春色カプリチオ
藤枝志野
1
インターホンが鳴ると思い浮かぶのは、布団の訪問販売やら宗教の勧誘やら、まともに取り合うと時間だけ無駄になってしまうような相手ばかりだ。花粉症持ちには辛いこの時期――とは言え今日は雨降りだが――友人の誘いでも受けない限り、休日は極力自宅にこもることに決めている。そうすると忌々しい「ピンポーン」を聞かねばならない確率も増える。ということで今回も居留守を決め込み、俺は例の音をひたすらに無視してパソコンの画面と向き合っていた。
食い下がるように三回ほど鳴った後、インターホンは黙り込む。勝った勝った。俺は唇の端を吊り上げ――
「いやぁ、頑固やわ自分」
「どうぇい!!」
突然の声に、あぐらをかいたまま飛び上がった。
「なんやのそれ。もそっと面白く驚きぃな」
ノートパソコンを置いたちゃぶ台越し。身を乗り出すのは、三十代前後、サラリーマン風の身なりの男だ。
「だ、だだ、誰だっ」
「誰や言うてもなあ。ワシはワシやで」
うひひと笑うサラリーマン。と思えば、
「というかなァ、ピンポン押しとんのになんで出ぇへんねん、アホ! 濡れてしもたわ!」
ころっと表情を変えて食ってかかってきた。
「いやあの……あんた誰っすか」
「言うたやろ! ワシはワシや、サクちゃんや」
「――は?」
なんとまあふざけた輩ではないか。怒っている相手に、にへらにへらとニックネームを教える奴がどこにいる。
「サンちゃんやないで。サッちゃんでもないで。サクちゃんや! てかな、そう言う自分は誰やねん。あァ? 誰じゃい!!」
凄まじい剣幕と大阪弁の相乗効果に、
「え、遠藤です……遠藤悟」
こちらが下手に出てしまった。警察に通報だのなんだのという考えがすっ飛んでいく。
「……無断で入ってきて一体なんの用っすか」
「そうや。それや」
途端に花がほころぶような笑みを浮かべ、猫撫で声になるサクちゃん。
「自分とこにな、一晩泊めてくれたらええなぁ思て」
「――は?」
本日二回目の「は?」である。
「こないな雨やったらな、ワシ体壊してまうねん。一晩だけやさかい、ど――ぉうしても家ん中に入れてほしいんや」
「そんなの、あなたの家に引っ込んどきゃいい話でしょう」
「それがな、家ないねん」
呆れた。ホームレスが堂々と他人の家に上がって「一晩泊めろ」だなんて前代未聞だ。しかしサクちゃん、服も整っていて、路上で暮らしているとは思いがたい。
「お願いしますわホンマ。一生どころか十二生ぐらいのお願いやわ」
手をすり合わせて頭をペコペコするサクちゃん。お願いしますわ、泊めたら絶対ええことあるわ、な、な、とまくし立て、しまいには宗教の礼拝よろしくひれ伏しては起き上がりはじめた。
「あーもう、分かりました! 泊まって下さい! 泊めますから! 泊まれ!」
男二人、一日限りのむさ苦しい共同生活である。
×
とはいえ時刻は午後六時を過ぎている。土曜日は光熱費節約のため早く寝てしまうのが習慣なので、夕食をこしらえるべく狭い台所へ入った。
「何作ってくれるのーん?」
湯を沸かしつつ目をやると、サクちゃんはスーツを脱ぎ、薄桃色のネクタイも外している。よくもまあそんなにくつろげるものだ。
「カップ麺」
「はァ? もっと豪華なやつでけへんの」
「下手な手料理で腹壊すよりいいだろ」
「けったいやな。ぷぅ」
推定三十路の男が頬を膨らませても可愛くない。
「てか、なんや自分、一人暮らしのくせに料理せぇへんのか」
「悪いか」
「もう少しマシな生活したろーいう気があらへんのかいな。まったく最近の若者は……」
「うるさいと食わせないぞ」
ぎろりと睨みつつ言うと、サクちゃんは大人しく口をつぐんだ。
のろのろした足取りで熱湯入りの容器二つを運ぶ。サクちゃんが歓声をあげて手を叩いた。
「いやー、ええ匂いやな。ワシのどっち?」
「見りゃ分かるだろ。そっち」
途端にサクちゃんの顔の輝きが消える。
「……自分、本気か? 頭打ったんとちゃうか?」
「本気だよ」
そう言って手元に引き寄せるのは、あっさり地鶏ダシのこだわりちぢれ麺だ。対するサクちゃんの前にはベーシックタイプの小さな容器。
「……アカンわ。それはアカンわ」
「何が」
「客人にベーシックタイプ出すとか有り得へんわ」
「“客人”だ? どこの馬の骨とも分からないくせに偉そうだな、この、えせサラリーマン!」
「うわ! 自分、どないな口きいとんねん! こりゃ絶対に罰当たるで。見とき! そりゃもう見事にボーン当た――」
――きゅぐぐぐぅ。
俺を指差し大声をあげるサクちゃんの腹から、これまた大きな空腹のサインが轟いた。サクちゃんは力なく下ろした手で箸を握る。そして肩をすぼめて食べはじめた。
あっさり地鶏ダシのこだわりちぢれ麺を。
「やーァ、なんやのこれ! ばかうまやんけ! もうあれやな、カップ麺なめたらアカンな!」
肩を揺らして笑いつつがっつくサクちゃん。
俺はベーシックタイプのふたをのろのろと剥がしたのだった。
×
その後も大阪弁と標準語入り乱れての口論があったものの、なんとか就寝までこぎつけた。サクちゃんはピンクと白のボーダーのパジャマを着てはしゃいでいる。パジャマはもちろん俺が貸したものだ。
「お泊まりやで、お泊まり! やー、嬉しいわ」
「そんなに騒ぐなよ。彼氏の家に来た女子かよ」
「は? ワシが自分のコレ? 気色悪いこと言うなや!」
サクちゃんが右手の小指を立てて言った。
「誰もそんなこと言ってないし!」
「つか自分、彼女おるんか? もしかしておらへんの?」
「……お前には関係ないだろ」
「なァんや、けったいやな。つまらんさかい寝るで。ほな、お休み」
言うが早いか、サクちゃんは布団にくるまった。
「……お、お休み」
いささか急な展開に戸惑うものの、電気を消して畳の上に横になる。早くも響きはじめた大きないびきに背を向け、明日の朝もどうせうるさくなるだろうと考えているうちに眠りについた。
しかし、ひょっこり現れたサクちゃんは、ひょっこり姿を消してしまったのだ。
アラームで目を覚ましてすぐ、例のいびきが聞こえないことに気づいた。激しい雨音も止み、カーテンの外は明るい。体を起こして目をやると、隣の布団は丁寧に三つ折りにされている。
夜の間に消えるなんて、と俺は首をひねった。あいつならあいつらしく、騒がしく出て行くと思ったのに。
立ち上がり、ちゃぶ台の横を通ろうとして、
「ん?」
ちゃぶ台の上のメモに目が留まる。昨日はなかったものだ。筆跡にも見覚えがないが、誰が書いたかはすぐに分かる。
『 サクちゃんpresents★10000%当たる占い
健康運:ぼちぼち(=△=)
恋愛運:すっからかん(・w・)
勉強運:知らんがな(〜_〜)
ラッキースポット:近所の川 ←ごっつオススメ♡♡ 』
確率の桁といい顔文字といい、胡散臭さにあふれた占いである。しかし破って捨てる気にもなれず、小さく畳んで財布にしまった。
レポートの資料を探しに図書館へ行かなければならない。さっさと支度を済ませて外へ出た。自転車にまたがり、大通りへ出ようとしてやめる。あの占いには、近所の川がラッキースポットとして書かれていたはずだ。
「よし」
自転車の向きを変えて発進、まだ湿気の残る空気を切ってゆく。薬を飲み忘れたせいで、鼻水をすすりながらペダルを漕いだ。
それにしても、何が一体“オススメ♡♡”なのか。まさか川から可愛い女の子が現れて「私、遠藤君の彼女になりたい!」――など、どう転んでもあるはずがないのだ。
角を曲がり住宅街を抜けると、前方に橋が見えた。そこにサクちゃんの言う川があるのだが、特に変わったところはない。やっぱり占いはデタラメなのか。
近づいてみても川の水かさが増えているぐらいで、いつもと同じ光景がそこにあった。可愛い子もいない、川原の雑草も伸び放題、桜の木にも異状はない――
「……あれ?」
むくむくと違和感がわき起こる。
桜の様子は変わっていない――数日前に見た時から、何も変わっていない。おかしいではないか。昨日の荒れた天気にも関わらず、花が少しも散っていないのだ。まるで雨などなかったとでも言うかのように。
咲き誇る花に目を奪われ、気づけば自転車を止めていた。木の下に立って見ると、花々は日の光を受けて淡い金色に燃えているようだ。久々の花見もいいものだと見惚れていたが、しばらくして我に返る。時計を見ると図書館の開く時間は優に過ぎていた。桜に別れを告げようと再び上を向いた瞬間、
「どうぇい!!」
何かが勢いよく鼻先に落ちてきて、反射的に手が動いた。手に弾かれて宙を舞ったのは、なんとも色鮮やかな緑の芋虫。鳥肌が立つのを感じながら自転車へ戻る。
再び走りだした時だった。
――どや! 見事に当てたったで!
声が聞こえた気がして振り向くと、温かな風が一つ吹き抜けた。満開の桜が肩を揺らして笑っているかのようだった。
終
春色カプリチオ 藤枝志野 @shino_fjed
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