第20話 荒野の国-⑳




 塔が崩れていく光景を、誰もが呆然と見つめていた。

 倒れ、意識を失っていた兵士たちも。

 避難を終えた、工業エリアの作業員たちも。

 リトアニア市民たちの誰もが皆、豊かさを取り戻してくれた塔が、壊れていくのを見ることしか出来ないでいた。


「クロード、クロードっ!」


「兄さん、兄さん……!」


 瓦礫の雨の中、アークとサラーサの二人は、地面に落ちたクロード――ロードを抱き起こし、必死に声を掛けている。かろうじて呼吸はしているものの、明らかに致命傷である。

 どうにか。どうにかして、彼を救えないのか。

 アークは傷を癒す方法を知らない。いや、知っていたとしても、今の彼が治療に耐えられない、ということを理解している。


 春秋が放った、塔を破壊した一撃――『Яe・zeroリ・ゼロ』は、ありとあらゆる力を収束した上で、極小の球体となったエネルギー体の内部でさらに、変換を繰り返した結果だ。

 一度に変換する際に、およそエネルギーを十倍に増幅させる命の炎。

 限りなく増幅されるエネルギーを、極小の球体に押し込めた。

 着弾すればまず、人の肉体では到底耐えることすら出来ない。


 だが、結果的にはロードの肉体は蒸発しなかった。

 左半身のほぼ全てを失っていてもなお、かろうじて、存命している。

 それは――きっと、二人の思惑が重なったから。


「さ、らーさ……」


「兄さん!」


 瞼を痙攣させながら、目を覚ます。その名前を呼ぶことが、どんな意味かは誰よりもサラーサは理解している。

 瞳を開けた人物は、ロードではない。クロード・レギオン。サラーサの、兄である。

 どうして、という疑問よりも先に、サラーサはクロードを抱き締め、泣きついた。

 やっとの想いで言葉を交わせた兄に、縋るように泣きじゃくっている。


「ご、めん、ね。ぼ、くは、それでも、世界、を」


「わかっている。わかっているさクロード。喋るな。喋らないでくれ……!」


 アークもクロードに、瞳に涙を溜めて、語りかける。

 この語り合いが終わってしまえば、クロードは――そう、理解してしまっているから。

 クロードは、もう、限界である。それでも、最後の気力を振り絞って、言葉を吐いている。


「聞いてやれ。もう、助からない」


 息も絶え絶えなクロードの背中を押したのは、他ならぬ春秋だった。

 キッ、とサラーサもアークも春秋を睨む。

 それは、世界を壊す怨敵に対してではなく――ただただ、兄を奪った人物への、怒りが込められた視線。


「さらーさが、いる、せかい、を。みらいを、守り、たかった」


 クロードの瞳は、もう、焦点が合っていない。

 吐き出される言葉を、サラーサは必死に受け止めている。

 一言一句、聞き逃さない為に。大切な、兄の言葉だから。


「だか、ら、ろーどに、からだを、あずけ、て。あはは……でも、そう、だよね。こんな、ほうほう、まちが、ってる」


「兄さん……」


「それでも、ぼくは、さらーさの、えがおが、みたかった、から」


 春秋が一歩踏み出し、クロードの顔を覗き込む。けれどもクロードはもう、春秋の方を向くことも出来ない。おびただしいほどの量の血が流れ、言葉を吐けている今こそが、異常であることを告げている。


「……私は、私は、兄さんが傍にいてくれれば、それだけで幸せだったんですよ」


「あ、は。そ、っか……」


「ばか、ばか、ばか兄さん。大好き、大好き、なんだからっ」


 ぽろぽろと大粒の涙を零しながら、愛の言葉を叫ぶサラーサ。

 クロードの手をしっかり握りしめているその手は、けれどクロードは決して握り返すことはない。


「はるあ、き、さま」


 うわごとのように、クロードは春秋を呼ぶ。

 春秋はそっと、クロードへと歩み寄った。膝を曲げ、虚ろな瞳を覗き込む。

 春秋の顔も見えないであろうクロードは、それでもしっかりと、春秋へ語りかける。


「おねが、い、しま、す。せかい、を――」


 ――けれども、そこが限界だった。クロードの身体から力が抜けていく。虚ろな瞳から完全に生気が失われ、かすかに残っていた命の灯火が、消える。

 兄さん、と叫ぶサラーサ。クロード、と友の名を呼び続けるアーク。

 春秋は一度瞳を閉じて、すぐに見開く。その表情には、もはやクロードの死をいたわる感情は一切込められていなかった。


「その言葉、しかと受け止めた。――お前に来世があるのであれば、今度こそ、幸福を」


 『次』を祈り願う言葉であれど、感情が篭もらないのであれば、ここまで冷たく感じるのか――と、アークは春秋を見上げながら、そう考えていた。

 春秋は、背を向けて歩き出す。塔の崩壊を見届けるつもりすらないのだろう。

 崩れゆく中央の塔は、沢山の犠牲の上に成り立っている。捕われた転生者たちもまた、役目を終えてその命を散らしていく。


 ――よかったと、言葉が届く。

 ――解放されたと、感謝の言葉だ。


「……っ」


 だが、その言葉こそが春秋を苛ませる。振り向かないのは、最後の最後に――弱い表情を見せたくないからだ。


「俺を恨むがいい。憎むがいい。世界を滅ぼす怨敵として、武器を手に取り俺を殺しに来てもいい。全てが終わった時、俺はその刃を甘んじて受けよう」


 アークではなく、サラーサへ向けられた言葉である。

 幸福を奪ったのは、他の誰でもない春秋だ。春秋さえ来なければ、クロードとの再会は叶わなくても――サラーサは、クロードを失うことはなかった。

 だから、その責任は全て己にあると、春秋は告げる。


「俺は世界を滅ぼす悪魔だよ。荒野の国はもう保たない。俺は次の塔を壊しに行く。残る六つの塔を破壊し、この世界を終焉に導く」


「でも、春秋様は、春秋様は……っ!」


 顔を上げたサラーサが、春秋の背中を見つめた。サラーサ自身が、うまく感情を言葉に出来ないでいる。

 当然のことだ。目の前にいるのは、まごう事なき、人々の幸福を奪う存在。最愛の兄を奪った存在。世界を壊す大罪人。

 でも――。


「あなたは、あなたは泣いていました。あれはきっと、自分がすることの重さを理解していたから……っ!」


 宿屋に止まったあの日、サラーサは窓際に腰掛ける春秋を見ていた。

 夜空を見上げていた春秋は、サラーサが目覚めていたことに気付きもせず、ただただ空を見上げることに夢中になっていた。

 その時頬を伝っていた涙を、サラーサは見ていたのだ。その涙の意味を、サラーサはようやく理解した。


「春秋様、あなたは――」


「ありがとうサラーサ。でも、それ以上はいけないよ。その言葉を口にしたら、お前は俺と同じ、世界を滅ぼす大罪人だ」


「っ――」


 サラーサが口にしようとした言葉は、決して春秋が危惧する事態にはならない。

 だって、サラーサは気付いている。理解している。

 春秋が、何をしようとして、何を背負おうとしているのか。

 短い間でも、共に旅したサラーサだから理解出来たことだ。


 春秋が、振り向いた。柔らかな微笑みを二人に向けて、その背に金色の翼が顕現する。


「さらばだ、人の子よ」


 翼をはためかせ、春秋は空を駆ける。誰よりも、何よりも速く。

 空を舞う春秋を見送るように、サラーサとアークは空を眺め続けた。


「あの方角はきっと、森の国……エルフたちが住む、木々に覆われた国だろう」


「春秋様……」


「サラーサ、ここから離れよう。春秋さんの言葉通りなら、ここはもう、この国を支えられない。市民に真実が漏れれば、暴動が起きる」


 きゅ、とアークはサラーサの手を握り、立ち上がらせる。

 手を引いて、静かに歩き出す。兄の遺体を置いていくことに躊躇いはあるけれど、それでもサラーサは歩き出した。


「クロードのためにも、春秋さんのためにも……君は、私が守る。守らせてくれ」


 アークの問いに、サラーサは答えなかった。

 けれど、アークの指示に従うように、手を引かれるまま歩き出す。

 最後とばかりに、春秋が消えていった空を見上げ――。


「……春秋様。あなたは……きっと、誰よりも、人間のことが好きなんですよね」


 その言葉は、誰も応えることはなく、緩やかに空に消えていった。

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終わる世界のエピローグ @abel_cross

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