ジャパニメじゃない

モト

ジャパニメじゃない

 俺はVRコンタクトを装着しなければ外に出ることができない。病気だからではない。外の世界が病気なのだ。


 出勤のために自宅を出る。VRコンタクトを装着しているか、念のため改めて確認せねば。吐き気を抑え、覚悟を決めて自宅隣のコンビニを見ると、その看板にはコンビニのイメージキャラ、「ナインたん」が大きく描かれている。大きな目とカラフルな髪、幼い容姿だが凹凸が強調されたボディラインで描かれた、今どきのジャパニメ。それが目に飛び込んでくる嫌悪感に襲われかけ、だが、ゆっくり息を吐いた。大丈夫だ、このキャラを自分が目視することはない。VRコンタクトにインストールした現実置換アプリによって、VRコンタクトのカメラがジャパニメを認識すると自動的に三次元映像置換を行い、ジャパニメの代わりに生身の中年男性を表示してくれるのだ。


 VRコンタクトは自分の視界に三次元映像を重ねるハードウェアだ。インストールしたアプリによって、見える世界を置換したり、分析して情報を追加したり、娯楽映像を再生したりと様々な用途に使える。こうした技術は拡張現実、ARと呼ばれるべきだが製品名だからしょうがない。無理解なノーテク市民向けのマーケティングというわけだ。


 現実置換にはわずか3ms、一瞬だけはジャパニメを表示してしまうが、時間も短いし、なんとか我慢できる範囲だ。これさえあればジャパニメだらけの世界にも耐えられる。気にくわないのが、このアプリが作られた本来の目的はアニメオタク向けに現実世界の人間をジャパニメキャラに置換することであり、さらに今使っているバージョンはジャパニメ嫌悪症患者向けに心療内科から提供されたということだ。俺を病気扱いするのか!


 この国は今やジャパニメであふれかえっている。子供が物心ついたらまずやることは、ペンネームを決めること。義務教育にジャパニメが入り、小学校ではキャラの描き方を、中学校ではコミックの作画を習わされる。高校に上がればいよいよジャパニメ制作実習というわけだ。有名なジャパニメクリエイターが教授をやっている大学に学生は殺到している。こうなったのも工業で諸外国に追い抜かれた結果、政府がジャパニメを国策輸出産業に決めたからだ。確かに今の経済はジャパニメのおかげで回っていることは事実であり認めざるを得ない。人気クリエイターが手掛けたジャパニメは世界中から莫大な金をかき集めてくる。


 だが、食えればいいのか? こんなもの、俺には生理的に耐えられない。異様にでかい目、頭蓋骨の中にどう収まるっていうんだ。緑やオレンジの髪、どこの人間だ、宇宙人か。鼻の穴はどこにいったんだ。こんな異様な代物を好む連中の気が知れない。


 俺は電車に乗って会社に向かう。車内のディスプレイにもジャパニメは映っているが、VRコンタクトが作動して、我が尊敬する実写映画監督の実写3D映像に置換している。目を他によければ、ジャパニメイベントの広告だ。何十人ものジャパニメキャラの顔を、VRコンタクトは見事に監督の顔だらけに置換してくれた。大丈夫だ。


 混雑した車内、他の乗客たちはおそらくVRコンタクトの力で互いをジャパニメの世界に置換しているのだろう。想像するだにおぞましい。頭を振って、浮かびかけた気持ち悪いイメージを振り払う。


 駅に着いた。人の流れに乗って吐き出され、ぶつかりそうな距離で歩きながら会社に向かう。この国は人と人が近すぎる。だからだろうか、人でなしの化け物みたいなジャパニメが好まれるのは。そんなのは逃げだ。


 壁の広告に、超大型テレビに、シャツの背中に、そこかしこにいる無数のジャパニメキャラをやり過ごして、会社にたどり着いた。


 俺がこの会社を選んだのは、今どき珍しくジャパニメを扱わない商売だからだ。そうだ、生身の人間でなければ嫌だという人間は今でもいる。この会社では、そうした顧客相手に人間の俳優が演じる実写映画を提供している。かつては主流だったはずなのに今ではマイナー扱いだが、それでもいい。本物の芸術を扱えるのだから。


 気を付けないと、実写映画のふりをしたフルCG映画が混入してくる。そんな偽物は実写映画ファンに提供できない。だが、俺の目はごまかせないから安心だ。フルCGも、この国で作られたものなら、一目見るだけで俺は気持ち悪くなるのだ。


 机に座り、デスクトップコンピュータを相手に仕事を始める。あちこちから送られてきたサンプル映像をチェックして本物の実写映像をより分けていると、ディスプレイに社長からのチャットメッセージがポップした。急いできてほしいそうだ。


 小さな会社の小さな社長室に入ると、でかい図体で大きな圧迫感の社長とスーツの男性客がいた。VRコンタクトが登録データを検知して、社長を我が尊敬する監督に三次元映像置換する。本当にVRコンタクトは便利だ。


 社長は用件を説明した。来客の男も隣でにこにこしながら聞いている。

「お前もよく知っているだろうが、実写映画反対の声がうるさくなってきた」

「ええ、はい、最近はデモも激しくなってきて、国会前でフィルムを焼いたのは絶対に許せないです」

「実はな、あのデモが民意を動かしたそうでな、いよいよ法案が通ってしまう方向でまとまったそうだ」

「なんですって、まさか、実写映画規制法が? でたらめな糞法案じゃないですか、子供向けの実写映画しか撮れなくなりますよ! 表現の自由はどうなったんですか、反対運動を進めていた監督同盟は」

「実写は生々しすぎて不健全な影響力が強いんだとよ」

「馬鹿な、実写が生々しいのは当たり前」


 そこで客が口を挟んだ。

「まったく愚かな話です。そこで我らが聡明なる大統領は決めました、偉大なる実写映画国家を建設します。監督同盟は全員亡命させます」


 社長も困り顔で言う。

「うちの会社もこのままじゃ潰れちまうんでな。偉大なる建設に協力することにした。実写映画の流通配信ルートをうちで担わせてもらう」


 俺は息をのんだ。

「しかし、今度の法案では流通も禁止されるのでは。密輸」

「おっと、そこまでにしとけ」


 俺は胸が熱くなった。密輸、違法行為、いいじゃないか、表現の自由を守る戦士になるのだ。実写映画の未来を俺が救う。


 そこで、ふと胸に疑問が浮かんだ。社長はなぜこの話を俺に。どうして来客に会わせた。


 客がにこにこしながら言う。

「偉大なる実写映画国家のジャパニメ汚染は許されません。完璧に除去します。そのために、ジャパニメを見分ける目が必要なのです」


 社長がのんびりと言う。

「長期出向ってやつだ。まあ、しっかりやってこい。こっちの仕事は心配しなくていいぞ。実写映画だけの国だ、夢みたいだろ」

「待ってください、俺に何をやらせる気ですか、検閲ですか、俺はジャパニメを一目見るだけで吐き気が」


 客がニコニコしながら言う。その眼はまったく笑っていない。

「その目でひとつ残らずジャパニメを見つけてください。ジャパニメを我が国から完全に消し去ってしまえば、あなたの任務も完了します」


 俺は社長室から逃げ出そうとした。とたんに、VRコンタクトの視界をジャパニメが覆った。俺は瞬間的にこみ上げてきた強い吐き気に思わず膝をつく。振り返る。そこには大きな目とカラフル髪で二次元輪郭の社長と客がいた。眩暈がして立ち上がれない。このVRコンタクトはおかしくなっている。助けてくれ。


 客が告げる。

「そのVRコンタクトのアプリはわが国で開発したものです。社長の言うとおり、あなたはジャパニメの検知に適任であることが分かりました。我が国民に検知を任せると、ジャパニメ汚染される危険性が大きいです。あなたのように、ジャパニメを検知でき、心から嫌悪している者を求めています」


 俺の口から吐しゃ物があふれ出て床を汚す。苦しくて動けない。なんとか声を絞り出す。

「嘘だ、こんなの、ジャパニメかよ」

「ジャパニメじゃない、本当のことだ」


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