第6話 彼岸花の意味するところ
クリッとした目の、髪の長い女の子。彼女はゆっくりと言葉を紡ぐ。
「ゆっくん?」
その言葉に、自然と足の力が抜けて、俺はその場にしゃがみこんだ。今度は俺が小学生の彼女を見上げることになった。
「……あかね、なのか」
恐る恐る尋ねると、彼女は頷いた。真っ白い歯を見せて笑っている。久々に見るまばゆい笑顔。
「そうだよ。でもその名前、久しぶり」
「え?」
「今はね、ヒラサワメグミっていうの。ほら」
彼女がランドセルを持ち上げて、背中に当たる部分を俺に見せた。そこには名前を書いた紙を入れるところがあって、確かに平沢恵とマジックで書かれていた。
「えっと、じゃあ、平沢さんって呼べばいいのか」
「ううん。できたら前の名前で呼んで。懐かしいから」
あかねはそう言うと、土を払ってからランドセルを背負った。二人の上からぽつぽつと雨が降ってくる。
「どこか、雨宿りできるとこに行こうか」
向かったのは手近にあった神社だ。緑色の屋根を持った、床がギシギシ鳴る神社だ。柱なんかも削れて大分ボロボロになっているが、それでも雨はしっかり防いでいた。
本降りになる前に駆け込むことができたので、俺はあかねの息が落ち着くまで待ってから尋ねる。
「一体、どういうことなんだ。なんで連絡してくれなかったんだよ」
「電話番号も知らないし、家も分からないから」
この発言には驚いた。俯いているあかねに詰め寄る。
「家が分からないって、そんなこと無いだろう。何回も来てたじゃないか」
俺は覚えている。家の前で見つけたカマキリに驚いたあかねにひっぱたかれたことを。だから、あかねは俺の家に来ているのだ。それでも、彼女は首を横に振る。
「本当に、覚えてないの。前世の記憶っていうのかな。私には、そう言うのがあって、自分が昔戸田あかねだったことは覚えてる。お母さんお父さんの顔だってそうだし、ゆっくんのことも忘れてない。でも、全部を完全にって訳じゃないの。学校でのこととか、家の場所とかまでは……」
「……そうか、そうだったのか」
俺は前世の記憶なんて持ってないから詳しいことは分からない。だから頷くしかできなかった。けれど、一部の記憶を失っていたなら、今まで俺たちが出会えなかったことも説明がつく。
「それで、今は幸せ?」
「うん。今はね、妹がいるんだ。まだ四歳だけど、可愛いくってよく私の後をついて来るの。親も優しいしね」
「そうだな、子供祭りにも行ってたみたいだし」
「なんで、知ってるの」
「テレビに映ってただろ、観たよ」
「そうなんだ、観たんだ……。あれ、お母さんも録画して観てた」
恥ずかしそうにあかねが呟く。どうやら、今のお母さんはかなりの親バカみたいだ。でも、それなら今の家庭が幸せだというのは本当なのだろう。
そう思うと、尋ねざるを得なかった。
「なあ、前の両親には会いたいか?」
微妙な質問だとは分かっていた。もう、今の生活で満足しているなら変える必要なんかない。会わないという選択肢もある。一方で、見た目も変わらず前世の記憶もある程度持っているのなら、あかねの前の両親は絶対に会いたがるはずだ。
「もし、会いたかったら、家まで案内はできるけど……」
「そうだね――でも、今はちょっと」
「――会いたくない?」
「そうじゃないけど……ちょっと分からない」
気持ちの整理がつかないということだろう。それはそうだ。急に前世での友達と巡り合ったのだから、冷静でいる方がおかしい。
だが、考えてみれば、一番の疑問がまだだった。どうして、生まれ変わったりすることができたんだ?
「あのさ」
「ごめん、ちょっと」
声をかけるのと、あかねが立ち上がるのが同時だった。どうやら、トイレらしい。引き留めるわけにもいかなくて、俺は彼女が歩み去るのを眺めるしかなかった。
「会えたみたいだね」
背後から聞こえてきた声に勢いよく振り向くと、いがぐり頭の男の子が立っていた。白っぽい着物を着た男の子。六年前から何一つ変わっていない。それはそうだろう。ここに住まう神様なのだから。
「久しぶりだね」
「……ご無沙汰しています」
気さくに話しかけてこられたが、神様相手に同じ調子で返すのも気が咎めたので、ちょっと堅苦しい挨拶になった。それを見て、何を思ったか、神様は微笑んだ。
「確かに、ずいぶんと会わなかったね。でもまあ、ご無沙汰なのは結構。それだけ悩み事が無かったのならね。ああ、それと、そんなに固くならなくていい。昔みたいに楽にしておくれ」
子供らしい声でそう言われたので、俺は正座していた足を崩した。あっさり従うのもどうかと思ったが、慣れていないのでさっきから足の甲が痛かった。そして、不作法ついでにこちらから話しかける。
「会えたみたい、と言ってましたけど、あかねのこと、知ってたんですか」
「もちろん」
神様は事も無げに頷いた。まあ、この世での力は絶対だと自分で言っていた存在だから本当に朝飯前なんだろうが……。
「あかねが生まれ変わったのは、一体どういうことなんですか」
こんなことが起こるなんて普通じゃない。何か巨大なことが背後でうごめいているような気がしていた。
「それはね、君が望むだろうと思ったからだ」
「え?」
「君は、彼女を失った時悲しんでいた。彼女の向こうでの幸せを願ってはいたけど、心のどこかで、彼女が生きかえるなら、と思っていなかったかい」
「それは……思いましたけど」
身近な人を失くしたら、それは当然だろう。もう一度言葉をかわせたら、故人がいる日常を取り戻せたら、そう願わない人はいない。
「でも、どうして俺の願いだけ叶えてくれたんですか。それに死んだ後のことには干渉でいないって言ったたんじゃ」
そう尋ねると、神様は子供がむくれるみたいにプイッと顔を背けた。
「別に、君だからというわけじゃないよ。ただ、良い条件がそろっていたからだよ。それで、神の限界と言う物を超える良い機会だと思った。それだけ」
「良い条件?」
何のことだか見当もつかない。すると、神様はこっちに視線を戻して説明してくれた。
「君が願いを言いに来た時、彼女の遺体はまだ完全な形でこの世にあった。つまり、こちらの世界と彼女の間でつながりが残っていたんだ。もちろん、死というのはいつでも高い壁だけど、あの状況ならね。僕の力と『転生』の彼岸花を組み合わせることで彼女をもう一度この世に連れてくることができたというわけだよ」
「……『転生』の彼岸花?」
神様は自慢げに話しているが、俺には聞いたこともない言葉だ。もちろん、彼岸花は知っているが、それが『転生』とはどういうことだ。
俺が呟く声を聞くと、神様はキョトンとした顔で首を傾げた。その表情は本物の小学生にそっくりだった。
「君が棺桶に入れた彼岸花じゃないか。意味は『転生』……って、まさか、知らずに手向けていたのかい?」
ゆっくりと頷く。まさか、彼岸花の花言葉にそんな意味もあったとは。今の今まで全く知らなかった。
俺の表情から事情を察したのだろう、目の前で神様は愉快そうに笑いだした。最初は小さく、そして徐々に大きくなる笑い声。
「ハ、ハ、ハッハッハ。いや、いや。まさか君が知らずにやっていたとはねえ。神様の僕が言うのもなんだけど、こういうことが本当の奇跡と呼ばれるものなんだろうね。うん、これは本当にすごい偶然。奇跡だよ」
そうして、ひとしきり笑ったあと、ようやく落ち着いた神様は俺に話しかけてきた。
「でも、この奇跡は僕がいなかったら成り立たなかった訳だ。ということで」
俺の方に向かってスッと手が差し出される。別に握手しようというんじゃない。その証拠に、手のひらは上を向いている。
「前回はもらい損ねたからね。今度こそ、お賽銭を頂こうかな」
いたずらっぽい表情が向けられる。
全く、なんて神様だ。自分からお賽銭を要求するなんて聞いたことがない。しかもこのタイミングで。だが、願いを叶えてくれたのは確かだし、ケチケチするような気分にもならない。
俺は財布からお金を抜き取って手渡す。
「二千円。へえ、君の年にしては奮発したねえ」
人一人を転生させたことに対する金額とは自分でも思えないが、悲しいかな中学生の所持金ではたかが知れている。怒られるかとも思ったが、神様は千円札をヒラヒラさせて面白がっている。軽い口笛が響く。
「では、確かに頂いたよ」
そう言うと、神様の姿はスーッと溶けるように風景に混ざりこみ、消えた。
俺は神様が消えたところに向かって、お辞儀をした。せめてもの感謝を表しておきたかったからだ。あかねに会えたことを。この気持ちはどれだけ言葉で表そうが、行動で示そうが決して伝えきれないことだと思う。少しでも多く、お礼を言うしかない。
後ろから、ミシミシと足音が聞こえてくる。戻ってきたらしい。
「どうしたの?」
「いいや、ちょっとね」
俺が微笑みを返すと、あかねはほんのちょっとだけ首を傾げた。
「もうそろそろ、遅くなっちゃうから。私は、帰るね」
「送るよ。小学生が一人で歩いているのは危ないから」
これは言い訳だ。本当は、もう少し一緒にいたいからだ。だって、六年も会っていなかったんだ。話したいことはいっぱいあるし、聞きたいことも同じだけある。
二人で連れ立って歩く。今住んでいる所を聞いてみると少し離れたところだったので、近道を通ることにした。コンビニの近くに通じているあぜ道だ。
真っ赤な夕陽が目に染みる。俺は自然と二人でフリスビーをした帰りのことを思い出していた。
この季節、彼岸花の姿は見えないが、その時のことは未だに俺の中にはっきりと残っている。
そして今、再び俺の横にあかねがいる。
*******************************************
『想うはあなた一人』
*******************************************
これは六年前、俺が覚えた彼岸花の花言葉だ。俺がお葬式の時、伝えたかった気持ち。
ほのかに赤く照らされた少女に視線を落とし、ゆっくりと口を動かす。
「なあ、あかね。これから、ずっと一緒にいてくれるか」
今の俺には、昔この場で抱いた気持ちが恋だったのだと分かっている。だから心を込めて、言葉を紡いだ。
それでも、相手は小学生だ。俺が惚れた時も、そして今も。単なる友情と恋愛の区別がつくかどうかはすこぶる怪しい。
だが、俺はそれでもいいと思った。彼女が俺の想いに気づくまで、ゆっくりと待っていようと思っていた。なんせ、六年前貫いていたんだ。あと、数年待つことなんか、全く苦にならない。
あかねがこちらを見上げてくる。そのクリッとした目に俺自身が映っているのがかすかに見える。
彼女の顔は、太陽が照らすよりもほんの少しだけ鮮やかに見えた。
まためぐり逢う 黒中光 @lightinblack
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
カクヨムを、もっと楽しもう
カクヨムにユーザー登録すると、この小説を他の読者へ★やレビューでおすすめできます。気になる小説や作者の更新チェックに便利なフォロー機能もお試しください。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます