耳かきっ娘

藤田大腸

第1話

 人にやってもらう耳かきって何でこんなに気持ちが良いのだろうか。特に私の親友の由良はかなりのテクニシャンで、彼女に膝枕してもらいながら耳を弄られるのは至福の一時だ。


「あはぁ……」


 耳かき棒が私の耳中のスポットを優しく刺激すると、ついついため息が漏れてしまう。


「そんなエロいため息ついて。手元が狂っちゃうよ」

「だって気持ちいいもんは気持ちいいんだからしょうがないもん」

「そう言ってくれるのは嬉しいよ。はい今度は左耳ね」


 私は寝返りを打った。こしょこしょと棒が侵入してくると、気持ち良さにこそばゆさも加わって「んふうっ……」と声が出てしまった。


「んもう、鼓膜破いちゃっても知らないからね」

「あり得ないね。由良は超上手だもん」


 私は頬をちょん、と指で突っつかれた。それからまた耳かきが再開される。


「しかし水樹の耳って穿ほじくり甲斐があるよね」

「どういう意味?」

「何て言ったらいいんだろう。こう、構ってあげたくなるみたいな?」

「何それ」


 私は笑った。


「それに、水樹のリアクションが可愛いしね」

「あんっ……」


 由良の耳かき棒が私の弱いところを的確に捉える。私の耳は彼女に徹底的に知り尽くされていた。


 週に一度、由良の家に遊びに行って耳かきしてもらうのは楽しくて気持ちよくて仕方ない。耳かきは私達のコミュニケーションツールだった。


「はい、今日の分は終了!」


 私は頭を抱え起こされた。でも何だか今日は、やってもらっている間は気持ちよかったとはいえイマイチスッキリしない。何でだろう?


「もうちょっとやってくれない? まだ耳奥に残ってる気がするの」

「え? もうこれ以上出てこないよ」


 気のせいだよ、と言われた私はそうかな、と思うことにしたが、やっぱり帰ってからも違和感は拭えなかった。






 それがはっきりと形に現れたのは三日後だった。朝起きた私は右耳の奥に言いようもない気持ち悪い異物感を覚え、音も聞こえにくくなっていたのだ。プールで耳に水が入ってしまった時の感覚をさらに気持ち悪くしたような感じだ。


 慌てた私はトントンと頭を叩いてみたり頭を傾けて飛び跳ねたりしたが全く改善されず。仕方なく親にそのことを告げたら、学校は午後からでいいからとりあえず病院に行きなさい、と言われた。


 私は異物感に悩まされつつ、自転車で駅前にある「大島医院」に行った。ここは中規模の病院で外科と内科、耳鼻咽喉科があるが、地元民の評判がなかなか良くて少し遠いところからも患者がやってくる。だから平日でも朝は混雑していた。


 耳鼻咽喉科で受付を済ませて、一時間程でようやく診察室に案内された。


「今日はどうされました?」


 優しい口調で聞いてきた先生は女性で四十代といったところだが、名札に「大島」とある。この病院の院長は奥さんも医者だと聞いていたから、きっとその人なのだろうと思った。


「あの、右耳が突然聞こえにくくなって、何か詰まっているような感じがしまして……」

「はいはい。ではちょっと診せてもらいますね」


 先生はそう言うと私の座っている椅子を回して、右耳が先生の方に向くような格好になった。そして何やら器具を突っ込むと、


「あららら! これはこれは」

「え!? な、何が?」

「ちょっとこれを見てもらえますか?」


 先生は看護師さんに指示して、先生が見ていたモニター画面をこちらに向けた。


「これがあなたの耳の中です」

「うそっ、キモっ!」


 ついつい声を上げてしまった。だって画面には赤黒い塊が目一杯映っていたのだから。


「耳垢が奥まで押し込まれて鼓膜を塞いでしまっていますね」

「ええ、そんな……」


 由良のテクニックに間違いはないはずだったのに。


「結構耳かきはされてるんですかね?」

「はい、一週間に一度……」

「それはやり過ぎですね。本当は耳かきってやっちゃいけないんですよ」

「ええっ?」


 先生曰く、特に耳かき棒で耳かきをすると耳垢を奥まで押し込んでしまうことがあり、また耳道の炎症の原因になり得るからダメなんだとか。常識だと思っていたことが覆されて、由良の厚意が逆効果だったことを知らされて愕然とした。大げさに思われるかもしれないけれど、私にとっては衝撃的だったのだ。


「耳垢は自然と出てくるんですよ。どうしてもと言う場合は一ヶ月に一度出口のところだけ綿棒で掃除すれば充分です。じゃ、耳垢を取りますね」


 先生はノズル状の器具を取り出して私の耳の奥に入れると、ズボボッ、と濁った音を立てて吸い出した。その瞬間、異物感がウソのようにスッキリと無くなって普段通り聞こえるようになったのだ。


「あー、ここにも大きいのが隠れてますね。よいしょっと」


 今度はピンセットみたいなのを入れられてゴソゴソされたが、抜き出されるとより一層スッキリした。


「どうです?」


 モニターを見ると、真珠のように白く半透明なものが映っている。先生が言うには、これが私の鼓膜とのこと。かくも綺麗なものだったのか。


「左耳も診ましょうか」


 椅子が半回転した。ここも鼓膜を塞ぐ程度ではないにしろ、奥の方に耳垢があったらしい。これも全部器具を使って排出された。


「はい。これで全部取れました。また耳がおかしくなったら来てください」


 先生の言う言葉はもちろん、周りの音全てが以前よりクリアに聞こえている。それだけ私の耳が汚れていたという証拠だ。


 由良には悪いけど、もう耳かきをやめてもらうように言わなくちゃいけない。気持ちいいこともできなくなっちゃうけど、仕方ないことだ。






 私は午後から登校した。クラスメートが心配して声をかけてきてくれたけれど大したことがないと知って安心してくれたようだ。


 由良も私のクラスにやってきた。彼女は隣のクラスだった。


「水樹、大丈夫なの? 休んで病院行くって聞いてたけど……」

「大丈夫だよ、風邪や熱とかじゃないから」

「何で病院行ったの? まさか産婦人科じゃないよね? ね?」

「由良の心配しているようなことじゃないっての。ちょっとトイレで話そ」


 私は由良を女子トイレまで引っ張っていった。そこで私が耳の症状で病院に行って、耳掃除をしないように言われたことを伝えた。すると由良の眼が潤みだした。


「やだ……水樹の耳かきが辛い高校生活の癒やしになってんのに……」

「でも、お医者さんがね……」

「やだ! やだやだ! これからも水樹の耳かきするのー!」


 由良は子どものように手をばたつかせて駄々をこねる。トイレの外からは生徒たちが何事かと覗いてきている。


「由良、恥ずかしいからやめてよ。そこまで私の耳を気に入ってくれていたのは嬉しいけどさ」

「耳かきしたいよー! うわあああん!」


 水樹は人目をはばからず泣き出して、私に抱きついてきた。切ない泣き声が清潔になった耳をつんざいて、私の心を締め上げる。


「わ、わかった。これからも耳かきしていいから」

「ホント!?」


 由良は今までに見せたことがないぐらいのとびきりの笑顔になり、そして私を抱きしめる力がより一層強くなった。


「水樹! 好き好き大好き!」

「く、苦しいっ……」




 


 それから三日後、由良の家に上がった私はいつものように耳かきをしてもらった。しかし由良はいつになくハードに、私の弱いところを執拗に攻め立てる。


「あっ、あっ、ちょっ……ちょっと痛いって、ああっ!」

「あははっ、口ではそう言っても顔はトロットロになってるよ? もう私の耳かき無しで生きられないようにしてあげるからね。それっ」

「はぁんっ!」


 耳垢はほとんど出てこなかったけれど、いつもの倍以上のボリュームで喘ぎ声が出てしまうのだった。






 その翌日。


「うーん、両耳とも炎症を起こしてますね。お薬を塗っておきます」


 大島先生は淡々と私に告げた。今朝、耳から恐ろしく臭い耳垂れが出てきて大島医院のお世話になったのだが、特に驚きは無かった。こうなることはわかりきっていたから。


 耳垂れを器具でズルルっと吸い取られて、薬を浸したガーゼで耳の中を弄られた。先生には悪いけれど、由良にやってもらう耳かきの方が遥かに気持ちいい。


「ほんのちょっとだけ耳かきを我慢してください。治るのも治らないですからね」

「はい、わかりました」


 そう返事はしたけれど、由良の悲しそうな顔が目に浮かんできた。治るのはもっと先になりそうだ。

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耳かきっ娘 藤田大腸 @fdaicyou

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