第12話 物語はそうしてくり返される
スピカ劇場は茅野市に残った最後の映画館だ。
雫と長内は車を走らせ、まっすぐこの映画館に向かった。駐車場から劇場に歩いていくと、公開中の映画『アリス・イン・ワンダーランド』のポスターが目に入る。
「あ、これ、観たいと思ってた」
雫が声を出す。長内は笑った。
「すごい人気だよ。一日千人は入るからね。3Dメガネを洗浄して使い回してるんだけど、とても足りない。いっそのこと使い捨て仕様にするか本気で検討中だよ」
「3Dメガネ、大変そうですよねー」
長内が扉に手をかけると、向こう側から開いた。髪をくくった若い男が、きょとんとした顔で立ち止まる。
「あ、すみません」
「おまえら、これから将司に会いに来るって連中か。シンジが電話で知らせてきた」
雫は長内と目を合わせた。
「ええと、はい、そうです。倉森さんですか?」
「いや。おまえ、見込みがあるな。ふむ」
男はあごに手を当てて長内をじろじろながめた。なんだ、この男。
「結婚はしてるのか?」
「え? いいえ」
「心に決めた相手はいるか?」
「いや、特にお付き合いしている女性はいませんけど」
いないのか、と雫は思いながらもじっとだまっている。ぶしつけな男はにやりと笑った。
「ちょうどいい。おまえ、天狗にならねえか?」
「はい?」
映画館の中からおじさんがやって来て「こら、哲文!」とあきれたように言った。
「まだ帰ってなかったのか。客にからむなと言ってるだろうが」
「まあ待て、こいつをスカウトしようかと思ってな」
「大迷惑だ。ほら、帰れ帰れ」
若い男は肩をすくめ、すたすた歩いて出て行った。雫はその手にワンカップ大関を見た。昼間っから、酔っぱらっているらしい。
「ええと、倉森さんですか?」
「ああ、そうだけど」
「梅山さんの紹介でまいりました、長内です」
「春谷です」
倉森はうなずき、ふたりを中に引き入れた。
「シンジから電話がきた。映画祭の話を聞きたいらしいね」
「はい」
言いながら、長内と雫は不安を感じた。静かすぎる。映画をまわしているのならば聞こえてきそうな音も、振動もない。
「すみません。いま、上映中なんですよね?」
「いやあ、客が来ねえから、今の回はまわしてないよ」
「え?」
外の上映案内を、ふたりはちゃんと見ていた。今はまさに、東京で大ヒット中の『アリス・イン・ワンダーランド』がやっているはずだ。
平日とはいえ、ひとりも来ないのか?
ふたりはふたたび顔を見あわせる。映画祭を……復活させる? こんな場所で、お客も来ないのに。こんな状況を目の当たりにして、「やりましょう」と言えるか?
倉森はふたりと待合室に向かい合って座ると、映画祭をはじめたきっかけを話しはじめた。とにかく、はじめはやるつもりなんかなかったよ。梅山シンジっていう、はた迷惑な男が声をかけてきたんだがね。
もちろん、倉森の話には起こった出来事すべてが語られているわけではなかった。
それぞれの生い立ちは割愛されたし、天狗やシマウマの部分は、まるで最初からなかったようにふるまわれた。それらを話したところで「あまり信憑性のない話だな」と若者に断じられても面白くない。
しかし映画祭のあれこれを、東京のビジネスマンにも信頼されるように話していると、気づけば三時間も経っていた。
「お客がほんとに減ってね。まあ、ここの状況を見てもらえばわかると思うけど」
倉森は締めくくるように言った。
「シンジは浮かれた電話をしてきたが、おれは賛成しないな。復活なんかしても赤字になるよ。バブルのときとはちがうんだ」
「でも、映画祭のファンは確実にいるはずです!」
雫がしぼりだすように言った。どうしても、納得できないらしい。
「現に私はそうだし、この長内さんも、一度しか観たことがないのに覚えていて、『惜しい』って言って、ここまで来てくださったんです。もう一度やれば、もしかしたら」
「いろいろやってはみたんだよ」
倉森はきっぱりと言った。
「チラシも配ったし、口コミだってかなりあったはずだ。でも、来ないんだよ。寒いってのもあるかもね。虫にさされるのもいやだし。スクリーンを蛾が横切るのをいやがる人もいたし」
「それは……」
雫の勢いが断ち消えていく。
「そういう人も、いるでしょうけど……」
「最近の人は、ブルーレイとかさ、そういうきれいな画面に慣れきってるんだよ。野外映画のスクリーンなんて、どうかな。あんまり感動はしてくれなくなったな、っていうのが、おれの感じだけどね」
雫は唇を噛んだ。長内は手を握りしめ、なにも言わなかった。
「だけど……もう少し、やり方を変えれば」
「やり方か」
倉森は腕を組み、うーん、と考え込むようにうなった。
「たしかに、やり方を変えればできるかもしれないけど」
長内はぱっと目をあげた。
「そうですよ!」
そうだ。なにを臆病になることがある。
この人たちはすごい。ふたりの「普通のおじさん」が、あの映画祭をずっと運営していた。だが、そのやり方は今の時代では通じなくなっただけなのだ。モノは最高なのだから、それを伝える方法さえ工夫すれば、お客は必ず入る。
「今はSNSがあります。口コミがもっと広い範囲まで広がるんです。告知だって、全然八ヶ岳なんて知らないような、だけど映画に興味がある、地方の人にまで一瞬で届けられるんです。だから、告知は任せてください。だって……」
雫をちらりと見て、長内は続けた。
「最高ですよ。あの場所。ぼくはあそこで『ジュラシックパーク』を観ました。本当に、木立の中から恐竜たちが飛び出てくるような感覚を味わいました。あれは映画鑑賞じゃありません。映画体験です。映画は年に三百本以上観ていますが、あれは強烈に頭に残っています。中学生の頭に、ずっと残っているんです。そんな人はたくさんいます。これからそんな体験をする人も、きっといる。それを届けたいんです」
雫はこくこくとうなずき、「やりましょうよ、倉森さん」とすがるような目で訴えた。倉森は頭をかき、「いやあ、やめたほうがいい」と言った。
「そういうね、熱くなるのはわかるけど。おれたちもさんざんやって、試し尽くした上での休止だったからね。べつに、あの映画祭の良さをわかってない連中はいないんだよ。おれとシンジはだれよりもあの映画祭が好きだったからね。それなのにやめた、やめざるをえなかった。その理由もかんがみてもらいたいね」
長内と雫はだまりこんでしまった。
「でも……ネットで、映画祭の情報を、私たちは見つけられなかったんですよ」
おずおずと、雫が言った。倉森は首をかしげ、「なにが?」と聞き返す。
「今の人は、ネットでなんでも調べるんです。きっとこれから、どんどんそういう流れになると思います。裏を返せば、ネットで調べても出てこないと、だれも来なくなる。失礼ですけど、スターダストシアターは、全部チラシと口コミだけでお客さんを呼び込んでいたから……」
「だから、お客が来なくなったって? だけど今までに来ていたお客さんは、知っているのに来なくなったんだよ?」
そういうことではない、と長内は感じたが、ネットをテレビゲームかなにかのように思っているこの人に、どう説明すれば理解してもらえるのか、わかりかねた。
「とにかく……倉森さんに認めてもらえたら、やっていいですか」
「やめたほうがいいよ。ほんとに」
倉森は、意地悪で言ってるんじゃないからな、と付け足した。
「まあ、いろんな奴に聞いてみてもいいけど。おすすめはしないよ」
泣きそうな雫を、長内はどう言ってなだめすかそうかと思案しながらプロボックスの助手席に乗り込んだ。しかし、運転席でハンドルを握りしめる雫を見て、ぱくんと口を閉ざした。目がこわい。
「あんのじじい。みてろ、絶対やるって言わせてやる!」
雫の仕事魂に火がついた瞬間だった。運転中もすこぶる集中力で客を呼び込める上映映画リストをまくしたて、ペンションをまわって理解者を探し、親たちにああでもない、こうでもないと企画書を組んではダメだしされて頭をひっかいた。
なぜこの子は映画館で社員になってくれなかったのだろう、と不思議に思いながら、長内は雫と一緒に映画祭のチラシを作った。
「スターダストシアターっていう名前は、変えたほうがいいんじゃないかな」
長内が言うと、雫もうなずいた。
「運営者が変わってるってアピールしておかないと、『ザクザク』さんに電話とか殺到しちゃいますもんね。迷惑はかけられないし」
「それに、単純に、英語がださい」
「わかります」
ふたりはいくつか案を出し、これでいこう、と笑いあった。雫のペンションの居間で、結局チラシの見本ができたのは夜中の三時。
「絶対、成功するよ」
長内は言った。雫はチラシをじっと見て、うなずいた。
これを、ちゃんとデザイナーさんに作ってもらって、ウェブでも告知するんだ。今はミクシィやフェイスブックがある。映画好きは、それだけで見てくれる。知ってくれる。気になって、来てくれる。
新しい野外映画祭の名前は、『星空の映画祭』に決まった。
「じゃ、試しにもう一回だけ、やるか?」
倉森はめんどうくさそうにそう言った。
「チラシを作っちゃったんじゃ、しょうがないもんなあ」
翌日。ふたたびスピカ劇場に足を運んだふたりは、出会い頭に倉森さんにラフで作ったチラシをつきつけた。
「どうせ、映写はおれがやらなきゃなんだろ?」
「ありがとうございます!」
長内と雫は頭を下げた。倉森は「どうせ一年やったらわかってくれるだろうけどね」とため息まじりに言った。雫はぶるぶるこぶしを握りしめつつ、こらえた。この近所に、移動映画のできる映写は倉森しかいない。なるべく穏便にしなくては。
くそじじいめ。
長内は東京に戻り、地元で立役者をはるのは雫の仕事になった。
「スターダストシアターを復活させます。ボランティアで協力者を募集中!」
行く先々、同級生のあつまり、ネットなどで呼びかけると、五人の有志が集まった。
「いつも思ってたんだけど、ポップコーンじゃなくてもいいから、お弁当とかジュースとか売ってほしいんだよね」
「それ、いいじゃん。声かけたら絶対ケータリングしたがる人いると思うよ」
「暗いからお客さんが転ばないようにしないとだよね。最近の親ってクレーマーだし」
「ブランケットの貸し出しとかしない? 前に来たとき、寒すぎて服装後悔したことあって」
さすが地元の人間たちはスターダストシアターの実体をよくわかっていて、お客目線であれこれと改善点もあげてくれた。デザイナーの人がいてくれたおかげで、チラシもボランティアで作ってくれることになり、軍資金の足りない現状に光が差した。
雫はわくわくした。映画館で働いていたおかげで、会場の流れはよくわかっている。配給や値段設定は長内が知恵を出してくれた。実際にあれこれ手配をしたのは倉森だった。
映画祭の復活のうわさはどんどん広まり、あちこちで声をかけられた。絶対観に行くよ、と、何人もの人がうれしそうに言った。あの映画祭、なくなっちゃってさみしかったんだ。
長内は『ジュラシックパーク』の感動を、あの体験を再現したいと思った。だから自分たちで復活させる最初の映画祭では、『アバター』を上映することに決めた。
「いつもメジャーなファミリー映画ばかりだったみたいだけどさ。それだけじゃあのロケーションがもったいないよね」
雫と上映作品を相談しているとき、長内は言った。
「あそこだからこそ来るお客さんを意識してみようよ。まあ、ものは試しで」
単館系シネマに働く長内は、映画はハリウッドだけではないことを知っていた。アジア映画もあるし、インド映画も、ヨーロッパ映画も、メキシコ映画もある。ジャンルだって、アクションやSFだけではない。ヒューマンドラマや社会派サスペンス、ドキュメンタリーだって立派な映画作品だ。
だから今回の映画祭では、単館系でしか観られないような作品も取り扱うことにした。『夏時間の庭』はフランス映画だ。南フランスの田舎の家族ドラマは、原村のロケーションにぴったりだと思った。
そうして、その日がやってきた。
この日、ペンション村は静かなものだった。シマウマが逃げ出したりもしなかったし、たいまつを持った人々が右往左往することもなかったし、天狗があらわれることもなかった。ただ、静かに、着々と、映画祭ははじまった。
午後七時半。駐車場では案内係が待ちかまえ、会場のわきに数台の移動販売車が停まった。わいわいと集まる人々は、ペンション村の住人、原村の人々、茅野や富士見から来た人々、外から来た観光のお客さん、映画祭の情報を得た人たち。彼らが、期待に満ちた目でやってくる。
雫は受付に立ってチケットを売っていた。座席はないから、予約もない。けれどもぎゅうぎゅうに座れば千人だって入れる草っ原だ。人々は余裕を持って入場し、レジャーシートを広げた。
「こんばんはー」
「あら雫ちゃん。楽しみにしてたのよ」
「ありがとうございます。あ、原村小学校の子どもは、ただです」
「やったー」
「おれ、場所とってくる!」
「こら、走らないのよ!」
この日は仕掛人の長内も東京からやって来た。薄暗くなってきた森に、ライトアップされた石段の会場が照らしだされる。石と、草が交互にしましま模様を作っている。
「こんばんは。今日は、どうぞよろしくお願いします」
受付に並んで立っていた雫と長内に、品のいいご婦人が声をかけてきた。ふたりはあわててあいさつする。
「こんばんは、倉森さんの奥さん」
「お世話になっております」
「いえ。こちらこそ、お世話になっております。主人をその気にさせるの、たいへんだったでしょう」
ご婦人はにっこり笑った。
「ありがとう。この映画祭を、もう一度はじめてくれて。本当にうれしかった。この映画祭は、私の思い出なの」
その目がきらきらと輝く。雫は胸が熱くなった。
「いえ……私も、この映画祭が大好きだったから……」
「主人は、一年やったらあなたたちがあきらめると思っているみたいですけど」
ご婦人はいたずらっぽく笑ってみせた。
「あの人の考えなんか、裏切っちゃってくださいね。私は、応援しています」
雫はうなずいた。長内も笑みを浮かべて頭を下げる。
「じゃ、私はすみのほうで映画を観ますね。また、あとで」
「はい。楽しんでいってください!」
雫と長内は倉森夫人を見送った。長内が、ぽつりと言う。
「……もし、これからずっと続けるんだったら」
「はい? まだ、はじまってもいませんけど?」
長内は首をふって笑った。
「いや……そうなったら、これからもどうぞよろしくと言いたかっただけだよ。たぶん、長い付き合いになるだろうからね」
外が暗くて助かったと思った。雫は顔が熱くなったが、それがなぜなのかわからない。なにを言ってやがるんだこの男は?
八時になった。ライトがふっつりと切れ、映写室から光の筋が差し込んで、スクリーンに色を落とす。
星空の映画祭は、こうして生き返った。
そして、物語は現在へ。
梅山シンジはにこにこしながら、今年のチラシを熱心にながめた。
「ねえ、早紀ちゃん。またウディ・アレンの新作をやるみたいだよ。『アニー・ホール』、好きだったでしょ」
「こないだやった映画、途中で雨ふっちゃったけどねえ」
「あれは雨が降るシーンだったから最高だったじゃない」
「そういえば、また千人くらいお客さんが入ったって言ってたよ。聞いた? すごいよねえ」
「『ズートピア』だっけ。ディズニー映画は面白いもんねえ」
「あ、これ、観たいなあ」
「どれどれ。ええと、三回も上映するみたいだよ。どこかで一緒に行こうね」
「だめ。涼子さんと観る約束してるから」
「ええ? おれも一緒に行かせてよ」
「どうしようかな」
「早紀ちゃん、お願い」
ふたりは早紀ちゃんのいれたコーヒーを一緒に飲んだ。
とてもおいしい。最高だ。
「ねえ、早紀ちゃん」
「うん?」
「やりたいことって、やっちゃったほうがいいよね。おれ、最近しみじみ思うんだ」
にこにこしながら、両手でマグカップをつつみこむ。
「みんな、けっこうやる前に考え込んだり、うまくいかないかもって思ったり、そのまま気づいたら流れてたりするじゃない? でも、よくよく考えてみたら、考えないでやっちゃったほうがいいってこと、たくさんあると思うんだよね」
「よくよく考えてみたら、考えないほうがいい?」
早紀ちゃんが首をかしげると、うん、とシンジは真面目にうなずいた。
「そういうのが、ノーマルだと思うんだ。おれはね」
早紀ちゃんはくすくす笑った。こんなに笑うなんてめずらしい。なにが面白かったのかな? と、シンジは首をかしげた。
「なーにが、『最近しみじみ』よ。いつだって、あんたはそう思ってたでしょ」
「思ってはいたけど。そうじゃなくて、しみじみ? ここが大事だよ?」
「あはは。あーおかしい」
早紀ちゃんはコーヒーをすすった。
シンジもコーヒーをすすった。
ふたりは思った。
ほんと、最高だね。
映画の真上で星が降る みりあむ @Miryam
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
カクヨムを、もっと楽しもう
カクヨムにユーザー登録すると、この小説を他の読者へ★やレビューでおすすめできます。気になる小説や作者の更新チェックに便利なフォロー機能もお試しください。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
関連小説
まあ、いっか/みりあむ
★35 エッセイ・ノンフィクション 連載中 82話
映画部☆活動報告/みりあむ
★19 エッセイ・ノンフィクション 連載中 85話
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます