第2話

千堂が目が覚めたときに一番に感じたのは久方ぶりに体がいつもより軽いな、と感じたことだった。

ついで、なんだか枕やパジャマの材質や形が違うんじゃないかと思い当たる。そこで怖くなって思わず目を開ければ、見慣れない天井。急いで眼鏡を探せば枕の横のダッシュボードもメガネもぼやける視界でわかる、自分のものではないと。赤いふちのその眼鏡はまるで女性のもののようで---


女性?


ひとつの可能性に思い当たった千堂は、眼鏡を引っつかみ部屋の中の鏡を探す。

壁にかかっていた姿見を見つけ覗き込めば、そこにはくたびれた自分の姿ではなく。

「こ、琴坂…?」

琴坂明音の姿があった。


「あかねー?起きてますか?朝ごはんできましたよ?」

コンコン、とノックの後に男性の声。これは千堂も知っている人物の声だった。彼女の父親で、学園の保険医…琴坂智の声だ。

「明音、入りますよ?そろそろ起きないと本当に遅刻です」

「だ、大丈夫、…お、おとうさん」

自分でも何がなんだかわかっていないこの状況を見られたら確実にボロが出る、そして中身が俺だとばれたら何をしでかすかわからない、そう判断してとっさに取り繕ったのはどうやら信じてもらえたようで、琴坂先生は早く起きてくるんですよとだけ言い残して部屋には入らずにリビングに去っていった。


「とりあえず、連絡を取らないといかんか…?」

自分に、というのは変な話だなと思いつつも枕元にあった携帯電話を握りしめる。しっかり充電されたそれのパスワードはわからないが、ダイヤルだけなら最初の画面からできる設定になっているようだった。

(いや、しかし、いいのか?勝手に携帯使って)

人によっては待受を見られるのも嫌だという。もしかして琴坂もそうなのではないかということに思い当たってしまいためらうも、緊急事態だと握りしめてダイヤルをする。すまないと心の中で思いながらの数コールの後、聞きなれた、そして戸惑った声が聞こえてきた。


「もし、もし…?」

(俺の声だ)

「あの、」

「琴坂か?」

「…千堂先生?」

「やっぱりおまえか。うん、俺だ。千堂だ」

「せ、先生私」

「わかってる、いやわからん。分からんがお前も俺もパニックになってるってのはよくわかる。…とりあえず、学校で落ち合おう。学校に着いたらすぐ職員朝礼があると思うが、話半分に聞いておけばいい。俺は今日授業はうちのクラスだけだからとりあえず授業の時以外は部室にいれば余計に誰かに会う必要もないから」

「…わかり、ました」

「よし、じゃあとりあえず後でな」

電話を切ってとりあえず胸をなでおろす。琴坂なら自分の評価にかかわるような事はしないだろう。自分の父親にわけもなくからまれて驚くかもしれないが。だから問題はどちらかといえば自分のほうかもしれない。学年で一番の注目を浴びる生徒になった経験なんて千堂には当然なかったから。


「明音ー?本当に遅刻しますよ!」

リビングからの声で我に返る。

そうだ、学校云々の前にまず自分はここを切り抜けなければならないのだ。軽く痛み始める頭を抱えながら千堂はリビングへと向かった。



はあ。という彼女---いや、いまは彼というべきか。そのため息が部室に響き渡った。

「先生、毎朝あんなのの相手をしてるんですか」

「…ああ、やっぱり」

しこたま実の父に絡まれたらしい琴坂はげっそりとした声でぼそぼそとつぶやく。

「しかし、なんでこんなことに…」

「非現実的すぎてわけも理由もわからんな…」

「まさか、ずっとこのままじゃ」

不安そうな声で呟く琴坂---とは言っても、今の見た目は千堂なのだが---に、千堂は思い当たる。

(もし、ずっとこのままなら俺は琴坂になるってことか?)

それは困る。

たとえ琴坂の体であろうと中身は千堂。今後彼女が彼女のままであれば手に入ったであろうものはノミの心臓の千堂では手に入らないもの。それは教師として、彼女を教え導くものとして奪いたくないものだから。


やがて、千堂は口を開く

「よし、わかった。一人、心当たりがいるんだ」

こんなとき教員でよかったと思う。人付き合いがどんなに苦手でも必ず教え子という名の人脈が手に入るから。

「心当たり…?」

「こういうオカルトにやたら詳しい知り合いがいるんだよ。教え子だけど、この町でバンドマンやってるやつなんだ。そいつを呼び出す」

「よ、呼び出していいんですか?」

「あー、まあ、バンドマンやってるっていると体裁がいい気もするが、要するに資産家のボンボンなんだよ。暇だからその辺うろついているし、暇だからたまにひょっこりここに顔出すんだ。だからたぶん呼び出しても来てくれる。オカルトじみた話がえさならなおさらだ」

「わかり、ました…」

「最悪オカルト方面から何もわからなくても物調べるときの金の負担くらいならやってくれそうだしな」

そういうと千堂は早速携帯を手に電話をかけようとして---思い当たる。


「これ、俺がかけちゃだめだ」

「え?」

「今の俺、お前なんだったわ」


千堂から携帯を受け取った琴坂は少しだけ咳払いをして電話をかける。

後にこの電話が二人の運命を大きく分けるとも知らずに。

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千堂要は気がつかない 湊 めそこ @mesoko_mn

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