二十一話 震える魂、寄り添う絆


 ここでこうして思考している私は、何者。肩から脱力し、日記帳は垂れた腕のこわばった指だけで支えて。足下から地面が崩れ落ちていくように、視界がぐらつきます。


「ああ、安心していい。お前は死んではいない。厳密には肉体を失っているんだが、別の入れ物に魂を移し替えた……そのヴェルショナルを使ってな」


 肉体を……失う? 魂を、移し替える? あれ、この話。つい数分前に、聞いたような。


「――そう、その通り。お前は俺と同じ……魂をヴェルショナルへ移動させた状態なのさ」

「嘘……嘘よ」

「嘘なものか。お前が一番分かっているはずだ。あの部屋でお前は死んだ。そして、俺の用意しておいた設備を使い、魂だけで生き残ったんだ」

「設備……?」

「青い魔法陣を見ただろう。あれは実験や魔法を使うための触媒だ。フォレス各地にはあのような拠点が点在していて、図書館もその一つ。というか王立図書館自体が元々は、俺が隠れ蓑にするために作らせた――フォシルより前の世代でな。ま、丘の上にあるのにあそこまで発展、拡張して、ついでに警備まで厳しくなってたのは予想外だったが」


 でも、と私は否定したいあまり、感情にまかせて言いつのります。


「私、魔法なんて使えない……!」

「それが使えたんだな……あの時点まで無自覚なのも理由はあるが。さて、少し話を戻そうか。お前がヴェルショナルを初めて手に入れたあたりまでだ」


 そも、ヴェルショナルとは。と、デミデラックが表紙を指で小突きます。


「こいつは人間を引き寄せる性質を持つ。文字を読めないアホだろうがめしいだろうが見境なくな。一度手にしたらもう手放せないし、奪おうとする者からは命を賭けて守る。お前もこいつを見つけた時、そうそう手放そうという気にはなれなかったろう?」

「それは……」


 覚えがあります。一度目も、図書館で手にした時の二度目も。教会へ持っていこうという決意を固めるまでには、かなり苦労しました。


「だけど、それならどうして、露天で売りになんか出されていたの……?」

「ヴェルショナルは魂を吸い上げる。それもかなり無節操にな。吸われ尽くした者は意思を失い廃人となり、やがて死に至る……そのため、こいつは常に新たな所有者を捜している。自然と人の手から手へ渡るのは、こいつ自身が操っているからだ」

「操る……本が、人を?」

「魂について説明しよう。心臓や脳といった臓器とは違う、目には見えないもう一つの命。たとえ身体が死んでも記憶を継承した魂は残り、俗に言うところの天国や地獄へ行くわけだ……俺は見た事がないがな」

「その特性を利用する事で、魂さえ手中にできれば……他人を思うがままにできる?」

「そういう事だ! 肉体など魂を閉じ込める外殻がいかくに過ぎん――だから俺はヴェルショナルを作った。ヴェルショナルを通せば魂は目視できるようになり、捕まえたり潰したり、自由自在にいじくり回せる。なので肉体を取り戻した暁には俺はフィレンデンの魂を奪い操り、フォレスを滅亡させるつもりだった……あの戦争でも、フォレスにダメージを与え国力を疲弊ひへいさせる予定だったんだが、結果的にフィレンデンは死に、期せずして悲願は達せられてしまった」


 しかしデミデラックはしぶとく生き残り、ヴェルショナルの中で復活の機会を窺っているのです。そしてそのヴェルショナルを持っていたのは、他ならぬ私自身。

 全てがつながりました。事ここに及び、もはや受け入れるしかないみたいです。


「私は……どうやって魂を日記帳――ヴェルショナルに移したの? あの時は意識がもうろうとしていて、あやふやで……」

「そいつは俺にとっても誤算だった。ヴェルショナルが魂を吸い上げるには、まず対象の記憶に経験といった、生きた証を解析する事になる。お前も何度も体験しただろう、ヴェルショナルを開いた奴――冒険家やら女術士やら、小説家やらの心象世界に行った事を」

「それってひょっとして……ロランさん達の事!?」


 しかも、心象世界。グラヴヒルトさんやレイトリスさんが言っていた言葉です。それがデミデラックの口から発せられた事からすると……。


「……ロランさんと、ハヅキさんの時も……心象世界に行っていた……?」

「今までなんだと思っていたんだ、当然だろうが。三者三様ともありようがかなり異なってはいたがな。ヴェルショナルは魂の記憶の軌跡を表面からヒルのように吸う。つまり、優先順位としてはその人間が強く印象に残った場所、あるいは思い出。――心当たりはあるだろう? これまで散々、連中のくだらん思い出話や身の上話に付き合っていたのだから」

「そういう……事だったの……」


 愕然としました。巻き込まれたとばかり思っていたのはまったく逆で、実際は私の方が巻き込んでいたようなものなのです。それも、ヴェルショナルなどというおぞましい魔道書に、ロランさん達の魂を吸わせるために。


「そ、それならっ……ロランさん達の、魂は……っ?」

「全部とは言わんが、多少はヴェルショナルが吸収したようだな。その証拠に、心象世界にある本のページの中には対象の心情やら、思いやらが綴られる事になる。それがより深い部分へ行くほど、吸われた割合が多くなっているわけだ。お前が奴らの心に踏み込めば踏み込むほど、心象世界の抵抗は弱まり、それだけ魂が奪えるという寸法だ」


 私は途方に暮れ、後悔で頭が真っ白になりました。そこまでロランさん達を危険にさらしていたなんて。こんな事なら、もっと早い段階でこの本を手放してしまっていれば……!


「少し脱線したな。俺としては何も知らないお前など、そのうち勝手に自滅するものと思っていたが……」


 そこでデミデラックはやれやれと肩をすくめ、頭を振ります。


「あろう事か、日記帳として使い始める馬鹿だったとは……」

「そんな事……言われても」

「これが言わずにいられるか。説明した通り、ヴェルショナルに書き込まれる体験談だのプロフィールだのが増えれば増えるほど魂は取り込めている事になり、最終的には吸い尽くした対象の名前が綴られる事になる――所有者が変わるとまた白紙には戻るが。なのにお前は、お前という奴は、自分からヴェルショナルに魂を捧げるような真似をしていたのだ。それも、約二年間にわたって!」

「ええ……! そ、そうなの……?」

「とはいえ、この考え無しの行動は思わぬ展開を呼んだ。長期的に渡って能動的に魂を受け渡し続けていたお前は、いつしかヴェルショナルを手なずけるに至った。こいつの所有者だった俺から所有権をかすめ取り、より上位の支配者として君臨していたのだ!」


 知らないまま魔道書に日記をつけて、気づいたらその主になっていた、という事ですか……? もうスケールが違いすぎて、思考が毛ほども追いつけません。


「お前の幸運はなおも続いた。知っての通り、フォレスを怒り狂ったダーム軍が叩きつぶし、お前自身も死の間際に立たされた。だがまたしても偶然に魔法陣のある倉庫へ移動し、ヴェルショナルと血の契約を果たした……無意識にな。その手際ときたら、開いた口がふさがらなかったとも」

「血の契約……」

「ページに、己の血で署名する事だ。いまわの際、お前はヴェルショナルを開き、自分の血で遺書を書いた。それが魂を移し替えるトリガーになったのだ。ヴェルショナルは速やかにその契約を結び、お前は魂だけの存在で生きながらえた……これが、あの日起きた真相だ。――お前の悪運がよほど強かったのか、俺が運に見放されていただけか。もはや必然と呼んでも差し支えない一幕だったぞ」


 だから私は、今も生きている。そうデミデラックは言っているのです。

 私が、ヴェルショナルの所有者……契約を果たして、その魂はこの、抱えた本の中にある、と。


「でも、やっぱりおかしいよ……! 私が魂だけなら、あの図書館は? あの日、焼け落ちる前と何も変わってない……っ」

「まだ分からんのか? 他の連中の心象世界に行けたように、お前も心象世界を作り出していたんだよ。――フォレスの王立図書館跡、そのまったく同じ場所に!」


 同じ場所……じゃあ、私が普段過ごしていたあの図書館は、ヴェルショナルの力で生み出された、幻影、という事……? 

 本当の図書館はとっくになくなっていて、私は誰も来るはずのないその建物の中で、何も知らずに司書をしていた……。


「火災や崩落に見舞われようとも、地下の倉庫は無事で魔法陣もそのまま使えた。つまりここだけは心象世界とは無関係だが、お前の肉体はそれの一部に過ぎん。記憶もフォレス滅亡の前日にまで巻き戻り、日時が経過しても時計の針が止まったようにループを続けていた。話の中の登場人物が、自分自身の存在に疑問を持たないように、な」

「ループ……」


 だから、本来異物であるはずのロランさん達は、心象世界にとって大事な客人だから出入りが許され、私の記憶にも残っていて。

 だけども教会の事を忘れるのと同時に、日記帳の記憶も関連づけられ一時的に忘れてしまっていた……というところでしょうか。


「さすがに封印が解けてからは、記憶が蘇りつつある事で違和感は感じていたはずだがな」

「……封印?」


 私が呟いた直後、背後で重厚な音を立て、あの石扉が開かれていきます。

 驚きながら振り向くと、そこにはこちらへと足を踏み出して来る、ロランさんの姿がありました。


「ロランさん……!」


 私の声に気がついたロランさんは、血相を変えて駆け寄って来ます。


「――ジェシー! 無事か!」

「ロランさん、どうしてここに……?」


 私は当惑しながら見返しますが、ロランさんの顔を見るとそれまで衝撃と絶望の連続で凍り付いていた心中に、胸をなで下ろすような温かさが広がっていきました。


「言ったろ、すぐ行くって。……ってのは無理だったが、俺も魂は抜かれてるんだろ? だったら、もう一度心象世界に入る事は可能なはずだ。だから試したら入れた」

「試した、って……そんな簡単に……」

「……噂をすれば、というところか。相も変わらずハットの血筋は規格外だな、え?」


 舌打ちするデミデラックに、微笑みかけてくれていたロランさんは引き締まった真顔になり、向き直って相対します。


「レイトリスは現実世界にあるヴェルショナルを、お前の操る賊連中から守るために残ってくれてる。ハヅキとミツビは俺とともに突入して、ここまで送り届けてくれた……途中の甲冑どもを片付けてな」

「みんなも……来てくれてるんですね」

「当たり前だ。ジェシーのピンチを見過ごすわけないだろ?」


 するとデミデラックが口をひん曲げ、くつくつと含み笑いを漏らします。


「だが、これも予定通りだ。お前達が我が心象世界に入って来るところも読めていた。おかげで手間が省ける」

「なんだと……? はったりのつもりか!」

「まあ聞け。俺はヴェルショナルの所有権を取り戻すべく、一計を案じた。その計略に必要不可欠だったのが、お前達外部の人間だ」


 なに、とロランさんが眉間に皺を寄せます。この上、まだ何かあるというのでしょうか。


「鍵は、その小娘がヴェルショナルに与えた魂の割合だ。その割合を削れば削るほど、俺が近づきやすくなる。そのためにあえてお前達を呼び寄せたのだ……ページを使ってな」

「ページ……襲って来た連中の一人が持っていた、あの奇妙な切れ端か」

「ご名答。各地に噂をばらまく事で、物好きな旅人がフォレスを訪れるのを待った。……滅びたフォレスの城下町跡に、在りし日のままの王立図書館が佇んでいる、という噂をな」

「それが……私、なんですね。だから……ロランさん達以外は、誰も来なかったんだ。……なのに、私は……っ」

「フォレスの戦乱の巻き添えで、ページを何枚も失う羽目になった。よって噂が広まるまで何年もかかったが……タイミング的にはちょうど良かったな」


 何年も。そう言われてはっとします。

 そうです。私が死んでから、どれくらい経っているのでしょう。ロランさんを見やると、悩むような複雑な色の視線だけを送って来て。


「……八年。フォレス滅亡から数えて、八年が経過してる」

「……八……年」


 漏れた私の声には生気がなく、かすれていました。デミデラックが楽しそうに続けます。


「その小娘がわずか数年で動けるようになった理由については俺も謎だったが、つい先日ある答えが出た。そいつはただ肉体が壊れただけで、力は温存されていたも同然。ペナルティーもせいぜい前後の記憶が怪しくなる程度。翻ってこの俺はラック・ハットとの戦闘を経て力を使い果たしていた。ゆえに活動可能になるまで時間がかかったのだ」

「そのまま、永遠に動けないままでいればいいものを……! ……いや、俺がこの場で止めてやるぜ!」

「話はもうすぐ終わる、最後まで聞け。お前はどうでもいいだろうが、そっちの小娘は気になって仕方がないはずだ……だから親切に教えてやっている」


 にたにたと、悪意が流れ出て見えるような笑みが、私へ向けられます。


「冒険家どもが好奇心にかられて図書館を訪れればこっちのものだ。ヴェルショナルは何も言わずとも魂を吸うために現れ、後は待っているだけでいい。お前達の魂を蓄えたヴェルショナルは、小娘だけでは扱いきれんようになる。使い方を知る俺ならばともかく、小娘は知らぬ内に自らかけた不可侵の封印を解かされていたのだ――己自身の手でな」


 不可侵。脳裏にひらめくものがありました。段階的にページを開けるようになっていった日記帳。そして、地下書庫にある倉庫のドア。あれらがその、封印だとしたなら。


「所有権さえ不安定になれば俺も干渉できる。最後の詰めとして、地下倉庫へお前を連れていき、魔法陣を利用して俺の心象世界へ呼び込んだ。俺とお前はヴェルショナルを介して意識が密接にリンクしている――夢で会う事ができるくらいにな。つまりここの、この瞬間でなら、所有権を交代させられるわけだ!」


 瞬間、私は膝から崩れ落ちました。確かにショックは大きく、視界がぼやけて感じますが、心理的なものだけではありません。実際に身体に力が入らず、ひどく億劫おっくうで呼吸をするのも大変でした。


「ジェシー! ど、どうした、大丈夫かっ!」

「ご、ごめんなさい……何だか、うまく立てなくて……力が抜けて」

「それなりにかかったが、いよいよこの時が来たか。お前のヴェルショナルを見てみろ」


 言われるままに、私は自分のヴェルショナルへ目を落とします。

 すると目の前で赤い表紙が、じわじわとにじむように青に、金の装飾は銀へと、変容していくではありませんか。


「これは……そんな……!」

「ジェシー! くそ、長々と解説してやがると思ったら、これも時間稼ぎって事かよ!」

「気づくのが遅いんだよ。とっとと向かってくればいいものを、馬鹿め。――ああ、ついでに小娘がメンタルにダメージを受ければそれだけ抵抗も減るから、考えてみれば一石二鳥だな」


 白々しく語るデミデラックですが、私はもう顔を上げる事もできません。やめて、と願いながらヴェルショナルに訴えかけますが、見る間に青へと変色していくばかり。


「――デミデラック、お前ッ! そんな事はさせるもんか、ばあちゃんに代わって、俺がぶっ倒してやる!」

「くっははは、慌てずとも俺がヴェルショナルの所有権を取り戻し、その小娘と成り代わった後には、のこのこやって来たお前達の魂も奪い、操ってくれるわ! 世界を股にかける冒険家、天才術士、ベストセラー作家。中々どうして優秀な手駒じゃないか、悪くない!」

「ろ、ロランさん……逃げて下さい……。この人が私を、乗っ取ってしまう前に……っ」

「そんな事できるかよ! 待ってろ、今俺があいつを何とかする!」


 身構えたロランさんは少しうつむき、小声で私へ話しかけます。


「……図書館じゃ悪かったな。お前の後ろにいる黒幕に、こっちの狙いを悟られたくなかったんだ」

「え……?」

「俺もハヅキも、ミツビもレイトリスも。みんなお前を助ける方法を探してた。お前があの図書館に縛られてるんだって考えてたからな。だから俺は、お前をフォレスから連れ出すつもりだった。こんな下らねぇ過去の亡霊に、いつまでも付き合う事はないぜ」

「ロランさん……」

「ここを出よう。この迷宮からじゃない。お前を捕まえてる過去そのものをぶち破って、今度こそ外に出よう。約束する。俺を信じてくれ」


 どこまでも純粋で、そして力強い輝きを放つロランさんの双眸に見つめられ、私は――。


「……はい……!」


 力を振り絞って、頷きました。外がどうなっているのか、何が起きているのか、私には何も分かりません。でも、ロランさんと一緒なら。

 ロランさんはにっと軽く笑い、それからデミデラックを激しい怒りを込めて睨みます。


「――行くぜ、デミデラックッ!」

「ふん……逆らうか。ならば貴様だけは始末してやる、クソったれのハットの子孫めがッ」


 前傾姿勢で猛然と駆け出すロランさんに、デミデラックがヴェルショナルを片手持ちの見開きにします。


「生贄の魂どもよ、呼び掛けに応え我が敵を討ち滅ぼせ!」


 芝居がかった調子で唱えると、ヴェルショナルが青く発光し始めました。一寸の後、本の内側からシャボン玉のような淡い光の球体がいくつもあふれ、デミデラックの周りで輪になり滞空します。


「あれは……ヴェルショナルに封じられた、魂っ……? ロランさん、気をつけて!」


 迷う事なく突き進むロランさん。しかしデミデラックはアザのある片頬を歪ませて笑い、魂達をとりまとめるように片腕を振って。


「――死ね!」


 次の瞬間、正面へと集まった魂が硬質な音を立てて変形を始めます。その形状を細長く変え、先端は鋭く尖り。さながら青い杭。

 それが何本も切っ先をロランさんへと向けて、一斉に射出されました。スピードは矢の如く、瞬きするほどの速さで直線的に突進していきます。

 息を呑む私の前でロランさんはすんでのところで身をかがめ、あるいはひねり、素早く回避していきます。でも、時間差で放たれた残る一本がまだ体勢の整わないロランさんの額めがけて突っ込み。


「……おらあァっ!」


 刹那、左腕を振りかぶったロランさんが思い切り拳をその杭へと叩きつけました。軌道がわずかでも変われば、という私の思いとは反し青い杭はあっさりと砕け、ロランさんの周りに破片が飛び散っていきます。


「ぐ……なんだ、何か、まとわりついて……っ」

「ははは、かかったな馬鹿が! ただの青い杭に見えたか? そいつは魂を絶対零度で固めて形作られた氷杭、不用意に割れば砕け、貴様の身を蝕むぞ!」


 飛散した破片がロランさんの左腕、左肩へ付着し、血管のような氷の根を張らせてぎちぎちと食い込んでいきます。ロランさんの表情が苦悶に変わっているだろう事が、後ろから見ていても分かりました。


「ロランさん!」

「だ、大丈夫だ……こんなの、すぐ引きはがして!」

「そんな時間は与えん、続いて青の炎。せいぜい味わえ」


 再びヴェルショナルから十近くもの魂達が引き出され、デミデラックが指図するように腕を振ると、弾丸のようにロランさんへ飛んでいきました。

 なんとかかわすロランさんですが、魂は変則的な動きをするでもなく簡単に床へと落下します。


「お、脅かしやがって……避けちまえば、全然大した事ないぜ……」

「果たしてそうかな?」

「なんだと……うわぁっ!」


 直後、魂の群れが落ちた位置から強烈な勢いの爆炎が上がりました。高々と天井まで伸びるそれは青い火柱。あたりを炎に囲まれ、ロランさんは思うように動けません。


「そらそら、踊れ踊れ!」

「ち、ちくしょう、近づけねぇ……!」


 さらにデミデラックが氷杭を飛ばし、青い炎も追加で乱舞させ――私からはまったくロランさんの姿が見えなくなります。


「ロランさん! ロランさんッ!」


 必死に名前を呼ぶものの、その声も激しい戦闘音にかき消されていくばかり。


「さて、そろそろ死んだかな……む?」


 炎が消えていくとその場はひどく焼け焦げ、なのに氷も張り巡らされた惨状極まる有様でした。しかし、そんなただ中でもロランさんはいまだ立ち、戦闘態勢をとり続けていたのです。良かった、と私は自身の危機も忘れ、詰まっていた息を吐き胸をなで下ろします。


「あの集中砲火でも無事とはな……さすがはハットの血族といったところか」

「犠牲者の人達の魂をこんな事に使いやがって……どこまでも腐った野郎だ!」


 膨れあがる怒りの度合いを表すように言い捨て、ロランさんは突撃を再開します。デミデラックも氷と炎を織り交ぜて迎撃しますが、その勢いは止められません。


「肉体が死んでも、長年の望みはかなったんだろ、もうここで大人しくしてろよ!」

「そうはいかないな。ヴェルショナルも俺もまだまだ飢えている。存外に満ち足りてはいないのだ、そう、魂を――もっともっと魂をッ!」

「そんな事のために、ジェシーをっ」

「小娘が哀れか。だがこれも因果。いかに否定しようともフォレスの人間としての罰を受け、死ぬべくして死んだのだ。同情だけで首を突っ込む貴様のそれはどだいお門違いというものよ!」

「ああ、フォレス王国が滅んだのは、お前の言う因果が巡り巡っての事なのかも知れねぇ。――だけど俺には関係ねぇ、ジェシーは二度も殺させねぇっ!」


 ロランさん、と漏らす私の声が届いたのかどうか、ロランさんがついにその拳の射程にデミデラックを捉えます。

 右腕を引き絞り、最後の一歩を床が砕けんばかりに踏み出して。


「これで終わりだ、デミデラック――!」


 デミデラックの顔面へ腕が伸び――寸前。それまで上空を漂っていた無数のページが光り輝き、凄絶なまでの青い雷光をロランさんへと浴びせたのです。


「な……ぐ、ぐああああああッ!」

「はははは! またしても! またしてもぬかったな、馬鹿で愚か! 俺の魔法がこの本からのみ放たれるものと読み誤った! あのページもまたヴェルショナルの一部、俺だけに意識を取られた貴様のミスよ!」


 ロランさんは全身に恐ろしい程の電撃を送られ、電流に体内を焼かれ――ばちばちと全身が光に覆い込まれます。身動きも、叫びをも封じられ、ただただ身体を破壊する稲妻を受け続ける他ありません。


「さあ死ね、魂ごと焼き切れろ! ハットとの因縁もまた、これにて終止符!」


 とどめとばかりにデミデラックのヴェルショナルから光輝が放たれ、ロランさんを打ち据えます。

 至近距離で落雷に遭遇したような爆音がとどろき、ロランさんは煙を発しながらはじき飛ばされ、空中で私を通り過ぎ、はるか後方の壁面へ叩きつけられて力なく床へ倒れ込んでしまいました。


「ろ……ロランさん!」


 身体を引きずるようにしてたまらず駆け寄りますが、ぐったりと横たわったロランさんはぴくりともしません。

 目を覆いたくなるような惨状でした。身体は黒く焦げ、至るところから煙が立ち上り、指先で触れた肌は燃えるように熱いです。


「ロランさん、やだ、こんなの――ロランさん……!」

「臓器をことごとく高電圧でたっぷり焼いてやったのだ、何をしても無駄だ」


 うずくまり、涙がこぼれます。私のせいです。私がふがいないから、ロランさんがこんな。

 でも、他にどうすれば良かったのでしょう。私なんか、やっぱり何もできない――。


「ロランさん、ロランさん……ううっ」


 うわごとのように名前を呼び、しゃくり上げると、ぴくりとロランさんの指先が、床を掻くように動いたような気がしました。


「……ロラン……さん?」


 心臓が止まるような思いで耳を澄ませば、かすかに呼吸音と、うめくような声が聞こえます。


「ロランさん、しっかりして下さい! 死んじゃ……死んじゃ嫌ですっ!」


 ロランさんは、まだ生きています。私が何も考えられず呼び続けると。


「ほう……殺す気でやったが息があったか。まあ次に目覚める時は我が傀儡かいらいだがな」


 デミデラックが嘲り笑いを寄越しました。私は動きを止めます。


「すり切れるまで使い潰した後は、小間使いとして闇の底を這いつくばっているがいい。そう――迷宮をさまよう、肉体を失った無様な甲冑どものようになぁ!」


 私は――ロランさんへの呼び掛けをやめて、赤金のヴェルショナルを抱えて腰を上げました。

 ふらりと、デミデラックの方へ振り返ります。


「さあ、次はお前だ。侵食も滞りなく終わっている頃だろう……ん?」


 私がやるべきは、ここで泣いている事じゃない。

 ――ロランさんを、みんなを守らなければ。


「なんだ、その目つきは。気に入らないな」

「……許さない」


 今、目の前にいるこの男を倒す。たった一人でも私が、私自身の手で。


「許さないとは、よく分からんな。お前はこれから俺に献上するのだ。その器も、魂も、全てを。そして俺は第二の人生を謳歌おうかする。魔道書ヴェルショナルが導くままに」

「そんな事はさせない。私はみんなを守るの。自分の夢を見つけるの。……だからっ、もう何一つ奪わせない!」


 デミデラックの双眸がぎらつき、憎々しげに顔をしかめて。


「ならば強奪するだけだ、生意気な小娘が――ッ!」


 手の中のヴェルショナルが猛烈にはためき、ページが四方八方へ吹き飛びます。同時にデミデラックの身体から青いオーラのような光が湧き出て、それが対峙する私の方へと一息に突っ込んで来ました。


「ぐ……うぅっ!」

「さあ、お前の魂を明け渡せ! 辛いだろう、苦しいだろう? いっそ失神すれば楽になるぞ、その時がお前の終わりだがな!」


 この世のものとも思えない、言い表しようもない間断なき痛苦。そして鉛でもぶつけられるようなとてつもない重圧。

 私はたちまち膝から崩れ落ちそうになりましたが――唇を噛み締めて、足を踏ん張ります。


「負けない……絶対……!」


 失神なんて、とんでもない。立ち向かうと決めたのに、そうそうやられてたまるものですか。

 私は自分のヴェルショナルを掻き抱くようにし、デミデラックを睨み上げました。


「ロランさん達を、下僕になんてさせません……あなたになんて渡さない!」


 途端、腕の中のヴェルショナルがひとりでに開き、デミデラックのものと同じようにページが羽ばたいていきます。

 次いで、青ざめてしまっていた本の表紙と背表紙が、私の名前を中心にして蘇るように鮮やかな赤へと戻っていきます。


「なに……ッ、侵食が止まっている――?」


 デミデラックが瞠目した矢先、私のヴェルショナルからまばゆい赤い閃光が発せられました。

 とっさに瞬きした後には、私の身体も同じように赤いオーラが纏われ、襲い来る青い光を弾くようにしながら押し戻し始めていたのです。


「これは……ば、馬鹿な! お前のような小娘が、ヴェルショナルを操るだとッ!」

「私の心が弱れば抵抗が減るのなら、死んでも屈したりしません!」


 赤と青の激突に、広間が激震します。

 あたり一面に二つの輝きが打ち合い、荒れ狂い、壁や床を何条もの光の閃光が着弾して、亀裂と大穴を穿っていきました。


「なんという気迫……伊達にヴェルショナルと契約できたわけではないか――だが!」


 デミデラックが腕を振ると、飛び交っていたページ群が水平に向きを変え、私へ殺到して来ます。

 オーラでは防ぎきれない刃の如き紙片に二の腕や胴体、ふくらはぎを次々と斬り裂かれ、血染めになった私はたたらを踏みながらうなるように悲鳴を押し殺しました。


「こんな痛み……大した事はありません! 本が焼かれていく時の絶望と比べたら、みんなの魂が奪われてしまう恐怖に比べたらッ!」

「愚かな……愚かな愚かな! 所詮そのヴェルショナルは貴様の魂から分割されたいわばまがい物。本来の色を持つ、我が青銀せいぎんのヴェルショナルとは比較にならんわッ!」


 不退転の決意とともに、私は満身絞り出したかけ声を張り上げます。

 デミデラックももはや小細工不要とでもいうように形相を狂わせて雄叫びを上げ、オーラは食らい合うように爆ぜ、対消滅を繰り返し――やがて赤が、デミデラック側へと押し返していきます。


「うおおおぉぉ……ッ! こ、こんな事が! こんな――おのれ! おのれおのれェッ!」

「いっけええぇぇぇぇ――!」


 もう少し。後少し。すでに赤はデミデラックを呑み込みかけています。私は残る力を注ぎ込むようにして裂帛の気合を込めて……その直前、デミデラックがヴェルショナルへ手をかざすと、ページが凄まじい速度でめくられていきます。

 ページにはこれまでに吸収した魂が人名として羅列され、その名前が片っ端から消えていくごとにヴェルショナルの蒼光が強まっていきました。

 デミデラックが咆哮を上げると、一回り巨大になった青いオーラが私の方へ押し寄せて来ます。私も足を踏みしめてこらえますが、その衝撃は想像を超えていて、オーラを破られ直撃を受けたあげく盛大に吹っ飛ばされてしまいました。


「う……ぐっ……!」


 赤と青のオーラは、決着はついたとばかり消滅しています。広間にはただ、数多くのページが天使の羽根のように降り注いでいました。

 視界が揺らぎ、身体の感覚はありません。けれど、やや斜め先に落ちた私のヴェルショナルが、力尽きたみたいに青へと変じ、名前が薄れていくのを見ているしかありませんでした。


「ああ……駄目……私は、まだ……」


 手を伸ばそうにも、うまく言う事を聞いてくれません。

 ここまで、なのでしょうか。

 ロランさん、ハヅキさんにみっちゃん、レイトリスさん達みたいになれるかなって、私なりに頑張ったけど、やっぱり、何も。


 かすかに頭を動かし、デミデラックの方を見上げようとして、息が数秒、止まりました。


「あ……ああ……!」


 激突が終結したのと同時期、デミデラックもまた、激しい消耗に息を切らしているようでした。ページの大群の中でヴェルショナルを片手に、ぜえぜえと呼吸を乱しています。


「あれだけ……溜め込んでいたストックのほとんどを……放出させられるとは。……必勝を期した、はずが……くそっ、あの小娘。どこまでも……!」


 何とか息を整え、倒れた私の姿を認めると、にやりと口角を吊り上げます。

 勝った。苦戦はさせられたが、結局は自分の思う通りになる。そんな勝ち誇った笑みを浮かべ、それがまた、ページの中に埋没し――その間にわずかにできたスペースから覗いたものに、表情を凍り付かせました。


「あ――な、き、貴様は……ッ」


 そこに。いつの間にか、そこに立って、デミデラックの前に立ちはだかっていたのは。


「……ロラン、さん……」


 瀕死にして満身創痍まんしんそうい。気を失っていたはずの、ロランさんでした。


 私に背を向けたまま口元を引き締め、まっすぐデミデラックを睨み据え。


「――おおぉぉぉぉぉぉぉぉッ!」

「ま、待て、やめ、やめろおぉぉぉ……っ!」


 腹の底からの気勢。そうして限界まで引き絞られ、握り込まれた右の拳。

 デミデラックが何をする暇もなく、その一撃はページを突き抜けて打ち込まれ――デミデラックの左頬へと炸裂していました。

 そのまま踏み込みながら腕を振り抜くとデミデラックの身体が浮き、紙くずのように背後へと吹き飛びます。

 そのアザからは青い光――いえ、青い炎が発せられるとともに、魂のみの存在だったデミデラックの肉体を構成していたであろう、無数のページがほどけるようにはがれ落ちていきます。


「こんな――あああああ――嘘だ、何かの間違いだ――」


 アザから生じた青い炎に全身が包み込まれ、あがくように手足をばたつかせて宙を舞うヴェルショナルを捕まえようとし、それもかなわず一際甲高い断末魔を上げて。


「――この俺が、俺がああぁぁぁぁッ!」


 まゆのように包み込んでいた炎が晴れた後には、デミデラックの身体は広間から消失していました。青銀のヴェルショナルごと、欠片も残さず消え去ってしまったのです。

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