第29話
「お疲れ様です」
今日も僕は占い同好会の扉を開く。
一歩足を踏み入れると、相変わらずいつもの場所に、いつもの面子が顔を並べていた。今日は僕が一番最後のようだ。
「今日は遅かったのね。てっきり帰っちゃったかと思ったわ」
そんな意地の悪いことを言ってくるのは御伽先輩。
しかし、そんなことなんて微塵も思っていないのはわかっている。テーブルの上にある、まだ未開放の意見箱が何よりの証拠だ。
でも、一応形式だけでも謝っておこう。こういう時は印象が大事だ。
「すいません、ちょっとホームルームが長引いて……」
「まぁ、それなら仕方ないわね。じゃあ早速活動を始めましょうか」
ちょっと拗ねたような姿に頬が緩みそうになるが、必死にこらえる。うっかりニヤついたりしたら、それこそ追い回されかねない。
とりあえず、あれこれ考えるより自分の席で落ち着こう。
今ではすっかり定位置となった自分の席へ座る。日光で温められていたのか、思いのほか温かい。
それとほぼ同時に、御伽先輩が窓際の日当たりの良いスペースへと移動する。
きっと今日もあの儀式とやらをするのだろう。
神の声とやらは聞こえなくなったけど、あれから毎日御伽先輩はこの儀式を続けている。理由はわからないが、きっと御伽先輩の中ではまだ踏ん切りがついていないのだろう。
「御伽、それまだやるの? 別にいいんじゃない?」
僕の心の声を代弁するように紬先輩が尋ねる。いつも放っているような興味なさげな雰囲気が感じられない辺り、本当に心配しているのだろう。
しかし、御伽先輩は首を横に振った。
「ううん、なんだか習慣みたいになっちゃってるから。やるだけやってみるわ」
そう答えつつ、御伽先輩は改めて位置取りをする。
これは御伽先輩の問題であって、僕たちが口出しするようなことじゃない。それはわかってる。
でも、そんな寂しそうな顔をされたら、とてもじゃないけど笑顔で見守るなんてできない。
それはこの場にいるみんなが同じことを思っていたらしく、部室内は重い沈黙に包まれた。
ただ、御伽先輩だけは、ゆっくりとした動きで儀式の準備を進めていく。肩幅よりわずかに控えめに足を開いて、両手を掲げ、天を仰ぎ、そして目を閉じる。
恐らく意識を集中させているのだろう、表情は硬く、声を発するどころか呼吸さえもためらってしまうほどだ。
もう僕には何もできない。それこそ、奇跡を願うことくらいしか――。
どれだけの時間がそこから経過しただろう。いざ計ってみると大したことはないのかもしれない。でも、僕にはそれが途方もなく長い時間であったように感じた。
そして、御伽先輩の儀式の時間は、今日も静かに終了した。
「やっぱり聞こえなかったわ」
無理して笑っているのが丸わかりな、ぎこちない作り笑顔だった。
わかってはいたことだけど、やはり胸は痛む。
なんて声を掛けたらいいんだろう?
全然言葉がでてこない。でも、こちらが暗くなってしまうのは、きっと御伽先輩も望んでいない。ここは、無理にでも明るく振る舞わないと。
「御伽先輩、それは残念ですけど、仕方ないですよ。ほら、早く意見箱開けましょうよ」
我ながらよく言えたと思う。おかげで照明のスイッチを入れたみたいに、部室内が賑やかになっていった。
「意見箱を開けましょうって、拓クンも随分乗り気なのね」
うっ、紬先輩の言葉が胸に突き刺さる。いや、本気でそう思っているんじゃないんです。ただこの場を盛り立てようとして――。
「やる気のあるのはいいことだと思うわ。これならアタシが引退した後も安泰よ」
「御伽ってば……まぁ、いっか。拓クンが相棒になってくれたらウチの仕事が減るわけだし?」
えっ? それって、紬先輩がやってくれてたようなことを、これからは僕がやらないといけないってこと?
さすがにそれは荷が重過ぎると思うんで、遠慮したいんですけど。
「いえ、その……僕はまだ入ったばかりですし、やることとかも全然――」
「大丈夫。拓クンだったら御伽も喜んで教えてくれるはずよ。ねぇ、御伽?」
紬先輩はどうしてそこまでして乗り気なんですか。
はっ、もしかしてずっと代わりになるような人材を探してたとか……まずい、これは危険な流れだ。なんとかして止めないと。
「アタシの方は構わないわよ。今からでも一緒に依頼を探しましょうか」
あっ、これは逃げられそうにない。絶体絶命の大ピンチだ。
なんだか、占い同好会に入ってから、こういった心労がかさんできてる気がする。悪いものでも憑いてるのかな……今度、お祓いでも受けてこようかな?
「はい、ここに座って」
御伽先輩の手に招かれて僕は席を立つ。正直、足取りが重い。裁判の被告にでもなったような気分だ。
「はい、どうぞ」
「あっ、ありがとうございます」
紬先輩がイスを引いてスタンバイしていたこともあって、僕はそのまま腰を下ろす。
「よかったね拓クン、御伽の隣の席だよ」
紬先輩。全然よくないし、笑えないです。できることなら、紬先輩にこそ助けてほしかったんですけど。
「あの、これ遠慮したいんですけど……」
「えっ、ちょっと聞こえなかったんだけど?」
「だから、この席は僕じゃなくて紬先輩に――」
「気にしなくていいわよ。これはウチからの餞別だから」
あっ、この笑顔はもうダメだ。何を言っても聞き入れてもらえる気がしない。
頼みの綱の紬先輩が助けてくれないってことは他に助けを求めないと……って、紬先輩、どこ行くんですか? あっ、そこは僕の席……ちょっとそれは困るんですけど。僕の帰る場所がなくなっちゃう!
くそっ、他に誰か助けてくれそうな人はいないだろうか。急募、僕の身代わり!
……あっ、無理そう。みんな全然こっちに目を向けてくれない。紬先輩に至ってはもうスマホいじってるし……いや、いつもだけど。でもせめてこっちくらいは見ていて欲しかった。
ほら、雫も一応先輩なんだから、先輩らしく後輩を守るとか――ないよな。うん、わかる。全然にこっちに目を向けてない。というか何故今になって掃除を始めたの? 机に付いた汚れって、今落とさなきゃダメ?
いや、まだだ。まだ可能性は捨てちゃいけない。雫がダメでも美紀先輩がいる。
僕の助けを求める視線を受け取ってくれたら、もしかしたら――。
……うん、そうだよね。薄々予感はしてたけど、美紀先輩の視線は机の上だ。でも、いつもそんなに角度をつけて占いしてましたっけ? あからさまに僕の方を見ないように占いをしているように見えるんですけど。
「ちょっと、手が止まってるわよ」
「……すいません」
すぐ隣から御伽先輩の注意する声が飛んで来る。それもそうか。作業もせずに辺りをキョロキョロしてたらただのサボりだもの。仕方ない、目の前の1枚を手に取ってみるか。
――校長先生の頭が怪しいので地毛なのかどうか調査してください。
いきなりヘビーな内容引いてしまった。いや、確かに気にはなるけど、それを確認するのは危険すぎるんじゃなかろうか。少なくともリスクに見合った成果は得られそうにない。
でも、御伽先輩なら食いついちゃうんだろうな。引いたのが僕でよかった。
これは後でゴミ箱に捨てておこう。ちゃんと文字が読めないように細かく破くのも忘れずに。
えっと、次の紙は……あぁ、予算の上乗せの要望か。これは生徒会向けのやつだ。
というか、ほぼ毎日意見箱開けてるのに、どうして毎回要望書がこんなに入ってるんだろうか……いや、深くは考えない事にしよう。
きっとみんなマメな性格なんだろう、そうに違いない。
浮かんだ疑問をそのまま飲みこんで、次の紙を手にしようとした瞬間、僕は不穏な気配を察して動きを止める。
この感じは――生徒会長が来る。
でも、これはどうするべきか、悩みどころだ。だって、生徒会長が相手をするのは隣にいる御伽先輩なんだもの。
御伽先輩は気付いているのかいないのか、鼻歌を口ずさみながら要望書を開いている。どちらにしろ、余裕があるということは多分言わなくてもいいんだろう。紬先輩が教えていた姿も見たことなかったし。
あっ、だんだん足音が大きくなってきた。うん、もう間近だ。巻き込まれたりしないように、少し距離を取っておいた方がいいか。こういう時、紬先輩の日頃の動きが参考になる。人生って何が糧になるか、わからないものなんだなぁ。
一応、扉の方を確認する。うん、しっかり閉まってる。距離を取るのは扉が開いてからでいいだろう。
そういえば、なんだか美紀先輩の位置がなんだか中央寄りになっているような気がする。いつの間に移動したんだろう。というか、その位置じゃ会長が飛び込んできた時に危ないと思うんだけど。
「あの、美紀先輩。その位置は――」
危ないですよと言おうとしたが、美紀先輩はこっちの方を向くと首を横に振った。危ないということは承知しているらしい。
それは別に構わないのだけど、個人的にはどうしてさっきはあんな露骨に顔を背けていたのか、そこを聞きたい。いや、会長が迫ってくる今、もう無理なんだけどさ。
そして、すぐにその時はやってきた。
「藤本御伽、また生徒会の意見箱を勝手に持って行ったわね!」
威勢よく開け放たれる扉。そしていつものように一直線に詰め寄ってくる生徒会長。
意識は既に御伽先輩に向いているのか、近くにいた美紀先輩にはまるで注意が向いていない。
そして、美紀先輩の足がスッと伸びて生徒会長の足へと引っかかった。
ちょっと、そんな事したら――。
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