第28話

「ありがとうございますっ」

 森本さんは時計を受け取ると、胸元に抱えながら深々と頭を下げた。

 よほど大事なものだったのだろう、何度も頭を下げる姿を見ていると、こちらの方が恐縮してしまいそうだ。

「今回のは事故みたいなものだったし、仕方ないわよ。でも、これからはちゃんとした場所に仕舞っておいた方がいいわね」

「はい、そうしますっ」

 御伽先輩の言葉に、ハッキリとした声で返事をする森本さん。やっぱりこういうアドバイスだとかモノを言う姿は、御伽先輩はサマになっていると思う。

「話は変わるけど、よかったらあなたも占い同好会に入らない?」

 褒めた途端にこれだよ。もっとソフトに言えばいいのに、どうして勧誘に関してはそう露骨になるのかわからない。

 ほら、森本さんも困って顔が引きつってるし、逆効果なのは明白だ。まぁ、これが御伽先輩らしいところでもあるんだけどさ。

「すいません、もう部活には入っているので……」

「そう、残念ね。じゃあ、また気が向いたらいらっしゃい。歓迎するわ」

「はい、それでは……」

 御伽先輩、その顔、全然諦めてないですよね。今後、森本さんが執拗に追いかけ回されないか心配だ。

 もし問題があるようなら、紬先輩にも色々動いてもらわないと――。

 あっ、紬先輩が割って入った。さすが紬先輩だ。御伽先輩がちょっと不服そうな顔してるけど、ナイスな判断だと思う。付き合いが長いだけあるなぁ。僕も今後参考にさせてもらおう。

 そんなことを思っていると、森本さんが部室の入口で立ち止まった。一体どうしたというのだろう。忘れ物でもしたんだろうか?

 僕だけじゃない、占い同好会の部員全員の視線が森本さんへと集まる。すると、森本さんは深く息を吸って、再度頭を下げた。

「今日は、私のために、大変な思いをしてくれたようで、本当に、ありがとうございました!」

 やっぱり、お礼というものは言われると嬉しいものだ。今日みたいにハードなのは勘弁だけど、もっと軽いやつだったら占い同好会の活動に参加してもいいかな。

 ……あれ? もしかして、占い同好会に染まってきてたりする?

 森本さんをみんなで見送る。これで活動終了だ。本当に、長かった。

「みんなもお疲れさま。紬も、ありがとうね」

 御伽先輩の放ったねぎらいの言葉に、部室内の空気が一気に賑やかになる。

「そういえば御伽、どうしてあの場所がわかったの?」

 和やかな空気の中、紬先輩の質問が耳に入ってくる。あぁ、確かに紬先輩からすれば青天の霹靂みたいなものだし。

 それに御伽先輩は元気になったけど、声が聞こえるようになったわけじゃない。そんな先輩がどうして時計の場所を知ることができたのか。さぁ、答え合わせの時間だ。

 ……まさか、大どんでん返しで、実は御伽先輩が犯人でしたとかいう展開はないよね?

 だとしたら今すぐにでも森本さんを追いかけて土下座させないと許されない気がする。というか許しちゃダメだ。

 御伽先輩はいつもの席に腰かけると、一つ一つ思い出すように語り始めた。

「声が聞こえたとか、そういうのじゃないんだけど……空を飛んでるカラスを見てたら、ふと美紀の占いの内容を思い出して、繋がったっていうか……」

 元々勘とか鋭い人だとは思っていたけど、御伽先輩は全体的に高スペックな人間なんだろう。これが神の声を依代にアクティブに動いてたっていうんだから、人生どう転ぶかわからないものだ。

 でも、神の声が聞こえてないってことは、変わらぬ事実のようだ。

 紬先輩もそれを気にしてか、声を挟む。

「そっか。でも、時計を見つけられたのは、御伽のおかげだよ」

「うん、でも、これはアタシだけじゃなくて、紬と、拓未クン、雫に美紀。みんなのおかげで見つかったものだから――」

 御伽先輩はそこまで口にしたところで立ち上がる。自然と、僕たちの視線も御伽先輩へと集まった。

「――どうもありがとう。今のアタシは何も聞こえない普通の女子高生だけど、これからもどうぞよろしくお願いします」

 部室内に響く温かな拍手。それを受けて感極まったのか、御伽先輩は涙ぐみながらもうつむき、口元を押さえた。

 これは危険だ。こっちまでもらい泣きしそうだ。

「湿っぽい話はいいじゃないですか。とりあえず、お茶でも飲んで落ち着きましょうよ」

 そう言いながら、雫が湯呑みの乗ったお盆を手にやってくる。さすが雫だ、こういう下準備は抜かりない。

 この雫の制服エプロン姿も見慣れてしまったけど、今日の捜索もこの姿で校内を駆け回ったりしていたわけだし、かなり頑張っていた方ではないだろうか。

 そんな雫の努力に感謝しながら、僕はお茶を口にする。

 ちょっと熱めな緑茶が、身体に沁みていくのがわかる。意図せずに嘆息が漏れるのも仕方がないだろう。

 だが、そんな平穏もつかの間。

 僕の危機感知センサーが反応した。嫌な気配が近づいてくる。それも、聞き慣れた足音を引き連れて。

 騒ぎに巻き込まれないように、もっと窓際に寄っておこう。

 あっ、向こう側の壁では美紀先輩も避難してるみたいだ。紬先輩もナチュラルに御伽先輩から距離を取ってるし、雫もポット前に退避してる。慣れているとはいえ、一緒に居るとこういうセンサーは標準搭載になってくるんだろうか。

 おっ、そろそろ会長が入ってくるかな?

「藤本御伽っ! 大人しくなったと思ってたのに、これはどういう腹積もりよ!」

 威勢よく飛び込んできたのは安心と信頼の生徒会長だった。心なしか、怒りの表情の中にどこか嬉しさがにじみ出て見える気がする。実際にそんなことを言ったら容赦なくげんこつの一発くらいもらいそうだけど。

 そして会長はいつものように御伽先輩へ掴みかかろうとして――寸前で止まった。

「あら? ちょっと、その汚れ……一体何してたのよ。まさか落とし穴なんて掘ってないでしょうね?」

 思い切り飛び込んだからなぁ……さすがに払っただけじゃ汚れは完全には取れないか。それにしても会長、相変わらず鋭い観察力だ。御伽先輩だけに関して言えば、名探偵にも勝てるかもしれない。

「落とし穴は掘ってないわよ。スコップをくれたら掘ってもいいけど」

 御伽先輩は動じることなく、湯呑みを手にお茶をすする。まったく、豪胆というか、大物としての風格さえ感じさせる振る舞いには、呆れを通り越して感心する。

「そういうお願いは絶対しないから、安心なさい」

 会長は御伽先輩の戯言に、笑顔を引きつらせて答える。そこで終わればいいものを、御伽先輩はそこで更に追撃を入れるものだから、騒ぎが大きくなるわけで。

「そう、それじゃあ、用は済んだわね。お帰りはあちらよ」

 入り口を指差す御伽先輩。そんなこと言ったら絶対怒りますって。いや、きっとわかっててやってるんだろうけど。

「まだ終わってないどころか、始まってすらないわよ! 勝手に話を切り上げないで!」

 のらりくらりとした言動の御伽先輩に、会長が吠える。

 うん、そうだよ。このやりとり。この一連の流れが今はとても懐かしくて微笑ましい。まぁ、一歩引いた位置から見てるから言えることなのだろうけど。

「じゃあ言わせてもらうけど、生徒会室の机とテーブルを外に放り出したのは何故かしら?」

 えっ、あれって生徒会室から運んできたの?

 だとしたら会長も怒って当然だ。だって無断で持ち出したどころか、崩れたまま放置していたし……。

 それも全部、相手が生徒会だったからか。なんか妙に納得した。

 ただ、問題はその当事者がこうして乗り込んできているということなわけだけど……。

 ほら、会長もかろうじて笑顔を保ってるけど額に青筋が浮き出てるよ。これはあと一歩踏み込んだら間違いなく爆発するやつだ。

「あぁ、それなら足場が必要だったから使わせてもらったわ」

 御伽先輩はさも当然と言わんばかりに会長の地雷を踏み抜いていく。

 そうですよね。御伽先輩が会長相手にそんな気遣いなんてしませんよね。

 会長の顔がみるみると赤くなっていく。これは大きいのが来そうだ。

「なんで、よりによって生徒会室のを持っていくのよ! 持っていくにしても使ったら元に戻しなさいよ!」

「だったら鍵くらいちゃんとかけておきなさいよ」

「当事者が偉そうに言うんじゃないわよ!」

「持ち出したのはアタシじゃなくて部員たちよ?」

「トップはあなたなんだからね! 責任逃れはさせないわよ!」

 おぉ、会長も中々口では負けてない。この二人で討論会でもやったら何時間でも聞いていられそうだ。

「それに花壇まで踏み荒らすなんて――」

 うっ、それはちょっと僕の胸に突き刺さる。命を救ってもらってありがたいという気持ちと、結果的に荒らしてしまって申し訳ないという気持ちで、心臓がキュッと締まる。 

 御伽先輩も同じ気持ちなのか、顔を若干うつむけて申し訳なさそうな顔をしている。それもそうか、事故のようなものとはいえ、誰かが一生懸命育てたものを壊してしまったのだから……。

「それは、仕方ないわね……」

 ――認めた? もしかして、これは大きな一歩ではないだろうか。今まで御伽先輩が謝ってるところなんて見たことないし、これは心境的にも大きな変化が――。

「アタシたちの目的を遂行するための、致し方ない犠牲なのよ……」

 変化なんてなかった。むしろふてぶてしさが増している気がする。

 しかし、会長もこの程度の話の脱線は慣れているのか、すぐに話を切り返した。

「そうね、じゃあその犠牲とやらの謝罪をしに行きましょうか」

 会長の手が御伽先輩へと伸びる。

 しかし、御伽先輩はひょいとそれをかわして立ち上がった。その手にはまだ湯呑みが握られている。まったく、器用な人だ。

「ちょっと、急に何をするのよ。お茶がこぼれちゃうじゃない」

「そっちの事情なんて知らないわよ。ほら、大人しく捕まりなさい!」

 会長はトレードマークともいえるポニーテールをなびかせながら、軽やかな身のこなしでテーブルを跳び越える。

 ところが、御伽先輩はそれすら読んでいたらしく、着地直後の会長の脇をすり抜けると、そのまま駆け出した。

「あっ、待てっ!」

 会長はとっさに手を伸ばすが、御伽先輩の髪先をかすめただけで、その足を止めるには至らない。

「雫、ごちそうさまっ」

 マラソン選手の給水さながらの手早い動きで湯呑みを手近な机へと置くと、御伽先輩はそのまま一直線に扉まで向かっていく。

「こらっ、待て――藤本御伽っ!」

 数秒ほど遅れて会長が目の前を通過していく。この様子なら近いうちに追いつくんじゃないだろうか。いや、でも相手は御伽先輩だし、そう簡単にはいかないだろう。

 あの御伽先輩が純粋なスピード勝負に持ち込むなんて考えづらい。あと数分もすれば何食わぬ顔をして部室に顔を出すに違いない。

 そういう意味では、見ている分にはとても気楽だ。

「アタシを追いかける時間があったら、自分たちで片付ければいいじゃない」

「いえ、何としてでもアンタに片づけさせるわ! これは生徒会のプライドの問題よ!」

 廊下の方から二人の会話が聞こえる。

 うん、この賑やかさこそ、占い同好会って感じだ。

 どんどん小さくなっていく仲睦まじい会話を耳にしながら、僕はお茶をすする。

 そんな僕の身体には心地よい疲労感が満ちていた。

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