幕間

#200:ガールズトークと舞台裏・その2

 見過ごせば魔物が溢れかえり、周囲を呑み込むような地獄を顕現させる大迷宮。その討伐を成し遂げた若き冒険者チームは王宮に招かれたが、勲章授与式の最中に一人の娘が暴れ出した。

 このエマ王国において最高戦力とも詠われる近衛騎士団をたった一人で相手取り、近年まれに見る実力者である団長すらも一瞬で泥を付けたその娘は、対峙した国王の隠し子であった。


 しかし、表向きにはただの商人見習いでしかなく、与えられた勲章を放り捨て、式典に混沌をもたらし、近衛騎士団もろとも国王に楯突いたことは事実である。何の咎めもなければ国の――王族の威信が揺らぎかねない。

 そのため、暴れた娘たちを関係者宅で軟禁し、その夜には緊急対策会議が開かれた。


「――よって、姫様でもあらせられます。以後、丁重に扱うべきでは」

「ごめんなさい、よく聞こえませんでしたわ。ライアンさまの娘ですって? バカも休み休みおっしゃいなさい。わたくし達には三人の子しかおりませんの。このわたくしがお腹を痛めて産んだ娘が二人と息子が一人。あんな紛い物、即っ刻っ処刑すべきだわ」

「処刑とおっしゃいましても、我らが団長でも太刀打ち厳しいお方が相手では……」

「国中から騎士も兵士もすべて集めたらいいではありませんか。あなた達の仕事ですわよ!」

「……少し落ち着きなさいな、ステファニー。自分の意見を述べてばかりいないで、今のエマ王国にとって益のあるものでなければなりませんよ」

「けれど、お義母さま――」

「コンスタンス、セドリックの容態はいかがかしら?」

「はっ。倒された弾みで腕、腰、足を負傷されたようですが、命に別状は御座いません」

「結構。……わたくしは、あの子――サラを解放すべきだと考えております」

「解放とは、ペルセフォネさまらしからぬお考え。詳しく聞かせていただいても?」

「ええ、もちろん。あの子がしでかした事は許されるものではございません。ですが――」


 王族から許された一部の者しか入れぬこの部屋では、王妃のステファニーとその義母である前王妃のペルセフォネ、現在は負傷中の団長に代わり部下のコンスタンスや宰相に大臣など、この国を動かす重鎮たちが集っていた。

 すべての者に共通する点といえば、会議が始まってから一度も口を開いていない現国王――エリック四八世ことライアンを擁護する派閥に属しているところだ。


 その中でも、王妃ステファニーの心中は穏やかではない。本来なら授与式の参加を許されていなかったが、居室にまで騎士の怒号が聞こえ、それが急激に静まったことで様子を見にきた。

 すると、一人の小娘が自分の夫を睨み付け、口汚く暴言を放っているのだ。しかも、それを少し離れたところから見守っている女も様子がおかしい。目の焦点が合っていないのは女の勘で見抜いていた。あれには関わらないほうがよい――と。


 このような一団に対して、未だに国へ強い影響力を持つペルセフォネは見逃せと言うのだ。それどころか、何か困っていたら助けてやれと宰相をはじめ各大臣に通達している。これにはライアンが何度も頷いており、小娘が口にした要求も可能な限り叶えるよう添えていた。

 そして、ステファニーは誰にも相手にされないまま着々と話がまとまっていき、ライアンがコンスタンスを連れて退室すると同時に他の面々も席を立った。


「さて、ステファニー。頭が冷えたかしら?」

「……納得がいきません、お義母さま。なぜ無礼を許すのですか?」

「まだわからないのかしら。セドリックが負けたのですよ? それも、万全ではないとはいえ近衛騎士団が束で掛かっても一人の娘に敗北を喫したのです。あの子を止められる者など今のエマ王国に存在しません」

「で、でも……あっ、冒険者を集めれば何とかなりますわ!」

「セドリックを冒険者になぞらえると、Aランクに相当すると言われています。それに、いつわたくしが許すと口にしましたか? 要は使い方次第ですよ。猛獣だからとただ怯える必要はありません」


 前王妃ペルセフォネはサラを懐柔する算段だった。まだ詳しい情報を得ていないが、現時点でもエマ王国最強の戦力となることは間違いない。下手に刺激せず、要求を呑むべきであると判断したのだ。それはステファニーを除いた皆からの同意も集めていた。


 しかし、同派閥内にはステファニーの意に傾倒する集団が存在する。実は秘密裏に送金されていたサラ母娘の養育費や生活費を掠め取っており、さらに今後渡される予定の支度金なども横取りするのだが、上層部に知られぬよう立ち回っていた。

 偽りの礼状を拵え、自らが検閲し、費用の行方をくらませる程度は朝飯前だろう。


「差し出がましい口を挟んでしまい申し訳ございません」

「いえ、いいのよ。わたくし、あなたのそういう素直なところは好きだわ」

「ありがとう存じます。やはり、お義母さまにお任せすることが最良の選択でした」

「そう言ってもらえると嬉しいわね。国とライアンのためにお互いがんばりましょう?」


 今はまだサラを解放させただけであり、懐柔するためには詳しい情報が必要だ。そうなれば使い勝手の良い駒が欲しくなり、後日ある人物と連絡を取った。サラがどこと繋がりを持つか不明なため他国人を使えば安全だろうと判断し、隣国のレヴィ帝国から嫁を取ったキャメロン子爵家に白羽の矢が立ったのだ。

 そして、レヴィ帝国の本家筋から養子に迎えたばかりのキャンディスは何かと都合がよく、彼女を王宮に呼び出すことが決定した。


 レヴィ帝国ではそれなりに力を持つ家であることが原因で難色を示す者は多かったが、相談されたペルセフォネは自身の企みと利害が一致して婚姻を後押しした経緯がある。

 ところが、実際はレヴィ帝国が送り込んできた爆弾であることをペルセフォネは知らない。




 一方、その頃――。

 エマ王国近衛騎士団の団長を務めるウォード伯爵家では、娘のヴァレリアが家出したことで騒動が起こっていた。

 予定より早くなったものの、親友であり国王でもあるライアンから指示を受けたセドリックが自宅に帰ってみれば、春の休暇で家にいるはずの娘が忽然と姿を消していたのだ。ひとまず、修道院に入ったことにして捜索を開始するも見つからず、三年も前からサラの専属護衛騎士を想定して育てていた苦労が水泡に帰した。

 数日前にも国王を守り切れなかったという不手際があり、セドリックはやつれてきている。


 それとは別に、大臣をはじめとして、上から役目が回ってきて断り切れなかったリヴァース男爵家でも小さな騒ぎが起こっていた。

 こちらは家出ではなく、娘の性格を熟知しているだけに送り出してもよいのか不安であったのだ。せめてベアトリスと共に連れて行く使用人だけでも悪印象を抱かせないよう、一家総出で選りすぐりの者を集め、休む暇もなく再教育を施している。

 その後、定期的に送り届けられる文のおかげで彼らの面目は保たれた。




 続々と届く報告書だが、その内容がどうにも信じ難いという意見が彼らの派閥から出ている。

 スタッシュの使い手であることは既に調べが付いているものの、年齢の割には大きすぎるのだ。冒険者から買った情報はゴミだと切り捨てていたのだが、どうやら真実なのではないかと疑問を持ち始めていた。


 その中でも特におかしいところは移動速度だった。この国の南端に広がるウィンダム領から王都までは馬車で数日かかる。それを同日中に往復するのはあり得ない。

 さらに、一瞬でグロリア王国の北部に到着したとは、冗談にしても笑いようがなかった。


 報告書にはその方法が記されておらず、暗号文とも思えないため、ベアトリスの悪ふざけと判断せざるを得なかった。おそらく、南の僻地へ飛ばされた鬱憤を晴らしているのだろう――との解釈で彼らの認識が改まっていく。

 しかし、サラは転移門を所持していることが発覚し、一同に緊張が走った。


 転移門とは現存数が極めて少なく、稼働できる個体ともなればその数も限られてくる。王族や上級貴族の緊急脱出に用いられる以外では、存在そのものが疑問視されるほどだった。値段を付けられる代物ではないが、仮に値札を下げるとすれば、一億エキューを優に超えるだろう。


 そして、彼ら貴族にとって最も恐れることの一つとして暗殺が挙げられる。身代金目当ての誘拐ならばまだ対処できるが、寝首を掻かれたらどうしようもない。繋がる先も不明な転移門を寝室に置く命知らずは存在せずとも、知らぬ間に侵入され、どこかに設置されてしまえば、その時点で詰みとなる。


 しかも、ただでさえ近衛騎士団の団長を上回る実力の持ち主だ。さらに転移門まで所有していては危険きわまりない。この件を知ったステファニーはまた発狂していたが、珍しく焦りの色を見せたペルセフォネによって抑えられた。


 他の報告からは謀反を企てるような行動がないものの、危険因子であることに変わりはない。

 もう少し情報源が欲しいため、グロリア王国の貴族に働きかけてサラの近くにいる美人姉妹を取り込むように頼んだものの、失敗に終わったという知らせが届いた。


「我らエマ王国が下手に出てやっているというのに、頼みを断るとは恐れ入る」

「やはり、グロリア貴族は当てになりませんな」

「千年前の独立以降は守りに入った臆病者ですものね」

「もしや、情勢を理解できていないのではないか?」

「それは大いにあり得ましょう。なにせ、戦に怯える臆病者ですゆえ」


 羊飼いの隠れ家亭に訪れていたサラの前へ舞い込んだ伝書鳥。あれが運んできた手紙を目にしたグレイスであったが、彼女の父と相談の後に国内の貴族にも助力を求め、美人姉妹の飼い慣らしは失敗したことをでっち上げて断りを入れていた。

 平民は貴族の命令を断れない。このことから失敗は虚言であると見抜いている。


 ただし、あの手紙にはグロリア王国側からもサラに接触したがるという弊害を巻き起こし、その対応に追われた羊飼いの隠れ家亭の主人は心労で寝込むこともあった。その甲斐もあり、何とか手を引かせることには成功したのだが、いくつも人伝いに渡ってきたことでサラの情報がばらまかれる惨事となっている。最終的な差出人――ブルックの町にいる商人を始末しても意味はなく、今後も気の抜けない日々が待っていた。




 サラがダムの工事を行うという報告が入った。建設当初は川の流れを変える治水工事のためだったが、人口の減少に伴い計画が破棄されたと記録に残っている。そのような話に誰の興味も向けられるわけもなく、ペルセフォネが微笑を浮かべるだけだった。

 それもそのはず。彼らには目下の悩みがあり、それはサラを神輿にした過激派の行動だ。


 あちら側――革命推進派はサラを手中に収めるべく見合い話を画策しており、勝手な手出しをさせないために牽制していたにもかかわらず、隙を突いて夕食会への招待状を送っていた。

 その報告が届くや否や、現王擁護派閥の重鎮たるニコラス公爵自らが単身で乗り込み、話を付けに行く。そして、サラには下手な行動を取らないよう、ベアトリスから注意が促された。


「ねぇ、ステファニー。わたくし、考え違いをしていたかもしれません」

「どういう意味でしょうか、お義母さま」

「あの子、もしかしたらバカかもしれないわ。あの知識は誰かの譲りものなのでしょうね」

「……あの子のお話ですか。やはり、紛い物だったわけですね」

「ええ。あなたの直感が正しかったみたいね。けれど、実際に稼いでいるのは事実なのよ」

「でしたら、このまま馬車馬にしては?」

「そうね。計画を少し修正しておきましょう。ひとまず、あの……誰だったかしら。キンキンうるさい異国人。えぇっと……、キャンディーデス・デカメロン……?」

「以前呼び立てたキャンディスでしょうか? キャメロン子爵家の養子ですわ」

「あぁ、それね。ややこしい名前だわ。とりあえず、それを呼んで頂戴。話があるの」


 その後、駄菓子のような名前で覚えられていたキャンディスが王宮に呼び出され、妙に顔色が悪いままでペルセフォネたちの前に跪いている。

 ここ最近の彼女はヱビス商会のマヨネーズを何にでも掛けて口にしており、心なしか腹回りに異変の気配。サラは経費削減との名目で食材の質を抑え気味だが、それでもおいしいからといって食べ過ぎには注意したいものである。


「ほ、本日はお招きに与り……、恐悦至極に存じますわ」

「あまり緊張なさらないで。なにも、取って食おうというわけではございません」

「そういうわけでは――いえ、お心遣い恐れ入ります」

「先日は宿取りで苦労したそうですわね。今宵は王宮に部屋を用意させてありますわ」


 美人姉妹の調略が叶わなかったことにより計画を修正し、キャンディスをサラに接近させて内通者の一人として使おうとペルセフォネは考えた。ベアトリスの報告書に偽りはなかったが、情報とは多方面から集めることで確度がより高まるものだ。

 傍にはヴァレリアがいるものの、彼女はサラに入れ込みすぎているため適任とは言い難い。しかも、近衛騎士団長であるセドリックの娘であれば主を裏切らない――裏切れないだろうとの予測からも候補に挙がらなかった。

 そのため、予定どおりキャンディスを宛がうべく王宮に呼び出している。


 そして、ステファニーにはサラを早々に始末せよと言外に伝えられ、ペルセフォネからは金を稼がせるよう強く言われている。

 だがしかし、これらの指示にキャンディスはイラつきを隠せない。このエマ王国の貴族たちはレヴィ帝国が金を与えて生かせてやっているからだ。それなのに偉そうな言い草だ――と、腹の底でくすぶる何かを顔には出さず、道化のごとき二人の言葉を耳に流し込んでいた。


 国民への課税は低く、国力は衰える一方にもかかわらず、貴族が豪華な暮らしをできる理由はこれだった。一部の派閥を除いたほぼすべての貴族は笑顔を浮かべて金を受け取っており、もはやレヴィ帝国を悪く扱う者はいない。さらに、グロリア王国からも賄賂が送られている。

 それぞれ目的は違えどエマ王国を腐敗させるという意味では共通意識があり、それは成功を収めたと言っても大袈裟な表現ではないだろう。相手が無償で金を渡す意図を考えることすら放棄し、自分は他国より上位の存在であると思い込んだ貴族は実に多いのだ。


 しかし、ペルセフォネはその意味を理解した上でこの問題を放置している。それだけでなく、故意にレヴィ帝国を挑発して周辺国を侵略させていた。そして、事が整えばこれを理由に戦争を吹っ掛け、相手国を併呑する算段でその身を動かしている。




 今から約千年前、この大陸全土を揺るがすような戦争が勃発した。

 当時の大陸は一つの国家が治めており、その国が内部で二分され、歴史上類を見ない凄惨な大戦へと突入した。その後、幾年も続いた乱世はようやく終わりを迎え、勝利を収めた集団がグロリア王国を建国し、敗走した者たちも各々が小国を築き、長い歳月をかけてレヴィ帝国という形にまとまっていく。そして、戦乱の舞台となった超大国こそがこのエマ王国である。


 ペルセフォネはこの失われた栄華を取り戻すことが生き甲斐であり、彼女の夢だった。

 歴史を学び、各地に残る伝承からも裏付けを取り、幼少のみぎりより諦め切れぬ夢なのだ。

 承認欲求。確かにそうだろう。ペルセフォネも自覚しているが、国民のためという目的は嘘ではない。戦争がなくなれば平和が訪れる。魔物が蔓延る世界で人間同士の争いは無益である。彼女はそう確信しての行動であった。

 この思想は、この大陸で最大の勢力を誇る教団が築かれた時から変わらず受け継がれているドグマ――教理と同じ内容でもある。


 そして、日々送られてくるサラについての報告書を読む限りでは、女神の化身であるというヴァレリアの妄言が強ち間違っていないことにペルセフォネは気付いた。

 化身でなくとも生まれ変わりだろうと、パイプオルガンの存在を知って確信に至ったのだ。あれこそがエマ王国の祖であり、国が祭る唯一神である。何としてでも手元に引き入れ、その恩恵を我がものとし、夢を叶えるための踏み台にしようと固く誓いを立てた。


 大層な志ではあるが、ペルセフォネやライアンなど、現在の王族は偽者だった。先の大戦で混乱に乗じて正当なる血筋を持つ者から王家を奪い取ったのだ。これは国王とその正室にしか伝えられていない秘中の秘だが、魔力の性質が違うという決定的な証拠が事実を物語っていた。

 ただし、まったくの無縁というわけではなく、傍流が主家を乗っ取った状態が約千年前から続いている。元々は王家から派生した大公爵家であった。


 その正当な王家筋の消息は把握されていたが、もう近々必要になるからと保護に踏み込んだものの失敗に終わった挙げ句、行方不明となる始末。せめてもの救いは、次代の女王になれる娘の足取りを掴めたことだろう。その彼女はサラの元で高等教育を受けており、これ幸いにと放置しているに過ぎない。

 これは女神から直々に知恵の実を授かったとされる旧エマ王国の伝承と酷似しているため、ペルセフォネは自身の夢が実現されると信じて疑わなかった。




 もちろん、こうした腹の内は口にしていないが、真面目な話し合いの最中にキャンディスが静かにうんこを漏らした。大量に買い置きしていたマヨネーズに中ったようだ。日持ちしない手作り品を買い溜めた末路だろう。


「――ですから、あなたにはレアードの町で……あら? ……匂いますわね」

「ええ、お義母さま。何やら深く覚えのあるような……」

「……………………そういえば、あなた。何か急用があるのではなくて?」

「そ、そうですわ! このあと実家からの言い付けがございますのっ。お話が終わりであれば失礼いたします――」


 自業自得だが、王妃たちの前で恥を掻かされる形となったキャンディスは、ヱビス商会――サラを逆恨みし、碌に話を聞いていなかったことも相まって、ケルシーの町で行われる演奏会を潰そうとした。その企みは成就し、主演を飾るはずだったフィロメナは喉を痛めて舞台には立てず、サラの楽器にも細工を仕込んでほくそ笑む。


 ところが、サラは破損した楽器を交換して演奏会を続行するという至って妥当な手段で解決してのけた。そこにドラマというものは欠片も存在し得ず、余計にキャンディスのプライドを踏みにじる結果となったことに彼女は気付いていない。

 弦が切れた瞬間は必死に笑いを堪えていたキャンディスだけに、より恨みを強めるのだった。




 大成功を収めた演奏会を切っ掛けにして、サラスヴァティー・フィルハーモニー管弦楽団は一躍有名になり、貴族にもその名が知られるようになってきた。

 その報告を聞くまでもなく、現地に赴いていた革命推進派の動きが活発になったことで現王擁護派閥は頭を悩ませている。それの対処を行っている間にも続報が入り、彼らがレアードの町と呼ぶサラが住まうところでは港が開かれ、仮想通貨を用いる銀行の噂も届けられた。


 その頃の王都では、ちょっとした騒ぎが起こっている。

 港が変われば使われる街道も変わり、そこを通る商人の財布すら変化するとの噂を耳にした盗賊共が情報を求めて王都に入り込んでいた。騎士や兵士はこれを機に捕獲作戦を実行したのだが、一網打尽とはいかなかった。


 ただの噂にもかかわらず、一部とはいえ王都を騒がせるほどまでに危険な存在である銀行だが、それを扱う人物もまた危険。

 他国の甘い蜜に靡かず、古くから続く貴族家が背後に付いているエドガーが代表者である。エドガーの金貸し屋は貴賤を問わず有名であり、資金力とはそのまま戦力に置き換えることが可能であると知らぬ者はいない。迂闊な手出しは我が身を滅ぼすだろう。故に、あくまで協力の姿勢を見せるべきだと派閥内会議で決まった。……あわよくば、手中に収める算段で。




 サラが迷宮に出かけたことでヱビス商会の動きが鈍くなり、恨みを晴らしたいキャンディスはマンマ・ピッツァに標的を絞り込み営業妨害に打って出た。論理的に必然性はなく、ただの思い付きでもあるが、恣意的な悪評を放ったのだ。


 それが予想外の広まりを見せたことで彼女は笑みを深め、以後の情報はその時が訪れるまで耳に入らないよう離れておく。そして、サラが帰還したという知らせが届いたことで悔しがる姿を見に行くと、マンマ・ピッツァは見違えるほどに大繁盛しているのだった。

 思わず『なぜですの!?』と叫んでしまうのも無理はない。


 これにより、サラへの恨みをより強く募らせたキャンディスは独断でベアトリスと接触し、今後の行動予定はすべて寄越すように詰め寄った。しかし、さすがのベアトリスも不審がり、実家を経由して王城に問い合わせるも味方であるとの返事が届いていた。


 以後、サラの様子を確認しながらのキャンディスは、彼女を後援する革命推進派を操作して強制手段に出させる。あちらはサラに商売を辞めさせたい。そして、自分たちが頼られたいという思いがあり、そこを利用したのだ。

 その見返りにサラの見合いへの協力を求められたが、手を貸さなければ邪魔もしないという、見て見ぬ振りを決め込んでいた。




 強制手段も逮捕者の続出で失敗に終わり、今は惰性で続けている営業妨害。たまには気分を変えようと、取り巻き達が見たがっているオペラ鑑賞に同行した。

 すると、帰り際には偶然にもサラの姿が目に入り、自身の偉大さを教えて懐柔しようと店に招いたのだが、彼女の反応が芳しくない。そのため、ついつい勝負を口走るに至った。

 この時点のキャンディスには、平民に負けるというビジョンが一切見えていなかったのだ。


 もはや恨みはどうでもよい。国内貴族どころか他国からも注目されるサラが気に食わない。

 本人は何もしていないくせに、家格の高い婚約者候補が寄ってくるサラが腹立たしい。

 自分の実家ほどではないが、平民の分際で木っ端貴族を上回る資産を持つサラが憎たらしい。


 王族の御前で図らずも脱糞したことは既に忘却の彼方であり、キャンディスの心思はただの嫉妬にすり替わっているのだった。




 とある地方都市で残念貴族令嬢の鬱憤晴らしが行われている最中にも、遠く離れた王都ではサラスヴァティー・フィルハーモニー管弦楽団の定期公演が開かれていた。

 そこが有する歌劇団の人気もうなぎ登りであるため、前半は交響曲や協奏曲を演奏し、食事休憩を間に挟み、後半は先の演奏をアレンジした歌劇という二部構成になっている。


 本日の仕事が休みであるルーシーはどちらも鑑賞しており、ひとしきり余韻に浸ってから席を立とうとしたところ、楽団員に呼び止められて楽屋に招待された。

 この楽団、及び歌劇団のオーナーは発案者であるサラだが、ルーシーも出資者の一人として権限を持つのだ。出資者のご機嫌伺はとても重要な仕事でもある。


「ご無沙汰しております、ルクレティアさま」

「あまり足を運べなくてごめんなさいね。一部も二部も、とても素敵な時を過ごせました」

「お楽しみいただけたようで嬉しく存じますわ。そういえば、最近はヱビス商会に入られたとお聞きいたしましたが……」

「ええ。サラさまのお近くで勉強させていただこうと思いまして」

「まあ! とても熱心なのですね。サラさまも、さぞ楽しく過ごされているのでは?」

「いえ、そんなっ。わたくしではまだまだ足下にも及びませんわ。今はキャメロン――いえ、とあるお家に絡まれて大変そうですけれど……」


 主に対応していたフィロメナ以外にも、あの家名に心当たりのあるアナスタシアが参入し、自らが受けた被害や、ここにはいないサラの話題で盛り上がり始めた。

 すると、コンサートホールを片付けていた使用人がやってきて、新たな来客を告げていく。


「あら? サラさまもご覧になってらしたのですね」

「皆さん、お疲れさまです。仕事の都合で後半だけでしたけど、今回も面白かったですよ!」


 遊んでいる暇などないサラではあるが、移動時間が皆無なため小一時間なら抜け出せる。

 こうして大量の差し入れを持ったサラが加わったことで場が賑やかになり、いつものように皆でお茶やお菓子を楽しむのであった。

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夢見る商人 ~遊んで暮らせるお金が欲しくて目指した先は大富豪!~ 丸永悠希☃ @MP0

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