戦闘開始!

 天王山。京都盆地の西辺となる西山山系の南端に位置し、かつては摂津と山城の国を別けた小さな山。東側にある男山との間で地峡を形成し戦略上として非常に重要な山になることが多く、古くは南北朝の時代や応仁の乱、有名所だと山崎の戦いや戊辰戦争等、度々天下分け目の戦いの舞台となり、今ではここ一番の勝負の代名詞ともなっている。


 そんな天王山と同じ名前を持つ丘がむつみ演習場には存在する。山と名乗ってはいるものの、実際には僅か数分で駆け上がれるような、本物とは似ても似つかない貧相な丘だが、演習場内を一望できる戦略的要所という点では共通しているところがあった。


 ではこの山を巡って学生たちが争うのかというと、そこまで高度な戦闘は行われない。この訓練で実施されるのは陣地の奪い合いではなく、学生を明確に攻撃側と防御側に分けて行う簡単な戦闘であって、そもそも勝ち負けが存在するものではないのだ。演練する項目も「野外戦闘における分隊長及び分隊員動作」とされており、戦略的目標に対して作戦を立案し部隊を動かすような、いわゆる指揮官としての能力は求められていない。


 ならばこの天王山は学生たちにとってどんな山なのか。そこに陣地を構築するわけでもなく、目標として攻撃するわけでもない。言ってしまえば本来訓練とは関係のない場所なわけだが、実はこの山こそが学生たちにとって最も重要な役割を担う場所なのである。


 その役割というのが…


「3分隊中村学生はぁ! 敵の斥候に狙撃をされ、戦死しましたぁ!」


 山の頂から演習場全体に響き渡る声。それに続いてまた別の学生が各々が戦死した時の状況を空に向かって叫びだす。一体誰に向けての報告なのかというと、同じく頂上で演習全体の様子を見ている訓練指揮官、学生隊長に対してだ。戦闘等様々な要因によって戦死の判定を受けた学生は、当然ながらそのままでは訓練を続行することは許されず、まずは全力でこの天王山を駆け上がる。そして学生隊長に対し大声で戦死報告を行うと新しい命を貰うことができ(復活の呪文と呼ばれる)、再び戦線へと復帰できるのだ。


 つまり学生たちにとっての天王山とは「死者が登る山」なのである。同時に「生き返らせて貰える山」でもあるのだが、そもそも一度死んでいるという前提がある限りこの山は屈辱の象徴でしかない。


 訓練開始から数時間、各分隊が攻撃と防御を一回ずつこなして次々と戦死報告が挙がる中、春香と月音の分隊は奇跡的にまだ戦死者を出していなかった。判定員をしている助教たちの目がたまたま緩かっただけかもしれないが、いずれにせよこれはかなり珍しいパターンである。


 もしかするとこのまま誰も戦死せずに訓練を乗り越えられるのではないか。そんなこと教官側が許すはずもないと分かっていても、つい淡い期待を抱いてしまう。

 

「日昼最後の攻撃フェーズです! みんな、張り切っていきましょう!」


 新たに分隊長へ就いた春香が仲間を鼓舞する。昼過ぎから始まった戦闘訓練はこれで3フェーズ目であり、これが終わると夕食を含めた若干の休憩が入り、いよいよ敵役が教官に変わる夜戦へと突入する。同じ学生相手で、しかも明るく視野が通る中で戦えるのはここまでだ。


「目標はもちろん敵陣地の制圧ですが、ちゃんと全員が生還することを目指しましょう。焦らず、決して無茶はしないでくださいね」


 ここまで一人も死者を出しておらず全てが順調に進んでいることから、今この分隊には非常に良い空気が流れている。だがこういう時こそ自分たちの力を過大評価してしまいがちで、勝利に拘るあまり英雄的行動に走ってしまう者さえ現れるのだ。勇気と無謀は履き違えてはいけない。たとえ戦いに勝ったとしても、死者を出すことは必ず部隊にとってマイナスになる。全員を無事に戦場から連れて帰ること。それこそが分隊長として一番優先すべきことだと春香は考えていた。


「今回については分隊ごと好きに作戦を立てて構わないって言われてますけど、皆さんなにか案はありますか? 特になければ、一応私なりに考えた作戦で行こうかと思ってますけど…」


「それでいいよ」


 分隊員たちは即答する。


「桜庭が分隊長してくれるなら大丈夫だ。みんなお前についていくよ」


「今までの訓練を見るに、うちの分隊で一番信頼できる分隊長だ。お前が立てた作戦で駄目なら、誰も文句言わないさ」


「な、なんですか急に?」


 あまり褒められ慣れていないものだから戸惑う春香。しかし同期たちは決してからかっている様子ではないみたいだった。


「いやさ、この先こんな機会なんてないだろうから言わせてもらうけど…お世辞抜きで、戦闘訓練中の桜庭はマジで頼りになるよ。判断は早いし指示も的確だし。やっぱお前、頭の回転が早いんだな」


「去年の地戦(地上戦闘訓練)じゃ、銃もまともに撃てなかったって言うのにな。それが今となっちゃ一人前の分隊長だ。随分と強くなったよ」


 同期にそう言われて、春香はちょうど今から一年前、自衛官になってから半年が経った頃の自分を思い出す。この手で誰かを傷付けてしまうことが怖くて、銃を扱うという重みに耐えられず、一度は逃げ出そうとしたこの世界。けれど今なら分かる。誰かが背負わなければならないその使命に命をかけている人たちがいること。自分も大切な仲間たちも、いずれはその役割を担うということ。そしてそんな仲間を守るためにも、自分はもっと強くならないといけないということ。


 覚悟を決めることが強くなるということなら、確かに春香は強くなったのかもしれない。彼女はもう戦うことを躊躇わない。能力的にはまだまだ学ぶべきことは多いが、心構えはもう立派な戦闘員だ。


「でしたら、作戦については私の案でいくってことで。各自、戦闘準備が終わったら命令を下達しますので再度集合して下さい。ここの出発は今から15分後を企図しています。以上、質問」


「なし」


「わかれ」


 一時解散を告げられて、分隊員たちはそれぞれの掩体へと戻って行く。休憩する暇はなく、準備を終えたらすぐに行動開始だ。


 攻撃目標はここから一つ丘を越えた先にある陣地。日和たちが所属する、第5分隊が防衛する場所だった。





 状況開始が告げられて十数分、熱く輝く太陽も山の端まで降りてきて、辺りは秋らしい黄金色の光に照らされていた。時折吹く強い風は背を高く伸ばした草たちを揺らし、演習場いっぱいに広がる平野に緑の波を走らせる。そんな中コオロギやキリギリスといった秋の虫たちは思い思いの場所で演奏を始め、目を閉じれば今が訓練中であることを忘れてしまいそうな、そんな心地よさが漂っていた。


 しかし冬奈はそんなハリボテの平和に少しも惑わされることはなかった。まるで犬のように目を凝らし、耳を立て辺りを警戒する。この自然の中に紛れる違和感、例えば不気味に黒光りする銃や編上靴、装備品が擦れる金属音、そして僅かに香るツンとした硝煙の臭い。どんなに小さな情報でも見逃すわけにはいかなかった。


 敵がここに攻めてくることは大前提とされている状況下だ。いつ攻撃を受けるのか…というよりは、既にそこには敵が潜んでいるというつもりで警戒しなければならない。だがその肝心の対抗部隊はなかなか姿を現さず、掩体で銃を構える分隊員たちの集中力は時間と共に削られていった。


 機動警備を向かわせることができたらな、と無い物ねだりしてみる。掩体にこもって見張りを行う拠点警備と異なり、機動は防御陣地付近をパトロールして回る、能動的な警戒方法だ。本来であれは拠点警備と機動警備を同時に行って敵の侵攻を防ぐというのが基地警備の在り方なのだが、そうなると攻撃側が圧倒的に不利になる上に人員もそこまで豊富にあるわけではないので、原則として拠点から動くことは許可されていない。


「各員、報告!」


 冬奈が叫ぶと、すぐにあちこちから「異常なし」の声が返ってくる。もしかすると気付いていないだけですでに攻撃を受けているのかとも考えたが、どうやらそれも考えすぎらしい。


「来ないね」


 隣で銃を構える日和がポツリ呟く。なかなか姿を現さない敵部隊に、彼女も違和感を抱き始めたのだろう。だがこの緊張下の中、彼女の声はいつもと同じ落ち着いた調子で、逆に冬奈は冷静さを取り戻す。


「焦ったって仕方ないわ」


 溜息混じりに。だが焦っているのは寧ろ自分の方だろうと自嘲の笑みが溢れる。


「1フェーズあたり一時間の時間がとられてるから、攻撃側としても慌てる必要はないわけだし。ゆっくり余裕を持って攻めてくるわよ。こっちはそれを訓練通り、落ち着いて迎え撃つだけ」


 半分は自分に言い聞かせるように話す冬奈。それを日和は、いつもと同じ穏やかな表情で頷きながら聞いていた。もしかして気を使わせてしまっただろうか。そこまで焦りを表面に出していたのだとしたら、悔しいが分隊長失格だ。


「やっぱり冬奈は頼りになるなぁ。こういう戦闘訓練も、航学に来る前にやってたんでしょ?」


「やるにはやってたけど、分隊長動作は初めてよ。自候生課程でやる野戦なんて、分隊員としての動作が概ねできていれば良し…くらいのレベルしか求められてないんだから」


「配属先の部隊だと戦闘訓練はやらないの?」


「警備職ならともかく私はAPG(航空機整備員)だったから、演習の時も専ら飛行場で整備作業よ。銃すらまともに持たなくなるわ」


 航空機を飛ばすことを主な任務としている航空自衛隊では、陸上自衛隊がやってるような地上戦闘訓練は殆ど行われることがない。年に数回の基地警備訓練の際に増強要員として駆り出されることこそあれど、それも各隊数人ずつ差し出す程度であり、殆どの隊員は自分の持ち場について恒常業務を続けることとなる。銃を扱う機会は月一程度に行われる武器整備の時くらいであり、射撃に至っては数年に一回しか撃たないなんて隊員もいる。


 ましてや幹部、それもパイロットとなれば基地警備訓練に参加することなんてほぼあり得ない。自衛官として最低限小銃を持って戦うスキルが求められていることは理解しているが、ここで培った技術が実際に生かされることは果たしてあるのだろうかと冬奈はやや懐疑的だった。


 いやいや余計なことは考えまいと、冬奈は再び目を前に向けた。その瞬間、一つ強い風が吹いて周囲の草木を強く揺らす。その僅かな隙間に、本当に小さく、黒く光った何かを見た。


(…銃っ!?)


 発砲。響く一発の銃声。そのすぐ後に、頭一つ出して警戒にあたっていた同期が戦死判定をもらう。


「敵襲っ!」


 叫んだ頃には既に遅く、敵の一斉射撃が冬奈たちの陣地を襲い、分隊員たちは反射的にそれぞれの掩体へ身を隠した。距離はおおよそ百メートル弱。狙って撃てば確実に仕留められるであろう距離だが、攻撃発起位置としてはやや遠い。先手こそとられたが、落ち着いて対処すればこのまま敵の攻撃を阻止することほ十分に可能だ。


「都築! 悪いが応戦するぞ!」


 別の掩体から礼治の声。冬奈からの返答を待たずに射撃を開始し、他の分隊員たちもそれに続く。分隊長の指示を待たない独断の行動だが、怯んで動けなくなるよりかはマシだった。


「命中させようと思わなくていいわ!」


 銃声があちこちで響く中、冬奈も精一杯声を張る。


「突撃発起点にはまだ遠いから、敵も思い切ったことはしてこないはずよ! 時々射撃を加えて、相手の前進を阻害できれば十分だから!」


 早駆けや匍匐を繰り返して接近し、着剣突撃をもって敵陣地内に侵入し制圧を行うというのが、野外戦闘における基本的な攻撃手順だ。匍匐だけで進めるならばかなり安全に前進することができるのだが、この距離では何度か早駆けをしなければ陣地への突撃は難しいだろう。早駆けとはその名の通り次の遮蔽物まで駆ける行為であり、当然ながら敵に対して無防備に身体を曝すことになる。防御側の冬奈たちからすれば、そこが叩きどころだ。今は散発的に射撃を加えて攻撃側の動きを封じ込め、寂れを切らして早駆けしてくるのを待てば良い。


 もともと、完全に構築された陣地に対して正面から攻撃をしかけるなんて、奇襲でもない限り成功するはずがないのだ。しかも場所は遮蔽物もなにもない見通しの効く演習場。かろうじて背の高い草が身体を隠してくれるものの、一度居場所がバレたら身を守るものはなにもない。陣地に近付けば近付く程弾は当たりやすくなり、突撃前に全滅するのがオチだ。最初の一発こそ撃たれたものの、冬奈はまるで負ける気がしなかった。


 それからしばらく小競り合いのような銃撃戦が続き、大きな進展もないまま時間は流れていった。このままフェーズが終了すれば攻撃は失敗したと見なされ、防御側の勝利となる。案外大したことなかったなと、冬奈の脳裏に僅かな余裕が生まれた、その瞬間だった。


 一発、陣地から遠く離れた聞こえた別の銃声。もちろんそんなところに味方は配置されていない。


「都築、戦死だ」


「…?!」


 助教に告げられた文字通りの死の宣告。だがそのショックよりも、一体どこから誰に撃たれたのかという疑問のほうが冬奈の頭を巡った。だがその正体を見つける間もないままに二度目の発砲があり、また一人分隊員が戦死していく。


 そして見つけた。防御陣地のほぼ真横に位置し、恐らくはこちらを全て見渡せるであろう小さな丘に、偽装した一人の敵兵士。


狙撃手スナイパー…いや、選抜射手マークスマン!?)


 部隊の中でも射撃能力の優れた者から選ばれ、分隊に随行しつつ狙撃の任務を与えられるマークスマン。あくまで分隊支援の為の射撃を行うため、単独か少人数で任務を遂行するスナイパーとは性格が異なる。分かりやすく言えば、一般歩兵と狙撃兵の中間のような存在だ。


 本来のマークスマンならば専用の小銃とスコープ等を装備し、おおよそ800m前後の距離を狙撃するのが正しい在り方なのだが、当然ながら学生たちにそんな装備が与えられているはずもなく、果たしてこれがマークスマンだと呼べるのかどうかも怪しいところだ。一応64式小銃の有効射程距離は400mとされているが、学生のような素人が狙撃眼鏡も使わずに命中させられるのはせいぜい100m程度。それ以上の距離から射撃しても殆ど効果は期待できない。


 だがこの場面での「マークスマンもどき」を配置する戦法は非常に効果的だった。何故ならこれは実戦ではなく、命中の可否を判定するのは生きた人間であふ助教たちだからだ。射撃の精度に関係なく、助教が命中と判定すればそれ以外の結果はない。加えて彼等は「あんなところから撃っても当たらないだろ」ではなく「当たる可能性はあるし、当たったほうが面白そうだな」と考えがちなので、こういう戦略が実現可能になるのだ。


 分隊長である冬奈がやられ、指揮権は副分隊長である日和に移る。勿論「死人に口なし」なので、冬奈から彼女に指示を出したりはできない。たぶんこれも「分隊長が戦死したほうが新しい展開が期待できる」という助教の気まぐれだろう。


 崩れ落ちるように冬奈は掩体に座り込む。悔しいが、現実を受け入れるしかなかった。


「坂井学生、悪いけど…」


 申し訳無さそうに顔を上げると、日和は引きつった表情で頷いた。分隊長を始め、既に何人も被害が出ている。一見防衛側有利だった状況はこの作戦の為の布石であり、日和たちは見事に攻撃側の術中にはまっていたのだった。


 対してこれまでずっと地面に伏せ、制圧射撃を耐え続けた春香たち。心の内に抑えていた闘志は、今一斉に火を点け始める。


「勝負です、坂井さん。全員天王山を登って頂きますよ」


 目標の陣地内が混乱状態にあることを確認し、春香は高々と右手を掲げた。

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航学日和 ラスカル @43273

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