第2話 赤ちゃんリーマン


 一瞬だけ途切れた意識は、すぐに呼び覚まされた。


「この子が、我がフローレン侯爵こうしゃく家の長女、リリアだ!」


 興奮気味な男性の声によって。


 ぼくは死んだ?

 いや、目の前、というか真下にいる男がこちらを喜色満面で見つめている事から助かったのか?

 なぜ、成人男性に『高い高ーい』なんかされているんだ。

 電車はどうした? というか、首が痛い。


「しかも、見るんだキャトリン! この子の髪と目の色を! 漆黒だぞ!」


 そう叫んでは、ベッドで浅い息をしている顔色の悪い女性にボクを近づける男性。というか、ボクはこの男に胴を掴まれている……だとすると、今の自分のサイズが小さい?


 まさか電車との衝突で、身体がバラバラに!?



「この国で黒髪黒目の女の子が生まれるなんて、魔導の先駆者……『夜皇の漆黒姫』以来じゃないか! 黒色を宿すこの子は、偉大な魔導士になるに違いない!」


「リディロア、興奮しすぎですよ。赤ちゃん……リリアがおびえてしまうわ。それに生まれたばかりなのだから、そんな風に乱暴にしないで丁寧に抱っこしてちょうだい。赤子は首がすわっていませんことよ」


 キャトリンと呼ばれた女性は、ボクを慈しむような微笑みを以って男を静かにさせた。しかし、リディロアという名の男は未だボクを放そうとしない。それどころか、顔をどんどん近付けてくる。



「やっぱり、我がフローレン家とディール家の血筋、私達の魔力を受け継ぐ子供たちは将来有望な子ばかりだ」


 彼の造形は目を見張る程、良く整っていた。

 流れる白銀の髪はどんな宝石よりも美しく輝き、角ばった形の良いあごは男らしさを象徴する力強さを感じさせた。

 そして何より、月明りのように静かな煌めきを放つ蒼みがかった銀の双眸。

 そう、眉目秀麗な男前の顔が、みるみるボクに接近してくる。


「パパだぞ~」


 う、やめてくれ。

 それ以上、その美青年顔でボクを追い詰めないでくれ。

 フラッシュバックする、イケメン大学生たちの歪んだ笑顔。


 怖気が全身を走り、男の顔を見るに堪えれなくなったボクは無我夢中で暴れる。



「おぎゃぁ、おぎゃあああ、おぎゃああ!」


 やめ、やめてくれええ! 近づくなぁああ!



「おお、元気でちゅね~」


 死の感触が、存在がなくなり無に帰すのではないかという記憶が、再びボクの脳裏を埋め尽くす。



「おぎゃああ! おぎゃあああ!」


 パニック。

 なんで、しゃべれない!?

 どうして、『おぎゃあ』しか声が出せないんだ!

 まさか、パパさんプレイが大好きなこの変態青年に舌を引きぬかれた!?


「たくさん泣くのでしゅね~」


 文字通り、ボクは恐怖のあまり泣き続けた。




 結果的に言うと、ボクはどうやら生まれ変わったらしい。

 名前はリリア・ノイシュ・フローレン。


 そして散々、美形パワーでボクを苦しめ抜いたパパ、というかリディロアやママであるキャトリンの会話を聞くに、フローレン侯爵こうしゃく家という大層なお家柄の子らしい。


 さらに驚くべき事だけど、この世界では魔法が存在するようだ。そしてリディロアはボクの魔法的素質にいたく期待を寄せている。口を開けば、やれ未来の大魔導士だ、ナントカ漆黒姫だなんだってハイテンションで迫ってくる。



 口ぶりからして、この世界では強い魔力を持つ者が勝者だそうだ。

 フローレン家も例に漏れず、凄まじい魔力を持った家系だそうで。


 ちなみに、ボクには既に魔力方面では優秀な兄が二人いるっぽい。

 リディロアは息子自慢も凄まじければ、ボクに対する顔の距離も凄まじく、苦痛ものだった。



 電車にひかれて死んだと思ったら、別の世界に転生か。

 まったく、アニメみたいな展開だけど、実際に自分の身にふりかかっている以上、受け止めていくしかない。


 だけども、やっぱり溢れ出る悲しみは止められない。

 日本に残してきた未練は多い。

 家族、友人、愛犬チョコ丸、そしてまだ見ぬ未来の彼女。


 だからしばらくは赤ちゃんの身分をいい事に、思いっきり泣き続けていた。

 そして疲れ果て、キャトリンさんの胸から栄養摂取をして眠りに付く日々を繰り返した。


 あのボリューミィで全てを包み込む柔らかな双丘は、俺の空腹と心を満たしまどろみへと誘う。社畜時代に染みついた疲れを溶かすように、俺は何度もそのマシュマロを堪能し、コレがばぶみとやらなんだろうなと内心で感謝しながら毎度癒されていた。


 そんな日常を過ごすうちに思った。

 この生活も悪くない、と。


 確かに赤子でいるのは退屈極まりない。

 一日中、寝てるだけ。

 やれることも寝返りをうつか、『おぎゃあ』と空腹を訴えるのみ。

 食って寝生活だ。


 だけども、なんだろう。

 このまったりとした時間の流れは心地よかった。まるでぬるま湯に浸りながら、昼寝をする気分だ。

 毎日毎日ノルマに追われ、責任に追われ、夜遅くまであくせくと労働に縛られる人生、そんな前世での生活から開放されたと思えば、転生も悪くはないように思えた。


 無理矢理、そう納得しようとしているだけなのかもしれないけど、生まれ変わって早一カ月、一応は気持ちの整理はつき始めていた。


 

 ただ、一つ。

 問題があるとすれば、重要なモノが消失していた。

 それがナニかと言えば……男の象徴であるナニだった。


 そう、ボクは女の子になってしまったのだ。

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