第2話

 「白蛾」と書いて、「しろひひる」と読む。

 住宅街のただ中に、そんな看板を掲げた事務所があった。

 何を商売にしている場所なのかは近所の人も誰一人知らず、時々切羽詰った顔をした人間が駆け込んでゆくことから、よほど後ろ暗い商売なのではないかと近隣の住人たちは囁きあっている。


 そんな謎の事務所から、今日はテレビの音声が流れていた。

 内容は、お昼のニュース。

 今話題となっている政治家の不正に関する内容だ。


 ソファーに半ば寝そべるようにしてそれを見ているのは、一人の美女。

 それも、見るものが凍りつくようなとびっきりの美女であった。


 もはや人形と言うより、人間である事こそ不自然に思えるような美貌である。

 表を歩けば男女問わず見惚れて交通事故を引き起こすであろう、ほぼ災厄のような姿だ。


 まるで夜を切り取ったかのような色をしたしなやかな髪は床につくほどの長く、長い睫毛に縁取られた切れ長の目、それとは対照的な白磁のごとき肌は羽化したばかりの黒揚羽を思わせるような黒いドレスに包まれている。


 そんな美女が、まるで何かの儀式のように、目を伏せて静かにテレビの声に耳を傾けていた。

 あたかも、そこに混じりこんだ神の託宣を聞き分けているかのように。


 ――野党側の証人として国会に登場した二宮にのみや 俊介しゅんすけ医科大学教授は、今回の施設の設立に関して総理の意向があったと証言しており、与党側はこの証言を事実無根と否定しております。

 証言の途中、二宮俊介医科大学教授が体調不良のため病院に搬送されるというトラブルがあったものの、野党側は二宮俊介医科大学教授の証言を元に与党の不正疑惑の追及をすすめる方針であり、二宮俊介医科大学教授の体調回復が待たれております。

 つぎのニュースです。 鈴木 春香さん殺害事件からもうすぐ15年目となり、時効を前にご両親が必死の……

 そこでプツリと音が途切れ、画面が真っ暗になる。


「ちょっと、お兄ちゃん! なにテレビなんて見ているんですか! もうすぐお客さんが来る時間なんですけど!!」

 リモコンを持ってそう告げたのは、二十歳前後の女性だった。

 目の前の人物とは対照的に髪が短く、ともすれば美少年にしか見えない。


「うるさいな、七深ななみ。 なんとなく見たかったんだよ。 それに、まだ約束の時間までには十分以上あるだろ」

 もしもここに他の人間がいたならば、思わず頬をつねるか窓から身を投げたくなったに違いない。

 なぜならば、返事をした美女の口から飛び出したのは、腰に響くような低い男の声であったのだから。


「十分ぐらいしかないの間違いでしょ! なによ、なんでそんなニヤニヤしてるのよ!

 ちょっとぐらい真面目な顔になりなさい!」

「俺の顔のどこに手を入れる必要があると? それは神に対する冒涜だろ」

「その言い方がム・カ・つ・く・の・よ!

 はぁ……なんというか、いつもながらその顔と格好に、なぜその声と性別を与えられたのか。

 わが兄ながら、女好きの癖に女装趣味で、しかも女より綺麗とか犯罪だと思うんですけど!」

「ほっとけ。 俺は綺麗に着飾るのが好きなんだよ。 似合っているんだから、誰にも文句を言われる筋合いはないね」

 そう悪態をつきながら足を組む姿は、まさに男のそれであった。

 幻想が壊れると言うのは、まさにこの事である。


「とにかく、そろそろ仕事の部屋に待機していてください! お客さんが早めにくるかもしれないでしょ!」

「へいへい」

「"へい"じゃなくて、"はい"でしょ! あと、返事は一回!! テーブルの上に仕事着も出しておいたから、早く着替えて!!」

「はーい」

「語尾を延ばすなぁっ!!」

 そんな会話をしつつ、この事務所の主である新井あらい 祐玄ゆうげんは、黒い蝶に見えて実は蛾であるという本性を暴露しながら仕事場である部屋へと追い立てられていった。


 そして15分後のことである。

「ここが白蛾しろひひる易断鑑定所で間違いないだろうか」

 車椅子と点滴を持参でこの占い師の事務所に現れたのは、今しがたニュースで流れていた時の人……二宮俊介医科大学教授その人であった。


 空は暗く、いまにも雪かみぞれが降り始めそうな……そんな冬の初めの出来事である。

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