睡魔
彼方
微睡の中で
寝れない!(なぜ?)寝れない!(わー)眠たいときになんで寝れない!
そんな歌があった。まさしくいまの僕である。
寝れない。目を閉じて待ってみても、一向に意識が落ちない。眠気がないわけではないので、暇を潰そうにも頭が働かないからなにもできない。じゃあスマホでも見るか、と思ったが充電がなかった。結局おしゃれな文鎮と化したスマホを放り出して、ただ目を瞑るばかりである。
目を瞑ってぼんやりしていると、無駄な雑念がどこからか湧き出してくる。こうなると思考が活性化してますます眠れなくなる。羊を数えてみてもその羊の頭がCYRIAK的展開を見せて踊りだしたりするから手に負えない。万策尽きた僕はやけのやんぱちで
(睡魔よわたしを眠らせろ)
と唱えてみた。すると
(はい、いいですよ)
と返事があった。妄想もここまでくると病気である。病院行こうかな。
(確かにわたしは概念的な存在ですが、少なくともあなたの妄想ではないです。微睡んでいるあなたの波長が理想的だったので入り込めました)
なんと会話が成立した。驚くべき想像力である。
(ですから妄想ではないのですが……そうですね、何か落ち着いたところを想像してみてください。そうだ、先程羊を数えていた牧場がありましたね)
なんと、妄想に妄想を要求された(だから妄想じゃないですって)。とはいえ断る理由もないので、牧歌的で、緑的な、牧場の妄想をぽわぽわと浮かべてみる。すると先程まで羊がいた草原に、綺麗な女性が立っていた。
緑の草原に、健康的な白いワンピースが映えている。落ち着いていて清楚な雰囲気を醸し出しながら、どことなく妖艶さを感じるのは、淫魔的な尻尾と角が生えているからだろうか。
(わたしは睡魔、紀元前の昔から、ヒトが生まれたそのときから人の側で貴方たちに眠りを与え続けた存在。貴方の呼びかけに応えて、自我を持たぬ概念の意識体から顕在化してきました)
これが睡魔か。思ったより綺麗な人で驚いたな。
(私の容姿はあなたの想像、つまりあなたの認識に依存しています。睡「魔」という名称と睡眠のリラックスしたイメージから、女性的で、それも小悪魔的な連想をしたのでしょう)
しかし私にとっても意外なことだったのだが。
(深層心理がそれを望んでいたということでしょう。納得しがたいのであれば、あなたの性癖から推論できる一つの仮説を披露いたしましょうか?)
納得しました。
(よろしい、ふふ、いままで人間と会話したことがなかったから新鮮な経験です)
あれ?でも昔から人の側にいたんじゃなかった?
(概念としてはそうですが、厳密に言えばわたし自体は貴方に呼び出された時から存在しています。つまり時間軸上の記憶の中に存在している状態とは別に、生身の精神体と話した現在を持ったのはいまが初めてということです。とはいっても昔から生きていた概念としてのわたしといまのわたしは別というわけでもなくて、やはり認識としてのわたしは同一性を保った同じ実体なのですが)
ちょっとよくわからなかったかもしれない。
(つまり、あなたと話すために生み出されたということです。だから、あなたと話すのは新鮮でとても楽しい。わたしはあなたのために作られた存在)
……ところで、君は睡魔なんだろ?僕を眠らせることはできるのかな?
(ああ、話すのが楽しくて忘れていました。もちろんできますよ。ただ、ひとつお願いがあるのです)
願い、かい?
(わたしは、貴方のために生み出された存在。貴方しか知らない。貴方がいなくなってしまったら、消えてしまう。だから、貴方の心の中にわたしを残してほしいのです)
そんなことができるのか。
(できます。貴方が元々持っている「睡魔」というフレームをわたしという存在で拡張するのです。そういう形に貴方の中にある主語をカテゴライズする。つまりあなたの認識にわたしが後天的に加わることで、わたしと貴方の間に切れることのない絆ができる。あなたにわたしが吸収同化され、精神の根源でふたりの意識がひとつになるのです)
要するに二重人格みたいなものか。ちょっと怖い話だね。
(でも、貴方は本当に怖がっているわけではないでしょう?むしろ、わたしと一つになれることを喜んでいる)
……どうしてそう言い切れる?
「だってわたしは、貴方の理想だから」
いつのまにか牧場の草原に立っていた僕に、彼女はそう言って微笑んだ。
それから暫く、僕と睡魔の奇妙な共同生活は続いた。一つの肉体に二つの人格、心が深いところで結合している確かな感覚。つながった彼女は細かな感情の機微まで精緻に把握してくれる絶対的な僕の理解者だ。夜ごと訪れる至福の時。たまにはやる気の出ない昼下がりに現れて、僕を励ましてくれることもあった。
彼女は理想の話し相手で、理想の友達で、そして理想の異性だった。夢の中は彼女の世界だ。彼女はなんでも作り出してくれたから、デートの場所に困ることはなかった。宮殿のような豪邸。息をのむ秘境の美しさ。南極に広がる白銀の世界。荘厳な霊山の光景。人類には決してみることのできない宇宙の果て。多次元空間。特に彼女が好きだったのは、はじめて会った牧場の草原だった。風になびかれて揺れる黒髪。ここでの彼女はとても楽しそうで、そして文句なしに美しかった。
しかし、そんな蜜月のときにも終わりが訪れる。わたしは唐突に気づいてしまったのだ。
この世界が夢である、という事実に。
「この夢から出たい、ですか?」
そうだ。
いつものように夢の中で彼女に会った僕は「大事な話がある」と言って、彼女をあの草原に呼び出していた。これは彼女の力を使わず、自分でイメージしたものだ。
今回ばかりは、彼女に主導権を握られたくなかった。
ここ数ヶ月、昼の世界に関する記憶が極端に少ない。そしてそれを、つい最近まで不思議に思うこともなかったのだ。それから思い起こしてみると、記憶に断片的なところや、不整合な点があまりに多すぎることに気付いた。
例えば人だ。思い返そうとしても店員のような記号化された事務員とのやりとりばかりで、個人と触れ合った記憶がまったくない。また、その事務員にしても、妙に人間味がなくて、人それぞれの特徴を思い出せない。言うなれば全員デフォルトキャラクターのオープンワールドゲームをプレイしているようなものだ。
ここまでの僕の思考を読み取った彼女は、眉を潜め、いつにない険しい表情で、絞り出すように話し出した。彼女が本当に残念がっているのが、詰めの甘さを悔やんでいるのがわたしの心にまで伝わってきて、こちらまで陰鬱な気持ちにさせられる。
「……認識改変が甘かったようですね。わたしのことだけを考えるように、貴方が意識を私に向け続けるようにコントロールできれば、貴方を永遠につなぎとめておけると思ったのに」
やっぱりそうなのか。なら結論は一つだ。僕は元の世界に戻りたい。
「元の世界?わたしのいない、客観的世界のことですか?」
どういう意味だ?
「たとえここが夢であったとしても、これは貴方が見ている主観的な光景であり、この世界は貴方にとっての真実となりえます。実在性という、我々精神体にとっては何の意味もない定義に従えば客観的現実に対するこの世界は仮称であり、まやかしの世界である、とすることもできますが、貴方が感じているこの現在は、リアルな感覚を持った実体験という意味で、客観的世界になんら劣ることはありません。それは我々知性体自体が元々、客観的世界から得た感覚情報を、意識というコンバーターを通して我々の自意識――つまり、主観的世界に変換、反映しながら生活しているからです。客観的事実がどうであれ、貴方にとっては夢のいまも現実のいまも同じいまであることに変わりはないのです。仮称を看破できるのは微睡みから覚めた後のことであり、夢に夢であったと気づくのは覚めてからのことです。そして、わたしは夢を永遠に保つことができる」
何を言っているのかよくわからないが。なんと言おうと夢は夢だ。私は偽物の世界で永遠を過ごしたくない。ここから出してくれ!
余裕のなさを隠しきれず、思わず語気を荒げてしまう。そんな僕を見上げて、彼女はすべてを見透かしたような微笑みを浮かべてこう告げる。
「……本当に帰りたいの?」
そうだ!僕は現実の世界に帰りたい!
「そうかしら?貴方はまだ迷っている。確かに昔のあなたなら、夢より現実のほうがいい、と即答できたかもしれない。でも、いまの貴方は違う。わたしとつながる歓びを知ってしまったから。あなたは内心、わたしとのつながりを失って、怠惰で平凡な日常に引き戻されるのが怖くて、それを認めたくないから強がりを言っている」
……違う!僕は本当に帰りたいんだ!
「わたしと貴方の繋がりは深い。わたしにウソはつけないことは、貴方が一番わかっていることでしょう?そして、わたしがあなたのことを本当に想い、愛していることも」
でも、でも、お前も結局僕のために作られた存在じゃないか!依り代で、まやかしで、人間じゃない!その感情も、存在も本物じゃない!
「ええそうよ。わたしはほんものじゃない。それに何の問題があるの?」
思わず激昂してしまった僕に、歪んだ笑みと、歪んだ愛で応えた彼女。(わたしとひとつになりましょう?そうすれば気持ちも落ち着くから)思念を飛ばし、わたしのほうににじりよってくる。あれにつかまれば、わたしという存在が根底から崩されると直感した。すべてにおいて、わたしを凌駕している存在。二重人格などという軽いものではなかった。私はあのとき、悪魔を自らの中に引き入れたのだ。そしていま、その悪魔は哀れな犠牲者に、軽率な行動に対する報いを与えるのだ。愛という美しい刃で。私の心を奪い去って。ああもうすぐ、わたしの目の前に。愛しい彼と一つに……あと五歩、四歩、三歩……
う、うわああああああああああああああああああああああああああ!!!!
正気を取り戻した僕は、彼女を思いきり突き飛ばした。そのまま、肉体的ダメージというより、精神的なショックで動けなくなっている彼女を尻目に、彼女と逆方向に全速力で駆け出した。夢よ覚めろ覚めろ覚めろ覚めろ覚めろ覚めろ、と唱えながら。
走り続けながら、背後に激しい慟哭を聞いた(なんで?どうして?)。はじめて聞く、彼女の泣き声だ。それと同時に、のどかで牧歌的だった草原の風景が崩壊をはじめる。青い空は黒く暗転し、草は枯れ、風が吹き荒れ、動物は首を伸ばし体の各部位をフラクタルに曲げ伸ばししてCYRIAK的な展開を見せる。彼女を悲しませたことは堪えたが、なんとか立ち止まることは堪えた。彼女を否定する態度をはっきり示しつづけないと、彼女の支配から抜けでることはできない。
彼女を否定しながら、必死に走り続けていると、急に風が止んだ。思わず立ち止まってしまったわたしに、天の上から降ってくるような彼女の諦めたような声が響く。
(そんなに嫌なのね。それなら仕方ないわ。ひとまず、あなたは目覚めてもいい。
だけど、もしも……)
またわたしを受け入れるようなことがあったら、そのときは逃がさない。かすかに、そう聞こえた気がした――
「ん……?」
私は急激に現実に引き戻される。少し、うとうととしていたようだ。机の置き時計に目をやると、意識があった時刻から数時間ほど経過している。
このまま朝まで眠ってしまえばよかったのに、勿体ないことをした。夜明けは遠く、暇を潰そうにも寝ぼけた頭では思考も働かない。結局、何をするでもなくただ目を瞑る他になかった。
――睡魔が、私のもとに訪れてくれるのを期待しながら。
睡魔 彼方 @Crap
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