第5話 衝突と再会

 公園巡りの翌日、俺はまた通学路で椎名と出会った。まあ、お互い普段通りに家を出れば、普段通りにこうなる。椎名がすらっとした手足を振り回すように元気良く近づいてくる。


「おはよう。ゆう君」


 この弾むように元気のいい椎名の挨拶に対して、俺はヒラヒラ手を振って応える。これまた、普段通り。違うのはここからだ。


「ゆう君、昨日どこ行ってたの」

「え、なんでそんなこと聞くんだ?」


 俺がどこか普段と違うところに行っていたことを知っている口ぶりだ。俺は反射的に身構えてしまった。


「そんな怖い顔しないでよ。広瀬君から聞いたの」

「広瀬?」


 意外な話だった。椎名と広瀬は俺を介してしか繋がりが無いはずだ。まあ、詳しく言うと、広瀬は椎名のことを意識してるが、椎名の方は相手を歯牙にもかけてない。正直、俺のいないところで二人が会話している所を見たことがなかった。


「なんかさ、昨日公園の前通ったら、ベンチの上で倒れてたんだよ。さすがに、ほっとけなくて声かけたら、『ゆうは悪魔だ。俺が邪魔になったから、遠ざけようとしてるんだ』とか、訳の分からないこと言いだして。『本当は何があったの』って訊いたら、ゆう君がどっかに一人で急いでいったっていう話をしてくれたから、これは何かあるのかなって」


 アイスキャンディのせいだ、とすぐに判った。昨日思った通り、あいつは腹を壊したらしい。だが、まさかここで椎名につながるとは、人生はままならん。


「で、どうなの」と俺の顔をのぞき込んでくる。そっと、視線をそらすとそっちの方に体ごと動いてくる。下からのぞき込んでくるのは、普段なら可愛いと思うが、今日はただしつこいと思っただけだった。


「もしかして、彼女?」

「……さあね、考えすぎじゃない」


 あかねに対しては、俺の片思いだ。彼女とか、そんな間柄じゃなかった。それでも、はっきり否定できなかったのは、未だに未練があるからだろう。ここで否定したら、その気持ちが消えてしまいそうに思えるし、そうはしたくない。


 なんとなく、その気持ちが伝わってしまったのだろう。


「ふうん」


 と言った椎名の表情は俺に問いただしたいという気持ちをはっきりと表していた。俺は早足で歩きながら、どうでもいい話題に強引に切り替えた。


 それから、慌ただしい一週間が過ぎた。目論見通り、広瀬は俺に変に絡むとろくなことにならないと感じたようで、ベタベタと関わってくることはなくなった。だが、その副産物として、椎名が毎日放課後しつこいくらいに俺の予定を訊いたり、一緒に帰ろうと言ってきた。


 最初は適当な理由をでっちあげたが、すぐに弾切れとなり、宗旨替えの後、無言で逃げるという戦法をとることにした。これが、機嫌を損ねたらしく。日に日にむくれる顔を見ることが多くなった。まるで、噴火直前の火山だ。


 あかね探しの方はと言うと、公園学校どちらを探してもいなかった。土日には駅に張りこんでも見たが成果はゼロ。ただ駅員に、病的な電車好きとして顔を覚えられただけだった。


「ふ~う」


 駅から帰ると、またもや、理由もなく普段より遅く帰ったことで母親にグチグチ言われた。単純に叱るのではなく、遠回しにくぎを刺すやり方なので逆にやられる側としては神経を使う。


 現状を笑い飛ばす軽口でも言いたいところだが、思いつかない。自分が干上がった川みたいに感じられる。


 半分、惰性になりながらこれからの方針を考える。子供の集まる場所といえば、どこだろうか。明日は平日だから……家で遊ばないとすればどこに行く?


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 気づいたら、朝になっていた。朝六時前、いつもより一時間近く早く起きている。寝直す気にもなれなくて、俺は床に転がっていたマンガを手に取った。SFの世界観のマンガだ。


 パラパラっとめくっているとあるページで手が止まった。敵の空飛ぶ巨大空母を打ち落とす場面だ。操縦席に座った主人公に、父親同然の開発者がアドバイスする。


「いいか、余計なことは考えるんじゃない。奇跡を願うとか神様に縋るみたいな真似はするな。ただ、現実を見て自分がすべき目の前のことだけに粛々と取り組め。そうやって地味に見えることが実は一番うまく成功する方法なんだ」


 俺は、マンガを閉じて机に放り投げた。先週読んだから、続きは知っている。不安と希望がごちゃまぜになって押しつぶされそうだった主人公はこの言葉に冷静さを取り戻し、初めてのレーザー砲で見事に敵空母を撃墜する。

 要は、奇抜なことを追い求めるんじゃなく、現実をしっかり見据えろということらしい。非常に教育的で、世間の覚えも愛でたそうで、今のおれには一番聞きたくない話だ。


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 俺の気分同様、墨でも溶かし込んだみたいにどんよりとした雲がたれ込み続けていたこの日、火山が噴火した。火口は中学校前、時刻は十六時二十三分。轟音に振り返った俺が見た光景は肩を怒らせて目の前の男を睨み付ける椎名の姿だった。


「ねえ、ゆう君。最近さあ、私のこと避けてるよね」


 ゆっくりとした低い声。普段のあざとくて高い声からはかけ離れていて、本気の怒りと言うのを肌で感じさせる。

 俺は燃え盛る目を見ながら黙っていた。今ここで下手に口を開いたら、火に油を注ぐだけだ。

「ねえ、なんなの。一人で毎日毎日、毎日と!一人で何してんの。そんっなに私に知られたくないことなの」


 やっぱり、女の子なの。小さくてかすれた声。思わず、頷きそうになったが、「付き合ってるんだよね」と泣きかけた震える声で続けられて首を横に振る。これを言うのは二度目だ。(本当は何回も言いたくないが。)あかねに対しては、俺の片思いだ。彼女とか、そんな間柄じゃなかった。


 けれど、その仕草は彼女のさらなる怒りを招いた。


「だったら!何なのよ!!理由も言わないで、何で一方的に避けられなきゃいけないのよ!」

「……言っても、信じないよ」


 死んだ幼馴染を探していますなんて言われて、信じる人間がいるはずがない。俺が十日前にでも言われたら、変な人間、としか思わなかったろう。


 だが、俺のこんな言葉で椎名が納得するはずがなかった。


「言ってみなけりゃ分からないじゃない。とにかく、理由を聞かせてもらえなきゃ嫌なの」


 まっすぐな目でこっちを見てくる。その目に突き動かされたか、あるいは単なる気の迷いか。俺は本当のことを口走ってしまった。


「幼馴染を探してるんだよ。小学校の時の。もう、亡くなってるけどな」

「――ふざけないでくれる?」

 低い声で、真顔で返された。この場面では、目を吊り上げて見せるよりも、声を張り上げるよりも、この反応が最も恐ろしい。現に、俺たちの脇を通ろうとした生徒は体をびくりと震わせて、俺たちを大きく迂回している。


「ふざけてないよ」


 やっぱり信じないじゃないか、と心の奥底で呟きながら反論する。もう、こんな言い争いをしているのが嫌になってきた。


「マジで言ってるなら、頭おかしいよ」


 椎名が断言した。相変わらず、俺の目を見てバッサリと。一体、どういう神経をしてるんだ、こいつは。自分の正しさを盲目的に信じて斬りつけてくる椎名の姿に、俺は何故か無性に苛立った。


「おかしいよ。そんなこと言いだすなんてさ。らしくないよ。ゆう君らしくない。私が好きなゆう君はさ、いっつも冷静でさ、色んなものを穿って考えて、他の人よりも色んなことを見透かしてる様な人なんだよ」


 違う。俺はただ、物事を斜に構えて眺めながら皮肉っぽく嘲笑っていただけだ。


「ねえ、お願いだからさ。戻ってよ。クールなゆう君に」


 俺はそんな俺自身が嫌だった。崩れ去りそうな俺を支える甲冑。俺の身を守り押しつぶそうとする俺自身が嫌いだった。捨て去りたかった。


「いつもの、私の好きなゆう君に戻ってよ」


 俺は取り戻したい。全てをまっすぐに見つめていた、すべてのものが輝いて見えていた、その心を。


「俺は俺だよ。自分でこうなりたいって思ったように生きるよ」


 俺はそう言って、振り向かずに歩き去った。だから、椎名がどんな顔をしていたか、俺は知らない。怒鳴られるかと思ったが、声は何もかけられなかった。


 ただ心がぐちゃぐちゃに乱れるのに任せて街を歩く。そんな俺の周りに人はいたかもしれないし、いなかったかもしれない。全てがコンクリでできたみたいに感じられた。硬くて、のっぺりと灰色な。


 どうして、話したりしたのか。自分の言動を振り返っていた。信じてもらえるはずのないことを自分から口走るなんて。もしかしたら、受け止めてもらえるかもしれないと期待してしまったのだろうか。


 もしそうなら、何とバカなことだったか。推測通りに否定されると、爆発した感情に身を任せてしまった。図星を刺されて。


 そう考えていくと、自分が無性に恥ずかしくなる。誰にも会いたくない。


 その気持ちを反映したのか、俺は人通りのない河川敷に来ていた。家からそこまで離れていないが、土手しかないので来たことはほとんどない。


 モンシロチョウが二匹連れ立って飛んでいる。人の姿は……ないのだが。


 河川敷に転がる赤いものに目がいった。ちょっと近づくとランドセルだと分かる。でも、一体どうしてここにあるのか。


 隙間から覗きこんでみると、教科書らしき中身は入っている。まさか、中身ごとランドセルを捨てていく奴はいないだろうに。持ち主はどこに行ったのか。


「あの、それ私のです」


 後ろからそっと声をかけられて飛びのいた。後ろを見ると、薄くて俺の手のひらよりちょっと大きいサイズの、黄色い本を手にした女の子が立っていた。小学校の低学年だろうか。


 クリッとした目を持つ、ツヤツヤロングヘアーの女の子。


 あかね、だった。


 あんまりの出来事に呆然とする。俺は今、現実を見ているのかと疑った。


 小さな耳。そして、笑顔の似合いそうな大きめの口。俺の方をジイッと見つめる表情。間違いない。あかねだ。俺が小学生だった時から何一つ変わってはいない。


「あの、その……」


 やっと見つけた。その思いに押しつぶされて、言葉が出ない。見つけたらあんなことを言おう、こうしようと今まで考えていたのが、全部消し飛んでいた。


「えっと、あの」


 何か言わないと。そうしないと、今の光景が夢みたいに溶けていきそうに感じていた。


 言葉を。その一念が俺の頭の中をゆっくりと白に染め上げて行く。


 目の前の女の子は、俺の前まで歩いてくると、首を傾げて見せた。昔、何度も見た仕草。


 ギュウっと心を掴む懐かしさ、消えてしまうのではないかと言う恐怖。


 女の子はゆっくりと言葉を紡ぐ。彼女だけのあの呼び名。


「ゆっくん?」

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