第二話 目撃者






夕食の後、普段はルイーゼの仕事である皿洗いをゴードンが変わってくれた。

「皿洗いはやっておくから、遅くなる前に終わらせな。今日は冷える」

「自分だって疲れてるくせに、私の心配ばっかり」

ルイーゼは口を尖らせたが、ゴードンの思いやりは素直に嬉しかった。

2階の屋根裏部屋に戻り、念入りに星の位置と距離を確認した後、用具を腰に下げ玄関に向かった。

「いってらっしゃい。気を付けて」

ヨダに見送られ、ルイーゼは夜の森へと繰り出した。






うっそうとした森は月あかりを遮り、あたりは真っ暗闇である。右手で持つランタンの明かりだけが頼りだった。道はでこぼこと曲がりくねり、気を抜くとすぐに足を取られてしまう。夜の冷たい風を頬に受け、草木の揺れる音に耳をすませながら歩くこと数十分、視界が開け、目の前には大きな湖が広がる。湖は星や月の光を取り込み、夜であるにもかかわらず明るかった。ここが星取りの仕事場である。

ルイーゼは大きく深呼吸すると、羊皮紙に記した星の位置と照らし合わせ、自分の立ち位置を決めた。そして北北西の方角、ひときわ大きな深紅に輝く星へと手を伸ばす。今日のお目当てはあの星だ。目を閉じ、もう一度開いた瞬間、ルイーゼの瞳にはあの星しか映らなくなっていた。周りの音も風も匂いも何も気にならない。五感のすべてがあの星へと注がれていた。








だから、彼女は気が付かなかった。

星取りの瞬間を他の人間に見られていたことに。








彼らは隣国への遠征の帰りであった。今日中に学園に戻る予定であったが、馬車をひく馬の調子が悪く、なかなか歩を進めずにいた。

「今回の遠征、まさか、学長殿自らが出向かれるとは思いもしませんでしたよ」

秘書のメンフィスはすっかり暗くなった外を眺めながらつぶやいた。明るい金髪に美しい青い目を持つ青年だ。

彼の隣には燃えるように赤い髪をした男性が座っている。上品な黒のコートを肩にかけ、長い足を組む姿は威厳に満ちている。彼こそが東の名門校サンタ・マリア・デル・フィオーレ学院学長のアレンである。

アレンは前を見据えたまま静かに言った。

「相手がどのような隠し玉を持っているか、探る必要があったからね。いずれ戦うことになる。行動を起こすなら早い方がいいだろう」

「ですが、わたくしにでも他の秘書にでも任せていただければよかったのに。学長殿自らが出向いては、我が校が見くびられやしませんか」

「私が出向くことに意味があるのだ。私にしか引き出せなかった情報がたくさんある」

アレンは形のいい唇をゆがめ、不敵な笑みを浮かべた。

「今日、奴らがもったいぶって出してきた情報だってほんの一部にすぎんだろう。こちらが信用されていないのは百も承知だ。信用なんてものはいらない。私が欲しいのは情報、戦力の把握だ。彼らの力はすさまじかった。今のままでは我々は勝てない」

くっくっく、と乾いた笑いが車内に響く。

(なぜ、この人は負けを確信しながらも笑えるのか)

アレンに長年仕えているメンフィスでさえ、彼に恐怖を抱いた。

その時、馬の鳴き声と馭者の怒鳴り声が響いた。

しばらくすると、足音が近づき扉をノックする音が聞こえた。アレンが分厚いカーテンを開けると、そこには申し訳なさそうな顔をした馭者が立っていた。

「馬が全く動かなくなってしまって…」

アレンは懐中時計で時間を確認すると、表情を崩すこともなく言った。

「どのみち今日中に着くのは不可能だろう。かまわないよ」

馭者はぺこぺこと頭を下げると、足早に馬の元へと戻っていった。

「馬の調子が悪く、しばらく休憩だ。私は外の空気を吸ってこよう」

アレンはそう言うと同時に、するりと馬車から降りた。

「学長殿!一人では危険です!」

メンフィスは扉の上につるしてあったランタンを手に取ると、慌ててアレンの後を追った。






「あんまり遠くに行くと危ないですよ」

明かりも持たずに夜の森を歩き続けるアレンに、メンフィスが追いついたのは馬車からかなり離れたところだった。

「あぁ、すまない」

アレンは足を止めると天を仰いだ。

「星が美しい。夜なのにこんなにも明るいとは…」

「確かに…。しかし、明るすぎやしませんか?」

「見ろ、あそこだ。あの一帯が異様に明るい」

アレンはそう言うと、再び進み始めた。

歩き始めてしばらくすると、二人は大きな湖の前に出た。

「美しい」

メンフィスが茂みから出て、湖に近づこうとしたとき、アレンは手を出しそれを止めた。

「待て、あれを見ろ」

視線の先には一人の少女がいた。星のように輝く長い髪を夜風になびかせ、ほっそりとした腕を天に向けて伸ばす姿は、この世のものとは思えないほど美しかった。

「あれは…?」

メンフィスはアレンの顔を覗き込みぎょっとした。

彼の目はまるで獲物を捕らえたかのように少女を捉えて離さず、口元には不敵な笑みが浮かんでいた。

「静かに見てろ」

どうやら少女は、北北西に輝く真赤な星を狙っているようだった。

その星に向けて左手を伸ばすと、何かをすくうような動作をした。

次の瞬間、星は輝きを強め、あたり一面が強い光でおおわれた。

「ぐっ…!!」

強すぎる光に耐え切れず、メンフィスは思わず両手で目をおおった。

光が弱まり、うっすらと目を開けた時には、少女は胸元で両手を合わせていた。手の中からは真っ赤な光が漏れている。

「…星取りだ」

アレンがつぶやいた。

「星取りって、あの…?!しかし、星取りは…」

「欲しい」

今のアレンには、メンフィスの言葉など耳にはいらなかった。

「彼女は必ず学園に連れて帰る。必ずだ」

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紺青に空は沈む 河名 色 @kitasatu

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