#9 “アラバマ”に返礼を

 翌日。

 原子力潜水艦の出航時間は、関係者以外には告知されない。軍役を離れた私には、もちろん知る由もないことだ。

 しかし、しかるべきコネクションを使えば、それを知ることはたいした苦労ではない。


 夕刻が近づく17時。

 私は真珠湾を見渡す埠頭にクルマでやってきた。ドアを明け、かぎなれた海風を胸に満たす。先ほどまでのスコールはやみ、西に傾いた日差しが世界をオレンジ色に染めていた。


 車の横に立つと、遠く湾の奥で、『USSアラバマ』が桟橋を離れ、出航してゆく様子が見えた。ハンターは、どんな言葉で年若い水兵たちを激励したろう? 私のようにがなりたてるのではなく、もっとスマートにやったに違いない。ハーバード出の癖に、若い連中の心をつかむのにけた男だった。


 アラバマが徐々に近づいてくる。

 水上に屹立する艦橋の上に、白い軍服を着た将校が数名立っている。恐らく艦長のハンターと、副長XO、そして航海長と先任将校だろう。何かを喋っているように見えるが、もちろんその声の聞こえる距離ではない。

 私は、この後輩が胸を張って太平洋に出てゆくのを見て安心した。この、ジャンクの時代に、世界平和を守るなど、ハリウッド映画のヒーローでも口にしないような陳腐な使命を抱えて、世界最強の兵器を持った男たちが海へ出てゆく。誰に知られることもない隠密航海に。しかしその存在こそが、世界の悪漢に重石となってのしかかるのだ。

 私のクルマの止まっている埠頭に近づいてきたアラバマ。きっと艦橋からも私の姿がみえていることだろう。

 と、突然上甲板の丸ハッチが開いた。そしてそこから白い水兵服セイラーを着込んだ水兵たちが、わらわらと現れた。はしごを上って次々に上甲板に出てくる。事故か、と思ったが彼らに焦りのそぶりはない。何事だろう。

 数十名。おそらく出航に際して手の空いた水兵たちが40名ほど、上甲板に一列に並んだ。真っ黒い潜水艦の上甲板に、真っ白なセイラー服が整列する様は、非常に美しい。


 遠く、艦橋からの号令がした。

 と、前を向いていた水兵たちは、回れ左をして、全員がこちらを向いた。そしてもう一回の号令で、彼ら全員が敬礼の姿勢をとった。USSアラバマの甲板上で、私のほうを向いたまま、数十人の水兵と艦橋上にいる将校たちが全員、私に向かって儀仗礼をして、私の前を通り過ぎて行った。


 私も、この平和の守り人たちに敬礼を返した。

 アラバマは、そうして、私の前を抜け、大洋に向かって走っていった。


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“アラバマ”に返礼を フカイ @fukai

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