極彩色

進藤翼

極彩色

 気分の落ち込むことがあるとキャベツを買って帰る。ビニール袋に入れてぶら下げる。

 空は鉛色、吹く風はぬるく、そして強い。その勢いは暴力のようで、私はときおり思わずよろめいてしまう。ほこりと砂粒が容赦なく襲い掛かってくるから、袋の持っていない手で顔を覆うようにし、目をつむってやり過ごす。

 パチンコ屋を取り囲むように立てられている旗は風の強さに比例してその身を翻す。旗に書かれている文字はそのせいで読めやしなかった。店の中から人が出てきた。ドアの開いた一瞬、独特の喧騒が耳に突き刺さると覚悟をしたけれど、強風にかき消されてなにも聞こえない。

 コーヒー屋のテラス席には老人が座っている。彼らは知り合いのようでいて全くの他人同士であるようにも見えた。同じテーブルに着いていても、各々が話したいように話していて会話が成立していなかった。

「アメリカンを注文したがこれはあまりにも薄すぎる。色のついたお湯を飲んでいる気分だ」「このドーナッツはちょうどいい甘さだ。私好みの味をしている」「おい誰か砂糖を持ってきてくれ」「あっちの席に座ったほうがよかった。なにも外に出なくてもよかったろうに」

 四人座っていたけれどそのうちの一人は眠気に誘われたのかうつらうつらとしていた。ところが誰もそれを気に留める様子がなく、また独り言なのか会話なのかわからない言葉が行きかうばかりだった。


 マンションの一階にある自宅は北側に窓がついている。窓の向こうは駐輪場になっているから一日中カーテンを閉めていて、そのため室内は一日中薄暗い。今日の天気のせいで暗さはさらに増していた。

 蛇口をひねると音を立てて水が流れる。真下にある排水溝に飲み込まれていく。私はゴム手袋をはめて手のひらを突っ込んだ。少しばかりのくぼみに溜まった水はすぐに溢れだした。ようく見れば水には大量の泡の粒たちが含まれている。水が手のひらに落ちるごとに泡は割れ、また新たな泡が現れるということを繰り返している。そして薄暗いこの室内の中で、確かにこの水道水は光り輝いていた。

 キャベツを簡単に洗うとまな板の上に置いて、私は包丁を取り出した。包丁の背の部分に手を置いて力を込めると、包丁は沈み、そしてこつりと板にまで届いた。その感覚に私は安心を得る。観念したようにキャベツはその身を左右に開いた。私は真っ二つになった片方を端から細かく刻んでいく。規則正しい包丁の音は私を安定させる音だ。ほかのことをなにも考えず、ひたすらに目の前のキャベツに包丁を落としていく。そうやって買ってきた三玉ぶんを全て切り終える頃にはとてもザルひとつでは足りないほど大量の千切りができあがっていた。私はその光景に心から満足した。

 雨のにおいがした。すんとした独特のにおいが鼻に届く。一階だからなのかそういった変化には敏感だった。隙間からのぞいて誰もいないことを確かめて、カーテンを開く。粒の大きな雨が駐輪場を濡らしていた。灰色のコンクリートはすでに色を変えていた。窓を開けると音が鮮明に聞こえる。思ったよりもその勢いは強く、伸ばした私の腕も次々と濡れていく。その水に触れたとき私はある予感を抱いた。それは地下から地上につながる階段をのぼるような感覚だった。私は今解放されようとしている。

 蛇口をひねって、今度は素手で水を受け止める。手のひらをだんだん持ち上げていくと腕の内側を伝い、ひじのあたりまで流れてきた。透き通る水の美しさ、心をかきたてる雨の音。

 キャベツをつまんで口に運ぶ。かたく、しゃきりとした歯ごたえがあり、そして噛むほど増していく甘み。


 ああ、春だったのか。

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極彩色 進藤翼 @shin-D-ou

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