最終話 司書と紫黒のヴェルショナル
「……ロランさん!」
私は足を引きずり、膝を折るロランさんへ近づきます。そこまで行くと私も限界で、二人して台座の真ん中で座り込む形になりました。
「や、やったな……やっつけたぜ、デミデラックを……」
「ロランさん、身体は……大丈夫なんですか……?」
「おう。というか俺なんかより、ジェシーこそぼろぼろじゃないか。駄目だぜ、無理しちゃ」
いつものように屈託なく笑うロランさんに、私もようやく、終わったのだという実感が湧いてきました。
デミデラックは滅びました。そして私達はなんとか、生き残っています。ヴェルショナルの侵食も止まり、赤を取り戻していました。
後はこの心象世界から出るだけなのですが、どうしたらいいのでしょう。
「早く、ロランさんを手当てしないと……でも、出口まで、かなり遠いですよね……」
「俺なら平気だって。身体だけは頑丈だし――って、ジェシー……!」
扉を見据え緊迫した声を上げるロランさんに私も身をすくめ、同様に視線を流すと――扉を挟んで、あの甲冑兵士が集まっていました。手に手に武器を握り、私達へと歩を進めています。
「そんな……デミデラックは倒したのに……!」
「どういう仕組みか知らねぇが、とにかく奴らを蹴散らして……ぐっ」
ロランさんが腰を上げようとしますが、傷が痛むのかうめいて床へ手を突いてしまいます。私が肩を支えると、火傷しそうなほどの熱が伝わって来ました。
「ど、どうすれば……このままじゃ、私達……っ」
逃げようにも逃げられず、もう片方の腕にヴェルショナルを抱きしめ、広間の入り口手前に差し掛かる兵士達を見つめていると、これまた前触れなく何かが蒸発するような音が聞こえてきました。
扉の側方が燃え上がるように赤くなり――直後、兵士達へ洪水のようなとてつもない
「え、な、なにっ……?」
私達の方にまで高温が届いて来て、硬直してしまいます。真横に突き進んでいった炎の奔流が融けるようになくなると、兵士達のいた場所には少しばかりの残り火が点々とあるだけで、影も形もなくなっていました。
「……二人とも、無事か?」
「……ハヅキさんっ!」
そして、扉の向こうから残り火のアーチをくぐるようにして、ハヅキさんが現れます。片手にはみっちゃんが
「……すでに大本は成敗した後か。私の出番はなかったようだ」
「そ、そんな事ないです……! 今も本当に、危機一髪でした!」
「だな。ハヅキとミツビがいなかったら、そもそも俺はここに来られてなかった」
「そう言われるとこそばゆいものがあるな。ともあれ、お互い切り抜けられたようで何よりだ。さあ、ここから脱出しよう」
と言われても、人を呼んでおいて肝心の脱出方法を知るデミデラックはもういません。どうしたものかと首を傾げると、いきなりヴェルショナルが震えました。
「わ、こ、今度はなにっ……?」
慌てて開くと、中身は白紙――かと思いきや、ページに何やら、文章が浮き出てきました。
『……やっと片付いたようだな。早く戻って来い。暇をもてあますにも程がある』
「え……これ、もしかして……?」
「ヴェルショナルを介して……何者かが交信しているのか?」
だけど、デミデラックではないでしょう。この心象世界にも、今ここにいる私達の他に話のできそうな人物はいないはずです。だとしたら、心当たりがあるすれば……。
「って事はまさかお前……レイトリスか?」
ロランさんがヴェルショナルに向かって話しかけると、数秒の後また文章が。
『その通り。お前達のように直接本の中へ行かずとも、こうしてメッセージを届けるのは可能なようだ』
「ヴェルショナルに、そんな機能があるなんて……よく分かりましたね」
『俺達は魂で通じ合っているのだろう? だから試したらできた』
「そ、そうですか……」
ロランさんといいレイトリスさんといい、みなさん本当にすごいというか、むしろこんななんでもありの人達を敵に回したデミデラックの方が可哀想に思えてきました。
『そっちでは何があったか、大体は把握している。こちらではずっと本の前で待機していたからな』
「だったら、俺達はどうしたらいい? お前の方じゃ何か分からないのか?」
『……俺の側から見て、その世界での出来事は全て文章化されている。つまりどこに何があるか、迷宮の構造そのものが地図のように表示されているわけだ』
「そ、それなら、出口も……っ」
『残念ながら、出口がどこにあるかは記述されていない。しかし、裏を返せばそれこそが外を示している、と考えてもいいかも知れない。つまり記述にない場所へ向かえば、出られる可能性は高い』
記述のない場所。レイトリスさんが言う――私達には書き綴っているように見える――には、ちょうど迷宮の隠し通路のあたりが怪しいそうです。以前ロランさんも言っていましたが、そこは出口へ一本道のショートカット。
ひょっとしたらデミデラックも、いざとなれば外へ逃げるために、あえて脱出経路として残しておいたのかも知れません。
「なら、取り急ぎその隠し通路とやらへ向かうべきだな。もたもたしていると新手が来る」
「で、でも、その先には実は何もなくて、逆にどこかに閉じ込められたりしたら」
「その時はその時だ。試してみなければ始まらない。ここはレイトリスを信じようぜ」
不安ですがロランさんやハヅキさんが言うなら、私ももう一踏ん張りしてみます。それにロランさんは今は歩くのも辛そうな状態。
私はロランさんに手を貸しながら、ハヅキさんに先行をお願いしました。
「心得た。万一伏兵や罠があっても、速やかに排除してみせよう」
頼もしいです。私達三人はそれから広間を進み、奥にある壁を調べると、上部へ続く階段を発見しました。そこをひたすら登り続け、やがて見えて来た光を目指していくと。
「……わわっ!」
急に足場が消えて、私は転びかけるようにして着地しました。目をしばたたいてあたりを見れば、なんとあの一瞬にして、元の地下倉庫の部屋へ出ていたのです。
私の亡骸は消えていますが、ロランさんとハヅキさん、それに人型へ戻ったみっちゃんも一緒でした。
「も、戻れた……戻れましたー!」
「やったな、おい! レイトリスのヤロー、見直したぜ!」
みっちゃんとハイタッチしながら喜び、思わず飛び跳ね……気がつきます。身体の痛みが嘘のように消えて、傷自体も見当たらなくなっていました。
服はぼろぼろのままですが、ロランさんのあの無惨な火傷や傷も、消えてなくなっています。
「ロランさん、大丈夫なんですか……?」
「ああ。驚いたな……夢か何かだったみたいに、傷が治ってるなんて」
「私達は肉体でなく、魂だけで心象世界へ侵入していた……つまり、その内部で受けた傷は魂だけのものであり、現実の肉体には持ち越されない、という事なのじゃないか」
ハヅキさんの推理にも、なるほどと一理あります。でも、だとすると今の私達は。
「魂は、まだ傷だらけのままなんですよね……身体みたいに、ちゃんと癒えてくれるものなんでしょうか」
「さあな。まぁ、変わりがなければ気にする必要ないんじゃないか」
あっけらかんと笑うロランさん。そう言われると私も、別にどこか苦しいわけではないし、どうにかなるかと思わせられて来ます。一旦落ち着くと、急に恥ずかしくなって来ました。
「あの……私っ、着替えてきていいですか? その……ちょっと格好に障りがあるので」
「障りって、なんだよ、どこがだ? 怪我がどっか残ってるとか」
何気なく覗き込もうとするロランさんをすかさずハヅキさんとみっちゃんが髪を引っ張り、脇腹に肘鉄を入れるコンビプレーで阻止してくれます。
「こらこら。君はもう少しデリカシーという言葉を覚えなさい」
「何ナチュラルにスケベしようとしてんだよ。私の舎弟を傷もんにするつもりかっての」
あまりに容赦ないツッコみにひっくり返り、びくんびくんしているロランさんはハヅキさん達に任せ、私は一足早く地下を出て、休憩室へ立ち寄りました。
そこで替えの服に着替え、眼鏡をかけて――身支度を終えると、改めて部屋を見渡して。
「……今までありがとう。私、行くね」
小さく呟いて、きびすを返しました。と、廊下で立ち止まり、抱えていたヴェルショナルをしげしげと観察します。
「色が……変わってる?」
それまで赤い表紙と金の意匠だったヴェルショナルが、恐らく心象世界から帰って来た時にでしょう、深い紫と黒の刺繍へ、装いを変えていたのです。
赤でも青でもない、紫。
「まさか……」
二つのヴェルショナルはいわば元々一つ。デミデラックを倒した事で、分かたれていた彼のヴェルショナルと、融合を果たしたのでは。私は生唾を喉奥へ押し込み、ページを手繰ると。
中身は日記ではなく、ずらりと並んだ人名リスト。やっぱりです。これはデミデラックに奪われ取り込まれた人達の魂。
背筋が凍る思いになりました。ここにある人達の名前の数だけ、まだ魂がヴェルショナルに囚われたままなのです。
「解放する事は……できないの?」
何か方法はないかとページをめくり続けますが、それらしい記述は何もありません。私だってヴェルショナルの所有者とはいえ、その使い方は何一つ知らないのです。だから現状、この人達を救い出す手段は、ないわけで。
深呼吸して歩き出し、一階へ戻って来ると――いきなりびっくりしました。そこにはレイトリスさんが一人、待っていたのですが……。
「よしよし。そこそこはアーティスティックにできたな」
ぱっぱっ、と一仕事終えたみたいに手を払う面前には、なんと図書館に押し込んできた賊の人達が武器を残らず取り上げられたあげく、長いロープに全身を縛られ、団子状にされていたのです。どこがどう縛られ、絡みつかれているのか分からないほど複雑で、それぞれの体重で押さえつけられ、苦悶の声が上がっています。
「れ、レイトリスさん、本を守ってくれていたのはありがたいんですけど、何もこんなにまでしなくても……」
「ふん。そっちが中々帰って来ない上、こいつらが俺を挑発するから、つい手が滑ってしまったのだ。案ずるな、近場の街で警備隊を呼んでおく。後はそいつらに処遇を任せよう」
「そ、そうですね……」
それまで飲まず食わずはちょっと可哀想ですけど、襲って来た憎い相手というより、この人間の尊厳を踏みにじられたような恐るべき人間オブジェに近づきたくないのが本音でした。
私はやって来たロランさんやハヅキさんにも声をかけ、二階へ上がりました。下でささやかれる哀れっぽい懇願は聞き流す事にします。
「あの……お聞きしたいんですけど、どうして私が襲われているって分かったのでしょう? みなさん、全員で帰ってしまったのに……」
ああ、あれはな、とロランさんが答えます。
「年代についてとか、いくつか質問しただろ? それでジェシーが本格的にやばい事態に巻き込まれてるって確信して、みんなで一度外へ出て相談する事にしたんだ。けどもその際、すれ違うみたいに図書館の方向に向かう賊の一団を見かけた」
「気になったロランだけでひとまず様子を見に戻り、しばらく待っても音沙汰がないので、私達も図書館へ戻る事にしたというわけだ」
「そう……だったんですか」
私が勝手に裏切られたような、切ない気持ちになっていただけで――その間にもロランさん達は、助けるための計画を練ってくれていた。ずっと私の身を案じてくれていた。
そう思うだけで涙がこみ上げるようで、私はその場で背を折り曲げ、深々と頭を下げました。
「本当に――みなさん、本当に……ありがとうございました! みなさんがいなかったら私、今でも……ううん、もうとっくに、デミデラックに消されてしまっていたでしょう」
「礼には及ばない。友を傷つける悪漢を見過ごすほど、私の剣は鈍っていないさ」
「へん、よりによってこのミツビ様の舎弟に手を出したのがあのバカ野郎の運の尽きって事よ」
「……まあ、それなりに分かっているファンを一人失うのは、俺にとっても寝覚めが悪いからな」
「言ったろ、外の世界を見るってさ。俺は約束は忘れる事はあっても、ちゃんと守る男だからな!」
「……はい」
私が精一杯の微笑みを浮かべると、みなさんもめいめい、笑いかけてくれます。そう。私はもう一人ぼっちじゃありません。
今なら、この心象世界の図書館に私一人きりだった理由が分かります。私は、本しか興味を持っていなかった。ゆえに、他者が入る余地がなかったのです。もし作り物でも、誰か――側にいてくれたら。
(フィオナ様……)
私は、フィオナ様の仇を討てたのでしょうか。フィオナ様の魂の、少しは弔いになれているでしょうか。こんな私でもまだ、友達でいてくれるのでしょうか。
「しかしカッコ良かったぜ、ジェシーは。デミデラックには俺一人じゃ勝てなかったしな」
「そんな事……ないですよ。あの時はとにかく、がむしゃらでしたし」
「俺の勘だけどさ、ジェシーってデミデラックどころじゃないものすごい才能の持ち主なのかもな」
「や、やめて下さいよ、そんな恐ろしい……」
私がヴェルショナルを使いこなすなんて、そんなぞっとしない事、想像したくもないです。
でも、いつかは直面しないといけないのかも知れません。私にとってヴェルショナルが今、どれほど大きな存在になってしまっているかを。
「……今の私の命は、このヴェルショナルです。肉体がどれほど
「それを人と呼べるのかどうか、曖昧なところだな」
はい、とレイトリスさんの言葉にも神妙に頷きます。
「って事はよー。私らの魂もその本に取られたままだし、損なわれたらこっちにも何かあるかも知れないぜ?」
「運命共同体、というわけか。これはますます離れられないな」
え、とハヅキさんのセリフに、私は顔を上げます。
「みなさん……一緒に来て下さるんですか?」
「何を今さら。俺達はとっくの昔にその方針で意見を一致させてるぜ。ジェシーを一人にはさせねぇ。少なくとも、そのヴェルショナルの件が一段落するまではな」
「で、でも、デミデラックは、もう……」
「いや、違う。始まったばかりなんだ。確かに図書館の魔法陣は機能しなくなったようだし、盗賊からページを取り上げたら正気には戻ったが、まだ大陸にはページを持ったままの奴とか、それにヴェルショナルみたいなデミデラックが製作したはた迷惑なアイテムだってあるかも知れない。何より、まだ本に閉じ込められたままの多くの魂――問題は山積みだろ?」
「そう……ですね」
だからさ、とロランさんは破顔します。
「解決するやり方を、世界で探してみようぜ。きっと見つかるさ。ジェシーの時間は、進み出したんだから」
真に魂を解放する。その長い旅路は、これからなのでしょう。私とロランさんと、ハヅキさんとみっちゃん、レイトリスさん。一風変わった、偶然と言っていいつながりで出会った人々。
みんなを結ぶヴェルショナルの全てを解き明かすため、夢にまで見た冒険は始まるのです。
外へ出れば、きっとあるべき姿へ還っていくであろう図書館。そのドアを、意を決して開きます。暗い倉庫で命が絶えてから、久しく目にしていなかった外。心象世界ではない、不思議と謎と感動に満ちた世界。
その先触れを告げるように、開かれるドアから光が差し込み――ヴェルショナルを抱えて、仲間達とともに踏み出していくのです。
青銀のヴェルショナル 牧屋 @ak-27
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