3章 その11
三人は次の日もブランの小屋に通った。ヨアンは彼女の絵と、その技術を教えてもらうのが目的だった。リュミエールは彼女と話をすること自体を楽しみにしていた。アランはというと、相変わらずリュミエールに強制連行される形でついていった。父に止められている森への侵入だったので彼はバレやしないかと内心ヒヤヒヤしていた。アランは出来るだけ早く帰ることを二人に約束させた。リュミエールはともかく、ヨアンまでもがそれを聞いてガッカリした反応を示したのは正直驚いた。いつも控え目な彼だったが、興味があることについてはガツガツ行くタイプらしい。不満そうな表情を見せる二人に、バレるとまずいのは全員同じだからと言い聞かせ、なんとか言い包めることができた。
灯火祭りの直前の期間であるせいか、授業はいつもより少し早く終わる。そのため、ブランに会いに行って帰ってきてもいつも学校から帰ってくる時間とあまり変わらなかった。迎えの馬車については、リュミエールたちと一緒に帰りたいから来なくてもいい、と彼女の性質を体よく利用させてもらった。リュミエールは歩き回るのが大好きなので説得力のある理由だとアランは思った。事実彼女と行動を共にしているので嘘ではない。リュミエールにとってもヨアンにとってもそういうことにしておいたほうが都合がよく、何の問題もない。肝心の父には学校が今日から早く終わることを伝えておらず、気付いてもいないので好都合。どこかに寄り道しているとバレないためにも、このまま伝えずにおいた。ただ、帰りが遅くなると流石に不審がられるので、そこには神経を使って絶対に遅くならないように気をつけた。
ブランの小屋で、リュミエールはあらゆる物に興味を示した。本や絵の資料を見付けてはブランに質問した。リュミエールお得意の質問攻め。アランが初日に受けた彼女からの洗礼。それをブランは今受けている。アランはブランのことを少し気の毒だなと思う反面、対象が自分からブランに移ったことで内心ホッとした気持ちもあった。ヨアンはリュミエールが質問しすぎて中々自分が話せないので、彼にしては珍しくリュミエールに直接不満を言っていた。彼の様子を見て、リュミエールは短く謝りヨアンに機会を譲るのだが、それが終わると彼女はすかさず次の質問をし始めるので相変わらずヨアンが聞き出せることは少なかった。このやり取りをアランはじっと見ていた。それだけでかなりの時間が経過していて、うっかり長居しすぎてしまいそうだった。
「さあ、そろそろ帰るぞ」
アランは懐中時計を見て時間を確認した。その声を聞いて、二人は慌てて会話を中断して立ち上がった。
「もう時間? 早くない?」
リュミエールは残念そうに言った。そしてブランに向けて明るい笑顔で話しかけた。
「それじゃあ、また明日ね、ブラン!」
「……やっぱり明日も来るのか」
ブランはぐったりした様子で言った。
「迷惑?」
リュミエールは純真な目を向けて言った。
「迷惑ではないが……絵が進まない。もうちょっと質問の量を減らしてもらえると助かるが」
「あっ、ごめんなさい……てへへ、つい癖で」
「彼女はいつもこんな調子ですよ……」
アランは二人の会話に口を挟んだ。ブランは目を丸くして彼の方を見た。
「世間ではずっと質問され続けるのが常識なのかい?」
「いいえ、彼女が特殊なだけです」
「……そうか」
ブランは疲れた様子で下を向いた。数秒間静まり返り、外から聞こえる虫と小鳥の鳴き声だけが部屋の中で聞こえてきた。
翌日も、その翌日も彼女の場所に集まった。連日森に入って怪しまれないか非常に不安だ、とアランは言っていたが、とくに変わりなくその日を過ごした。
「ねえ、ブラン。一つ聞いてもいい?」
リュミエールは絵を描いているブランに質問した。
「絵を描いているときは極力質問しない、という約束のはずだが? 昨日した約束をもう忘れたか?」
「まあ、固いこと言わずに」
「折角街で暮らせているのにそう易々と約束を破っていては信用されなくなるぞ。嘘つきと言われ、やがて危険視され、排除される。私と一緒に夜の森の中で狼の遠吠えにおびえて暮らしたい、というのなら別だが」
「……ごめんなさい。でも、どうしても気になって。ベルとはいつ会ってるの?」
「しかたないね。今回だけは答えてやろう。ベルとは毎週土曜日に会っている。夕方くらいだな。そういえば、君たちがやってきたのも土曜日の夕方だったか」
「そう! 先週の土曜日、ベルを見かけたの。やっぱりあなたがベルに会った直後だったのね」
「そういうことだね」
ブランはそう一言述べて再び絵に集中しだした。
リュミエールはしばらく彼女の筆を眺めていた。彼女がキャンバスに何を描いているのかはよくわからなかったが、その絵の具は放射状に広げられて、まるで光が拡散しているかのような印象を受けた。それを見て、リュミエールはふとひとつ思い浮かんだことがあった。
「ねえ」
「まだ何かあるのかい」
ブランは筆を止めずにリュミエールの呼びかけに面倒くさそうに答えた。
「ベルと一緒にどこかに出かけたりしないの?」
一瞬ブランの手が止まった。そして彼女の質問に答えた。
「出かけない。出かけられるわけがない。そんなことをしたら……わかるだろう? 避けられるどころか下手したら処刑されてしまう。ベルもそれがわかっているからそういう話題は出さないよ」
彼女は筆を置き、リュミエールをねめつけた。
「あたしがそうはさせないわ。だって、あなたは周りが言うほど悪人じゃない。この数日一緒に話しただけだけど、すぐにわかったわ。ちゃんと皆に説明すればわかってくれるはずよ」
リュミエールはそう熱弁した。その眼差しは真剣そのもので、瞳の奥に光が宿っていた。しかし、ブランは残念そうにうなだれて嘆息する。
「それは無茶だ。私の母が今まで何度そうしようとしたかわからない。でも何も改善しやしなかった。もう私は諦めているんだよ。だからこの件については放っておいてくれ」
「諦めるのがあなたの良くないところよ! ねえ、あたしたちと一緒にどこかに出かけて見ない? ベルも一緒に行けないか説得してみる。今回は二人だけじゃない。四人一緒なら怖くないでしょう?」
「だが……」
ブランは煮え切らない様子で言い、目を逸らした。リュミエールの思わぬ誘いに対し難色を示している。
「おいおい、流石に急にそれは厳しいんじゃないか、リュミエール」
ことの成り行きを黙って眺めていたアランが間に首を突っ込んだ。
「僕もそう思うよ……知り合ったばっかりだし」
ヨアンも続いた。リュミエールは彼らの言葉に対しなんでもないような顔をして言った。
「あら、あたしがあなたたちに出会ったのもつい先週じゃない」
「いや、そうだけど……なんでも君基準で考えるなよ。君は特殊なんだ。今まで人に馴染んでこなかった人だぞ、ブランさんは。もうちょっと俺たちと慣れてからのほうが……」
アランはここで言葉を切った。リュミエールが何か言いたげな表情をしていたためだ。
「……そうね、特殊。あたしは特殊。でも、あたしから見れば他の皆も特殊に見えるわ。あなたも特殊。アリんこ眺めてたり、すぐに尻込みするところなんかあたしから見たら十分特殊よ。ヨアンも絵を描く。あたしができないことができるから特殊。ブランも特殊。あたしのお父さんだって、ベルだって、オランドさんだって特殊な人よ。だから特殊だということを受け入れるの。特殊じゃない人なんていないんだから」
リュミエールは拳を固め、視線を下向きにして静かに言った。
「わ、わかった。俺が悪かった。でも、本人が嫌がってたら駄目だぜ。君はいつも自分の気持ちばっかり先行して、人の気持ちを無視するから」
アランがそう言ってブランの方を見た。ブランは黙ってうつむいていた。
「ねえ、ブラン。どうかな? もしかしたら昔とは違って受け入れてくれる人もいるかもしれない。だから、ね」
リュミエールはブランに向かって手を差し伸べた。ブランはまだうつむいていた。
「ほら、嫌なんだよ。無理矢理連れて行くのはよそうぜ」
彼女の様子を見てアランは言った。ブランは少し思案した様子を見せたが、彼がそう言った直後ブランはおもむろに頭を上げて話し始めた。
「わかった。いいだろう。行くよ」
「えっ、行くんですか?」
アランが驚いた声を出した。ブランがそう結論付けたのが意外に感じたのだ。
「そう何度も嫌だ嫌だと言われたら逆に試してみたくなる。ここでの生活に慣れ過ぎて外に出ようなどと思わなかった。だが、外からやってきた君たちを見てなんだか興味が沸いてしまったよ。今外の世界の恐怖より興味の方が勝った。ただし必ず君たちとベルが一緒に来るという条件付きでだが」
ブランは真っ直ぐにリュミエールの方を見据えた。彼女の蒼眼に光が宿った。
「本当? 嬉しい! もちろん私たちも一緒だし、ベルも絶対に説得して見せるよ」
リュミエールはグッと拳を突き上げて小さくジャンプし、喜んだ。着地するときに小さな風が起こり、埃が舞った。
「もしかしたら絵のヒントが見つかるかもしれないしね。スランプだから」
ブランは言った。
「ところで……連れて行くってどこへ行こうと思ってるの?」
ヨアンがリュミエールに恐る恐る訊ねた。リュミエールは待ってましたと言わんばかりに答えた。
「ふっふーん。出かけるのは次の日曜にしようと思ってるの。日曜と言えば……アレがあるよね?」
「アレ……ああ、そうか!」
ヨアンはハッとして言った。アランはまだピンと来ない様子で、頭上にクエスチョンマークを浮かべていた。
「アレ……ってなんだ?」
「そうか……もうそんな時期だったな。先週のベルもこの話をしていたな。この絵も去年のその様子を遠くから見て描こうと思ったものだ。……まあ全然進んでないわけだが」
ブランはしみじみとした感じで語っていた。
「だから何なんだよ……」
「あれ、アラン、まだ気が付かないの? 昔からこの街に住んでるんでしょ?」
リュミエールは煽るように言った。アランはここでようやく気が付いて言った。
「……ああ、アレか! あんまり行かないし、毎年当たり前すぎて気が付かなかった」
「何で今授業が午前で終わっているのか忘れてたの……?」
ヨアンが苦笑しながら言っていた。
「そうよ、行く場所は……」
「灯火祭り!!」
リュミエールの言葉に合わせ、三人は声を合わせた。
「……って、それ本当に大丈夫か? 夜だし、俺たち出られるのか?」
アランはまた不安要素が増えた気がした。果たしてそんな時間に外出して大丈夫なのだろうか、と。
「ベルも一緒ならきっと大丈夫よ。あたしのお父さんならきっと許してくれる」
「まあ、リュミエールは大丈夫だろうけど」
「私も大丈夫だ。むしろ夜の方がいい。……だが光に満ちたお祭りだから顔は隠すかもしれない。そこは対策させてもらおう」
ブランの話を聞いて、リュミエールはハッとした顔になった。
「あっ、ごめんなさい……ブランが光苦手だってこと、すっかり忘れてた」
「まあ強い光を直接当てられなきゃ大丈夫さ。夜だしね。いくらでも退避できる場所はあるだろう。それに、たまには光の当たる場所に行くのも悪くはない」
「ありがとう、じゃあ決まりね!」
「ベルがオーケーしたらね」
ブランはにっと笑顔を作った。リュミエールも同じように笑顔になった。
「あっ、初めて笑ってくれたね」
「そう……かい? そうだったか」
「そうだよ! ベルには笑ってくれてるの?」
「たぶんそうしてるね」
「そっかあ。じゃあ、これでベルと同じくらいの友達だね!」
「友……達? ああ、友達か。うん、そうだね」
少しブランの表情に陰りが見えたが、すぐにまた笑顔が戻った。
「あの……俺行けるかわかんないんだけど」
アランはおずおずと訊ねる。
「そっちは何とかしといてね」
リュミエールはあっけらかんとした顔で言う。
「俺には適当だなおい……なあヨアン」
「僕はたぶん大丈夫……お父さんもお祭りの準備に参加してるし、きっと許してくれる」
「この裏切りものぉ……」
アランは気の抜けた叫び声を出して嘆いた。
果たしてリュミエールの計らいにより三人はブランを連れて灯火祭りに参加する計画を立てることになった。この街の光の祭り、灯火祭り。そして、その街外れの影で暮らす女性、ブラン。影は光に歩み寄り、交わろうとする。だが、それは彼女らにとって試練の時でもあった。四人はそのことを、まだ知る由もない。
光の街のリュミエール 亀虫 @kame_mushi
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