恋の塩加減

今川 巽

第1話

「疲れてるんじゃない、サワ先輩」

 一つ年下の後輩から会社帰り、ご飯を食べに行かないと言われて沢野は迷った、断ろうとしたが桐里は強引に誘うので珍しいと思いながらも頷いた。

 「どこに行くんだ」

 桐里は童顔だ、三十なったばかりだというが、若く見られるのか、かわいいと思われているのか女性からの誘いも多い。

 だが、ここ最近はどうだろう。

 「どこへ行くんだ」

 「ごはんと味噌汁、他に何があるかわからないけど」

 曖昧な言葉だ、てっきり、どこかの料理屋、飲み屋だと思っていた沢野は、まあいいかと思ったが。

 しばらく歩いて、店に着いてみれば、おい、説明しろといいたくなったのは無理もない、普通の家なのだ。

 もしかして隠れ家的レストランというものかと思ったが、看板らしきものもない。

 普通の一般家庭の家だ、しかも、チャイムも鳴らさずにドアを開けた。

 「おいっ」

 もしかして知り合いの家なのかと思った沢のだが早くと言われて仕方なく入った。


 「あれ、レディ、ウェルカム、してくれたの」

 中に入ると驚いた後輩の声に沢野は挨拶しようとした。

 だが、誰もいない、玄関には一匹の猫がいるだけだ、しかも、かなり大きい猫で毛も長い、外国の猫だろうか。

 「さあ、先輩、入って遠慮せず」

 ここはおまえの家なのかと聞きたいが、後輩はずんずんと奥へと入っていく。 

 リビングらしき部屋には大きな机、その上には色々なものが無造作に並んでいる、化粧品のようなガラス瓶、チラシ、散らかっているという訳ではないのは一目見てわかる。

 「ご飯できてるよ」

 机に向かって振り返ることもしない相手に沢野は少し戸惑った。

 「ちょっと、手が離せないけど、ご飯が炊けてるから」

 「やった、実は会社の先輩もいるんだ」

 その言葉に相手が初めて振り返った。

 「かつおぶし、出してあげてね」

 「レディ、まだいたんだ」

 「預かってるだけ」

 甘えすぎだよと後輩は一人言のように廊下に向かって、レディ、ウェルカム、カモーンと声をかけた。

 

 ここ数日、沢野は自分の体調とテンションがひどく落ち込んでいることに気づいた。

 だが、それを人前では顔には出さなかった、しかし、内心、自分は病気ではと思ったぐらいだ。

 数日前に後輩に誘われて行った場所で食べたのは味噌汁とご飯と漬け物だった。

 食べ始めて思ったのは、かなりの薄味だなというぐらいだった。

 ところが一緒に食べていた後輩は、あっというまに、ご飯をお代わりした味噌汁もだ、そして漬け物を一口食べて酸っぱいと呟いたのだ。

 

 


 「桐里、どっか食べに行くか」

 誘うと後輩は少し考えて、やめときますと答えた。

 「自炊をはじめると、料理が楽しくて、外食が面倒なんです」

 「そ、そうなのか」

 予想もしない答えだった。

 「塩はいいんです、でも脂っこいのは正直、辛いんです、ほら、この間、食べに行ったでしょう」

 数日前の事を思いだし、沢野は、ああと声を洩らした。

 「親戚なのか」

 「まあ、そんなもんです、美味しくなかったですか、カナさんのご飯」

 少し迷ったが、桐野は正直に言った、味が薄すぎたかなと、すると沢野はやっぱりと笑いだした。

 「僕もです、初めて、彼女の御飯を食べたとき思ったんです、たまには自分で作って食べてごらんと言われて教えてもらって自炊を始めたんです、そしたら、外食の味付けって濃いというか」

 「そう、なのか」

 予想もしなかった言葉だ、まさか、最近、皆で食べる事が少なくなってきたのは、それが原因、自炊かと尋ねると後輩は、へへっと照れた笑いを浮かべた。

 「自炊って大変と思ったら、思ったより簡単何でびっくりしたんで、カナさんには感謝です」

 「いいことじゃないか」

 「食べることは基本だって言われて、目から鱗です、ちゃんと食べてしっかり寝て、そしたら生活もセックスも充実するって確かにですね」

 「もしかして、付き合っているのか」

 まさかと後輩は首を振った。

 「カナさんは最近、彼と別れたばかりで、でも、今アタックされているみたいで」

 「そうか」

 「あれっ、気になりますか」

 「いや、別に」

 「今、仕事が忙しいみたいで」

 何をしているんだと聞くと秘密ですと笑って誤魔化された、普通の会社勤めをしているんじゃない、だろうな。

 部屋の様子とか、食事中の会話からして、そんな感じはしない。

 「ところで、何でおまえ、猫に片言の英語で話しかけてたんだ」

 「んっ、ああ、レディは帰国子女で日本語だとムシされるんです、ほら、猫って我が儘っていうでしょ」

 猫に帰国子女なんて、変な言い回しだと思ったが、それを口には出さず沢野は、そうかと頷いた。

 「彼女の猫、じゃないのか」

 「ええ、預かっているんですけど、二週間前もいたし、今度は長期の出張かも、カナさん、人がいいというか、嫌いじゃないから、レディの為にキャットタワー、ベッドも買ったんですよ、結構、高いんですよね」

 ふーんと頷くと、○○円ですよという後輩の言葉に沢野は唖然とした、無理もない、その金額は自分の一月分の給料よりも多かったからだ。

 だが、後輩は平然と今はペットも社員の時代ですよ、猫や犬が社員でも不思議はないでしょうと言われて沢野は、そうだなと頷いた。

 「やっぱり、先輩気になってるんでしょ、カナさんのこと」

 「いや、気になっているのは、俺自身の健康のことだ」

 はあ、そうですかと納得したような、そう出ないような返事をしながら、笑う後輩の顔に沢野は言葉を飲み込んだ。


 


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恋の塩加減 今川 巽 @erisa9987

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