君と

夕焼けに憧れる本の虫

第1話


 やけに静かな朝だった。

 目を開けると、隣にいるはずのあいつはいなくて、やっぱり外は白かった。


「さむっ」


 エアコンの電源を入れ、布団から出る。

 時計を見ると、もう昼直前。


 寒い。まだ眠い。腹減ったな。……あいつ、またいなくなったな。


 無造作に食パンを袋から出し、口に入れる。

 雪にも、あいつがいなくなるのにも慣れている。けど、なんとなく、もう戻って来ない気がした。

 騒ぐほどではない、微かな虚無感。

 ひときれ食べ終わると、冷蔵庫に立ち牛乳を口に含んだ。


「つめて」


 美味しいけど。




 あいつは、執着とも取れるほどに一途だった。

 「友達」なんて生易しい関係ではいられなかったとか、そんなことはなかった。でも、俺たちは気付いたら身体を重ねていた。

 涙を湛えた瞳は妙に熱っぽくて、気恥ずかしさなんて忘れちまうくらいには俺も本気だった。……そう気付いたのは、つい最近だけれど。


 「あいつが求めてくるから」。そんな甘ったれた理由を楯に、俺はあいつと一緒に居続けた。


 そんな生活、長く続く訳なんてないのに。

 好きなら好きと、伝えるべきだったのに。


 洗面所で歯を磨き、顔を洗う。

 鏡に写った自分が見える。……酷い顔だ。





 これまで、人を追いかけたことなんて無かった。

 「来る者拒まず去る者追わず」。それが一番楽だった。

 これからも同じだと思ってた。……数秒前までは。


 家を出た俺は、走っている。

 昨晩触れたあの頬の柔らかさを求めて、走っている。

 どこにいるか、何となく見当はついていた。……ついていても、今までは追いかけて来なかった。


「……何しに来たの」


「帰ろう」


 迷惑そうに、でも少し意外そうに俺を見た彼は、目を逸らし静かに問うた。


「どうして?」


「やっぱり、お前のことが好きだ。これからも一緒にいたい。だから、」


「やっぱりって何? それに……もう良いんだ」


「な、」


 なんだそれ。


 もう良いって何だ?

 もう、都合のいいお前は要らない、と。そういうことなのか?


 あの時、キスさえ拒めば。あの時、手を振りほどいてさえいれば。


 お前が好きだった、でも手を出せなかった奴とはこれからも友達で、何となく手を出された俺とは縁を切る?


 ——なんだそれ。


「お前だって! 好きだって言ってくれたじゃないか。なのに、何で」


「もう、戻れない」


「は?」


「もう、その気持ちには戻れないんだ」


「……好きにはなれないってことか」


「ごめん」


 なんだよ、それ。

 前はあんなに好きだって言ってきたくせに。

 俺がどんなに酷いことを言ったって、一緒にいたいって言ってたのに。

 もう、愛想尽きたってか?

 今更「好き」だとか、もう遅い?


「……そっか」


 充分過ぎるほどの理由。

 俺は、こんなデカい爆弾に対抗できる程の人間じゃない。

 脳が理解してしまって、もう、足搔けさえしない。


「分かった。じゃあ……幸せになれよ」


「……うん」


 もう、あの手に触れられることは無い。

 男にしては柔らかな髪が、肌が、俺に触れることはないのだ。


 「好き」だと生まれて初めて伝えた俺に降りかかったのは、生まれて初めての失恋、なのだろうか。

 それはあんまりに酷じゃないか。

 初めて好きだと思えた人なのに、どうして俺は……。


 タイミングの問題?

 相性の問題?


 離れて行く背中を見ながら、不毛な思考だと頭を振る。

 もう、あいつの気持ちがこっちを向くことは無いのだ。

 俺が、悪いから。


 俺が、もっと早くに気付いていれば。

 もっと早くに伝えていれば。


「クッソ……」


 視界が滲むのは、失恋の痛みからだろうか。

 もう何も分からない。だけど、はっきりしているのはひとつだけ。


 ……もう、一緒にはいられない。

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