演じる一コマ 〜一コマシリーズ7
阪木洋一
踊り場
「…………ぬぅ」
放課後のことである。
体育館の舞台袖にて、
顔色はよくないと言うより、ほとんど土気色。
普段はシャキッと伸びている背筋も、今は無気力にうなだれ気味である。
それもこれも、
「なんで、オレが、こんな格好……」
ちょっとハネ気味のくせっ毛にヘッドドレスと、前髪には愛用のヘアピン。
黒地のブラウスにロングスカート、フリフリの白のエプロン。
手には真新しいモップ。
薄化粧を施した線の細い顔立ちは、西洋の侍女といっても遜色はないが。
この侍女が、今の陽太である。
つまり、女装である。
「ヨータ、顔を上げよ。ここまで来たら、もう引き下がれぬぞ」
「平坂くん、こればかりは、あなたにしか出来ないことよ」
我が部の部長でありクラスメートの
声音にこそ切実な響きがあるものの。
――姫神はニヤニヤと半笑いであり、戌井は冷静に見えて肩を震わせているのがわかった。
「オメェら、ぜっっったいに、楽しんでいるな?」
「そんなことはない、ぞ。我は決して、ヨータの、今の、出で立ちが……ぷっ……似合いすぎている、と、思っているわけでは……ぶふーっ」
「あからさまに吹き出してるぞ姫神」
「落ち着いて平坂くん。私はうちの弟でそういうのを見慣れているし、何度かコーディングも手伝ったことがあるから、しっかりとサポートできるわ」
「それもそれで問題だな戌井。大丈夫かおまえの弟」
「まあ……お主も言いたいことはいろいろあるじゃろうが。校内で困っている生徒や、町の人々を助けるのが、我が部の本懐ぞ。それをわかった上で、お主も我が部に入ったのじゃろ?」
「…………わかってんよ」
姫神部長に窘められ、陽太は渋々頷く。
――先日、演劇部に助っ人を頼まれた。
定期的に行われる講演会で、役を演じる予定の生徒が怪我で出られなくなった、というのはよく聞く話で、その代役の依頼がこちらにまわってきた。
役柄は、凛々しくてある程度のアクションもこなせる敏腕家政婦。
運動神経がよくて、身長が最低百六十センチは欲しいという条件から、部の人材でいうと、
その講演会の予定日、鈴木は別の案件で
部内の残りの女子である姫神部長および戌井は、両者とも百五十センチにも満たない小柄で、しかも運動音痴と言うことで。
残念ながら人材が見あたらず、依頼は見送りになるかと思われたが。
『仕方あるまい。ヨータ、お主の出番じゃ』
身長百六十五センチで、運動神経はそこそこ良く、何よりも女の子みたいな中性的な容姿もあってか、陽太に白羽の矢が立ったのであった。
『なんでオレがっ!?』
もちろん、陽太は即座に抗議したのだが。
『ヨータ、デキる男とはのう、どんな役も演じられることを言うのじゃ』
『それ、今考えただろ!?』
『熟練の舞台俳優さんも、きちんとした稽古を経て女性を演じるケースを聞いたことがあるわよ』
『そ、そうは言っても、なぁ……!』
『ふむ、お主もここでスタァになれば、また一つ男を上げられると思ったのじゃ。お主の恋路のためにも』
『こ、
『む? 好恵嬢のことは一言も言ってないのじゃが』
『ぐ……ぬぬぬぬぬ……!』
『部長の勘ぐりはともかく、いざという時の思い切りと自信をつけるという点では効果的だと思うわよ』
『…………』
とまあ、二人に言いくるめられて、ほとんど渋々といった状態で依頼を請け負って。
やるからには真剣に取り組む陽太なので、一週間の稽古もしっかりとこなして。
今、この時に至る。
「さあ、もうすぐ出番じゃ、やれるな、ヨータ」
「…………」
緊張はするし、羞恥心もあるが、その辺は割り切りだ。
ここは、腹を括るしかない。
「よし……」
深呼吸。
頭の中を一度、クリアにして。
お仕事スイッチ、オン。
「――行きますわよっ」
血の滲むような発声練習で習得した、ボイスチェンジも大丈夫。
完璧とは言わずとも、ボーイソプラノにまでは到達できたはず。
「ぷふっ、そこまで、やらなくても、よかったと思うんじゃが……く、はっはっは」
「ある意味、才能よね。アイドルやってるうちの弟や王子くんにも見せてあげたいくらい」
「やかましいわっ!」
吹き出す姫神部長と呆然となる戌井が好き放題言うのに、一瞬で素の声に戻ってしまったが、気を取り直して咳払い。
もう一度スイッチをオンにして、陽太は声を切り替え、
「黙って見てなさい。完璧な敏腕侍女を、見せてあげますわ!」
二人を指さし、高らかに宣言した。
「平坂くん、スタンバイ」
ややあって、舞台裏方の演劇部員のお呼びがかかる。
さあ、出番だ。
モップを両手に、陽太はキビキビとした足取りで舞台へと出る。
スポットライトが女装の陽太を照らすと同時、おおっとした声が観客席からあがる。
――誰だ、あの娘?
――こんな娘、学校にいたっけ?
――見たことないぞ。
――つか、可愛くね?
――やっべ、めっちゃタイプだ。
そんなざわめきが聞こえるが、これは想定内。
演劇部員や、我が部のヤツラから散々な視線攻撃にも耐えた今、こんなノイズなど、ものの数では――
「――――!?」
そこで、陽太は気付いた。
その、観客席の、最前列に。
……好恵、先輩!?
陽太の、意中の先輩である女生徒が居た。
おさげの髪と、ちょっと丸みの帯びた顔、ぼんやりと眠そうな半目――そしてなおかつ、
――陽太くん。
そのように動いた唇は、もはや間違いない。
まさか、見に来ているとは思わなかった。
しかも最前列。
動揺する。
覚えた台詞が、全て飛んでいきそうになる。
何より、こんな、女装を、彼女に見られてしまうなどと、顔から火が出そうになって――
――がんばって。
「!」
自分の名を、呼ぶのに次いで。
彼女の唇が、そのように動いたのが、陽太にはハッキリと見えた。
だからこそ。
己の動揺を全力でねじ伏せ、心身に活を入れ、どうにか覚えた台詞を脳に引っ張り出して。
第一声。
「↓おかえりなさいませ、旦那様」
――習得したボイスチェンジを、忘れたままの台詞になってしまった。
女の子の見た目の侍女から、やたら低目の男声が出てきたのに。
観客席からは、大きなどよめきが起こった。
「お疲れさまでーす」
「おつカレー」
で。
一つだけミスがあったものの、講演は無事成功で終了した。
着替えが終わって演劇部の部室で点呼を取り、成功もあって緩やかな雰囲気のまま解散となったのだが。
「…………」
鷹揚とした演劇部の空気の中で、一人、助っ人の陽太だけは沈んでいた。
部屋の隅っこで膝を抱えるとかそういう重いものではないのだが、明らかに表情は優れない。
理由は、言わずもがな。
「平坂、そんなに落ち込むな。ミスったのは最初だけだろ。あとは結構上手くやれてたぞ」
そんな陽太に、演劇部部長の
「ほとんど、ヤケみたいなもんッスよ。慰めは無用ッス」
「いいや、本心だよ。平坂が良ければ、また助っ人をお願いしたいくらいだ」
「……え、そ、そッスか?」
「なんなら、正式な入部だって歓迎する。ウチは掛け持ちOKだしな」
「ん……まあ、助っ人だけで、いいッス」
「そっか。そんじゃ、今度はもっと可憐な女の子の役を」
「それは勘弁してくださいっ!?」
「冗談はともかくだ。これから皆でファミレスで打ち上げに行くから、平坂くんも来なよ。奢るぞ」
「あ、はい……ええと、ウチの部に寄ってからでいいッスか?」
「もちろん。今回協力してくれた姫神さんと戌井さんも呼んでこい。打ち上げの場所はスマホで教えとくから」
「お、おお。ありがとうございます」
「じゃあ、また後でな」
緩やかなやりとりを経て、堂下先輩や演劇部の人達と別れる。
明るく気さくな彼と話すことで、陽太の沈みがちな気はいくつか紛れていった。こういう気遣いの出来るところは、流石は演劇部の部長といったところか。
演技指導から精神的なケアまで結構お世話になったので、後日、彼には何らかの形でお礼をしたいなと思いつつ、陽太は自分の部のある部室に向かおうと、階段を降りたところ。
「……陽太くん」
その階段の踊り場に、陽太の意中の先輩である女生徒、
「こ、好恵先輩。どうして」
「……探してたの。陽太くんに、会いたくて」
「――――」
会いたくて、という言葉に、陽太は息が詰まる思いだった。
この人は時たま、どうしてこんなにも無防備なのだろう。
うれしい反面、ちょっと不安になったりもしたが、ここは平静に。
「えっと。好恵先輩、演劇部の講演会、来てくれてたんスね」
「……うん。陽太くんが助っ人で出るって、姫ちゃんから聞いてて」
「アイツ……」
「……ただ、陽太くん、女の子の役っていうのは、聞いてなかったんだけど。一目で、わかったよ」
「あ、は、はは……いや、恥ずかしいところ、見せちゃったッスね。台詞もミスっちゃったし」
「……ううん、しっかり役をこなせていたと思うよ。それに」
好恵先輩、一つ首を振って。
小さく、笑みを浮かべながら、
「――とても、可愛らしかったよ?」
「……………………」
男として、それは褒め言葉と受け取っていいのかどうか、陽太は悩んだのだが。
彼女のほわほわとした空気を見るに、褒め言葉なのだろう。
そう解釈して、陽太は胸のつかえが取れた気分だった。
「ありがと、好恵先輩。嬉しいッス」
「……う、うん」
「でもやっぱ、女の子は懲り懲りッスね」
「……え? ……とても、似合ってたのに?」
「う……で、でも、それを言うなら好恵先輩、もし劇で男の子を演じろと言われたら、どうするんスか?」
「……それが必要なら、わたしは、別に大丈夫だよ」
「ま、マジっすか!?」
「……うん。例えば、わたしが演じるとすると――」
好恵先輩、少し思案を巡らせる。
わりと真剣に考えている様子なので、陽太が『いや、冗談ですので、そこまで考えなくても』と声をかけようとしたところ。
「……え?」
――ふと、無言で、好恵先輩は、陽太の肩を押した。
不意打ちだったので、陽太は少し足を後ろによろめかせて、階段の踊り場の壁を背にした直後。
ドン! と。
陽太の立つ両側の背後の壁を、それぞれの手で突いて。
好恵先輩、普段のぼんやりした顔を少しキリッとさせて、こちらを真正面から見据えて、
「……おれのものに、なれよ」
「!!!???」
陽太、壁を背にしながら、どこからかゴトリと言う音が鳴るのを感じながら、
「キャ、キャ――――――――ッ!?」
習得したボイスチェンジで、悲鳴を上げてしまった。
「……そこまで、驚かなくても」
「い、い、いや、こ、好恵先輩、どこでそんなの覚えちゃったの!?」
「……
「いぃっ!?
「……えっと、男の子の演技、上手じゃなかった?」
「え、あ、いや、上手とかそういう問題じゃ……つか、先輩、近い近い近い!?」
「…………」
「好恵先輩、なんでそこで黙るんスか!?」
未だに壁に手を突いたまま、好恵先輩は、ちょっと熱っぽい瞳でこちらを見つめてくる。好恵先輩との身長差は五、六センチくらいのため、目線の位置もほぼ一緒。
ここまでの条件下となれば、陽太の脳は沸騰寸前となり、いい知れない感覚が体中を支配するのも必然である。
これは、良くない。
いや、良くないことはないというかむしろ大歓迎だけど、非常に良くない(意味不明)というか、このシチュエーション、男女逆じゃね? 逆じゃね? 本当ならオレの方が好恵先輩を……ダメだ、そこまでする自信がねェ……演技とはいえ、好恵先輩がオレにこれをするって、オレ、そんなに女子っぽいの? 男としてどうなんだ、オレ……って、考えてる場合じゃねェ。どうすんのこれ!? どうすんの!? どうなっちゃうの!?
と、陽太、次から次に溢れてくる思考の奔流に翻弄されていたところで、
「なんじゃ、今の絹の切り裂くような悲鳴は」
「どこかで聞いたような声ね」
階段の踊り場の下から、二人の女生徒の声が聞こえた。
――姫神部長と、戌井だ。
頭の冷静な部分が声の主を読みとるも、陽太の動揺はさらに加速する。
こんなところを、二人に見られたら――
「あ」
「あ」
と、懸念も虚しく、姫神部長と戌井は、こちらに気付いたようだった。
――我が部とは結構親交のある女生徒である小森好恵が、平坂陽太を壁ドンしている図を見て。
二人の小柄な女生徒は、少々頬を赤くして、目を丸くしつつ。
その後にお互いに頷きあって。
何故か、その場で、正座した。
「――ちょっと詳しく」
「――最初からやってもらえる?」
「やんねーよっ!?」
目を輝かせながら促してくる二人に、陽太はツッコミを入れるのだが。
「……お、おれのものに、なれよ」
「好恵先輩、無理にやらなくていいッス!?」
顔を真っ赤にしつつ律儀にリスタートする好恵先輩を、流石に陽太は力尽くで止めに入った。
「はぁ~~~~……」
そんなこんなで。
この場が散会になった後で、陽太は長い息を吐く。
いやはや、まったく。
意中の先輩にここまでさせてしまうとは、まだまだ、自分の男らしさは足りてないと感じざるを得ない。
もっと、自分を高めないとな。
そのように、陽太は改めて決意を新たにするのだった。
……わりと得した気分だ、という気持ちについては、頭の片隅に追いやりつつ。
☆ ★ ☆ ★ ☆ ★
「んじゃ……オレはこれにて。また明日ッス、好恵先輩」
「……うん、ばいばい、陽太くん。また明日」
この後、演劇部の打ち上げに参加するという、陽太くんと別れて。
その背中を、見送りながら。
「……キス、したかったな」
彼女から、ほんの小さく漏れた呟きは、誰にも聞こえていない。
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