後編

「墓にも来るな」

兼継の父がわたしに言ったことは、それだけだった。

「それでも来ちゃった」

二美が慰めるように明るい声を出す。

あの後、わたしは二美にだけ全てを話した。甘えているのだろうか、分からない。二美だけが、わたしと兼継のために壊れるように泣いた。

誰も振り返らないことの恐ろしさに、怯むことなく泣いてくれた。

「…誰のことも殺さないために、二美を呼んだのかもしれない」

「なぁに、それ」

二美は分からないような顔をする。でも、本当は切れるほど分かっているはずだ。だから、二美は友達の振りをして、兼継の葬式に出て墓の場所まで聞き出してくれた。わたしはそのどれもできなかった。

「二美、この世界がわたしたちを裁いたように、わたしも同じように裁いて、同じように殺してやりたいって思うよ」

「うん。あたしも尊治なら、そう思ったよ」

愛しているという事実だけで、わたしたちは強くなれると思っていた。生きていけるだろうと、信じていた。

わたしたちの輪郭を、この社会は嗤うだけでは飽き足らず、ギロチンにかけた。一緒に首を落としてやるならまだしも、十字架の重みを二重にして知らん顔をしている。

どうして、こんなに醜いんだろう。わたしたちを取り巻く社会も結婚も全てが醜く思える。こんな憎たらしい世界を、わたしは赦せる時が来るのだろうか。

「…あたしは嘘でもいいよ、欺瞞でもいい。私を好きにならなくても他に好きな人を作っても…尊治が傷つかないで済むなら、そのために結婚したってもいい。体裁だけはそれで守れるかもしれない。今すぐじゃなくてもいい、誰にも傷つけられずに生きていけるわ。もう傷ついて欲しくない」

わたしはこの時ほど、二美つぐみの愛情深さを感じたことはない。愛の専売特許は、男の中にあらず、女の中にのみあると言った人がいる。わたしは、わたしと同じように同性を愛して踏みつけられている男や女を前にして同じことは言ってやれない、してやれない。ただ一緒に踏まれてやることしかできない。自分の性と、その性に着せられる衣装と化粧を甘んじて受け入れることはできない。

「ありがとう。でも、それだけはどうしても駄目なんだ」

「どうして?」

二美は誤魔化しを許さない目を向ける。あぁ、こんなに慈悲深い人にはもう会えないだろうと思った。そして、最期の言葉を言ってやったらもう二度と二美とはこうして向き合うことはないだろうと予感する。

「二美が、わたしを愛しているから。だから、何があっても一緒にはいられない」

ただ死んだ人の魂だけを抱えて、今は生きたかった。

誰のことも忘れることはできない。兼継のことも、二美のこともわたしは死ぬまで忘れることはない。こうやって、愛情さえあれば傲慢な社会すら跨ぐことができると本気で思って、一番大切な人を殺し、傷つけたわたしのことだって忘れることはできない。

「そうね…」

ただ二美は笑って、顔を逸らした。あぁ、この後わたしたちはどうしようもないほど泣いてしまうだろうと思った。今はそれしかできない。

「未来は明るいものだと思う?」

わたしは半分は自分に、半分は二美に、そして数えることのできなくなった兼継に全部を聞いた。

「馬鹿ね、自分の外側に自分を尋ねるなんて。幸福も不幸も本当はないんだよ。種や材料があるだけよ、尊治」

この人は強い。だから愛情深くいられるのだろうか。

「そう思うことにする。ありがとう、二美」

「あたしは、何もできなかった」

あぁ、愛しているという言葉だけで強くなれると信じていた。それはささやかな希望だった。今はその希望すら、昼間見る月のように頼りない。

何があっても、兼継とはもう会えない。二美とも、もう二度と会わないかもしれない。

わたしを裁かれることしか、今は知らない。この世界は平等を声高に叫ぶその舌で、祝福を限られた人にしか与えて恥ずかしがることもしない。

あぁ、それでも間違いなくこの世界の中で兼継と出会い、二美と出会った。それはどれだけ壊されても変わらない、美しいことだった。

あぁ、今はそれだけを愛すしかない。

わたしたちの何がそんなに気に入らないのか、受け入れられないのか、本当のことは分からない。それでも、生きる意味だけは、このわたしが決める。

やがて来る未来は、わたしを傷つけるだけかもしれない。

わたしは身体を折って泣いた。兼継の割れた頭からとめどなく溢れた温かな血と、この涙の感触は似ている。窒息しそうなほど、掌に涙が溜まっていく。溺れそうになりながら、それでも生きるために顔を上げた。

たとえギロチンにかける真似をこの社会がしても、全てに拒絶をされても、畏れず首を差し出してやろうと誓った。

そして、誇り高く生き抜くことができたのなら、そのために喪われた兼継と自分を依り代に差し出そうとしてくれた二美と、またここで会いたいと心から思った。

いつか必ず彼らと、また巡り会いたい。


それが今はわたしの生きる意味だと、一つの誓いだと、決めた。

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受難者たち 三津凛 @mitsurin12

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