#199:まだ足りない

 目前に迫った春祭りの準備で忙しくしていたら、サラスヴァティー・フィルハーモニー管弦楽団から協力要請が届けられた。

 先日に開かれた公演は冬場の暇潰しとして大盛況で、それを見た貴族が楽器に興味を持ち、春を言祝ぐ貴族会議の余興で自分も演奏したいと言い出したそうだ。


 ここまでなら楽器を売りつける絶好の機会だけれど、事はそうもいかなかった。なぜなら、その彼は既に楽器を手に入れており、自宅の倉庫で埃を被らせていたらしい。一切の手入れを怠り、買うだけ買っての放置。そのせいで弦は伸び、膜はベコベコに弛み、挙げ句の果てには本体に亀裂が入っているものもあったのだとか。


 いつ買ったのか知らないけれど、短期間で埃が被るほどの悪環境に置いたままだと、いくら魔物の素材で作られた楽器であろうとも痛むでしょう。それに、亀裂まで入っているなら相当雑な扱いをしていたに違いない。楽器は本当に繊細な作りなのに。

 それと、ケルシーの町は海沿いだから温度や湿気を厳しく管理して製造と販売をさせているので、購入前に入った傷ではないことを確信しているよ。


 もちろん、メンテナンスも大事な仕事だから請け負うけれど、そんな奴がまともに学習するとは思えない。楽器が使い物にならない件も個別指導で呼ばれてから発覚したようで、これを何とかしてほしい――というのがヘルプ内容だった。


 私としては、正式な所有権があれば何をされても構わないと思っている。うちで買った商品を衝動に任せて壊そうとも購入者の自由だ。愛着があるに越したことはないのだけれど、結局は惜しくなって買い直す可能性があるし、ふと我に返って修理に出すことも考えられる。


 例えば楽器工房の場合だと、楽器を作るよりも修繕が基本収入だと聞いているので、彼らにとっても重要な仕事となるだろう。しかし、このような利益に繋がらず、他者に迷惑をかけるのであれば、その対処法を考えるしかないようだ。


 そこで、共同出資者のルーシーさんと連絡を取ってみた。ヱビス商会王都営業所で非常勤の事務員をしているので返事は速かったよ。


「楽器の保管場所……ですか。当家では、サラさまがおっしゃったように空調を行き届かせた部屋で管理しておりますけれど」

「ルーシーさんのおかげで、販売店でも空調設備を購入できるようになっていますよね」

「ええ。けれど、あまり売れていないようですわ。貴族にも保管庫の案内が必要でしょうか」

「倉庫ですか? そんなものは自分の家に…………あれ? ルーシーさん。もしかして、何かやられてますか?」


 どこか言い方が気になったので尋ねてみると、空調付きのレンタル保管庫を運営中らしい。気軽に空調設備を購入できない貧乏貴族や平民向けに用意されたもので、元々はお酒を預かる施設なのだとか。その一部を楽器用に改変して保管を請け負っているそうだ。

 なんというか、抜け目のないお人だね。私はお金持ちをメインターゲットにしていたから、それ以外の人を見落としていたよ。……どうせなら、私も一枚噛ませてほしかった。


 あとは、楽器の管理すら碌にできない人は恥ずかしい――という風潮を作ればよいでしょう。外面ばかりを気にする見栄っ張りな貴族なら簡単に影響されるはず。

 以上の内容を楽団員に伝えてみると、それよりも至急楽器を修理するか、まだ在庫があれば送ってくれとの返事がきた。……どうやら私は深読みしすぎたみたい。新品の楽器を持たせた職人さんを派遣しました。




 まるで春の訪れを喜ぶように陽気な音楽が鳴り響き、港通りは多くの人出で賑わっている。

 本日は春分の日であり、春のお祭りだ。我がヱビス商会でも五周年イベントを行っていて、二十歳になった私はお好み焼き屋さんをしているよ。


 熱した鉄板に油を引き、種を焼いてくるりとひっくり返し、ソースをジュージューいわせて私自らがお客さんを集めているのだ。その傍らでは、チャカチャカと鳴らしながら焼きそばも作っているような、ごくありふれた屋台だよ。

 違うことがあるとすれば、グレイスさんとクロエちゃん、さらに元アイドル達にも手伝ってもらっているので、店員のグレードが桁違いなところかな。


 それと、この出店は販売ではなくて五周年イベントを絡めた無料頒布だ。今日はお祭りだし、ソースの使い方を教えることが目的なので、是非とも多くの人に味わってもらいたい。そして、これの作り方も覚えて帰り、家庭でもソースが買われるようになれば御の字だ。

 今日のためにお好み焼き用ソースも作ったからね。トマトケチャップや蜂蜜などを混ぜ込むだけなので。隠し味にお醤油も少し入れてあるよ。


 そんなソースが焼ける香りに腹ぺこ集団が群がっていて、今もまたお腹を空かせた女の子がお店の前にやってきた。


「会長~。一つちょうだい!」

「お、妹ちゃんだ。にいたんの分はいらないの?」

「その言い方やめてよ~。もう見習いになってるんだから!」

「妹が兄離れして淋しいってよく言っててね。にいたんも毎日行商でがんばってるし、たまには優しくしてあげてよ。あ、そこの弟君も一つどう? ねえたんと一緒に」

「う――ね、姉さんは姉さんで回ってるんで」

「そっか。じゃあ、一つずつだね。はい、どうぞ~」


 別に、家族愛がどうとか言うつもりは一切ないのだけれど、兄弟姉妹は親よりも付き合いが長くなるから良好な関係でいたほうが何かと楽だと思ってね。シスコン・ブラコンの兄と姉が淋しそうにしていたのは本当だし、私もいらぬお節介を焼いてしまったよ。


「この商会はまた何か始めるのか。この前もギルドで揉めてただろ」

「あぁ、ヱビス焼きだろ? うまいけど、次はどこから文句言われるんだろうな」

「なんだそれ。自分の商会を焼くとか頭おかしいんじゃねえか」

「いや、お好み焼きとか言ってたけどよ、意味わからんからみんなヱビス焼きって呼んでるぞ」


 今も変わらず移住者は増え続けているので、ヱビス商会に否定的な住人もやはり居る。直接何かしてくるわけでもないからキャンキャンよりはましだけれど、聞こえよがしのネガティブな言動は気分が悪くなる。しかし、先日も余所の町から苦情が来たのは事実なので、返す言葉は出てこない。

 とりあえず、まだ貰っていない人にはヱビス焼きと呼ばれているらしいコレを渡してみるも、悪びれた風もなく飄々とした態度で受け取っていった。


 これが一部だけであればいいけれど、勝手に流れる悪い噂を鵜呑みにしたり、そこから不買運動に発展したりすると厄介だ。今はまだ、マンマ・ピッツァなどがヱビス商会の系列店だと知る人は意外にも少ないので、よほど下手を打たない限り倒産することはないだろう。


 しかし、不安はある。商人なら誰もが思うことだろうけれど、いつかは大赤字を掴まされる恐怖が拭えない。それに、前世の知識はそのまま転用できなくて疲れもする。チョコレートを作るために、魔物の鱗で豆を挽くとは思いもしなかった。

 これから少し休みを取って、過去の私がしてきた行為の反省や、今後に対する身の振り方をじっくりと考えてみるべきかもね。




 そして考えた結果、そろそろ商売の範囲を拡大したい。今のところはどの部門も売り上げが順調だけれど、お金を搾り取るにも限度というものがある。あまり他職の領分を侵しすぎるとまた反発が来そうだし、貴族から妬まれても煩わしい。毎回アホなお嬢様が相手とは限らないのだ。次は王都の大貴族が相手という可能性だってあるのだから。


 荷車業者から何もされていないのは早々に組み込んだからだろう。バスタクシーも駅馬車が破綻するほど走らせていない。楽器は今までになかったものだし、高級嗜好品のチョコレートは元から扱いが特殊だった。

 それでも、私のところに苦情を言いにくる人がいたのは紛れもない事実であり、身近な食品や生活に欠かせない器具というのが危険だったのかもしれない。特に、今まで無敵ともいえた製パンギルドは非常に手強かった。


 というわけで、新天地を開拓したいのだ。まだヱビス商会が手を出していない所にね。

 王都では、サラスヴァティー・フィルハーモニー管弦楽団や、マンマ・ピッツァとマンマ・バーガーが猛威を振るっているし、グロリア王国やレヴィ帝国にもその噂が届き始めたという報告が上がっている。財産管理は執事に一任しているけれど、現時点でも私の資産は数億円の域に到達しているだろう。


 しかし、足りない。たったの数億円では足りないよ。遊興施設を建設するにはどう計算しても足りないのだよ。ローラーコースターを一つ作るだけで、いったいどれだけの魔木――鉄のように硬くなるアレが必要か。

 いや、小さな遊園地くらいなら作れるけれど、それでは私が満足できないのだ。デパートの屋上に存在したというミニテーマパークの規模では物足りないよ。


 さらにお金を稼ごうにも決済カードの普及は待ちの一手以外に取りようがないし、カカオ豆は万年不足状態だ。迷宮農場で栽培しようにも、あんな場所で働いてくれる人がいるだろうか。一年前から話を進めていた貿易船も、後は支払いさえ済ませたらいいだけになっている。……海の向こう、行ってみようかな?

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