ぬいぐるみ

黒弐 仁

ぬいぐるみ

「わぁ~、もふもふだぁ~。」

金山道夫は娘の真奈の5歳の誕生日にくまのぬいぐるみを買ってあげた。真奈の喜ぶ顔を見て、彼は幸せを噛み締めた。

「ねぇ、パパも持ってみて~。ほら~。」

「どれどれ。お、本当だ!もふもふだなぁ!ははは、嬉しいか?真奈」

「うん、とってもうれしい!パパ、ありがとう!きっとみんなも、この子のことを気に入ると思う!」

真奈の言う「みんな」とは彼女の部屋にあるぬいぐるみのことである。彼女は持っているぬいぐるみ一つ一つに名前をつけ大切にしていた。

「この子には何て名前をつけるの?」

真奈の母親で、道夫の妻である佳世が聞いた。

「う~ん、まだ思い付かない!帰ってからゆっくり考える!」

幸せな気分のまま、三人は帰路に着いた。


数日後、道夫が会社から帰宅した時のことである。

その日は珍しく早くに仕事が終わり、18時過ぎに自宅に着いた。

「ただいまぁ~」

「あら、あなたお帰りなさい。ずいぶん早かったわね。まだお夕飯できてないんだけど…」

「あぁ、大丈夫だよ。真奈とお喋りでもしてるさ。」

「えぇ、そうしてあげて。あの子も喜ぶわ。部屋にいるわよ。多分お人形遊びをしているわ。」

「分かった。飯できたら呼んでくれ。」

そう言うと、道夫は愛おしい娘のいる部屋へと向かった。

「真奈ぁ~。ただいまぁ~」

彼は上機嫌にそう言うと、勢いよく扉を開けた。

「あ、おかえり!!パパ!!」

どうやら真奈はお人形遊びをしているようだった。

一見するとほほえましい光景である。が、娘の手にあるものを見た瞬間、道夫は言いようのない恐怖感を覚えた。

片方の手には先日道夫がプレゼントした可愛らしいクマのぬいぐるみを持っていた。だが、もう片方の手に持っていのは、見るもおぞましいぬいぐるみだった。

人の形をしているものの、右目は取れ、そこからは綿が出ていた。もう片方の目は残っているが、まるで生きもののようなギョロリとして怪しげな光を放っているようであった。頭には過去に髪の毛があったと思われるが、所々に少しだけ残っているだけであった。口もついているが、耳元まで大きく裂けていて、その中心には布でできているはずなのに、やけに肉々しい見た目の歯茎と黄色く変色した歯があった。肌の色は薄汚れた肌色で、カビが生えているのか黒く小さい斑点が至る所にあった。さらに、そのぬいぐるみは所々が破け、そこから綿が飛び出していた。

「ま、真奈!?そのぬいぐるみ…一体どうしたんだい?」

「えっとね、この子もね、もふもふなの!」

「いや、そうじゃなくて…その子はどこから持ってきたんだい?」

「えっとね、この子ね、おうちの裏のゴミ捨て場でさみしそうな顔してたから私が拾ってきたの!」

「真奈!ダメじゃないか!こんなものを拾ってきちゃ!!」

「でも…」

「でもじゃない!!ダメなものはダメなんだ!!!」

その人形に嫌悪感を覚えた道夫はいつも以上にきつく娘を叱りつけた。

「うわ~ん!!!!!」

いつもとは違う、尋常でない様子の父親の姿に怯え、真奈は泣き出してしまった。

「なになに!?どうしたの?」

言い合いをする声が聞こえ、佳世も部屋の中へと入ってきた。


その晩、夫婦の間では言い合いが行われた。

「真奈があんなものを拾ってきたのに、何で君は何も言わなかったんだ!」

「だ、だって、私だって気が付かなかったのよ!」

「気が付かなかったって…。それは君の目が行き届いてなかったってことじゃないのか?」

「そんなこと言われたって、私だって四六時中真奈のことを見ていられるわけではないのよ!」

「君は専業主婦だろ!確かに家事とかは大変だろうけど、それでも真奈はまだ5歳だ!何かあってからでは遅いんだぞ!今は家事よりも真奈を優先してくれ!家にいる間は、俺も手伝えることは手伝うから」

「分かったわ。その、ごめんなさい。」

「いや、俺も言い過ぎたよ。すまん。取り敢えず、あの人形は明日捨ててくるよ。それでいいかい?」

「えぇ、大丈夫よ。お願いね。」


翌日、道夫は出勤の途中でゴミ捨て場に立ち寄り、そのぬいぐるみを捨てた。他にも様々なゴミが捨ててあったが、なるべく下の方の、人の目につかないようなところに押し込んだ。

(これで大丈夫だろう。しかし、真奈があんなものを拾ってくるとはなぁ。教育のこと、もう少ししっかり考えてかないといけないなぁ。)

そんなことを思いながら道夫は足早に会社へと向かった。


「ただいま。」

「おかえりなさい。ずいぶん遅かったわね。」

「まぁ、その、仕事がなかなか大変でな。」

仕事をしている最中にもあのぬいぐるみのことが道夫の頭の中をよぎり、いまいち集中できずミスを連発し、帰るのが遅くなってしまったのだった。

「真奈は?もう寝たのか?」

「えぇ、さすがにもうこの時間だと眠くなってしまうみたいなの。」

「ははっ。子供はいいなぁ。羨ましいよ。」

「ごはんとお風呂どっちにする?」

「う~ん、腹減ってるから先に飯で。」

「分かったわ。荷物置いてきたら?」

「あぁ、そうするよ。」

道夫は自分の部屋へと向かった。その部屋は道夫の仕事の資料や日用品が置いてあり、一つの小さな机に二つの棚、そしてクローゼットが置いてあるだけである。

そのような質素な部屋だからこそ、目立ったのかもしれない。

彼は部屋の明かりをつけ、自分の机の上にあるその異質なものを目にしたとき、心臓が飛び出たのではないのかというほどに驚いた。

そこにあったのは、あのぬいぐるみだった。

その不気味な見た目、綿の出ている箇所、黒いシミのある位置。間違いなくそれは道夫が今朝ゴミ捨て場に捨ててきたものだった。

「おい!!!一体どうなってるんだ!!!!」

彼は怒り気味に叫んだ。

「な、何!?いったいどうしたの!?」

驚いた佳世が慌てて彼の部屋に入ってきた。

「どうしてこれがここにあるんだ!!!」

「えっ!?えっ!?私、知らないわよ!?ど、どういうこと!?」

「聞きたいのはこっちだ!!!」

そういうと道夫は佳世を押しのけ、部屋を出ていった。そしてその足で真奈の部屋へと向かった。

「おい!!真奈!!起きろ!!!これは一体どういうことなんだ。」

彼は乱暴に部屋のドアを開け叫んだ。そしてその声に驚き真奈は飛び起きた。

「パ、パパ!?どうしたの!?」

「どうしたのじゃない!!なんでこれが家にあるんだ!!!」

そう言って彼はあのぬいぐるみを見せた。

彼の怒鳴り声に恐れを抱いた真奈は怯えた声で答えた。

「えっ、私知らないよ?だって私今日…」

「言い訳をするんじゃない!!!理由を説明しろと言っているんだ!!」

「だ、だって…。ほんとに知らないもん…。知らないんだもん!!!」

そういうと真奈は泣き出してしまった。

「ちょっ、ちょっとあなた!!!何してるのよ!!!」

佳世が慌てて部屋の中に入り道夫を牽制した。

「俺は理由を聞こうとしているだけだ!!!邪魔をするなよ!!!」

「理由を聞くだけって…真奈泣いちゃってるじゃないの!!やりすぎよ!!!それに今日は真奈は一日中家にいたわ!!!私はしっかり見ていたもの!!!」

「それじゃあ何でこれがここにあるんだ!!!」

もう夜も遅い時間帯であったが、彼らの言い合いと娘の泣き声はしばらく続いたのだった。


翌日、道夫は通勤のルートを変え、自宅から少し離れたコンビニエンスストアに立ち寄った。自宅の近くには同じチェーンのものがあり、普段ここに来ることは道夫はもちろんのこと佳世や真奈も来ることはない。

そして道夫は店の前に置いてあるゴミ箱にぬいぐるみを突っ込んだ。

(これならさすがに拾ってくることはないだろう)

道夫は満足して会社へと向かった。


「あ、おはようございます。金山さん。」

始業時刻ギリギリになってオフィスに到着した道夫に彼の後輩があいさつした。いつも通りの光景のはずであるが、その後輩の目には不審な色が漂っていた。

「どうした?なにかあったか?」

「いえ、あの、その…。机の上のあれ、何です?」

「え?机の上?」

道夫は自分の仕事用デスクを見ると、全身から血の気が引くのを感じた。

彼のデスクの上には、あのぬいぐるみが置いてあった。

(な…なんで!?確かに、ゴミ箱の中に押し込んできたはずだぞ!?)

流石に今度ばかりは娘や妻の仕業ではないことは道夫にも理解はできた。しかし、なぜこれがここにあるのかは全く理解できなかった。

「金山さん?顔色…悪いですよ?」

彼の後輩が心配そうに声をかけてきた。しかし道夫は何も答えることができなかった。


業務は開始しているにも関わらず、道夫はその人形を持ってビルの外をさまよっていた。今の彼にとっては仕事のことよりもぬいぐるみの処分のほうが重要であった。

そして彼は雑居ビルの前に一台の軽トラックが停まっているのを見つけた。荷台には机やら棚やらがあることから何か引っ越しの作業でもしているようである。

そのトラックの近くに誰もいないことを確認すると、道夫は荷台にぬいぐるみをそっと入れ、物陰からその軽トラックが発射したのを見届けるとその場を後にした。

道夫がオフィスに戻ると彼の上司が待ち構えており、これでもかというくらいに怒鳴られた。しかし、怒鳴られながらも道夫は、自分のデスクの上にあのぬいぐるみがないことを確認し、心底安心した。


その日の夕方、仕事を終えた道夫はいつも通りの帰り道を歩いていた。昨日今日と仕事に身が入らずミスの多かった道夫を見て、彼の上司は「早く帰って休め」と気を利かせてくれたのだった。

今日のことがあって、道夫は昨日のことは真奈や佳世の仕業ではないことに気が付いた。

(怒鳴ってしまって悪かったな…。お詫びにケーキでも買って帰るか…)

そんなことを思いながら、彼が帰宅の際にいつも通る公園の中を歩いていると、道夫の目の前に上から何かが落ちてきた。

「ん?」

道夫は目の前に落ちてきたそれに視線をやった。その瞬間、彼の全身の毛穴から汗が滝のように吹き出した。

あの人形だった。

道夫は上を見上げた。そこにはただ夕焼けの赤い空が広がっているだけ。近くに高い建物などもない。続いて周りを見てみる。公園は小さく、全体を見渡せるほどである。そしてそこに人影はなかった。

その人形は、何もないところから急に現れたのだった。恐ろしさに駆られ、道夫はぬいぐるみをそのままにし、足早に家へと向かった。

「た、ただいま。」

「あらおかえりなさい。随分と早かったのね。」

佳世は不機嫌そうに出迎えた。恐らく、昨日のことをまだ怒っているのだろう。しかし道夫にはそんなことを気にしている余裕などなかった。

「ま、まぁね。取り敢えず、鞄を置いてくるよ。」

そう言い捨てて彼は自分の部屋へと向かった。

道夫は恐る恐る自室の扉を開けると、机の上を確認した。そこにはペン立て、ラジオ、それと仕事用の書類が置いてあるのみであのぬいぐるみはなく、心底安心した道夫はふぅっと息をついた。

その時、

「きゃあぁぁぁぁぁあぁぁあぁあああぁぁあぁ!!!!!!!!!!!!!」

家じゅうに響き渡るような佳世の叫び声が聞こえてきた。

慌てて道夫が台所へ向かうと、佳世は腰を抜かして床にへたり込んでいた。

「佳世!?一体どうしたんだ!?」

道夫が聞くと、佳世はぶるぶる震えながら冷蔵庫を指さした。

冷蔵庫の扉は開いており、道夫は中を覗いてみた。

「嘘だろ…。何で…。」

そこには、あのぬいぐるみが入っていた。


その晩、そのぬいぐるみを前に、夫婦は話し合いをした。

「あなた…この人形は間違いなく何か呪われたものなのよ…」

「そんなこと…言われなくても分かっているよ。問題はこれをどうするかだ。捨てても捨てても戻ってくるんだぞ。」

「そうね…。やっぱり…お祓いとかしてもらった方がいいんじゃないかしら…。」

「お祓いか…。」

「そうよ。きっとお寺に持っていけばこの人形を供養してくれるんじゃないかしら。なんか、人形の供養をやってくれるお寺があるって聞いたことあるわ。」

「そうか。それじゃあ、調べてみよう。なるべく早い方がいい。明日、有休をとるから行ってみよう。」

「そうね。それがいいわ。」


翌日、道夫は遠く離れた供養寺へと車を走らせた。その寺は道夫たちが住む県の外れの山奥にあり、たどり着くのに二時間ほどかかった。

寺につき、住職にあいさつすると、道夫はさっそくぬいぐるみを見せ、事情を説明した。

「分かりました。こちらでそのぬいぐるみを預かります。できる限り丁寧に供養してみましょう。」

「よろしくお願いします。」

道夫はぬいぐるみを寺に託すと、車を走らせさっさとその場を後にした。一秒でも早くその人形から離れたかったのだ。

朝早くに出発し、寺にいた時間もそんなには長くなかったため、道夫が自宅へと戻ったのはまだ日の高い時間帯だった。

「ただいま。」

「おかえりなさい。どうだった?」

「あれは寺に預けてきたよ。取り敢えず一安心じゃないかな。」

「そう。疲れたでしょう?少し横になったら?」

「あぁ、そうするよ。ありがとう。」

道夫は寝室に行きベッドに横になると、精神的な疲れからかすぐに眠りについた。

しばらくして空腹を覚えた道夫は目を覚ました。が、眠気が完全に取れていなかったためしばらくはベッドの中でもぞもぞしていた。そうしているうちに、ベッドの中に何かがあるのに気が付いた。

(なんだこれ…なんか…もふもふしてるなぁ…)

寝ぼけながらそれをいじくっていたが、やがて道夫は目を開けて確認した。

「うわぁあぁぁぁぁぁぁぁぁあぁぁぁぁあぁあぁぁ!!!!!!!!!!!!!」

道夫は悲鳴を上げた。

「あなた!?一体どうし…」

道夫の声を聞き、寝室に入ってきた佳世は思わず固まってしまった。

そこには、あのぬいぐるみがあった。


「こうなったら、仕方がない」

そういうと道夫は、ぬいぐるみとチャッカマンをもって庭へと出ていった。

「あなた?一体何する気?」

佳世の質問にも答えず、道夫はせっせと準備を進めた。

「パパ?何してるの?」

道夫の行動に興味を持った真奈が庭にまでやってきた。

「真奈。危ないからあっち行ってなさい。」

「その子、どうするの?いじめないで上げて。」

「うるさい!!いいから向こうに行っていろ!!!」

道夫は乱暴に怒鳴った。ここ数日の精神的な疲労により、道夫はすっかり怒りっぽい性格になってしまっていた。真奈は泣きながら道夫から離れていった。

真奈が家の中へ入っていったのを確認すると、道夫はそのぬいぐるみに火をつけた。

道夫の予想以上にぬいぐるみは燃え上がった。気のせいか、異様に黒い煙を出しているように道夫には見えた。

30分ほどが経過した後、道夫はバケツに汲んでおいた水をかけ、火を消した。確認する限り、ぬいぐるみは原型をとどめておらず、単なる消し炭となっていた。

道夫はその消し炭をゴミ袋に入れると袋の入り口をきつく締め、ゴミ捨て場へとそれを置いてきた。


それからしばらくは何事もない日々が続いた。道夫の精神状態も回復し、ぬいぐるみのことで拗れてしまっていた家族の関係も修復に向かっているように思えた。

しかしながら、それも長くは続かなかった。

ぬいぐるみは現れなかったものの、別の奇妙なことが道夫の周りで起こり始めた。


ある朝、家族で朝食を摂っていた時のことである。

「うわ!?ペッペッ!なんだ!?」

道夫は口の中に違和感を感じて中のものを吐き出した。そこには白米が咀嚼されたものがあったが、その中に別のもが入っていた。

「おい、なんだこれは。綿じゃないか。なんでこんなものが入っているんだ?」

「変ねぇ…。買ってきたお米の中に混じっていたのかしら…。」

「おいおい、しっかりしてくれ。これじゃぁ朝飯が台無しだ。」

「ごめんなさい。よく確認してみるわね。」

しかし、その後佳世が米袋の中を確認してみても綿らしきものは入っていなかった。

その後も奇妙なことは続いた。

別の日、夕食後、佳世が食器を洗っていると急に水道から水が出なくなった。

「ねぇ、あなたちょっと来て。」

「どうしたんだ?」

「なんかお水でなくなっちゃったのよ。ちょっと見てくれないかしら?」

「どれどれ」

しかし、いくら道夫がいじくってみても水が出てくる気配は感じられなかった。

「う~ん、何が原因かさっぱりわからんなぁ…。明日、水道屋さんに来てもらった方がいいんじゃないか?」

「えぇ、そうねぇ。それにしても困っちゃうわ…。洗い物どうしましょう…」

夫婦で話し合っていたその時、


ブバッ!!!


そのような音がした後、水道から水が出始めた。どうやら何かが引っ掛かっていたらしかった。

「あ、水…出たわ」

「いったい何が詰まってたんだ?」

二人はシンクの中を見てみた。そして、自分たちの目を疑った。

そこには大量の湿った綿が散乱していた。

また別の日、道夫は風呂の中でその日の疲れを癒していた。目を閉じ、湯に浸かりながら至福のひと時を過ごしていると、急に体全体に違和感を感じた。それまで感じていたお湯の温度はなくなり、また体全体に伝わるのは、液体ではなく個体の、それもかなり柔らかい何かであった。

道夫はゆっくりと目を開けてみた。道夫の視界に入ったのは湯舟いっぱいに詰まった綿だった。


その後も時と場所を選ばず綿が現れた。仕事用のカバンの中、オフィスで飲んでいたコーヒーの中、夕食を作る際に切った野菜の中。さらには夜寝ている時に天井から降ってくることもあった。

彼らの日常はどんどん綿に侵食されていった。

そうした怪異に遭遇していくうち、夫婦の神経はどんどんすり減っていった。


その晩、夫婦はまたもや言い争いをしていた。

「あなた、間違いないわよ。これは、あのぬいぐるみのせいよ!!」

「そんなこと…言われなくても分かっている!!!だからどうしろというんだ!!」

「元はといえば、あなたがあのぬいぐるみを燃やしたのが原因でしょ!!」

「それを言ったら、そもそも拾ってきたのが原因だろ!!お前がもっとちゃんと真奈を見ていればこんなことにはならなかったんだ!!!」

「何よそれ!!!私のせいだっていうの!?」

「じゃあ何か!お前は真奈のせいだとでも言いたいのか!!!」

「パパァ?ママァ?」

夫婦で言い合いをしていると真奈が眠たい目を擦りながらやって来た。どうやらいつの間にか声が大きくなり、起こしてしまったのだった。

「真奈?起きちゃったの?」

「喧嘩してるの?喧嘩はよくないよ?やめて?」

真奈は泣きそうな顔をしている。

「あぁ、すまなかった。ごめん、ごめんよ。真奈、おいで?」

道夫は真奈を抱き締めて落ち着かせようとようと手招きした。

恐らく、起きたばかりで足元がおぼつかなかったのだろう。真奈はヨタヨタ歩き、道夫のところへ来ようとした。だが…

「あっ」

真奈はよろけて転び、床に手をついた。

その時、その瞬間のことを夫婦はしっかりと見ていた。

その床についた手が、手首から少し上のところでグニャリと音もなく曲がったのだ。

「あなた、今…」

「あ、あぁ…」

骨が折れたのとは違う、何か柔らかいものが曲がったように二人には見えた。

そして真奈はそのまま体ごと床についた。

「ま、真奈!?」

道夫は娘のところへ駆け寄った。

「真奈、ちょっと手を見せてごらん?」

そう言うと道夫は真奈の腕に触れ、よく観察した。触れた感触は人間の皮膚のそれだった。またその見た目も確かに、普段から見慣れた細く白い華奢な真奈の腕であった。

(さっきのはやはり見間違いだったのか?)

道夫は思った。しかしさっき、佳世も同じ反応を示していた。二人揃って悪夢でも見ているのかと道夫は思った。

娘の腕に触れている内、道夫はおかしなことに気がついた。

少しだけ、手に力を込めてみると、その皮膚の内側には肉と骨の感触はなく、指がめり込んだ。

(まさか!?いや…そんな馬鹿な…)

道夫は真奈の腕に親指を力一杯立ててみた。すると、道夫の指は音もなくどこまでもめり込んだ。

道夫は恐怖心を覚え、一気に心拍数が上がったのを感じた。

次に、道夫は真奈の腕を両手で軽く捻ってみた。すると、その腕はまるで雑巾を絞っているかのようにどこまでもねじれたのである。

「少し待っててくれ」

そう言うと道夫は台所へ行き、包丁を手にして戻ってきた。

そして、真奈の腕に包丁を突きつけ、呼吸を整えると一気に突き刺した。

血は出なかった。その代わり、切り口からはこれまで道夫と佳世を疲弊させてきた原因のものが出てきた。


綿だ。


真っ白な綿が、切り口からとめどなく溢れている。

「ぎゃあぁぁぁぁぁあぁん!!!!」

激痛が走っているのか、真奈は大声をあげて泣き出した。

しかし、そんなことはお構いなしに、道夫は顔、足、腹と包丁で切り開いていった。

すると、どの切り口からも綿が次々に溢れてきた。

「うわぁぁぁぁぁぁぁぁあ!!!!わ、綿だ!!綿に浸食されてやがる!!」

道夫は後ずさった。そして、その背中が佳世とぶつかった。

「お、おいっ!佳世!真奈が!!真奈がぁ!!!」

しかし、佳世から返事はない。

「佳世?」

道夫は振り向いた。

「う、うぅ…うぅぅ…」

そこには顔を手で覆い、唸りながら苦しんでいる佳世の姿があった。

「か、佳世!?どうしたんだ!?おい!?しっかりしろ!!」

「あ…あなた…顔が…顔が痛いの…目も耳も鼻も…全部が痛いの…」

そう言うと、佳世は道夫と向き合った。その時、


ボトッ…


佳世の顔から右の眼球が転げ落ちた。

眼球のあった場所からは真っ白な綿が溢れていた。続いて耳、鼻、口からも綿が次々に溢れていく。

「あらたぁ…あうけてぇ…」

佳世は口に綿が溢れ、うまく言葉を言えないようであった。

「うわぁ!!うわぁあ!!来るな!!来るなよぉ!!!」

道夫は持っている包丁を振り回した。包丁が佳世の体にあたると、その切り口からは綿がどんどん出てきた。

「あらたぁ…おへはい…あうけてぇ…」

切り刻まれるのをものともせず、佳世は道夫にしがみついた。

「パパァ…痛いよぉ…」

佳世に続いて、真奈も道夫にしがみついた。

二人の体からは綿がとめどなく溢れ、それらが道夫の体を包み込んでいった。

「ひぃいぃぃ!!!やめてくれぇ!!嫌だ!!嫌だぁ!!!誰か!!誰か来てくれぇ!!だれかぁぁあぁぁあ…










はは…あははは!!あははははははははは!!!!も…もふもふだぁ!!!!あはははははは!!!!あははははははは!!!!もふもふだぁあぁぁあぁ!!!!!あははは…あはははははははあはあはははは!!!!!!!!!!!もふもふなんだぁ!!!あはあははあはあははははあは!!!!!あはははっはっはははははははははっはっはははははははははあっはっはははははははははははは!!!!!!!!!!!!!!!!!!!」






絶えず起こる恐怖という名の非現実に取り込まれ、道夫はついに、発狂してしまったのであった。


その日の深夜、警察が金山家へとやって来た。

その家の娘の悲鳴が聞こえる。ご主人の不気味な笑い声が聞こえると近隣の家から通報があったためだ。

インターフォンを押しても返事がなかったため、警察はドアをこじ開け、家の中へと入っていった。

そこで警官が目にしたものは、見るも無残な姿となったその家に住む三人の遺体であった。

その家の娘と男の妻は顔、腕、足、首など身体中のありとあらゆる箇所を刃物で切り刻まれており、部屋中にが飛び散っていた。男の手には血のついた包丁があったことから無理心中を謀ったものだと思われた。

だが、男の遺体には外傷がなく、死因が不明であったため、検死に回されることとなった。




奇妙なことに、検死の結果は喉に綿が詰まったことによる窒息死だった。

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