第5話


 俺は、前向きな男だ。後ろ向きなヤツは嫌いだ。

 だが、今だけは言っておく。

 この事態に陥って、妙に明るい姫子には、腹が立つ。


「だってぇー、仕方がないじゃないですかぁ? もう起きてしまったことなんですよぉ? マコ姉さま、いつも言っているじゃないですかぁ?」


 そう。いつもの俺のセリフを、してやったとばかりに連呼する姫子に。


「おまえは、悪魔だから羽でも出せるんだろ? コウモリ系のヤツを。俺は、マネキン人形だぞ? どうやってここから帰ればいいっていうんだ!」


 と、叫んだとたん。

 ふたつのことが思い浮かんだ。



 俺が誠だった頃。

 海で女をナンパして、送って帰ってあげたことが。

 ……ってことは、ナンパされて……。

 だ、ダメだ! 気持ち悪すぎる!


 じゃあ、矢野に送ってもらう?

 俺と矢野は親友同士。昔は、よく矢野のバイクの後ろにも乗った。

 大学に入って、車の免許をとって、親の車を乗り回すようになってからは、そんな事もなくなったが。

 だ、ダメだ! 今の矢野にはそんなことを頼めるはずがない!



 俺は、さすがに前向きになれなかった。

 ぶつぶつ考えながらも、とりあえず泳いで、姫子とボール遊びをしている。


「ちくしょー! ニッチもサッチも行かないじゃないか!」

 思いっきりボールを投げたら、姫子の顔面に直撃した。

「い、いったーーーーいっ! それって、暴力ですう!」

「悪い、悪い」


 俺は、姫子が受け止めそこねたボールをとりに、じゃぼじゃぼと走り出した。


 ボールを拾った時、ふとライフセイバーと女性の会話が聞こえた。


「嘘じゃありません! あれは、サメです。見間違いないんです! 子供たちに被害が出ないうちに、海をクローズして調べるべきです!」

「あのですね、奥さん。ここはですね、生態系上サメが存在しない海なんですが……」

「でも見たんです! うちの子が食べられたら、あなた、責任とってくれるんですか!」


 どうやら、姫子のスイミングキャップは、この辺りにあるらしい。姫子が聞いたら喜ぶだろう。


 俺は、じゃぶじゃぶと水の中を走り……よろっとよろめいた。


「おい! 大丈夫か!」


 すっと体が軽くなった。足をとられて転びかけた俺を救ったのは、矢野だった。

 腕を引っ張って助け起こしてくれた。


「あ、ありがとう」


 お互い腰よりも上まで水につかっている。


「底は砂地だからな。どういった変化があるかわからない。気をつけないと……」


 矢野は、やや厳しい顔をして言った。



 思い出した。

 矢野は、スポーツ万能だけれど泳げないんだ。なかなか水着にならなかったわけも、それだ。

 理由は、確か……小学校の時に、一緒に泳いでいて、溺れかけた。砂地に足を取られて、深みにはまった。その時に足がつってしまい、危ないところだった。

 たまたま矢野の父さんがそれを見ていて、助けたんだけれど、それ以来、矢野は海に行っても、胸より水に浸かる場所には行けないでいる。

 ヤツにしては、ちょっとかわいいトラウマだ。


「矢野君って、優しいのね」


 俺はちょっとだけ嫌みも込めて、笑顔を見せた。

 矢野は、ぽっと顔を染めた。


「バカな。おまえに死なれたら、誠の死も永遠に謎だろ? そうなったら、ヤツは浮かばれないからな」

「あなたみたいな堅物には、私が死んでも死ななくても、謎は永遠に謎!」


 俺は、はっきり言ってやった。

 だって、俺は何度も真実を話しているぞ!


 相手にしているのもばかばかしい。俺は、姫子にジョーズの情報を伝えるために、走り出そうとした。


 が。


 再びバランスを崩す。

 あ? 何か、おかしい?


「おい! 本当に大丈夫なのか?」

 矢野が再び俺を支えた。


「大丈夫……」


 ……じゃない。


 俺は冷や汗をかいた。かいたような気がしたというべきか?

 マネキンゆえに、起きてしまった体の不調だ。いや、不調というよりは……。


「どうした? 何があった?」

「何がって……」


 言えるわけないじゃないか! 

 左足が、抜けてどこかへ行ったなんて!

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