終章

「おやまぁ。こんな所に人がいるなんて思いもしなかったよ」

何百年ぶりに聞こえた自分以外の声に、俺は驚きとともに顔を上げた。体を動かしたのも久々で、顔を上げた瞬間に首の骨が鳴る。

俺が視線を上げた先にいたのは、一人の女性(一つの赤)だった。

「よっこい、しょっと」

空間の裂け目から現れたのは、肩まで伸びた赤い髪。その髪は動く度に、蝋燭に灯った火がゆったりと揺れるようだった。

彼女の伏せていた瞼が、蕾が花開くようにして開かれる。瞼の下に隠されていた瞳は、太陽のように輝き、太陽のように燃えた瞳だった。

髪も赤ければ瞳も赤い。さらに来ている服も彼女を包み込む炎のように赤かった。空間の裂け目から全身を現した女性は、決して大きくない胸を張り、満足そうに俺の方を向いて頷いた。

俺が初めて出会った人間は、そんな赤(人)だった。

ここは、この世ではないどこか。俺を閉じ込めるためだけに神(クソ親父)が作り出した空間だ。閉じ込めるといっても、檻も俺の動きを封じる鎖もない。ここ自体が俺を閉じ込める檻であり、俺がここから出たらその先の世界を壊してしまうという事実が俺を縛る鎖となってる。ここに閉じ込められてからはすることもなく、俺は絶望に浸りながら横になるか、今のように体操座りになっているかしかやることがなかった。

しかし、本当に驚いた。ここの存在は、神(クソ親父)か俺をここに閉じ込めた天使以外に知らないはずで、ただの人間がやってくるなど思いもしなかった。

だが驚き以上に、俺はここにやってきた人の存在の身を案じた。

何故ならこの空間は、俺の鼓で溢れ返っている。ここは一種の火薬庫だ。必死に抑えているものの、今すぐにでも《鼓(火薬)》に火がともり、術が発動(火薬が爆発)しそうだ。

「は、やく……。逃げ、て……」

動くのも久しぶりなら、喋るのも久しぶりだ。うまく回らない口がもどかしい。

ようやく出会えた自分以外の存在に喜ぶ暇もなく、俺は目の前に現れた女性を自分が殺してしまわないか不安で仕方がなかった。

そして、その不安は現実のものとなる。

火薬(鼓)に火が灯った(術が発動した)のだ。

「や、めて……」

俺の懇願が発せられる前に発動した術は大量の水となり、炎(彼女)を消そうと襲いかかる。俺が全力で術を押さえ、消そうとするが、どうにもならないっ!

もう彼女は助からないと、初めて出会えた人を自分が殺してしまう現実から目をそらすように目を閉じた俺が聞いたのは、まったく緊張感のない声だった。

「なるほど。こりゃぁちょっと本気でやらないとヤバいね」

その声とともに俺が感じたのは、熱風だった。何事かと俺は両手を目の前にかざしながら、その光景を見ていた。

水をかければ火が消えるのが通り。だが、俺の生んだ水は炎を消すことが出来ず、逆に水の方がかき消された。

そのさまは、太陽に水鉄砲をかける、とでも言えばいいのか。俺の発生した水は一瞬に水蒸気となり、さらにそれが熱分解され水素と酸素になり、それを彼女の生み出した炎が飲み込んでさらに大きくなり、俺の生み出した水をさらに食らっていく。

水も食われれば食われた分だけ溢れ出して来るが、それをもとのもせず、彼女は一歩一歩俺に近づいてくる。

俺は、その光景をただ呆然と眺めていた。

「自己紹介がまだだったな、少年」

俺に近づいてきた炎(彼女)を、俺は呆けた顔で見上げた。

絶えず襲い来る水を寄せ付けることのない強烈な炎のあまりの眩しさに、俺は目を細めた。

「私の名前はスカーレット」

その笑顔が炎よりも眩しくて、俺はまたさらに目を細めた。もう目をつむっているのと変わらないほど瞼を閉じているにもかかわらず、俺は完全に瞼を閉じれない。

もし瞼を閉じたら、生まれて初めて自分の両目から溢れ出したナニカが止まってしまいそうで、怖かった。

「大丈夫」

彼女、スカーレットは膝をついて、俺の両頬に流れ落ちた、火傷の跡を残しそうなほど熱く感じた水をぬぐった。

俺の両頬を流れる水よりもスカーレットの手から感じる熱の方が熱くて、俺の中からナニカが溢れ出すのを止められない。

「……ぁ」

そのナニカを何故だかスカーレットに伝えたくて。

それでもそれが言葉にならなくて。

赤ん坊が母親を求めるように、俺を両手を恐る恐るスカーレットに伸ばした。

そしてそれに、スカーレットは俺を抱きしめることで応えてくれる。

その瞬間。

「……あ」

その水すら一瞬でかき消す炎に包まれながら。

「……ぁあ」

今も襲いくる、俺自身にも制御できない溢れ出した水(術)から俺を守るように抱きしめてくれたスカーレットの中で。

助けて……。

「あああぁぁぁぁあああああ!」

俺は絶叫を上げながら、泣いた。

俺の想いが通じたのかは分からない。

だが、彼女はこう答えてくれた。

「私が、あんたを助けてあげる」

その時俺は、自分が一人じゃなくなったことを。

一人じゃないということの意味を、知った。








「ど、どどどど、どうしたのじゃコーイチ!」

昨日と同じように自分の術で浮いているモロの声で、俺は目を覚ました。

モロの姿を見ながら、俺は尋ねる。

「……どーしたんだ、一体」

「それはこっちの台詞じゃ! コーイチ、泣いておるではないかっ!」

言われて自分の頬を触れば、確かに濡れている。あの夢の所為か。

あの夢は、母親(スカーレット)と初めて出会った時のものだ。昨日カーネルたちとの戦闘で久々に母親(スカーレット)との出会いを話したので、夢に見たのだろう。

それにしても夢に出てきただけで泣くとは、我ながら情けない。

「だだだ、大丈夫なのか? ぽんぽんでも痛いのかのぅ? 妾がぺろぺろしてやろうか?」

「だーいじょうぶだよ。心配すんな。あと、腹が痛いのは舐めても治らねーから」

「じゃが、じゃがぁ~」

俺は涙をぬぐいながら、俺は半泣きになってしまったモロの頭を撫でた。

「うぅ。あんまり心配させる出ないぞぅ。コーイチ」

「すまんすまん」

モロの涙もぬぐいつつ、俺は再度モロの姿を確認する。

「ちなみに、さっき俺が『どーしたんだ』と言ったのは、お前のカッコーのことなんだが」

「ん? これのことか!」

さっきまで泣いていた雀は何処へやら。一瞬にして満面の笑みを浮かべたモロは、器用にも空中で自分の着ている服を見せびらかすように一回転した。

「どうじゃ? 昨日帰ってきてからすぐに準備したのじゃ!」

「お前、きのー言ってた明日の準備って、これのことだったの?」

「そうなのじゃ!」

そう言って胸を張った、髪を下したモロの頭にあるのはウサギ耳。はいている網タイツは肉付きのいい太ももをより強調し、まだ揺れている乳房を包んでいるのは肩が丸見えの黒色のレオタード。

そう。今モロが来ている服は、

「バニー服なのじゃ!」

お前そのために昨日焦ってたのかよっ!

バニー服のために一時的にカーネルたちに追いつめられたと知り、俺は苦笑いしか浮かべられない。

「どうじゃ? 似合っておろぅ? 似合っておろぅ?」

次々に蠱惑的なポーズを決めるモロの頭に手刀を落としつつ、それに抗議するモロをなだめながら朝食を取るためにベッドを降りた。

あぁ、これだ。

俺が欲しかった誰かとの触れ合いが、この日常こそが、俺が欲しかったものなのだ。

モロが俺の隣にいて、また代わり映えのない日常がやってくる。今日もきっと高校の友達とだべって、だらだらと授業も聞かずにゲームをして、また同じような日常がやってくる。

俺は、ようやく手に入れることが出来たのだ。

この日常は、俺一人では手に入れることが出来なかったものだ。

母親があの日俺を助けてくれて、モロと引き合わせてくれた。それでようやく、俺はこの日常を手に入れることが出来たのだ。

そしてこの日常を続けていくには、モロがいてくれないとダメなんだ。モロと契約することで、ようやく俺はこの世界で生きていくことが出来るのだ。

このくだらない(モロが隣にいてくれる)日常を守るためなら、俺は神すら殺してみせる。魔王にだって、なってやる。

俺一人では、ダメなんだ。

だって、俺一人では。

一人じゃ何にも、出来やしないのだから。

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一人じゃ何にも、出来やしない!? メグリくくる @megurikukuru

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