幕間 ~怪物~

 行きとは違い、控室へと戻る小部屋の中で、雨宮は上昇の振動を下半身で受けていた。


『手ひどくやられたな』


 それほど得意ではない生属性の魔法を操り、全身に受けた銃弾の傷を癒していた。

 欲を言えば、精霊たる〝法則を決定する者オーダー〟ならば一瞬で完全治癒できる。あえてしないのは、精霊による世界への干渉を良しとしていないからだ。あくまで彼の者が力を振るうのは、出自を共にした精霊及び、それに準ずる器が相手となる場合に限られる。

 通常であれば、致死量に達するマナ濃度の中、雨宮は苦も無く活動する。それを可能とする莫大な魔力量に物を言わせ、痣という痣を丁寧に取り除いていく。


「バカでも器だったということだの。相当に手ごわい相手であった」


 勝利を収めて万々歳とはいかない。

 雨宮の顔から固さが抜けないのにはわけがあった。


「最後の精霊は、それほどなのか?」


 〝法則を決定する者オーダー〟から伝わってくる緊張感によるものだ。


『ああ』


 短い肯定に、全てが込められていた。先の〝理不尽を突き付ける者イネビティブル〟ですら一歩間違えれば敗北していたのは雨宮の方だ。それすら超える能力を持つのだろうか。俄かには信じられないと、彼女の心がわずかに乱れる。

 目に映る範囲で治療も終わり、それを見計らったように小部屋が動きを止めた。

 開く扉の奥には、見知った空間が広がっていた。

 ここへ通された時に一度訪れた控室である。

 今となってはボロ雑巾の様相を呈した、元高級感漂う純白のワンピースを揺らし入出する。


「はああ連戦!!? 聞いてないんですけどそれは!」


 ソファの前まで歩み寄ったところで、そんな叫び声が木霊した。

 主は、どうやら部屋の隅に陣取る木刀を携えた男性のようだ。

 受話器の向こう側にいる相手とのイザコザだろう。傍にいる和服姿の少女もハラハラしている。

 彼女以外にも実験の参加者はいる。下手をすれば、他の人間が精霊の器と戦う可能性も否定はできない。

 人の心配をする余裕はないが、それでも気にはなる。

 そこはやはり、雨宮も人間ゆえだ。

 ソファに腰を押しつけたところで、前方にいる青いワンピース姿の少女が目に入った。何やら頻りに胸を気にしている。〝理不尽を突き付ける者イネビティブル〟と戦う前も世話しなく動いていた、と雨宮がそんなことを思い出す。

 その隣に立つ男性が何やら「在庫が」と彼女に話しかける。

 気が散っているのを自覚し、雨宮がふっと息を吐いたところで、ようやく気付いた。

 隣に巨大な貝殻がいたことに、だ。

 同じソファに自身の長躯を遥かに上回る存在。それに今の今まで意識できなかったことに、雨宮は全力で跳躍し離れた。


「……油断? いや、これは」


 着地など気にしていられなかった。

 普段の優雅な振る舞いとは違い、不格好に手をつき前傾姿勢のまま静止する。否、動けなかった。


『意識に潜り込まれたのだ。認識できなかったのは当然だ』


 渦を巻くオパール色のそれは、ゆったりとした緩慢な動作で向きを変え雨宮と正対する。

 直視して理解する。

 殻の切れ目から伸びる無数の触手。あれはオウムガイだ。それも2m級の怪物。


「アブル君を倒したようだね」


 突如声を発したのは、眼前に浮くオウムガイだ。


「アブル?」


「ああ、キミが倒した勇者だよ。こっちだとカモノハシというのかな?」


 瞬間、雨宮の手が動く。

 これは危険だ。本能が、強者としての勘が、数多超えた死線の数が、彼女が思考するより早く身体を突き動かした。

 最大戦力。魔力増殖炉カタストロフ・スフィアからの地獄より放たれた狂砲インフェルノ・バスター

 彼女の長い人生において、ここまで淀みなく速射できたことがあっただろうか。最速と誇れる一撃を以て、未知の敵へ先制した。


「これはあれだね。アブル君に撃ってたやつだね」


 呆けた。

 理解が追いつかなかった。

 完全な不意打ちだ。最大威力だ。それを防いだ?

 巨大な魔力砲がオウムガイを飲み込む刹那、動いた一本の触手が触れた。その次の瞬間には、雨宮の最大火力が消え去っていた。文字通り音もなく。

 現に、オウムガイのいる場所から前と後ろでは部屋の装飾が異なる。

 魔法の威力を物語るように、跡形もなく削り取られた床と天井に対し、それの背後は一秒前と比べ何も変化していない。

 仮に無効化ならカモノハシのように本人だけが無傷で済む。だが、目の前の異形は違った。

 魔法そのものを無かったことにしたのだ。あの規模を、だ。

 思考を停止したのは、隙というにはあまりに短い。それでも死を自覚するほどには、対峙した敵が強大すぎた。

 触手がうねうねと数度動くほどには、雨宮は無防備を晒してしまっていた。


「一方的に情報を得ているのは不公平だと思う。だから、私の能力も明かしておこう」


 一本。雨宮の魔法を消し去った触手が今度は彼女を向く。


「私の触手は規模の上限なくすることができる。そして、それを反射することも」


 言い終えると同時に、触手が光る。


『防げ!』


 主の声に無意識に反応した雨宮は〝法則を決定する者〟から授かった完全防御の手のひらを突き出した。

 撃ち返された地獄より放たれた狂砲インフェルノ・バスターに飲まれる。


「それだよ、それ。アブル君のオートエイムを防いだ技。生で見たかったんだ」


「はー、はー……」


 肩で息を切らす。

 一瞬。コンマ数秒遅れていれば、確実にこの世を去っていたと断言できる一撃を防ぎ、雨宮の顔から余裕が逃げ出した。


「キミ、精霊の器だよね? 主は誰?」


 まるで遥か高みから見下ろすかのように、オウムガイが訊ねる。

 警戒するまでもない。声音からはそのような意思が漏れる。


『〝法則を決定する者オーダー〟だ。お前は〝夢想を愉悦する者パラノイア〟だな』


 器にしか聞こえないはずの声が空気を振動させ、音となる。

 精霊が意思を以て伝えようとした場合にのみ、他者に通じる。


『ひっひっひ。久しぶりじゃ、久しぶりじゃあ。お前だったか〝法則を決定する者オーダー〟』


 〝法則を決定する者オーダー〟にも通じる頭の中に直接吹き込まれるような声音が前方から届いた。

 音域の違いから、それが別の精霊であることを瞬時に悟る。


「三柱目か……」


『自己紹介でもしてやろうかいのう。ほれ、レイト。お前さんに任せるわい』


「わかりました。彼の者が私の主、意思の次元管轄精霊にして、人工知能担当〝夢想を愉悦する者パラノイア〟。そして私がその器のレイトだ」


 頭がないからか、貝殻全体を下方へ傾ける。

 臨戦態勢を取る雨宮に、レイトと名乗ったオウムガイは触手を動かし、静止させた。


「単に挨拶に来ただけだよ。今ここでやり合う気はない。カンパニーと協力関係にあったアブル君がいなくなって、残処理が全て私のところに回ってきてね。それの後始末を今からしないといけないんだ。だから、今日はこれで失礼させてもらうよ」


 言いたいことだけ言い、レイトは踵を返す。

 やろうと思えば背後から一撃を入れることも可能だろう。

 しかし、それが意味をなさないことを先のやり取りで自覚してしまっていた。

 雨宮にしては珍しく唇を噛み、己の無力さに打ちひしがれた。

 小さくなっていく器の背中を消えるまで見届けたところで、雨宮の汗腺が開放された。


『これは一筋縄では無理だな』


「そうだの……」


 事前準備なくして、あれには勝てない。

 数分にも満たない中、雨宮はそう確信せざるを得なかった……

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雨宮奏(自主企画:vs100用) ヴぇいn @vein

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