第30話

「へっ?」

 自分が転ぶなんて思ってもいなかったのだろう、転倒こそしなかったが、会長はわけがわからないといったような顔のまま、前のめりに突っ込んでくる。

「えっ、ちょっと、愛ちゃん?」

 これには御伽先輩も珍しく驚きの表情を浮かべる。だが、それで会長の身体は止まるわけもない。

 瞬時の出来事だ。逃げようとしても、手遅れだった。

「どいて、どいてぇぇぇっ!」

 会長の悲鳴が上がる。

 テーブルが倒れ、僕と御伽先輩もそれに巻き込まれる。

 ちょっと、テーブルごと押し倒されるなんて聞いてないんですけど。急に回る視界と背中への衝撃に思わず顔が歪む。こんなことなら、部屋の隅の方まで逃げていればよかった。

 思わず閉じた目を開くと、桜吹雪さながらにたくさんの要望書が天井から舞い下りる様子が見て取れた。

「いたたた……御伽先輩、大丈夫ですか?」

 上体を起こしながら御伽先輩に声をかけるが、返事はない。

 幸い、僕も御伽先輩もテーブルの下敷きになったりということはなかったが、それでも結構な衝撃だったと思う。やっぱり硬い床ってのは危険だ。

 それにしても、美紀先輩は何を考えてあんなことをしたんだろう。

 ただの気まぐれで行動するような人とは思いたくはない。これで占いに従ったまでよとか言われたら、第二の御伽先輩として危険視しなくてはいけなくなる。

「一体誰よ、足元に荷物なんて置いてるのは……」

 会長の方は無事らしい。しかも足を掛けられたとは思っていないようだ。気付かれてたとしたらお説教どころじゃ済まないだろうし、結果的には助かったといえるのだろうか。

 そして後は御伽先輩だけなのだが、本当に大丈夫だろうか。一向に起きる気配がない。

 まさかとは思うけど打ち所が悪かったり?

 瞬間、転落時の記憶が脳裏によみがえる。

 途端に不安になって、御伽先輩を抱え起こそうとした、その瞬間――。

「――来たわ!」

 まるでバネでも仕込んであるかのように、御伽先輩は勢いよく跳び上がった。

 あぁ、これは心配するまでもなかったみたいだ。というか、来たって何が?

「御伽先輩、どういうことか、ちゃんと説明を――」

「もしかして、聞こえたの、御伽?」

 紬先輩の驚いた声が聞こえる。でも、今になって突然神の声が聞こえるなんて、わけがわからない。こっちまで混乱してくる。

「えぇ、聞こえたわ。降ってきたのよ、神の声が。さぁ、出発よ!」

 えっ、ちょっとそれは早急すぎませんかね?

 ここには今、生徒会長もいるわけだし、この場をやり過ごしてからでもいいと思うんですけど。

 でも、御伽先輩だし仕方ないか。

 どうせ反対してもついていくことになりそうだし、乗り掛かった舟から飛び降りるだなんて、僕にはできない。

 せめて、どんな内容だったかだけは聞きたかったけど、そんな時間はなさそうだ。

「ほら、急がないと! 時間が惜しいわ」

 そう言って御伽先輩が手を差し出す。その手を、僕はしっかりと握った。

「それじゃあ、行ってくるわね。紬、後はお願い」

「えぇ、こっちの方は任せておいて」

 御伽先輩と紬先輩との息の合ったやりとり。見ている分には微笑ましいことなのに、胸騒ぎがするのは何故だろう。せっかく御伽先輩が元に戻ったっていうのに……あぁ、元に戻ったから不安なのか。

 何をするにしろ、心の準備くらいはしておきたい。せめて、どこに行くかくらいは教えてくれないだろうか。

「あの、御伽先輩、行先についてなんですけど――わっ!」

 僕の問いかけが終わるよりも早く、腕が引かれる。御伽先輩にとっては説明するより行動に移す方が優先度が高いらしい。

 結局、そのまま御伽先輩に引っ張られる形で僕は部室を後にする。

「こらっ、逃げるなっ、藤本御伽!」

 背後から聞こえた声に、思わず視線を向ける。

 いつの間にか会長が追いかけてきていた。しかもメチャクチャ速い!

 毎回、御伽先輩はよくやってるなと思っていたけど、いざ自分が体験するとかなり怖い。先輩はいつもこんなのを相手してたのかと思うと脱帽だ。

 いや、追われる原因作ってるのはこっち側だから自業自得なのか。なんて悠長に考えている場合じゃない!

「どうするんですか、このままじゃ追いつかれちゃいますよ?」

「わからないわ」

「わからないって、どういう事なんですか!」

 瞬間、御伽先輩はこちらを振り返って笑う。

「アタシに降りてきた神の声の内容、聞きたい?」

 えっ、どうしてこんな時に……気にはなるけど。

「えぇ、教えてくれるなら……」

 すると御伽先輩はわずかに走る速度を落として、口を開いた。

「最初に手を取った者の言うことに従えって――」

 御伽先輩が最初に手を取った人って、それは僕なわけで、つまり……全部僕に判断を委ねるってこと?

「じゃあ、どっちに逃げたらいいか決めて。拓未クン」

 決めてって、そんなこと急に言われても困るんですけど。それ以前に謝るって選択肢はないんですか?

「ほら、急がないと突き当たりだよ。右か左か、どっちにする?」

「そんな焦らせるように言わないでくださいよ!」

 ダメだ。どっちに何があるのかなんて全然覚えてない。こんな状況下じゃなかったらまだ冷静に考えられたのに。

 もういいや、ここは直感でいこう。もし行き止まりだったら、その時はその時だ。

「じゃあ、右の方で」

「わかった。右ね」

 僕の言葉に、御伽先輩は確認することなく右へと曲がる。そして引っ張られるように僕も右側の通路へ入った。減速などほぼない、完璧なコーナリングだ。会長は全力で走っていたみたいだし、さすがに距離は稼げるだろう。

「廊下は、走るなっ!」

 背後から会長の声が矢のように飛んで来る。

 振り返ってみると、何故か会長が迫ってきていた。しかも距離がさっきより縮まっている。絶体絶命だ。

「そういう愛ちゃんも走ってるじゃない」

 御伽先輩も振り返りながら、会長へ言い返す。

「これは緊急時だから、特例よ!」

 会長はそう言うと更に速度を上げた。ここで速度を上げられるなんて、本当に人間だろうか。変速ギアが実装されてると言われたら信じてしまいそうなくらいだ。

 それにしても、ほぼ全力疾走で逃げ続けるのはつらい。なにより呼吸が持たない。

「ほら、がんばれ男の子」

 御伽先輩の励ましに、僕は再度踏み出す足に力を込める。

 正直、会長に捕まった方が楽だと思う。それでも僕が走り続けたのは、やっぱり御伽先輩がいるからで、それをどこか楽しいと思っている自分がいたからだ。

 僕自身、御伽先輩が本当に神の声とやらが聞こえているのか半信半疑だ。

 でも、それでもいいと思っている。

 大切なのは、神様がいることじゃなくて、困った時やつらい時に、共に一歩を踏み出せる存在がいることなんだ。

 それを忘れなければ、これからも前へと進んでいける。

 今も部室の窓際で咲いている、御伽先輩からもらった花がある限り、僕もきっと忘れることはないだろう。

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