具箱に近づいてくる。


 その通りだ。奴だけは殺さなければならない。無惨に殺された慧のことを弔うためにも、刺し違えても殺さなければ……。


 パーカーマスクが掃除用具箱の前を通りかかる。パーカーマスクはそこで立ち止まり、掃除用具箱に視線を傾ける。拳銃能力を持った相手がすぐそばにいる――そう思うと、緊張感と死の恐怖で酩酊してきた。


 五秒。パーカーマスクは視線をこちらに向けている。十秒経過。まだこちらを見ている。


 そして――


 パーカーマスクは視線を掃除用具箱から切って横を向いた。それから何事もなかったかのように歩き出す。


 やるしかない。雪雄は恐怖を振り払い、心を震わせる。慧の仇を取る。取らなければならない。なんの罪もないのに殺されてしまった友人のために――


 パーカーマスクが用具箱から二歩ほど離れたところで、雪雄は警棒を取り出すと同時に飛び出した。パーカーマスクはそれに気づいて振り向くが、もう遅い。


 パーカーマスクが拳銃能力を使う前に雪雄は奴の顔面に警棒をフルスイングした。防御する間もなくパーカーマスクは警棒を食らってそのまま倒れる。雪雄は倒れたパーカーマスクに馬乗りになった。


 こいつが! 目の前で倒れているパーカーマスクに警棒を振り下ろす。慧を! もう一度振り下ろす。こいつを殺せるのなら殺人犯として捕まっても構わないと思った。振り下ろす、振り下ろす、振り下ろす。慧の無念と、友人を失った悲しみと今まで受けてきたことに対する怒りを込めて、雪雄はひたすらに警棒をパーカーマスクの顔面に向かって振り下ろし続けた。


 雪雄が気づいた時には、パーカーマスクは誰ともわからないほど顔面が破壊されてこと切れていた。


 やった! ついにやった。やってやった。奴を殺したのだ。雪雄は心の底から歓喜した。


 これでもう、姿を見えない殺人者に怯える必要はなくなる。平穏を勝ち取ることができたのだ。


 パーカーマスクに馬乗りになっていた雪雄が立ち上がったその時――


「え?」


 思わずそんな声が漏れた。視線を下に向けると、胸が赤く染まっている。胸をなにかで撃ち抜かれていた。なんで? 雪雄は倒れながら困惑していた。拳銃能力を持っているパーカーマスクは殺したはずだ。それなのに何故――


「残念だよ。夏目。こんなことになっちゃってさ。さっさと超能力のことを忘れてくれればこんな結果にはならなかったのに」


 背後からそんな声が聞こえてきた。

 この声は――

 雪雄は死にかけた身体を振り絞って、自分を撃った相手に視線を向ける。

 そこにいたのは――


「お前……だったのか」


 雪雄はその姿を見て愕然とする。


「ああ。そうだ。いつか地獄で会おう、夏目」


 その言葉が聞こえた刹那、雪雄の頭部は撃ち抜かれ、意識は暗闇に落ちていった。

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