最終話  それから

 秋が終わり、冬を越え、季節が幾度か廻り――春。

 青々とした若葉が茂る森に、甲高い金属音が響いていた。


「ほらどうした。もう疲れたのか?」

「っ……まだまだ!」


 イムロスは短剣の柄をぐっと握り締め、再び俺に向かってきた。

 無駄は多いが素早い。悪くない踏み込みだ。

 俺の腹を狙ってきた息子の渾身の突きを躱して、背後に回り込む。

 だがイムロスは諦めず、獲物に追いすがる獅子のように飛びかかってきた。


 俺とエルの息子、イムロスは今から数ヶ月前、突然剣を教えてほしいと俺に頼んできた。どうやらアーシャに読み聞かせてもらった英雄譚に触発されてしまったらしい。本当に男という生き物は、老いも若きも剣を振り回したがる生き物だ。俺とて例外ではないが。


 だが、数百年ぶりに生まれた目に入れても痛くない息子だ。戦いの術を学んで将来魔物狩りになりたいとか、アルカヴァリオのような軍人になりたいなどと言い始めたら俺は全力で反対すると思う。死線を彷徨って生きるのはとてもつらい。そのことは誰よりも俺がよく知っている。


「あまり足をばたつかせるな。体が浮ついて、相手の攻撃を上手く捌けなくなる」

「はい、父上!」


 齢六つ。にもかかわらず息子はとにかく真面目で努力家だ。決して手抜きのない厳しい稽古にも、泣きべそひとつかかず必死に食らい付いてくる。そんな息子の熱意に動かされ、俺も稽古に熱が入る。そんなだから、ついつい時間を忘れてしまいがちだ。


「ちょっと二人とも。そろそろ終わりにしたら?」

 家からエルが出て来て、俺たちを呼びに来た。

「ヤスヴァル、あなた村に何か用事があるんじゃなかったっけ?」

「え、あ、いかん。忘れてた。それじゃあイムロス。今日の稽古はここまでだ」

「はい!」


 いい返事だが、もう少し子どもらしくてもいいのにと思う今日この頃である。剣をエルに渡し、軽く汗を拭ってから俺は村に向かった。

 鳥は鳴き、風に吹かれた枝葉がさらさらと音を立てる。エルの瞳のように澄んだ青空が広がる清々しい日だ。


 村に入った俺は真っすぐ鍛冶屋に向かった。よく馬具や日用品を作る手伝いをしているため、鍛冶の頑固親父とは顔馴染みである。

 鍛冶場の炎で蒸し蒸しする薄暗い屋内には、パイプの煙をくゆらせているユトの姿が既にあった。


「遅かったじゃない。何してたの?」

「イムロスの稽古に付き合ってた」

「まあまあ、毎日飽きもせずご苦労なこと。あんまり私のイムロスに危ないこと教えないでよ」

「いつからうちの息子はお前のものになったんだ?」

「生まれた頃から私のものよ。日に日にあなたに似てきて……食べちゃいたい♪」

「叩き斬るぞ」

「何? 一緒に贈り物作ってあげた恩を仇で返す気?」

「いや……ありがとう」

「どういたしまして」


 贈り物というのは、イムロスに渡す品のことだ。実は今日、イムロスは七歳の誕生日を迎える。そのための贈り物を、何日も前からユトの協力も下で作っていたのである。


「今更だが、どうして協力してくれたんだ?」

「前にも言った通り、あなたの幸せが私の幸せ。恋敵の間に生まれた子どもでも、あなたの大事なもののためなら喜んでこの腕を振るうわ」

「悪いな」

「全然。私が好きでやってることだもの」


 そんな話をしていると、店の奥の暗がりから鍛冶屋の親父が現れた。

 手には漆黒の鞘に収まった短剣が握られている。


「おう、来たか。もう研ぎ終わって、鞘も付けたぞ」

「悪いな。頼み聞いてもらって」

「何。旦那にはいつも世話になってる。これくらいのことならいつでも請けるぜ」

「ありがとう」


 黒塗りの鞘に金の装飾をあしらった短剣にはユトの魔術で、ある護法が施してある。

 親父に代金を支払い、礼を言った俺はユトと共に鍛冶屋を後にした。


「お前、まだこの村にいるつもりなのか?」

「あら、昔の女にはさっさと出て行ってほしいの?」

「そういうわけじゃない。ただ聞いてみただけだ」

「そうね……私もいい加減、新しい恋を探した方がいいのかもしれないわね」

「時間はある。ゆっくり考えて、そして幸せになってくれ」

「あなたの選択で、私は幸せのひとつを奪われてるんだけど?」

「確かにそうだが、昔の相棒の幸せを願っちゃ駄目か?」

「罪な男」


 ニヤリとして、ユトは人差し指で俺の額を軽く小突いた。


「あなたに言われなくたって、私なりのやり方で幸せを掴んで見せる。なんたって私は、千年以上も生きてる偉大な魔女ユト様だからね」


 はっきりと宣言して、ユトはひらひらと手を振りながらどこかへ立ち去った。

 その頼もしい背中を見送っていると、足元に何かがぶつかってきた。

 俺の腰くらいの背丈しかない小さな少女が、顔を上げてニパッと笑いかける。


「やすばるおじさん、こんにちは!」

「おお、エリスか。こんにちは」


 エリスの頭をやさしく撫でてやっていると、エリスの後を追ってバタバタと駆けてくる女の姿があった。アーシャである。


「ヤスヴァルさん、こんにちは。もうエリス、一人で勝手に走っていかないでっていつも言ってるでしょう」


 と、アーシャはエリスの頭を軽く叩きながら言った。

「ごめんなさーい」と、謝る気もなさそうに言うエリスはアーシャと村の若者の間に生まれた子どもだ。ちなみにエリスと名付けたのは俺である。今、アーシャのお腹にいる第二子の名前も現在考案中だ。


「この子ったらヤスヴァルさんの姿が見えた途端、走っていっちゃって……」

「やすばるおじさんすきー」

「うんうん、ありがとうなエリス。前も言ったけど、おじさんはやめようか」

「やすばるおじさーん」


 駄目だなこれは。俺もいい加減見た目の若さに固執して、呼ばれ方にこだわるのはやめた方がいいのかもしれない。


「その短剣、ユトさんと作ってたものですか?」

「ああ、これからイムロスに渡そうと思ってな。今使ってる短剣がぼろぼろになってきたから、あいつも喜んでくれると思う」

「きっと喜んでくれますよ。それにしても、もうイムロス君も七歳ですか……早いですね」

「ああ、早い。本当に早いな……」


 イムロスが生まれて、子育てに追われる日々は以前よりも遥かに早く過ぎて行ったように思う。その間にアーシャは結婚して子どもを生み、ダグの髪の毛はさらに減り、村の人口も少し増えた。


 矢のような早さで過ぎ去る時の中で、周りのものが少しずつ変わっていく。ここに住み始めて二百年の間にも繰り返されてきたことだが、イムロスがいるからか、その変化がいつもより如実に見える気がした。


「少し、怖いくらいだ」

「そうですか? 私はそんなことないですけどね」

「どうしてそう思う?」

「だって、この子が大きくなって、私が年老いても、ヤスヴァルさんとエルノーラさんはずっと変わらずにいてくれるからですよ」

「俺は周りがどんどん変わっていって、自分だけが何も変わらず取り残されていくような感覚がして、少し怖いよ」

「もしそうだとしてもきっと大丈夫です。ヤスヴァルさんには、エルノーラさんがいますから」


 ……成程。もっともだ。何も悩むことはない。

 俺には、同じように変わらない時間を生きてくれる妻がいる。

 その事実こそ、何にも勝る俺の救いだ。


 幸い、俺が今気に病んでいることと言えば、息子が堅物過ぎて将来に不安があるということだけ。それもおそらく時間が解決してくれるだろう。改めて、時の流れが持つ力というのは偉大だ。


「過ぎる時間の早さは怖いが、俺は将来が楽しみだよ。イムロスがどういう大人になるかとか、誰と結婚するかとか」

「案外、この子とだったりして」

「ねーなんのはなしー?」

「将来、エリスがもしかしたらイムロス君のお嫁さんになるかもーって話」

「や! エリスはやすばるおじさんのおよめさんになるの!」


 可愛い……こうなると女の子も欲しくなってくる。

 それとなく、あとでエルに相談してみよう。


 それからアーシャたちと別れ、俺は短剣を大切に持って森に戻った。短剣を見たイムロスがどんな顔をするか想像しながら、麗らかな日差しが注ぐ森を行く。


「ただいまー」

「おかえりなさい」


 居間の食卓で、イムロスの解ほつれた服を直していたエルに迎えられる。

 が、そこにイムロスの姿はなかった。


「イムロスは?」

「疲れて寝ちゃったわ。もう少し加減してあげられないの? 七歳の子どもが受ける稽古じゃないわよ、あれは」

「あいつが物凄く熱心なもんだから、つい熱が入るんだよ」

「程々にしてよね。あ、それ例の短剣?」

「ああ。ユトの魔術がかかってる。こいつを持ってる限り、魔物の視界から逃れやすくなるって護法入りだ」

「いけ好かないけど、彼女の魔術は本当に凄いわね。お父様並みだわ」


 渋い顔をしながらも、エルは短剣を手に取って鞘をそっと撫でた。


「イムロスももう七歳か……本当に時が経つのは早いわね」

「さっきアーシャとちょうど同じ話をしたよ」

「あら、そうなの? それを感じるようになったってことは、あの娘も歳を取ったってことかしらね」

「おいおい、本人には言うなよ?」

「わかってるわよ。最近肌の張りがなくなって来たって言ってたから、本人もだいぶ気にしてるみたい」

「そりゃあ比較する対象が永遠に若いお前だからなあ」


 はははと笑うと、エルが「あ、そうそう」と話題を変えた。


「さっきイムロスが凄く不安そうな顔で私に聞いてきたのよ。『どうしたら父上みたいになれる』って、泣きそうになりながら」

「本当か? あの歳でよくやってると思うが……あいつの早熟ぶりはちょっと心配だぞ。というか、あいつの泣きそうな顔なんて見たことだいが」

「私にはちょくちょく見せるのよ。あの子はあの子なりにいろいろ悩んでるみたい」

「俺にももうちょっと甘えてくれてもいいのにな……」

「ふふーん。こういうのは母親の特権ね」

「こいつ……」


 少々エルに嫉妬を覚えたが、すぐに俺は笑って、この何とも言えず幸せな空気を噛み締めた。二人だけで静かに暮らしていた頃のことをふと思い出す。

 エルとの関係に悩み、自分の心が老いてしまったことを実感し、煩悶していた頃に比べて、今は何もかもが楽しい。エルとこうして何気ないやり取りをしているだけでも、心が安らぐ。


「エル」

「ん?」

「今、幸せか?」


 唐突に頭に浮かんだ質問を口にしてみる。

 エルははじめきょとんとしたが、短剣を食卓に置き、にっこり笑ってこう言った。


「当たり前じゃない」

「…………ならよかった」

「何よ突然」

「いや、何でもない」


「ちょっと、何なのよー」と笑いながら追求してくるエルを躱していると、部屋からイムロスが眠そうな目を擦りながら現れた。


「父上、おかえりなさい」

「ただいま。実は今日、お前に贈り物がある。七歳の誕生日祝いだ」

「えっ、本当!?」


 贈り物の短剣を手にし、飛び跳ねて喜ぶ息子を、俺とエルは微笑みながら見つめる。

 幸せだ。そして何より、彼女の傍にいるだけで心が安らぐ。


 この先何千年、何万年という時が流れ、もしかしたら以前のように心が離れていくこともあるかもしれない。そうなったとしても、俺は必ずこの時間、この瞬間に味わった幸福を思い出し、また彼女のもとに歩み寄っていける。


 この幸福は、どんなに深い暗闇の中で相手の姿を見失っても、空に浮かぶ北極星のように揺るがない道しるべとして、俺たちの頭上で永遠に輝き続けるに違いない。



――fin.

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不老不死の俺とエルフ姫の結婚生活が倦怠期に入りました まちだまさや @lotr1954

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