第154話 魔血竜
硬質の魔血でできているはずの六枚の翼を滑らかに羽ばたかせ、竜が舞い上がる。
輪郭を模しているだけの頭には目玉はなく、目の位置を表すための窪みのようなものがあるのみ。
しかしその眼窩で、竜は俺たちのことをまっすぐに見つめていた。
多分こいつは、
だが言い換えればそれは、ユーリル本体が無傷でいる限りは幾ら竜の部分を破壊しても意味がないということだ。砕いた傍から形が復元してしまうような奴を弱体化させようと幾ら粉にしたところで、逆にこちらの体力が無駄に減っていくだけである。
それに、アルテマでようやく砕けるような硬度を持っているような物体をそう容易く何度も砕くことができる手段が、俺たちの手元に豊富に揃っているわけもない。
この場であの竜に通用する攻撃手段を持っているのは、おそらくアルテマが使える俺とゼファルト、そしてヴァイスだけだ。アヴネラの力では、きっとあの竜の体を砕くには役不足だと思う。それに……ゼファルトは魔法を行使する度に対価を消費する必要がある。円卓の賢者ですら、最強の破壊魔法を発動させるには少なくない量の血が代償として必要となるのだ。血は有限だから、そう何度も魔法を使うことを要求するわけにはいかない。そんなことをしたら彼は貧血を起こして動けなくなってしまう。
だから。じっくりと時間を掛けて徐々に相手を追い詰めていく手段を選ぶのは得策ではない。
短期決戦で、一気に決着を着けてやる!
「アルテマ!」
俺は竜の翼を狙って魔法を放つ。
もちろん、ただ考えなしに撃ったのではない。普通にアルテマ一発を叩き込んだだけでは、運が良くて翼が一枚落ちるだけだ。六枚あるうちの一枚が失われたところで、あれを落とすことは到底できない。
今の魔法は、翼を落とすために撃ったものではない。無論翼を落とすことを狙ってはいないとも言わないが、まずは普通に直撃したアルテマが相手にどれだけのダメージを与えられるかを確認しておきたかったのだ。
アルテマの光が竜の翼の一枚に突き刺さる!
硬い音を立てて翼の根元に深い亀裂が走る。完全に折るには至らなかったが、かなり深い傷だ。動かすことに支障が出たのか、目に見えて魔法を食らった翼の動きが鈍った。
……よし、いけそうだ。
竜を睨み据えながら、俺は次なる魔法を唱えた。
「プロフェシー」
間髪入れずに更に魔法を唱える。
「アルテマ」
俺の言葉は虚空に溶けて消えていく。何も起こらない。
その理由は、俺が今アルテマの前に唱えた魔法の効果にある。
プロフェシー──精霊魔法の一種で、時魔法に属する。この魔法を発動させた次に唱えた魔法の効果発動時間を操作して、先送りにする効果がある。
この魔法は、単体では何の効果もない。他の魔法と組み合わせることによって初めて効果を発揮するものなのだ。
魔法の発動時間を先送りにするということは、すなわちそれは任意の魔法をひとつだけストックすることによって一人で魔法の同時射撃を実現させることと同じ。通常では一発しか撃てない魔法を二発にすることによって確実に標的に命中させたり命中箇所を重ねて破壊力を増すためのものなのだ。例えるならばデュプリケートの効果を擬似的に作り出すような魔法なのである。
と、これだけ聞くと結構使い勝手が良さそうな魔法のように思えるかもしれないが、こいつには幾つかの欠点がある。
まず、先送りにした魔法の発動時間は、任意で決めることができない。先送りにはできても、それがいつ発動するかは術者当人にすら分からないのである。
いつ爆発するか分からないような爆弾は、一歩間違えれば自分を吹っ飛ばすことになりかねない。もしも発動を先送りさせた魔法が全く狙ってもいない場面で発動したら、下手をしたら自分がそれを食らうことにもなるのだ。全然見当違いの方向に飛んでいって不発に終わるのであればまだマシだが、自分が撃った魔法で自分が致命傷を負うなんてことになったら笑うに笑えない。
次に、単純にこの魔法自体の制御が難しいということ。
基本的に精霊魔法の中では、闇魔法、時魔法、空間魔法、爆発魔法に関しては他の魔法と比較すると難易度が高い。不定形な概念を持つ存在を操作する力というものは、炎や水のような実体のある『物質』を操ることと違って人が効果をイメージしづらいものなのだ。
魔法は、効果の形をしっかりと脳内でイメージすることが重要だ。単に闇雲に魔法名を口にすれば良いというものではないのである。
元々魔法とは全く無縁の世界である日本人の俺が、何故こうも容易く魔法効果を完璧に引き出せるのかどうかは分からない。多分俺が魔力を持っていることと、全く役立たずの能力だと思われていた神の能力である『魔法の知識』を持っていることに関係しているのだろうが……普通は、何も考えずにそうほいほいと高難易度の魔法を連発することはありえないことなのだ。
そして、三つ目の問題。効果の発動が先送りになるとはいえ、既にその魔法名を口にしているために、相手に何の魔法が時間差で発動するかが知られてしまう点だ。
魔法は確かに普通の剣や弓なんかと比較したら遥かに強力な攻撃手段ではあるが、予めどういう効果を齎す魔法であるかが分かっていたら、実は結構簡単に対処されてしまうものなのである。これは相手が魔法に関する知識を殆ど持っていない人間だったりそもそも知能が低い猛獣や妖異である場合はさほど大きな問題ではないのだが、魔法に精通した者だった場合は結構深刻で、命中させること自体が困難となってしまうのだ。
ユーリルは、確かに魔法は使えない。しかし、百年近く魔法に関する勉強をしてきただけあって、魔法に関する造詣が深い。操れずとも、その魔法がどういうものでありどういった対処をすればいなせてしまうかを知っているのだ。
俺が時間差でアルテマを放とうとしていることは、今のでユーリルには知られてしまった。よほど上手いこと時間差効果を活用しないと、この一発は無駄撃ちになる可能性が高い。
俺は傍らのゼファルトに小声で問いかけた。
「……ゼファルト。あいつを何とかその場に固定する方法ってないか?」
「固定? それは床に縫い付けるという意味か? それとも動き回らせないという意味か?」
「動き回らせない方だ。その場にいてくれれば飛んでいたって構わない。俺が今仕掛けた魔法が発動するまでの時間を稼ぎたい」
「……そのようなことをしなくても、君の召喚獣に命じれば落とすことなど容易いのではないか? エンシェント・フェンリルの力ならば、その気になればこの城を丸ごと吹き飛ばすことも可能だと思うのだが」
確かに、ゼファルトの言う通りだ。俺がヴァイスに本気であの竜を撃ち落とせと命令すれば、ヴァイスはその通りにするだろう。防御結界を張っていた魔帝をも吹き飛ばしたほどだから、あんな鉱物の塊など、中にいるユーリルもろとも一撃で粉砕することができるはずだ。
そうすれば、一瞬で片がつく。それは、分かっている。
でも。
「……俺は、なるべくあいつのことは殺したくはない。リュウガには言葉が通じたのに、ユーリルには通じないなんて思いたくはないんだよ」
「……リュウガ?」
……そういえば、ゼファルトはリュウガのことはバルムンクとしてしか認識してなくて本名は知らないんだったか? まあ、今はそれはいい。
ユーリルは、俺のことを救いようがないくらいに憎んでいる。そこは動かしようのない事実だ。
だが……俺の言うことに対して反応を返してくるということは、あいつは俺の言葉を全く聞いていないというわけではないのだ。
無視せずに反応してくれているということは、根気強く話しかけ続ければ説得できる可能性は限りなく低いとはいえゼロではない。
俺は……そこに、賭けたい。かつて、一緒に旅をしてきた者として、もう一度、対等に話し合いたいのだ。
「……ふむ」
ゼファルトは眉間に皺を寄せて竜を見据えながら、思考を巡らせた。
「……了解した。確実に効果があるかどうかは分からないが、手がないわけではない。試してみよう」
「本当か?」
「だが……私にとっても少し負担のかかる方法になる。力を安定して発動させるための時間が少しばかり欲しい。その間はハル殿にあれの相手を任せることになるが、構わないか?」
「……分かった」
一体何をする気なのかは分からないが、円卓の賢者が隠し玉にしているような手段だ。確実に効果が出ることを期待したい。
「……アヴネラ、フォルテたちを頼む。俺の援護は無理してしなくていいから、二人のことを守ってやってくれ」
「うん、分かったよ」
「ヴァイス、来い」
「わう」
俺はヴァイスを従えて、竜の前に進み出る。
竜の──ユーリルの狙いは、俺だ。もちろん俺以外の奴のことも葬るつもりではいるが、最大の敵視は俺に向いている。
俺が最前線に立っている限り、俺から注意をそらすことはしないはず。そこを逆手に取る。あいつが俺を狙っている間に、ゼファルトに一手を打ってもらうのが俺の狙いだ。
竜が目の前に出てきた俺めがけて急降下してきた。
俺は竜から視線をそらさずに、叫んだ。
「ヴァイス、あいつの翼を全部落とせ!」
「わんっ!」
ヴァイスが吠える。それと同時に、目の前が真っ白に光り輝いた!
ぎゅばっ!
光が束ねられて数多の刃となり、高速で宙を貫いて竜の背ごと六枚の翼を抉り取る!
体から切り離された翼が砕け散りながら床に落ちる。翼を失った竜は飛ぶ手段を失ってバランスが取れなくなり、そのまま俺の頭上を横切って後ろの壁へと突っ込んでいった。
ばがっ、と飾り柱の一本が砕け、その欠片を被りながら竜が床に転がる。
これが生き物の竜ならばかなり行動力を削いだことになるが……こいつの場合は普通に翼を落としただけでは意味がない。
全く堪えていない様子で竜が身を起こす。その傍から、今し方ヴァイスが落としたばかりの翼が抉り取られた背中の一部ごとぱきぱきと音を立てながら再生していく。
……だよな。ユーリルを殺さずに無力化させるって決めた時点でこういう展開になることは予想はできてたよ。
だから、この程度で今更驚いたりするか!
「ヴァイス、あいつの翼が生えたら速攻で砕くんだ! 絶対にあいつを空に飛ばせるな! 分かったな!」
「わんっ!」
びぎゃん!
再生したばかりの翼を広げて飛び立とうとした竜の背中を、再度ヴァイスが放った魔法が吹き飛ばす。
無論ヴァイスばかりに任せてはいられない。俺も仕掛けるために意識を魔法に集中させ始める。
その様子を離れたところで見つめながら──ゼファルトは、彼が言う『隠し玉』を放つために必要なあるものを、右手に取り出したのだった。
三十路の魔法使い 高柳神羅 @blood5
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