晩秋

あの子を見つけた。藁色のアパートの、藁みたいに頼りないベランダで、あの子は赤ちゃんにおっぱいをあげていた。

おじいさんが声をかける。


「ジュリア」

「サンタさん」


ふたりがジュリアとサンタさんだってことを、僕はいま知った。ジュリアは白く濁った目で僕を見て微笑んだ。


「妖精さん」


僕の名前に『妖精』が加わった。えへへ、嬉しいな。


ジュリアは、赤ちゃんを自分の胸に押し付けている。でも、僕は知ってる。ジュリアの歳じゃ、赤ちゃんにおっぱいをあげることは、できないって。ランドセルを背負った、いっとう小さい女の子より、ジュリアはもっと小さいんだもの。

まだらと水玉を焼き付けられた腕で、ジュリアは赤ちゃんを抱え直した。そして僕に、赤ちゃんの顔を見せてくれた。


「かわいいでしょ」

「かわいい」

「抱いてあげて」


僕は、赤ちゃんに腕を伸ばした。見よう見真似で今作った腕。花の形から、ジュリアと同じ、まだらと水玉の腕を伸ばした。ジュリアの真似をしたら、ジュリアと同じ、ぺたんこの胸ができた。


「良かった」


ジュリアが笑う。雨雲みたいに笑う。

雲間からさす光みたいに、まっすぐ僕を見て、ジュリアは言った。


「その子は私の弟なの。お母さんがいないから、私がお母さんがわりに育ててきたの。でも、四十九日がきてしまう。あの中で、私は死んでいるの」


ジュリアは窓を指さした。黒い窓。黒が動く窓。窓の向こうに、ハエがいっぱいいて、その向こうはよく見えない。


「ジュリアは、どうやって弟を育てたの」

「私はお姉ちゃんだから、お母さんがわりに育てたの。サンタさんも来てくれた」


僕は分かった気がした。ジュリアは、お姉ちゃんがお母さんの代わりになれると信じている。お母さんにできることは、ジュリアにもできると信じている。だから、おっぱいをあげられたんだ。ジュリアの焦げた胸には、確かにミルクが滴っていた。


「でも、四十九日が来てしまう。だから、妖精さんにお願いします。妖精さんは、取り替えっ子ができるから」


ジュリアが、サンタさんに目をやる。サンタさんがゆっくりとうなずくのを見て、ジュリアもうなずき、手を祈りの形に組んだ。


「後家花さん。弟のお母さんになってください」


後家花。未亡人の花。僕に前からあった名前に、ジュリアの祈りが重なった。


「わかりました。この後家花、この子の母となりましょう」


今まで出したことのない、落ち着いた声が、藁みたいなベランダに響いた。ジュリアは声だけ残して消えた。


ありがとう


姿が消え、声が消える。

ジュリアが消える。


秋が終わる。

彼岸が過ぎる。


「サンタさん」

「おや」

「あなたは消えてはいけませんよ。蛇百合が許しません」


ジュリアと一緒に消えかかっていたサンタさんのひげに、僕から生えた蛇が絡みつく。


「ジュリアは、サンタさんに何を祈ったんです」

「お前さん、ほんによく変わるのう」


サンタさんは、ひげからだんだん濃くなりながら、教えてくれた。


「『助けて』と」


子供がサンタに願うことではない、だから特別製のサンタが生まれた。ジュリアが消えたら自分も消えるはずだった、と、まだ薄い頭をゆらしてサンタさんは不思議がる。これは首をかしげているんだろう。


「ジュリアの祈りを僕が継いだんですから、サンタさんは消えないでしょう」

「お前さん、なんでそんなうまいこと祈るんじゃ」


サンタさんは不思議そうだ。

思い出す。僕が初めて、自分の名前を聞いたときのことを。ヒガンバナという響きに、ただ強そうだと思って、思いひとつで飛んだことを。


「信仰ですよ」


僕の子が、僕の胸を吸った。

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晩秋のサンタクロース 笠井ヨキ @kasaiyoki

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