二十話 奸智の王、フィレンデン
まぶたをしばたたくと、私はまた別の場所に移動していました。
殺風景な空間から一転、今度は大理石の床と豪奢な絨毯、左右には分厚い壁と鮮やかな壁掛け。
そして目前には贅をこらした大きな椅子。そこに一人の男性が腰掛けていました。私はその顔を知っています。街の視察や巡幸、パレードなどで何度も拝見しました。そう。
「ふぃ、フィレンデン国王陛下……!」
服装はだいぶ質素なものでしたが、そのご尊顔を見間違えるはずもありません。呼吸が止まるような仰天のあまり大声を出してしまいましたが、そこにいるフィレンデン陛下はつまらなそうな表情でいるだけで、微動だにしません。
「あ、あれ……? え、えっと私……!」
まだ頭が混乱して浮き足立っていると、背後で扉が開く音がしました。思わず振り返れば、こちらへ――いえ、陛下の元へ歩みを寄せる、執事服の初老の男性がいます。
「……何事だ、ゼイ。私はお前を呼んだ覚えはないぞ」
私の事なんか眼中にない……いえ、そもそも見えてすらいないとばかり、そちらへ目線を振った陛下が腰を上げました。射るような眼光に対して、しかしゼイと呼ばれた男性はただしずしずと足を進めるのみです。陛下が怪訝そうに首を傾けました。
「どうした……なぜ何も言わぬ。私に何か用なのか」
不愉快そうな声色にも関わらず、やはりゼイさんは反応しません。その顔を見て、私は背筋が冷たくなりました。同じでした。あの人と。
――あの、図書館に詰めかけてきて、男達に日記帳を探すよう命じていた、あの無表情な男と。
目の虚ろさも、口が力なく半開きなのも。足取りがぎこちないのも。何もかも相違なく。私は考えるより先に叫んでいました。
「に、逃げて下さいフィレンデン様! この人、普通じゃ……っ」
そこで気づきました。私がさっきからこれだけ騒いでいるのに、目もくれられない理由。
ひょっとして、本当に私は、物理的に見えていない……?
「……あっ」
逡巡しているとゼイさんがすぐ鼻先までやって来ていて、避ける間もなくぶつかります。しかしとっさに目をつむって身をすくめても、予想していた衝撃は来ませんでした。
そっとまぶたを開ければそこにゼイさんの姿はなく、瞬間移動したみたいに離れた後ろの位置で背中を見せています。
「見えてない……声も聞こえないし……触れないの?」
今の私は、意識だけが飛ばされて来たみたいなものなのでしょうか。いえ、それならここはどこなのか。王宮の玉座の間にしては、いやにこぢんまりしているというか。むしろ、デミデラックに幻覚を見せられている、と言われた方が納得したかも知れません。
「これを」
そうこうしている内に、ゼイさんは陛下の前までたどり着いていました。幽鬼のようなのろのろした動きで腕を上げ、握り込んだ何かを差し出します。
「なんだ……何のつもりだ?」
疑わしげに目をすがめる陛下にも、ゼイさんはこれを、と同じ言葉を繰り返すだけです。ますますあの男の挙動を想起させて、私はぞっとしながらも閃きました。
ひょっとしたら、とゼイさんの正面側へ回り込み、陛下と一緒になって手の中のものを覗き込みます。
「紙切れ……? ううん……これ――ページ?」
少しよれた、白い切れ端。何かの文字が書き連ねられています。それほど長くはなく、命令口調で。
血の気が引きました。これは。デミデラックの。
「ふん……ただのゴミではないか。長く我が家に仕えているとはいえ、貴様のつまらん悪ふざけには付き合いきれんぞ」
陛下は高慢げに鼻を鳴らして拒絶感を表明しますが、セリフとは裏腹に手を伸ばし、私が止める暇もなくあっさりとページを受け取ってしまいました。
その直後、糸の切れたようにゼイさんが横に傾ぎ、倒れ込んでしまいます。
「ゼイ……おい、どうした! くっ、誰か人を……!」
一瞬声を荒げた陛下ですが、ぴたりとその動きを止めます。
「なんだ……誰だ、私に話しかけてくるのは!」
信じられない、とばかりに見開いた目を左右へ巡らせ、指がぴくぴくと跳ねていました。
『……俺の声が聞こえるようだな』
同様に、私の脳にも直接音を――いえ、音という言語そのものを染みこませるみたいに、声が次々と打ち込まれていきます。
陛下と同じ声を聞かされている。ならばきっと、デミデラックの仕業でしょう。彼は言ってました。見せてやる、と。だったらこれは、過去の。
「どこにいる! 姿を現せ!」
『それはできないな……姿を見せようにも、身体がないもんで』
「意味の通らぬ事を! 馬鹿げた芸当で惑わすつもりなら、相応の報いを与えてやるぞ!」
『おお、こわいこわい……だが、俺もあんたに喧嘩を売りに来たわけじゃない。そこのじいさんも無事だ。まあ、頭を冷やして聞いてくれよ』
腰から剣を抜いてわめく陛下をなだめるように、猫なで声が喋り続けます。
『自己紹介させてもらおう。俺の名はデミデラック。職業は……そうだな、魔道士ってところか。天下御免の悪の魔道士。聞いた事はあるだろう?』
「……知らんな。神に背くやつばらに知り合いはおらん」
『あ……そう』
皮肉っぽい陛下の返しに、デミデラックは若干しょんぼりしたように声音を落とします。
『とにかくだ。俺はあんたに提案があって来たんだ。聞いてくれるかい』
「内容によるな。私の立場にもなって考えてみるがいい。顔も見せん、自己紹介とやらもふざけている。そんな相手の話を聞く事にどれだけの価値があるか」
『損はさせないよ。……あんた、昔王宮の方で色々やり過ぎて、兄貴から追放されたんだって?』
追放。不謹慎なセリフに、私は眉を顰めました。デミデラックは何がしたいのでしょう。
『管理部門の承認も得ずに勝手に国の政策を変えさせたり、罪人を独断で処刑したり解放したり。城下町では毎日の如く喧嘩に小競り合い。大量に借金をこさえて、あげくにどこの馬の骨とも知れない傭兵を雇い入れて、軍も恐れるほどの私兵団で大通りを練り歩く』
「それがどうした。何か問題が?」
『ははは! 問題が、と来たか。そんな
そんな、と誰にも聞こえないのに、声をひそめて呟いたのは私でした。陛下が国王になられる前は、山賊海賊もかくやの悪行に手を染めていたなんて。
でも言われてみれば、私がもっと子供の頃、一時期城下町の治安が悪くなり、家から出してもらえない日々が続いていた覚えがあります。
あれはつまるところそれほどで、そういう事だったのでしょうか。
「私のやった事は兄に大体もみ消された。今は誰も話題にしていないし、とっくにほとぼりは冷めたものと思っていたが」
『だったらあんた、不満に感じてるんじゃないか? せっかくやりたい放題やれていたのに玩具を取り上げられて、牢屋みたいなところに閉じ込められている。このまま誰からも忘れられて、老後まで余生をひっそり過ごすつもりか?』
「……何が言いたい」
『力を貸してやる、って言ってるんだ。この俺が、あんたにな。今は派手に動けないが、このページを通して俺は人を操れる。俺とあんたが組めば、それこそ無敵だ。二人でフォシルに一泡食わせてやろうじゃないか』
「……それはまさか私に、現王陛下へ反旗を翻せ、とでも抜かすつもりではなかろうな」
『その通りだ。そしてお前が新しい王になれ。今度こそ栄光を掴み取り、天下に号令をかけるんだ。どうだ、悪くない取引だろ?』
「な……なんという……!」
その時陛下は沈み込むように椅子へ座り込みました。うめきながら両手で顔を押さえ、いやいやとでもいうようにかぶりを振っています。私は陛下に強い同情の念と、デミデラックへの怒りを覚えていました。
そうです。こんな提案、受けられるわけがありません。デミデラックの言った悪事を仮に陛下が行っていたとしても、それはあくまで昔日の話。
もとより聡明な方です、こんな悪魔のささやきを真に受けるはずがない。私はこの思いが届くように祈り、陛下に声なき声で頑張って下さい、とエールを送りました。
するとそれに呼応するように、ゆっくりと陛下が顔を上げていきます。
「なんと……そんな……そのような事……っ」
そこにはきっと、悪へあらがう決意の光が瞳に満ちている、はずでした。
だけれど、その陛下の表情は。
「そのような事――面白そうじゃないかぁ……!」
「……と、まあこんな感じだ。俺とフィレンデンは共闘関係を結び、結託してフォレス王家に立ち向かったのでした、と」
ドームの中にデミデラックの声が響きます。さっきまで陛下と話していた幻ではなく、現在私の前に現れている本物でしょう。
「デミデラック……! よ、よくも国王陛下を、あんな口車に乗せてっ……!」
「おいおい、俺だけの責任じゃないぞ? 舌先三寸で奴を誘いはしたが、受け入れたのはフィレンデンだ。あいつはフォシル――いや、フォレス王家自体にかなりの憎悪を抱いていた。おまけに知恵も回る。ビジネスパートナーとしてはうってつけだったんだ」
「だからって……!」
「奴がお前らにどんな姿を見せていたか知らないが、それが真実だと思ったら大間違いだ。いいか、俺とフィレンデンはあの後計画を推し進め、時間をかけてフォシルに近づいた。そして頃合いを見計らい、毒殺してのけたのさ。これも公には、フォシルは病死って事になってるがな」
私は二の句が継げなくなりました。毒殺。それも実弟のフィレンデン陛下が、フォシル様を。そしてその裏には、このデミデラックがおおいに関与していた、なんて。
「嘘……それじゃ、陛下はどうして……」
「フィレンデンは後を継ぎ王位についた。腐っても継承権第一位、その上政争にも強く、
「なんで……そこまでして、こんな恐ろしい事を……」
「言っただろう。ヴェルショナルのためさ。俺はフィレンデンを懐柔し、恩を売り、目的を達成させてから、こっちの要求に応えさせる心づもりだった。……もう言わなくても分かるだろうが、図書館にいるお前の手から、公的権力でヴェルショナルを押収させるためだな。フィレンデンにとっては国一つを手に入れられた見返りがそんな働きだけなんて、どう考えてもおかしい。だから俺も意図を読まれないよう隠し騙し、時期を待っていた」
さあ、とデミデラックの声が遠ざかり、ドームになっていたページが少しずつ薄れていきます。
「フォレスをかっさらった俺とフィレンデンは、果たしてどうなったのか。第二幕の幕開けといこう」
まだ何かあるのでしょうか。今の私にできる事はせいぜい落ち着いて、成り行きを伺う事だけです。
ページが晴れてゆくと、場所はさらに豪華になっていました。全体的な作りはあの広間と似ていますがより荘厳で、椅子には冠をかぶったフィレンデン陛下が腰を下ろしています。
――では、つまりここは今度こそ本当に謁見の間。そしてこの椅子は王座、という事でしょう。それも、フォシル前王陛下を暗殺して奪った。
『玉座の座り心地はどうだ、え?』
裏切られたような失意と、複雑な思いで陛下を眺めていると、この時代のものと思われるデミデラックの声が響いて来ます。
「デミデラックか……久方ぶりだな。最後に話してから二年ほどか」
『こう見えても忙しい身の上でな。ページをまだ捨てずにいてくれたとは殊勝な心がけじゃないか』
「私に何か用か」
『何か、とはご挨拶だな。こうして様子を見に来てやっているのに。フォシルが死んだ後、さしたる混乱もなく王宮はお前を受け入れた――これは念入りな根回しのおかげだな。はじめこそ民衆からの評判は芳しいものでなく、宮中にも暗殺を疑う者は一定数残っていたが、フォシルにも引けを取らない善政を敷く事で、悪評もなりをひそめている。首のすげかえはつつがなく完了したわけだが、気分はどうだ?』
「……考えている事がある」
と、陛下が虚空へ視線をやりながら、ぽつりとこぼします。
『なんだ? 人として最高の地位、栄耀栄華を極めたってのに、これ以上何を望むって?』
「ダームの事だ。奴らへのご機嫌取りはいい加減うんざりしてきた。フォシルはこれまでねじれにねじれた関係を修復すべく融和政策へ舵を切っていたが、私にはできそうにない」
『ほう……つまり?』
「ダームを滅ぼしたい。目障りだ。そして奴らの国を根こそぎにしてやる」
はははは! とデミデラックの哄笑が頭の内側で反響します。
『その肥大する野心、結局全然満足していないという事か! 前王フォシルが賢知なら、差し詰めお前は奸智の王だな! いいだろう、その企み、俺にも一枚噛ませろ』
「デミデラック。お前の狙いはなんだ? 私がフォレスを、そしてダームを食らい尽くす事で、どんな得をする。そちらもそろそろ、腹を明かしたらどうだ」
『俺には俺の事情があるし、互いに利害は一致している。それでいいだろうが。それよりどうする。ダームの兵は精強だぞ? 正面対決は避けたいんじゃないか』
「奴らを引きつけ、罠にかけて撃滅。その上でこちらから攻め込み、一気に首都を陥落させる、というのが理想だ」
陛下は座ったまま前のめりの猫背になり、組んだ手を顎の辺りにまで持ち上げます。
「ダーム側から事を起こすよう、誘導もしてきた。盗賊に金を握らせ、国境近くの村々を襲わせ金品を強奪し、時には有力者の家族を
『中々えげつない、悪質な嫌がらせだな。フォシルが聞いたら泣くぞ』
「にも関わらず、連中は忍耐に忍耐を重ねている。貝のように縮こまられては手が出せない。これではまず、戦争そのものすら引き起こす事はかなわんだろう」
『難儀な相手だな。それなら俺に考えがある』
「……聞こう」
『フィオナ――お姫様を使うのさ』
その名が出ると陛下は慮外そうに眉を上げ、私は心臓が引きつるような心地になりました。
何かの聞き間違いかと、そうであって欲しい、のに。
「……フォシルの忘れ形見か。あれをどうする気だ」
『今のダーム王は若い。だからここは一つ、フィオナを婚約相手として紹介するのさ。もちろん、ダームとの友好のため、とかなんとか口実をつけてな』
「それでどうする。本当に、ダームと仲良くなれとでも」
『婚約成立はただの第一段階だ。本番はフィオナ自身の手で国王を暗殺させる事。そうすれば連中は大混乱。慌てふためいているところにこっちの軍が攻め寄せて、皆殺しにするって算段だ』
そんな、まさか。私は湧き上がる嫌な予感に、無意識にふるふると首を振っていました。
「いいアイデアに思えるが、そうスムーズに進むものか。問題がいくつもある。まず、私はフィオナを遠ざけている。あれも私に苦手意識があるようだ――直感しているのやもしれんな、私が父親を殺した事を」
『だったらこれからはたっぷり甘やかしてやれ。それにけなげなお姫様だ、結婚の話だって、お国のためと言えば断るわけないさ、ははは』
「では、うまくいったとしよう。しかしどのようにダーム王を殺させる。フィオナが手を汚す事に頷くとは思えんし、殺すにしても明確な好機が巡ってくるとは限らんぞ」
『お姫様にはページを持たせて操る。それなら根っからの平和主義者だろうが殺意がなかろうが関係ない。そしてチャンスは結婚式。フォレスから酒を贈り、その中に毒を入れてダーム王へ盛る』
「毒殺、か……懐かしい響きだな」
『毒は俺の方で用意しよう。フォシルにも使った無味無臭、即効性のもので確実を期す』
ふん、と陛下は鼻を鳴らし、背筋を伸ばして足を組みます。
「その計略には致命的な欠陥がある。他全ての要素がうまくいったとして、お前の使うページではフィオナを意のままにはできまい。あれは単調な命令しか受け付けないはずだ」
『ページの弱点はもうお見通しというわけか。さすがだな……だが解決策は見つけている』
「ほう」
『確かに応用は効かないし、複数の物事を進ませるためには、互いをフォローしあうようにわざわざ複数人で組ませる必要があり、ページの消費も激しかった。だが一人に対して命令を別々のキーワードに切り分け、条件をつける事で連鎖して発動が可能なんだ』
「キーワード……?」
『いつ、どこで、何をするか。なおかつ分かりやすく、簡潔に! 今回なら、『結婚式』、『フォレスの酒』、『毒を入れる』。この順番で書き込めば、フィオナに組み込まれたプログラムは自動的にオンになり、絶対にダームの王の酒へ毒を入れるようになる。事が終われば命令は解け、フィオナ自身も何をしたのか忘れて、真実は闇の中、って寸法だ』
「なるほど……面白い抜け道だ。だから結婚式、か」
『そうだ。結婚式に限定できれば、それまでお姫様は従順な婚約者のままでいる。暗殺なんて考えもしないから、怪しまれもしない。結婚式で爆発する時限爆弾みたいなものさ』
「そのページをどうやって持たせる。結婚式の日までにページをなくしてしまう危険性とて残っているぞ」
『フォシルがお守り代わりにしていた青いペンダントがあるだろう。あれにちょっとした細工をする。中身をくりぬいて、ページと毒液を入れるのさ。これならどちらか片方ずつ持たせるよりも、よほど安心できるだろう?』
「毒液に浸かっても、命令はできるのか?」
『いや、それは無理だ。だからペンダントを二重構造にする。最初にページを丸めて詰めて、毒液を外周に流し込み、カモフラージュ。これで他の奴にはもちろん、フィオナにも疑いなくページを持たせておける』
それらの仕事は、腕の良い職人をこっちから紹介する、とデミデラックは付け足します。
陛下はしばらく黙っていましたが、やがて深く息をつき。
「……悪辣な男だ。お前がどんな顔をして私の前に直接現れるのか、その日が楽しみだよ」
『いずれはな、お目にかかるつもりさ』
けけけ、と嘲笑が響いたところで、私はこらえきれずに叫んでいました。
「――やめて下さい! こんなの、フィオナ様が可哀想です!」
でも、届きません。なかった事みたいに、二人の計画は順調に詰められていきます。
「ダームには誠意を過剰なほど見せて、改心した振りをするとしようか」
『それでも連中は甘くないぞ。王はまだ若輩だが、統治者としてはあんたに負けずとも劣らない』
「フィオナ様は、ずっと苦しんでいたんです! 自分が何もできないから、お父様をみすみす死なせてしまったって!」
『なあ、フィレンデン。あんたの野望が成ったら、次は俺の仕事に協力してもらいたい』
「元より、そういう契約だろう。今の私は気分がいい。お前が何を暴露しようと、笑って聞いてやらんでもない」
「この婚約だって、少しでも天国のお父様を安心させたいから、受けたんだって! あの日、私はそう聞きました、だから――!」
そして、フィオナ様がどうなってしまったのか。私はすでに知っているはずです。もう周りの景色はページに取り囲まれ、声は風音にかき消されてしまいます。
それでも私は、叫ばずにいられませんでした。
「こんなのひどすぎます! フィオナ様の気持ちは――ダームの王様も、フォレスのみんなも! みんなみんな騙されていたなんて、絶対許せない!」
「許せなきゃ、どうするって?」
ページが去って我に返ると、迷宮最奥の広間に戻っていました。台座には相変わらずデミデラックが佇み、顔を歪めて私を見下ろしています。
「まあ、しかしだ。この策は思わぬところで破綻した。フィオナだよ。あのお姫様がどういうわけか、命令を無視した。――いや、間違いなく命令を遂行はしたが、ダーム王は死に至らなかった。なぜか分かるか?」
「それは……」
「ページの効力を逆手に取ったロジックは完璧だった。なのに土壇場で何かあったんだ。……失敗だったよ。まさかダーム王が生き残り、お姫様の方が死ぬなんてな」
ぎり、と私は歯を噛み締めました。そうなるよう仕組んだ本人が、さも被害者みたいに語らないで下さい。
「意思を奪われていたにも関わらずフィオナがページの命令に逆らったために台無しだ。大人しく従っておけば生き延びられたものを――ああ、胸くそ悪い!」
「フィオナ様はきっと、ダーム王を愛していたんです。だから、毒で殺すような真似はできなかった。そうなるくらいなら、いっそ……って、自分を許せなくて、だからっ……」
私はデミデラックを睨み据えました。
「私は、あなたを許せません!」
「は……そうかっかするなよ。まだ話は終わりじゃない。むしろここからがハイライトだ」
底冷えのするような冷笑を浮かべるデミデラックに、私は無意識に後ずさりました。
「さて、その後何が起こったか。まだ完全に思い出せていないようだから、教えてやるよ。フィレンデンは結婚式に合わせて、フォレス軍を侵攻させた。ダーム王の死につけ込み、予定通り首都を攻め落とすつもりだったんだな。ところがお姫様の思わぬ抵抗により王は生き延び、ダームの兵士、将校どもは王を守ろうと奮起、どうにかこれを退けた」
そして、とデミデラックはとっておきの秘密を明かすように、ことさら声を低めて。
「――怒りに任せてフォレスへ反撃。その年のうちに滅亡させてしまったのさ」
「……え?」
滅亡。滅び。死。終わり。脳裏に送り込まれた単語が次から次へと連想されて。
「……めつ……ぼう?」
いや、嘘です。そんなわけがありません。だって私はこうして、生きて。
――違う。私は――。
「あぁ……そう……でした。私はもう……」
あの日。ダーム軍が城下町へ乗り込んで来た日。街は燃え、民家は崩れ、道路は踏み砕かれ、人は殺され。目を覆いたくなるような悲劇が、王都を襲ったのです。
私はたまたま街にいて、襲撃にも居合わせて。すぐに図書館へ走りました。けれどその時には火の手が、建物を包んでいて。
なのに私は中へ飛び込んだのです。無我夢中でした。一冊でも多く、本を守りたかったんです。たとえ、もう手遅れだったとしても。
「私も……傷だらけで。だけどこの日記帳だけは持っていけて、火から逃れるために地下書庫の、倉庫の部屋へ逃げ込んで。それで……そこで、意識がなくなりました」
何もない、狭く冷たい空間で。そこが私の終わりでした。日記帳を抱いたまま、無事である事にほっとして、目を閉じたんです。やっと思い出せました。
――でも、それなら。今の私は、何なのでしょう。
「……私は……誰?」
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