第7話


 すっかり疲れ果てた矢野を、俺は姫子にお願いした。

 矢野を敵とののしった姫子だったが、お気に入りのジョーズのスイミングキャップを見つけてくれたのだ。二つ返事で請け負ってくれた。


 そして俺は――。


 失った俺の左足を探すために、海の中を彷徨った。



 もうすぐ陽が沈む。

 海に夕日が迫ってくる。

 何とも心細い風景だ。

 しかも、足が見つかったところで、俺には帰る足(車)がない。



 まるで人魚姫のように、波間にぷかぷか浮いていると。


「ですから! こうなるまえに対策を練っておくべきだったんです! もし、うちの子がサメの被害にあったとしたら、どうするつもりだったんです?」


 先ほどの女性が、海岸警備員に詰め寄っている。


「あのですね、この海には、サメはいないんですよ。それは……」


「いいえ、そんなことを言っても無駄です! 私、見たんです。女性が、サメに頭をぼりぼりと……ああ、思い出してもぞっとする。きっと、あの女性はサメに食べられてしまったのよ!」


「まさか、そんな」


「私を疑うんですの? 被害が起きているというのに?」


「奥さん、被害って……まさか、この事を言っているんですか?」


 海岸警備員が、人の足を目の前に突き出した。


「ぎゃああああああ!」


 女性は大絶叫して、そのまま気絶した。


「あの……奥さん。これ、マネキン人形の足なんですけれどね」



 俺は、左足を見つけてほっとした。

 ――困り者のおばさんも、たまには役に立つぜ。




 人魚から人間に戻った俺は、砂地を両足で歩いた。

 浜辺の夕日に、金髪とオレンジの水着は、ベストマッチだぜ。

 かなり人が減ったビーチに、矢野と姫子は待っていてくれた。

 ぐったりしていた矢野だったが、俺の陰が自分に落ちたのを見て、顔を上げた。


「おまえ、本当に泳ぐのが好きなんだな。よくもこんな時間まで……」

「ええ、人魚姫になった気分よ」


 俺は、にっこり笑ってみせた。が、矢野は疲れたため息をついただけだった。


「じゃあ、そろそろ帰りますかぁ?」

 姫子がぽんと立ち上がった。

 姫子は、いつものひらひらフリルの服になっている。いったいどこに隠していたんだ? そうか、悪魔さんポシェットか。

 俺は、あきれた。

 姫子は、時々自分の能力を活かしきれないでいる。悪魔さんポシェットがあるのなら、ツーシーターで文句を言うな!


 うぐっ!


 俺は、嫌なことを思いだした。

 帰りは、車がないのだ。

 どこかで男にナンパされ……ってのは、やはりダメだ。


「ああ、姫子! そういえば、友達を迎えに行かなくちゃならないんでしょ? 私の車を使ってもいいわよ」

 姫子は、俺の嘘にぽけっとした顔をしている。

「はぁ? あたし、免許を……」

「! いいのいいの! 保険はばっちり入っているから! でも、事故らないでよ」

 姫子は、それでもピンと来ていない。

「でも……」

「ツーシーターだから、私が乗るとお友達が乗れないでしょ? だから私は……」

 俺は、とっさに矢野の顔を見た。

「私、矢野君に送ってもらうから!」

 それを聞いて、やっと姫子はにやり……と笑った。

「ああ、そういうことですかぁ? それならぁ、あたし、車をお借りしますぅ」

 矢野は、少し慌てたみたいだった。


「お、おい! 急にそんな」

「いいでしょ? お願い」


 俺は、祈るような眼差しで、矢野を見つめた。


「……いいけれど。俺を散々ののしったり、嫌いだと叫んだり……あげくの果て、お願いかよ? 何か、調子がよくないか?」


 矢野は、かなり不機嫌だった。

 だが、ここで引き下がると、俺は、家まで歩いて帰るか、ナンパされて車に乗せてもらうしかない。

 ここは、許してくれよ。公太。



 

 行きは外国産ツーシーターのオープンカー。

 帰りは、ややポンコツのバイク二人乗り。

 俺の海岸物語は、ちょっと冴えないおしまいだった。


 矢野は、バイクまでくると、俺にポンとヘルメットを投げた。


「かぶれよ。何かあると困るからな」

「いいわよ、あなたがかぶりなさいよ」


 俺の場合、万が一なんかあって頭が割れたとしても、ボンドでつければなんとかなる。だが、矢野はそうもいかない。


「もうひとつ、持っているから気にするな」


 そういうと、矢野はメットを取り出し、それをかぶった。気がつかなかったけれど、どうもいつもバイクにつけていたらしい。

 俺には見覚えがあった。



 昔、高校生の頃。

 矢野がバイクの免許をとった時、俺はよく、後ろに乗せてもらった。

 その時、俺がかぶっていたメット。

 矢野の後ろに乗らなくなって、もうかなり経ったけれど、捨てないでいてくれたんだな。


 と、俺は思って、すぐに思い直した。


 いやいや。矢野ほどのいい男だ。

 俺が知らない間に彼女でもつくっていたのかも?

 それで、よく乗せているのかもな?


 俺は、佐野誠だった時代、矢野のことをすべて知っていると思っていた。

 だが、それは間違いだった。俺は、矢野の性格のほんの一部しか見ていなかった。

 ここまで思い込みが激しいヤツで、変わり者だとは気がつかなかった。


 だが――。


 そんな矢野も面白くていい。ストーカー行為には困るけれど、退屈しのぎにはなっている。


「これ、着な」


 矢野は、無造作に自分が着ていたジャンパーを俺に渡した。

 俺は、散々泳いでいて体が冷えている。しかも、キャミソールを着ているだけだ。

 でも、別に寒くはないんだけれどな。


「いらない」

「ダメだ、ちゃんと着ないと」


 むすっとしながら、矢野は譲らなかった。

 仕方がないから、受け取って着込んだ。

 矢野に申し訳なかった。長袖とはいえ、夜風は寒いはず。

 俺が寒さを感じないってことを、説明できればよかったのだけれど。


「おい、しっかりつかまっていろよ」

 矢野は、バイクのエンジンをかけた。


 ブイイイーーーンと、懐かしい響き。


 俺は、バイクにまたがると、矢野の背中にしっかりと手を回した。


 キュリリーーーンとタイヤがなって、走り出した。


 もう陽が沈んだ海には、イカ釣り舟の灯りが輝いていた。

 バイクの夜風もなかなかいい。



 だが、矢野は。

「寒くないか? 大丈夫か?」

 俺は薄着に見えたんだろうが、気にするな。どうせ生身じゃないからな。

「……そういえば、公太」

 俺は、公太の背中に顔をつけたまま聞いた。

「さっき、私のこと、まことって呼んでくれたわよね?」

「……そうだったか? 俺は知らん」

「そうだったわよ」

 矢野は、それっきり無口になった。



 矢野とのツーリング。

 俺は、高校時代の懐かしい思い出に浸った。


 訂正しよう。


 俺の海岸物語は、なかなかノスタルジックでいいおしまいだ。

 親友と同じ思い出を分かち合えないってのは、ちょっと寂しいけれど。

 


 ――まこと、きょうはどこへいく?

 ――そうだな、うみにでもいこうか? こうた。




=エンド=

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

どーる!!【マコの海岸物語】 わたなべ りえ @riehime

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ