夢見る蝶は目覚めない(チュートリアル版)

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世界は一つだけだから異世界転移なんてできなくて!?

 ──この現実世界以外に、異世界や並行世界の類いなぞ、けして存在しやしない。

 そのような眉唾物をいかにも実在していても当たり前のようにして登場させている、三流SF小説なぞ読む気なんてないし、いわんや自分自身で書くなんてもっての外だ。


       (人気ネット小説『ゆめメガミめない』冒頭の挨拶文より)




  一、『なろうけい』は突然とつぜんに⁉



「──やっと見つけたぞ! 我が父にっくめが!」

 僕こと現役高校生にしてネットオンリーのファンタジー作家であるおとまなぶが在籍しているジェーエーライトニングがくえん高等部二年D組に、この季節外れ極まる六月初旬に転校してきた──いや、してきた少女りゅうこくたいは、出会い頭にそう言った。


 クラスメイト全員に対する自己紹介を終えて教壇を降り担任教師から告げられた自席へと向かう途中にて、僕の席の側に差しかかるやいきなり足を止めたので何事かと思って視線を向ければ、遠目でははっきりとしなかった彼女の目の覚めるような秀麗なる容姿が改めて目に飛び込んできた。

 夏服のセーラー服に包み込まれた肢体は高校二年生にしては小柄で華奢だが、均整のとれたなまめかしい白磁の肌は、すでに女の色香がそこはかと感じられた。

 しかしその一方で、烏の濡れ羽色をした長い髪の毛に縁取られた日本人形そのままの端整な小顔の中では、宝玉のごとき黒曜石の瞳がいかにも憎々しげな煌めきを宿しながら、あまりの出来事にただただ呆気にとられている僕のほうを睨みつけていたのだ。

 ……もちろん、僕と彼女は、この時が初対面である。

 よって当然のごとく彼女のお父上とも面識はないし、少なくともどこぞのファンタジー世界の魔王様を倒した経験なぞあろうはずがなかった。

 何より僕は勇者なぞではなく、現代日本のただの高校生なんだしね。


 しかしそんな彼女の電波じみた妄言を、僕は笑い飛ばすことなぞできなかったのだ。


 なぜなら、そもそもこうしてのも、僕の自作のネット小説『ゆめメガミめない』の大ヒットこそが原因だったのだから。


   ☀     ◑     ☀     ◑     ☀     ◑


 公益学校法人、ジェーエーライトニングがくえん

 かの名高き日本農業協同組合──略称農協JAによって設立運営されているこの学園は、日本全国に数多存在している一般的な農業学校とは一線を画していた。

 それというのもとうきょう都西部に広がる武蔵野の地に設けられた広大な敷地において行われているのは、穀物や野菜の栽培や家畜の飼育等の実習作業でも、食品加工や品種改良等の実験研究でも、園芸や林業や流通その他の実地学習でもなかった。


 学園全体──つまりは中等部から大学院に至るまでの全学生にとっての至上の命題は、何と『並行世界の実在の証明』とその『具体的な転移手段』を実現することであったのだ。


 ……何でまた農協JA直営の学園で、農業実習を行うでも、どこぞのライトノベルみたいに休業中の美少女アイドルを中心としたラブコメを展開するでもなく、『並行世界』なぞというけったい極まるものを主題とした学習や研究等が行われているのかと言うと、すべては我が国における深刻なる農作物の自給率を一気に向上させるためであった。

 農協JAのお偉いさんを代弁して、現職の農水大臣はこう宣った。

「──並行世界が見つかればまさしくその数だけ、農地面積が倍増するではないか!」と。

 ……阿呆か。

 社会的に十分立派な地位と名誉を誇る農協JAの幹部や大臣が、言うに事欠いて耕作地の拡大──ひいては農作物の収穫量を増やすために、並行世界を本気で探し求めるだと?

 そんなにも我が国の農業は、藁にもすがりつかざるはおられないまでに、危機的状況にあるとでも言うのか?

 とはいえ、そのお陰で僕はこうして格安の学費を払うだけで、真新しく設備も充実した全寮制の学び舎で、質量共に大満足の教育と快適極まる生活を享受できているんだけどね。

 それというのも、『並行世界の発見』などといううさん臭いテーマを掲げてみたところで、ちゃんとした専門家なんているはずがなく、何はさておき『受け皿兼育成組織』として当学園のような専門研究機関を設立すると同時に、少しでも並行世界に関わり合い──というかを有する者を、選り好みする余裕もなくかき集めた結果、学園内は多世界解釈量子論研究者を始めとする学界からつまはじきされたマッドサイエンティストや、ディープなSFマニアや、SFを始めとする小説家や漫画家などのクリエーター等々といった、社会不適格者一歩手前の妄想癖どもの吹きだまりとなってしまったのであった。

 中でも一大勢力となっているが『なろうけい』と呼ばれる新興のアマチュア小説家たちで、その名の由来は主なる作品発表の場がインターネット上の最大手の小説創作サイト『しょうせつになろう』であることから来ていて、言うなれば最近話題のネット小説家なわけだが、かく言う僕もその一員だからこそこの学園にスカウトされることとなった次第であった。

 それというのも、『なろう系』の作品において最も盛んなジャンルが『異世界転移』や『異世界転生』なので、学者でも研究家でもない単なるアマチュア小説家とはいえ、そもそも由緒正しき専門家なぞ存在しない並行世界に関しては現時点における数少ない貴重な『関係者』とも言えて、その知識と見識と何よりも類い稀なる創造力と想像力とは、けして無視できるものではなかったのだ。

 いやむしろ並行世界なぞといった文字通りについては、プロの学者や研究家よりも小説家や漫画家のような創作者の意見のほうが、よほど的を射ていることが期待できるとも言えよう。

 とはいえ何とも皮肉なことに、そんな社会不適合者一歩手前の小説家予備軍たちによる文字通り忌憚なき意見の中には、この『並行世界発見』計画プロジェクトにおけるそもそもの大前提を、全否定するものがあったりもした。


 例えば、

「並行世界には確かにこの世界と同じだけの農地があるかも知れないけど、当然同じだけの人口を抱えているのだから、新たなる並行世界を発見するたびに需要と供給のアンバランスの累積により、不足する農地面積や収穫量の絶対量が倍増していくだけではないのか?」

 とか。


 ──極め付けには、

「そもそも並行世界なんか、SF小説やライトノベルや漫画やアニメやゲーム等の創作物フィクションならともかく、現実に存在するわけがないだろうが⁉」

 とか。


 ……この今更ながらの当然の事実に気づかされた学園当局や農協JA上層部は大慌てとなり、一時は『並行世界発見』計画プロジェクト自体の凍結とそれに伴う当学園の閉鎖も検討されたとのことであったが、現在においては騒ぎは完全に収まり、更なる計画の邁進がはかられていた。


 何せ今や当学園を中心として我が国においては、すでに異世界の存在が実証されていて、まさしくりゅうこくたい嬢のを裏付けるようにして、日常的に行き来できるようになっていたのだから。


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「──どうしたんだい、? そんな不景気な顔をして」

 その上級生の少女は、放課後の二人っきりの部室の窓際の席で初夏のそよ風に長い髪の毛を揺らしながら、いつものようにアンニュイな表情の中でかすかな笑みを浮かべつつそう言った。


 華奢なれど出るところは出ているプロのモデルも顔負けの均整のとれた長身の肢体に、長いブロンドのウエーブヘアに縁取られた彫りが深く端整なる白磁の小顔の中で知的に輝いているサファイアのごとき青の瞳。

 JAライトニング学園高等部三年D組所属にして、我が『多世界解釈量子論研究クラブ』部長、うえひかり先輩。

 ……そうなのである。こんないかにも国際性豊かな見てくれをしていながら、両親共に黒髪黒瞳の極一般的な日本人の『世田谷せたがや区在住の植生さん御夫婦』なのであって、本人の弁によれば現在存命中の親族のうち彼女にだけ、遠い御先祖様であるフランス人の血が隔世遺伝的に顕れたとのことであった。

 いかにも学園ラブコメ系のラノベ辺りでメインヒロインの一人として登場してきそうな容姿と家庭背景であるが、このJAライトニング学園に在籍しているということは彼女も御多分にもれず並行世界に取り憑かれた変人の一人なのであり、何と現役高校生ながらプロのSF小説家としても活躍していて、そのほとんどの著作において『SF小説における量子論──中でも特に多世界解釈の有用性』の追究こそをテーマとしていた。

 よってこの学園においても、並行世界の存在の実証及び転移方法の発見を目指す形で多世界解釈量子論について専門に研究しており、『多世界解釈量子論研究クラブ』を設立するとともに部長に納まったわけなのだが、アマチュアとはいえネット上で『なろう系』の一員として『異世界転生』等をテーマとした作品を発表しながらも、『なろう系』の作家としては珍しく多世界解釈量子論等の物理学に基づいた作風で話題になっていた僕に目をつけて、天才的ハッキング技術を駆使して僕の個人情報を把握するや、懇意にしている農協幹部に働き掛けて僕をJAライトニング学園へと徴収スカウトし、自分の主宰する『多世界解釈量子論研究クラブ』へとほぼ強制的に参加させたのであった。

 ……何でこの人農協の職員でも学園の教職員でもないのに、僕をこんなヘンテコな学園に収容したり、自分で創った研究クラブに入部させたりすることができるんだ?

 まあ、彼女のやっている研究自体は僕自身も以前から興味があったテーマであることだし、彼女自身も非常に魅力的な人物であり性格も気さくでつき合いやすいので、このように熱烈に自分を必要とされているのは悪い気はしないけどね。

 それに何と言っても美人だし、加えて実は僕自身、ずっと以前から彼女の作品の大ファンだったこともあるし。

 しかも思いがけないことにも彼女自身も僕のネット作品を純粋にファンとして愛読していると聞かされて、驚くやら嬉しいやらで、つい勢いのままに彼女のクラブへの入部を快諾してしまったのであった。


 まさかそれが近い将来、僕の運命を激変させることになるとは知らずに。


「……部長まで、勇者呼ばわりはやめてくださいよ。そんなのあの編入生だけで十分です」

 僕がうんざりと顔をしかめてそう言うや、くつくつと含み笑いをもらしながら更に追い討ちをかけてくるブロンド上級生。

「ふふふ。よほど参っているようだね。そんなにすごいのかい? 『魔王の娘』殿の攻撃アタックは」

「すごいなんてもんじゃありませんよ。他のクラスメイトとは普通の女子高校生として接してすでに良好な関係を築いているというのに、僕に対してのみは口を開くたびに、『私の前世は異世界の魔王の娘であり、同じく勇者の生まれ変わりであり我が父魔王の仇であるおまえに復讐しに来たのだ』と言い張っているのを始め、『人間ごときに魔族の王を討たれた屈辱は忘れない』とか、『おまえだけはけして許さない』とか、『近いうちに必ず討ち滅ぼしてやる』などと、電波そのものの物騒なことばかり言ってきて、あげくの果ては実際に決闘を申し込んでくるといった有り様なんですよ? どうせ前世を語ってくるのなら、『実は私はあなたの恋人の生まれ変わりで、私たちは必ず結ばれる運命にあるの♡』などといった展開パターンだったらよかったのに」

「あはははは。確かに大昔の少女小説やラノベ辺りだったらありそうな話だな。とは言っても、それはそれで怖そうだけどね。実際三年B組のおと氏なんて、普段は真面目一本槍だったクラス委員長殿からいきなり、『私はこの世界から数えて85番目の並行世界ではあなたの恋人なの♡』なんて言って迫ってこられて、大変な目に遭ったって話だよ?」

 何そのメンヘラ女。入学式の時に新入生総代を押し付け合ったりしたとかの悶着でもあったのかな?

「いや、勝手に恋人面してつきまとわれるのも困るけど、ガチで命を狙ってこられるほうがよほどまずいでしょうが⁉ 異世界だが前世だかの与太話なんかのために、一方的に恨まれたりしたら、たまったもんじゃありませんよ!」

 あまりに理不尽なる現在の状況についに我慢の限界に達し、思わず不満を爆発させる僕であったが、目の前の上級生は変らぬ笑顔のままで、鋭い指摘を突きつけてくる。


「いやそもそも、大河嬢のことはもちろん、この学園を中心にして現在我が国において、のは、君の自作のネット小説『ゆめメガミめない』こそが元凶なんじゃないか?」


「──っ」

「そういう意味では大河嬢は、小説と現実とをごっちゃにしてしまうほど君の作品の熱烈なる愛読者であるわけで、むしろ感謝こそしなければならないんじゃないのかい?」

「そ、それは、確かに、そうなんだけど……」

 そうなのである。実は僕のネット小説としての最新作であり最大のヒット作でもある『夢見るメガミは目覚めない』こそが、大河嬢のような『自称異世界からの転生者』を数多く生み出すことによって、現在このJAライトニング学園において非常識極まる異世界転生騒動を巻き起こすことになった、まさしく諸悪の根源とも呼ぶべきものであったのだ。

 その内容のほうは、『なろう系』ならではのネット小説やラノベにありがちな『異世界転移モノ』で、ネット作家でもある現代日本の高校生が、ある日突然異世界に転移し勇者となり魔王を退治するといったもので、まさに大河嬢が言っていたとほとんど一致していたりする。

「……いや、だからってそんなに簡単に、異世界の実在なんて認めてしまっていいんですか? この学園はそもそもこそを証明するために設立されたんでしょう? 少なくとも並行世界だったらこの現実世界とほとんど変わらないいわゆる別ヴァージョン的世界なので、もしかしたら実在している可能性は十分ありますけど、勇者とか魔王とかが当たり前の顔をして活躍したり争い合っている異世界なんて、それこそファンタジー小説やライトノベル等の中だけに存在し得る創作物フィクションに過ぎないのではないですか?」

 そんな僕の至極当然なる疑問の言葉に対して、目の前の金髪上級生は、

 ──ここでいきなり、日本文学史上最大級の爆弾発言を投下してきた。


「はあ? 何言っているんだい。そもそも異世界だろうが並行世界だろうが過去の世界だろうが未来の世界だろうが、いかなる意味においてもこの現実世界とは異なる別の世界なんて、確固とした世界として同時に並行して、存在したりするはずがないじゃないか?」


 ………………へ?

「ちょ、ちょっと、いきなり何てことを言い出すんですか⁉ この現実世界とは別の世界なぞけして存在しないなんて。このJAライトニング学園の存在意義を全否定してしまうのはもちろん、下手するとSF小説やラノベ等を始めとする、出版関係者のほとんど全員に喧嘩を売っているようなものじゃないですか⁉」

 僕は、すぐさま抗議した。

 猛烈に抗議した。

 心の底から抗議した。

 だってこんなのとてもじゃないが、たとえ素人作品とはいえネットに上げて、世界中の人の目に触れさせることなんかできないし。

「別に全否定なんかしていないよ。ちゃんと『存在しない』って言っているではないか。確かに古今東西のSF作品を始めとする小説や漫画等の創作物フィクションに登場してくる異世界や並行世界やタイムトラベルの類いは、ほとんどすべて事実無根のデタラメに過ぎないけど──」

 だから、ヤメロ!

「──きちんと現代物理学に、中でも特に多世界解釈量子論に基づいて論理的に再構成すれば、これまでのSF小説やラノベとほぼ同じ内容の作品を、ちゃんと現実性リアリティを維持しながら創り続けることは十分可能なのだよ」

「は? 多世界解釈量子論って……」

「御存じのように、私や君にとっての最大の研究テーマのことだよ」

 確かにあんたにとってはそうだろうが、勝手に僕を巻き込むな!

「つまりね、小説や漫画に登場してくる異世界や並行世界なんてけして存在しないけど、それになら存在し得るんだ。──それこそが量子論で言うところの、『多世界』なるものなのだよ」

「……多世界って、それこそ並行世界のようなものでしょうが?」

「いやいや、全然違うよ。量子論における多世界とは、この現実世界にとっての『無限に存在し得る別の可能性としての世界』のことなのであって、小説や漫画等の並行世界のようにこの世界と同時に並行して存在したりはせず、あくまでものみ存在し得るのであり、確固として独立して存在している世界じゃないんだ」

「可能性としてのみの世界? それに確固として存在していないって……。そんなんで、本当に世界と言えるんですか? いったい多世界って何なのです⁉」

「まあ一言で言えば、『未来』かな」

「はあ?」

「我々の未来には無限の可能性があり得ることなんて、今や小学生でも知っている常識中の常識だろうが。つまりあくまでも可能性の上の話なら、君も私もほんの一瞬後にも、異世界等の現在の世界とは異なる世界に転移してしまうこともあり得ることになるのだよ。言わば現在の世界と同時に並行して存在しているいわゆる世界の類いなぞ微塵もあり得ないが、無限に存在し得る未来への道筋ルートとしてのいわゆる『分岐世界』なるものなら、ファンタジー小説そのものの異世界でもSF小説お得意の過去の世界や未来の世界でもこの世界によく似た並行世界ならぬ平行世界パラレルワールドでも、いくらでも存在し得ることになるってわけなのさ」

「未来への道筋ルートとしての、分岐世界って……」

「馬鹿でオタクなプロのSF作家どもにもわかりやすく言えば、『おまえたちが散々作品に登場させてきた並行世界なんて、本当は微塵も存在していないのだ。存在するとすれば、おまえらの大好きなギャルゲの「ルート分岐」のようなものだけだ』ってことだよ」

「ああ、なるほど。つまり異世界やパラレルワールドって、ギャルゲで言えば新たに選択したシナリオルートみたいなものってわけか……………………って。いやだから、むやみやたらと各方面に向かって喧嘩を売らないでくださいって言っているでしょう⁉」

 第一あんた自身も、プロのSF作家の一員だろうが⁉

「逆に言えばSF小説やラノベ等に登場してくる現実世界と同時に確固として存在している並行世界は、けして未来が分岐し得ないからこそ、現代物理学の根本を為す量子論と相容れなくなり、その実在を完全に否定されることになるのだよ」

「SF小説ならではの並行世界の類いが、現代物理学によって否定されているですって?」

「それと言うのも、もはや『未来はただ一つに決まっている』とする古典物理学ならではの決定論なんて、量子論の登場とともに完全に否定されているのであり、世界というものは無限に分岐していくものでなければならないのだ。つまりSF小説やラノベ等で言うところの並行世界や異世界なぞは、この現実世界の未来のルート分岐先のに過ぎず、同時に並行して存在したりはしないのだ。それなのにSF小説やラノベ等のようにこの世界と同時に独立して存在しているとなると、当然それぞれの世界はそれ以降分岐することなぞなく、永遠に独立して文字通り平行線状態を続けるのみなんだけど、量子論に則ればそんなことけしてあり得ないのさ」

 そ、そうか。元々ルート分岐先の世界であるはずの並行世界がこの世界と独立して同時に存在していたりしたら、下手したらこの現実世界も含めてすべての世界が、それ以上分岐することはなくなってしまうし、もし仮に独立した並行世界でありながら重ねて分岐したりしたら、自ら『並行世界とは唯一絶対の現実世界の未来の分岐世界の候補に過ぎない』ことを証明して、独立した並行世界であることと完全に矛盾してしまうってことか。

「……いやでも、そのように異世界やパラレルワールドの類いがこの現実世界にとっての、におけるとしての存在でしかないとしたら、あくまでもに存在している我々がその実在を確認することはもちろん、実際に転移することなんて不可能ではありませんか? つまりこの学園のやっていることは、すべて無駄になってしまうのでは?」

「そんなことはないよ。何せりゅうこく大河嬢はもちろん君自身だって、すでに異世界間転移を体験しているのだからね」

「へ? 僕や流谷が異世界転移を体験しているですって」

「そもそもだね、オトメ君。我々にとっての世界というものの本質は、何だと思うかい?」

「世界の本質ですか? ──つうか、僕はオトメではなく、おとです!」

「確かに我々は現時点のこの一瞬における世界については、ちゃんとこうして知覚することができる。それでは絶え間なく流れ続ける時間によってどんどんと置き去りにされていく、世界についてはどうだろうか? それらの世界はただ消え行くのみなのか? 君が昨夜食べた晩ご飯は、もはや夢幻に過ぎないのだろうか?」

「いやいやそんな、痴呆症のお爺さんでもあるまいし。昨日の夕食くらい覚えてますよ。確か寮の食堂のA定食で、おかずはハンバーグと目玉焼きでした」

「そう。君はいる。それこそが肝心なのだ。つまり君にとっての出来事セカイはすべて、においては君の脳みそにのみ存在しているのであり、言わばその者にとっての世界の本質とは、『記憶』そのものとも言い得るのだよ」

「は? 世界が、記憶そのものって……」

「確か君は勇者になって魔王を退治する夢を見て、それを基にして自作のネット小説『夢見るメガミは目覚めない』を創ったんだよね?」

「……ええ、そうですけど」

「そしてそれを読んだ大河嬢は、自分のことを『異世界の魔王の娘の転生体』であるとか言い出したわけだよね?」

「非常に迷惑極まりないことにね」

「いや、実はそうとも言えないのだよ。何せ彼女の言う通り、君も大河嬢も間違いなく、異世界からの転生者なのだからね」

「なっ⁉」

 いきなり何を言い出す気なんだ、この金髪娘。まさかとうとう部長まで、流谷の電波的妄言に染まってしまったんじゃないだろうな?

「おそらく大河嬢も、ただ単に君の作品を読んだだけで魔王の娘になりきったのではなく、小説の影響で同じような異世界の夢を見てその中で魔王の娘になりきることによって、自分をその転生体だと信じ込むようになったのではないのかな? つまり彼女は夢の中で、君のネット作品そのものの異世界に転移することになったんだ。それはなぜだと思う?」

「……いや、人の夢のことを、僕に聞かれても」

「実は君も大河嬢も、を自分の夢の中で見たのだよ。言っただろう? この現実世界の未来の分岐先である『別の可能性の世界』は無限に存在しているのであり、それは異世界やパラレルワールドや過去や未来の世界等々、世界であり得ると。つまりたとえ夢や小説の中の架空の異世界であろうと、この世界にとっての別の可能性の世界の範疇に含まれるのであり、多世界解釈量子論に則ればれっきとしたなのだよ」

 ──‼

 夢の中で見た異世界も、本物の世界だって⁉

「とはいえ、肉体的にはもちろん、精神的にも魂だけ実際に異世界に転移したわけではなく、あくまでも夢の中で、異世界の勇者や魔王の娘の『記憶』とアクセスしただけなんだ」

「……記憶とアクセス、ですって?」

「知っているかどうか知らないけど、心理学においてかの高名なるユングが提唱している『集合的無意識』なるものについての論説においては、我々すべての人間の無意識が繋がり合っている超自我的領域が精神の最深部にあるとしているんだけど、人の無意識の最たるものって、言ってみれば夢の世界のことじゃん。つまり実は夢の世界こそ集合的無意識そのものなのであり、ここにはありとあらゆる世界から人の意識──すなわち『記憶』が集まってきているからして、夢の中では異世界人の記憶ともアクセスすることができて、眠っている間にその人物になりきることによってその記憶や知識を完全に己の脳みそに刻み込むことになって、目が覚めた後の現実世界においてもすっかり異世界の勇者や魔王の娘そのままに振る舞って、事実上の『異世界転生』を実現してしまうって次第なのだよ」

 ──! それってつまり、『異世界転生』とか『前世返り』とかって、夢で見た記憶によるものだったってわけか⁉

「た、確かに、あくまでも夢の中で異世界人の記憶に触れただけなのに、本人にとっては異世界転移を経験したことにも、目覚めた後においては前世の魂が甦ったことにもなり得ますよね」

「そう。しかもこれは量子論に基づいた、れっきとした論理的根拠を有するんだ」

「量子論に基づいた論理的根拠って、集合的無意識って心理学に属する論理のはずでは?」

「実はね、集合的無意識とは、いわゆるコペンハーゲン解釈量子論の言うところの、『未来の無限の可能性』そのものなのだよ」

「集合的無意識が、さっきから何度も話題に上っている、この世界の未来の無限の可能性ですって?」

「量子論に則ると、我々人間一人一人に始まりありとあらゆる森羅万象──ひいては世界そのものにとって、未来というものには無限の可能性があるわけだけど、実はそれは個別の存在にとってけして別々のものではなく、すべての人にとっても、あらゆる森羅万象にとっても、ひいては世界にとっても、なのであって、そうなると当然その中には万物にとっての無限に存在し得る未来の分岐パターンがすべて存在していることになり、そしてまさにそのありとあらゆる存在にとってのすべての未来の分岐パターンの集合体こそが、集合的無意識と言われるものの正体なわけなのさ」

「万物にとっての未来の可能性がすべて共通しているって……いやいや、そんなことはないでしょう。例えばAさんにはAさんの未来があって、BさんにはBさんの未来があるといったふうに、百人人間がいたら、その未来も百通りあるはずなのでは?」

「まあ普通に考えれば、その通りだろうね。だったらもし仮に、そのAさんとやらがBさんになった夢を見ているとしよう。当然今現在Bさんは、目が覚めるとともにこのAさんになるわけだよね?」

「ええ、まあ……」

 Aさんが夢の中でBさんになろうがCさんになろうが、目が覚めたらAさんに戻るのは当然じゃないか。何を当たり前のこと言っているんだ……と思っていた、まさにその時。

 続いての彼女の言葉に、僕はまるで脳髄に直接平手打ちを食らったような衝撃を受けた。

「それってつまりは、もしもAさんの見ている、正真正銘Bさんだと思われた人物が、実はAさんだったことになるわけだよね? すなわちこの現実世界が何者かが見ている夢であることがけして否定できない限りにおいては、Bさんがほんの一瞬後にも──そう。、Aさんとなってしまう可能性はけして否定できないことになるんだ。その結果AさんとBさんの未来はこの一点において重なり合っていることになり、当然の帰結として二人にとっての未来の無限の可能性というものは共通したものになるといった次第なのだよ。もちろんこの現実世界を夢見ている可能性があるのは何もAさんやBさんだけに限らず、すべての人──ひいては、あらゆる森羅万象のどれでもあり得るのだから、未来の可能性というものは万物にとって共通したものになるわけなのさ」

 実はこの現実世界そのものが何者かが見ている夢かも知れないという可能性に基づけば、万物にとっての未来はすべて共通していて、それこそが集合的無意識の正体だって⁉

「……いや、ちょっと待ってください。そもそも大前提として、この現実世界そのものが実は何者かが見ている夢であるなんてことが、あり得るわけがないじゃないですか⁉」

「おやおや。オトメ君におかれては、かのそうの『この世界は実は一匹の蝶が見ている夢かも知れない』とする、『ちょうゆめ』の故事は御存じではないのかな? それに中国においては『ホワンロン』という、それこそこの現実世界そのものを夢として見ながら眠り続けている神様が存在しているとする神話があるくらいなのだよ?」

「……馬鹿馬鹿しい。そもそもが『この現実世界を夢見ているという蝶』自体が荘子の見た夢の産物に過ぎず、『この現実世界を夢見ているという龍』自体も神話上の──つまりは、我々人間の想像上の産物に過ぎないのではないですか?」

 そんな僕の至極もっともな反論に対して、しかし目の前のブロンド先輩はむしろいかにも我が意を得たりといった感じで、表情を綻ばせた。

「そう、そうなのだよ! ホワンロンなんているとは決まっていないことこそ──すなわち、確かにこの世界が夢かも知れない可能性は否定できないものの、当然その一方で間違いなく現実のものでもあり得るはずだという、存在可能性上の『二重性』こそが、あくまでもにいる我々にも、万物のの無限の可能性そのものである集合的無意識へのアクセスを可能とするのさ!」

「は、はあ?」

 自分で話題に上げたホワンロンの絶対性をいきなり否定したかと思ったら、むしろそのいるかいないか確かではないあやふやさこそが、集合的無意識へのアクセスを可能にするだと?

「ふふふ。現役高校生早乙女学にして、ネット上において数々のファンタジー異世界作品を発表している『じんおと』先生におかれては、こう言ったほうがわかりやすいかな? 『実はこの世界やその中に含まれている我々人間を始めとする万物は、現実の存在であるとともに、夢の存在でもあり得る可能性を常に同時に有している』──これって、何かを連想しないかい?」

 ──っ。まさか、それって⁉

「そう。御存じ現代物理学の根幹をなす量子論における基本的理論である、『我々人間を始めとするこの世のすべての物質の物理量の最小単位である量子というものは、粒子と波という二つの性質を同時に有していて、形なき波の状態においては、次の瞬間に形ある粒子となってどのような形態や位置をとるかには無限の可能性があり、そのため量子のほんの一瞬後の形態や位置を予測することすら不可能なのである』そのまんまだろう? つまり私たち人間には観測できないミクロレベルにおいて形なき波の状態にある量子は、次の瞬間に形ある粒子としてとるべき無数の形態や位置の可能性が同時に重複している状態──いわゆるこれぞ量子論で言うところの『重ね合わせ』状態にあるという独特の性質を有しているとされているのだけど、あくまでも現実世界マクロレベルの存在である私たち人間には、このような微小世界ミクロレベルにおける量子ならではの特異な性質は適用されないというのが、これまでの量子論における主流的見解だったけど、人間も量子同様に夢等の形なき世界の存在でもあるという二重性を常に持ち得るとしたら、まさにその量子ならではの特異なる性質──すなわち、『形なき「夢の世界の自分」においては、夢から目覚めた後に無限に存在し得る形ある「現実世界の自分」になり変わる可能性があり得る』という性質を有することになるのだ。確かに常識的に考えれば君の言うように現実世界に生きる我々が、無限の可能性の具現たる集合的無意識にアクセスすることなぞできないだろう。しかしもしもこの現実世界そのものが夢であったとしたら、ほんの一瞬後に目が覚めることによってたる別の世界の別の自分となる可能性があり、そしてその『世界』や『自分』は実際に目が覚めるまではどのようなものになるかはけしてわからない──つまり文字通り無限の可能性があるわけなのであって、まさにこれこそが『自分や世界そのものにとっての未来には無限の可能性がある』ということなのであり、言わば現時点の自分を夢の存在として見なせば、ミクロレベルの量子同様にどんな『目覚めた後の未来の自分』になるかの無限の可能性が『重ね合わせ』状態に──すなわち、無限に存在し得る『未来の自分』のすべてと状態にあるわけで、そして未来の無限の可能性とはまさに集合的無意識そのものであるからして、これこそは集合的無意識へのアクセスを実現していることにもなるといった次第なのだよ」

 な、何と、この現実世界そのものが夢でもあり得ることはけして否定できないゆえに、現時点の自分を夢の存在と見なすことによって、量子論における『重ね合わせ現象』に則る形で、集合的無意識にアクセスすることは必ずしも不可能ではなくなるだと⁉

「もっともホワンロンなぞといったものが本当に存在しているわけではなく、先ほども言ったように誰もがこの現実世界という夢の主体になり得る可能性があるのであり、まさにその夢の主体となり得る万物が『重ね合わせ』状態──すなわち総体的シンクロ状態となっての、あくまでもいわゆる『集合体』的存在こそがホワンロンの正体なのであり、けして中国のどこぞの山奥の中に黄色い龍や、どこかのビール会社のトレードマークのごとき龍と馬のあいの子のようなものが、れっきとした個体として存在しているわけではないんだ」

 ……つまりホワンロンって、いわゆる首の長いのの、『りん』のことだったのか。

「以上の話によって、夢の世界こそ集合的無意識そのものであることが十分理解できただろうし、無限に存在し得る『目覚めた後の未来の自分』の中には当然異世界の勇者や魔王の娘等も含まれているのだからして、夢の中においては異世界を含むあらゆる世界の未来の自分の『記憶』とアクセスし得て、その記憶や知識を脳みそに刻み込み完全に自分のものにすることによって、君がやったように非常に詳細でリアルな異世界を描いた小説を創ったりもできるってことなんだけど、何度も言うように多世界解釈量子論に則れば夢の中で見た異世界もの世界なのだから、君の小説に影響を受けた大河嬢や他の読者たちが夢の中で見た異世界も君が見たものと同じ本当に存在し得る異世界なのであって、集合的無意識たる夢の中で触れた異世界人たちの『記憶』も本物なのであり、現在その『記憶』を有する君や大河嬢がある意味異世界の勇者や魔王の娘の転生体のようなものであることは、けして事実無根の妄想であるわけではないって次第なのさ」

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