第6話


 マネキンとは、衣料品を展示するための人形である。

 そのため、着せ替えが容易なように、胴体や足が外せるようになっている。

 この体は、姫子がデパートから盗んできたマネキン人形だった。それに、俺の魂を吹き込んで、今の浅野真琴が存在する。

 一見人間らしく見える真琴だが、その実、まだまだマネキン人形時代の体質(……っていうんだろうか?)を残しているところが多い。


 その日によっても、多少違うが、今日はマネキン日和だった。


 太腿の接続部分は、タトゥをつかって目立たなくしたが、外れてしまうことまでは考慮していなかった。

 ボールを追って、じゃぼじゃぼ走りすぎたようだ。

 俺は焦ってパニックになった。


 だってそうだろう?


「私の左足、行方不明になっちゃったの!」


 なんて、矢野に言えるはずがない。

 そんなことを言ったら、卒倒してしまうだろう?


「立てないのか? 俺につかまれよ」


 矢野は、かつて溺れて足をつったことがある。その体験から、泳げない。

 俺のパニックぶりを、その時の自分と重ねて、本気で心配してくれているらしい。

 だが、この場合、とても困る。


「嫌よ! なんで私を疑っているあなたに頼らなければならないのよ!」


 俺は、矢野を振り払った。

 そのとたん、波に残った片足をさらわれて、水の中にひっくり返った。


「真琴!」


 矢野が叫んだ。


 深さはそれほどでもない。矢野の胸が見えている。

 俺は泳げるし、このマネキンは浮く素材だ。だから、溺れるはずもない。溺れたって、別に死なない。もう死んでいるんだから。

 だが、俺は、今の俺の左足がないっていう重大な秘密を、矢野に悟られるわけにはいかなかった。

 波をかぶったのをいいことに、水にもぐって姿をくらます。そして、浮き上がった時には、矢野の届かない沖へと、泳いでいた。

 かなり距離が離れたはず……と思い、俺は振り返った。

 だが、思ったほど、距離は離れていなかった。違う、矢野は俺が波に流されたと思って、追いかけてきたのだ。


「真琴! 大丈夫か! あぷっ……」


 ――バカかよ?

 公太、おまえ、真琴を殺すつもりだったんじゃないのかよ? 救ってどうしようって言うんだよ!


「あなたに名前で呼ばれたくない! 大嫌いよ! 矢野公太!」


 俺は、どうにか矢野を戻したくて、散々な悪態をついた。


「悪いけれど、私、人魚姫並みの泳ぎ上手なの! 金槌のあなたが英雄気取り? 笑えちゃうわ、わっっはっは!」


 思いっきり笑い飛ばしてみたが、ちょっと無理があった。俺の声は、かなり引きつっていたと思う。

 だからなのか、それとも海流に抗えていないのか、矢野は海岸に戻ろうとはしない。


「やめてー! お願いだから、私にかまわないで! さっさと戻って!」


 そこまで叫んでも、矢野は戻らない。


「公太! 私は大丈夫だから! お願い! 戻って! 私、あなたを死なせたくないっ!」


 俺は必死に叫んだ。だが、矢野は波間で見え隠れしているままだ。

 なぜ戻らない? いや、これは戻れないに違いない。


 俺は逃げるのをやめた。


 矢野を助けなくては!

 それで、俺の正体がばれてもかまわない。いや、これはチャンスなんだ。

 俺が、佐野誠であって、浅野真琴だと、彼に認めさせるチャンス。

 卒倒されようが、化け物扱いされようが、人間でなく人形だと言われようが、かまわない。


 俺は、まさに人魚のごとく、片足で水をかいて泳ぎ出した。

 少しずつ、少しずつ、矢野との距離がつまってきた。はっきりと、矢野のほっとした顔が確認できた。

 だが、そのあとに大きな波が来て――。


 どっばああああーーーーんっ!


「公太?」


 波が引いたあとには、何もなかった。

 俺は唖然とした。

 正体がばれるのを恐れたばかりに、俺は親友を見殺しにした。


「公太ああああ!」


 絶叫したとたん。

 目の前に、サメの背びれが浮かんだ。


「ぎゃああああ!」


 絶叫ダブル。

 だが、すぐにライフセイバーの言葉を思い出した。

 ここにサメがいるはずがない。


 いるとしたら――。


「矢野君、ありがとうぅ。あたしのスイミングキャップを拾ってくれて!」


 ジョーズに頭を咬まれた姫子が、水の中から顔を出した。

 そのサメの背びれにしがみついた矢野が、ぜいぜい言いながら俺の顔を見た。


「おまえ……。大丈夫だったのか。ふう……」


 ………バカ。

 俺の心配より、テメーの心配しろよ。

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